錆色の教会 08
良好な治安と経済力に支えられ、人口は100万に迫るとすら言われる王都ラベリア。
ただそんな人口多大な町にあっても、あまり治安が良いとは言えず、人の通りが少ない地域は存在する。
王都の栄えた市街地から路地へ入り、延々と進んだ先に在る小さな広場を越え、入り組んだ路地裏をさらに進んでいく。
次第に人の発する喧騒は消え、太陽の届かぬ暗がりから襲い掛かってくる静寂に、嫌な気配すら感じ身を震わせる。
「どこまで行くんでしょう。もうだいぶ奥の方まで来ましたけど」
そんな暗い路地を歩きながら、ボクは小声で不安を漏らす。
前を歩くのは、新しく買った服に身を包むメイリシア司祭。そして更にその前へと、外套を羽織った数人の男たち。
広場でボクらに助けを求めた彼女と、急ぎ準備をし都市を出発しようとした矢先に現れた連中だ。
いったいどのような目的で現れたのか知れぬ連中は、有無を言わさずボクらをこのような場所へと導いた。メイリシア司祭の気を引く言葉を用いて。
いくら連中が武器を持っているとはいえ、見たところ勇者ではないため、サクラさんにかかれば簡単に制圧は出来る。
けれどこんな他国で、しかも人が少ないとは言え路上でそんな真似は出来ないと、大人しくついて行くことにしたのだった。
ボクの背には、不穏な空気を感じ取ったアルマが、身体を硬直させしがみ付いている。
万が一の時には、せめてこの子だけでも無事に逃がせればと考えるも、サクラさんは少しだけ緩んだ声を発した。
「さぁ……。でも予想だけど、あまり危険な目に遭わないんじゃないかしら」
「ほ、本当ですか?」
「たぶんね。彼らはおそらく騎士だろうから」
サクラさんの言葉に意外なものを感じつつも、前を向き男たちの動きを観察する。
格好はどこにでもある、一般の都市住民が着ているような服。
ただどことなく薄汚れていて、騎士どころかむしろ裏社会の人間であったり、こういったひと気のない路地でたむろするゴロツキといった風体。
とはいえよくよく観察してみると、歩き方に少しばかり癖があるのに気付く。
腰に剣を差した状態を前提にしているというか、万が一の時にはすぐ剣が抜けるような体勢。確かにそう見れば、サクラさんの言うように彼らが騎士であると思える。
それに着いて来るよう告げた言葉も、ゴロツキにしては比較的丁寧なものだった。
「でも騎士がどうして彼女を……」
「そこは着いていった先で話してもらうしか。ご丁寧に私たちも巻き込む気らしいし、たぶん説明の一つくらいはしてくれるんじゃない?」
けれどもし騎士であるとして、どうしてこんな変装紛いの姿で、それもメイリシア司祭を連れて行こうとしているのか。
おまけに彼らはボクたちにも同行するよう要請してきた。たぶん、こちらの素性も気付いているに違いない。
「申し訳ないが、黙って着いてきていただきたい」
「それは悪かったわね。つい色々と想像を巡らせてしまったもので」
「……謝罪は後でします。ですが今はあまり目立つのが好ましくないもので」
ボクらが後ろでコソコソと話しているのに気付いたか、前を歩く騎士のひとりが振り返る。
忠告だか警告だかの言葉に、サクラさんが肩を竦めながら返すと、彼は若干気まずそうな素振りを見せた。
やはりこの感じ、騎士であるというサクラさんの予想は正しそうだ。
それにしても、本当に彼らは何のためにこんな事をするのか。
着いて来るよう告げた後、騎士たちは自分たちの主が呼んでいると、そうメイリシア司祭に告げたのだ。
騎士の主というのは、言わずもがな騎士団の長。そしてその更に上、国の頂点に位置する王を指す。この国においては女王か。
でも王城からはむしろ離れて行っている。なのでこの先に女王が居るとは思えないため、まさか騎士団の長が居るのだろうか。
そう考えながらも黙って進んでいくと、男たちはある場所で立ち止まった。
彼らは立ち止まった場所へ建っている民家の扉を叩くと、中から出てきた人間と二言三言交わし、そそくさと中へ入っていく。
「貴方たちも中へ」
男のひとりは、端的に促す。
いったい中で何が待つかは知らない。けれどここでそこをゴネても埒が明かないし、まさかメイリシア司祭1人を行かせる訳にも。
そう考え建物に足を踏み入れると、すぐさま急ぎ扉は閉じられた。
薄暗い建物の中を歩き、少し行った先で扉をくぐる。
真っ直ぐ地下へ伸びていく階段を恐る恐る、男たちの後ろに続いて降りていくと、ソッと袖を掴む感触が。
てっきりアルマが怖がっているのかと思いきや、それはメイリシア司祭であった。
彼女は騎士たちの言葉に乗り、意外にもあっさり同行を了承した。
けれど不安でないと言えば嘘になるようで、強くボクの腕を掴み、最初に助けを求めて来た時と同じく、僅かに震えながら階段を下りるのだった。
「主はこの奥です。我々は外に居ますので、皆さんはどうぞ中へ」
ここまでで何階分降りたのか、ようやく辿り着いたのは鋼鉄製らしき扉の前。
そこへと案内をした騎士たちは、今までよりもずっと丁寧な物腰となって一礼すると、ビシリと直立した。
こういった動きを見る限り、やはり彼らは完全に騎士だ。という事はこの中に、騎士たちを統率する人物が居るということか。
奥へ促すように立つ騎士たちの間を抜け、鋼鉄の扉を押し開ける。
すると中は思いのほか明るく、地下であるというのに煌々とした明りによって、少々広めな部屋が照らされていた。
広い地下室の中へ居たのは、たった2人の人物。
片方は筋骨隆々とした、白髪の大男。格好は至って普通ながら、はち切れんばかりの体躯を服の下へ隠しきれていない。
そしてもう1人は、ボクらにとって見慣れた顔であった。
というよりも昨日、一昨日と続けて顔を合わせている人物だ。
「まさかこんなに早く再会できるとは思ってもみなかったわ」
「仰りたい事は理解できます。自分も同じ感想を抱きましたので」
部屋の中央で立つもう1人を前にし、サクラさんは嘆息するように息を漏らす。
その相手、現在このコルネート王国へと国の使節として来ている、シグレシアの近衛騎士であるユウリさんもまた、珍しく感情の色露わに肩を竦めていた。
どういう理由かはわからないけれど、彼女がここに居るということは、やはりこの場所はコルネートの騎士団絡みの建物。
サクラさんの話によれば、彼女はこちらの騎士団としばらく行動を共にするとの話だったので、まず間違いないはず。
となるとユウリさんの隣で立つ大柄な男は、騎士団の団長あたりだろうか。
「挨拶はその辺にして貰えると助かるんだがな。本題に入れやしねぇ」
ユウリさんの隣で立つ男は、若干気怠そうに声を発する。
どこか粗野さを感じるけれど、シグレシアでも高位の役職に就くゲンゾーさんなどは、これに近い空気を持っていた。
そしてボクが感じたその感想は半ば正解であったようで、彼は自身が元は勇者であり、現在はこの国の騎士団で団長職に就くのだと口にした。
白髪であったため一目では気付かなかったけれど、漂う空気感がゲンゾーさんと似ていることへ密かに納得する。
その騎士団長であるという男は、ボクらとメイリシア司祭へ椅子へ座るよう促す。
部屋の隅に置いてあったそこに腰かけると、彼は全員が座ったのを確認するなり、自身もドカリと腰を落とし本題へ入った。
「お嬢さん、あんたの事情はおおよそ把握している。そろそろ教会に愛想を尽かしたんじゃないかと思ってな」
「……どういう意味でしょうか?」
「特別秀でた実績があるでもなく、孤児であるが故に誰の後ろ盾もないお前さんが司祭になれたのは、教会の地盤を固めるための道具とするため。そうだろう?」
騎士団長は若干のニヤけ顔で、淡々とメイリシア司祭の事情を口にしていく。
コルネート王国も例に及ばず、騎士団は諸々な情報に触れる機会の多い集団。
どうやら彼女の事もとっくに調べがついていたようで、この口調だと昨夜、彼女が貴族の愛妾となるよう指示されたのも知っていそうだ。
「お前さんを使って近づこうとしている輩、つまりはとある貴族だな。そいつは裏で相当に汚い行為に手を染めている。そんな輩の所有物にされちまったら、お前さんも後々どうなるかわかったもんじゃない」
何処か朗々と、詠うように語る騎士団長。やはりメイリシア司祭が、教会の上級司祭たちからとんでもない指示をされたと既に承知しているようだ。
そんな騎士団長の言葉に身を固くし、息を呑むメイリシア司祭。
彼女が向ける真っ直ぐな視線を受ける騎士団長は、ニヤリとしながらある提案をするのだった。
「お嬢さんはそこの連中にくっついて、国内の何処かへ逃げようと考えていたんだろう? だが教会はしつこい、それではいずれ見つけて連れ戻されちまう。だからオレらはあんたを、国外に逃がそうと考えているのさ」
騎士団長が告げた言葉に、ボクらはつい無意識に首を傾げる。
彼ら騎士団の役割は言うまでもなく、仕える相手や自国民を守護するというものだ。
とはいえいくら嫌がっているとは言えど、教会内部のゴタゴタに首を突っ込み、司祭1人を他国にまで逃がそうとするのはおかしな話。
第一それでは、実質教会へ喧嘩を売るも同然の行為。治安を守るどころか、余計な争いを引き起こしかねない。
それはサクラさんも同じことを思っていたようだ。
ただ彼女はもっと先の部分まで察していたようで、膝上に乗せていたアルマの頭を撫でながら、僅かに納得したように呟く。
「それで悠莉がここに居るって訳ね。もしかして騎士団の独断じゃなく、もっと上からの命令で?」
「察しが良いなシグレシアの勇者。こいつはずっと上のお方、女王陛下のご意向だ」
騎士団長の発した、意外とも思える存在。
それにボクとメイリシア司祭は驚き、つい顔を見合わせ困惑してしまう。
ただ騎士団の頂点である彼を直接動かすなど、コルネート王国の頂点である女王以外にはないのだろうけれど。
いったいどうしてそんな話になっているのかとサクラさんが問うと、彼は予め答えを用意していたように、淡々と話していく。
どうやら話によると、近年教会は影響力を増していくべく、貴族に対する多額の賄賂を渡しているという疑いがあったとのこと。
ただ詳しく探っていく内にも教会の力は増していき、最近は政にまで口を出すようになっているようだった。
「この国において、政は王と貴族の担う役割だ。教会に口を挟ませる気はさらさらない」
「では騎士団長様。このわたくしに、何を求められているのですか?」
「……お嬢さんには教会を手痛く裏切ってもらいたい。連中の権威を失墜させ、裏金や賄賂の元になる寄付がまるで無くなる程に」
静かに、自身に要求されている役割を問うメイリシア司祭へと、騎士団の団長は若干申し訳なさそうに告げる。
そこまで至ったところで、彼女がここに呼ばれた理由に得心がいった。
教会に不信感を抱くようになったメイリシア司祭を取り込み、騎士団ひいては国の中央は政へ口を出すまでに肥大化しつつある教会へと、痛手を与えようと考えているのだ。
メイリシア司祭は都市住民たちからの人気が高い。どういう手段を用いるのかは不明だけれど、行動によっては強い毒となるに違いない。
「交換条件は、騎士のお嬢ちゃんにくっついて国境を越えること。騎士団の力を使って、逃走の道中で魔物に襲われ死亡したことにしておく。戻ってくる必要はない、向こうで好きにするといい」
続けてする騎士団長の言葉で、今度はユウリさんがこの場所に居る理由がようやくわかった。
この計画はもう随分前から、大まかにながら考えられていたようで、彼女がこの国に来たのもこれが目的だったのでは。
教会の力が非常に弱いシグレシアでは、もし万が一メイリシア司祭が逃げ込んでいると知られても、さしたる痛手はない。
それに大国であるコルネートに多少なりと恩を売るのは、シグレシアとしても悪い話ではないのだから。
なんだかただのキナ臭さを通り越し、コルネートの政治的な話に及びつつある。
これは速攻で逃げ出したいと考えるも、ここまで聞かされた以上、たぶん逃げ出すことは叶わない。
ボクらがここへ案内されたのは、協力させるべく逃げ出せない状況に追い込むという目的もあったのかも。
「……わかりました。お手伝いをいたします」
ただそんな中でも、メイリシア司祭は大きく頷く。
彼女自身の信仰心は薄れていなくとも、教会組織そのものは既に半ば見限っている。
田舎の教会で静かに過ごすという自身の希望を叶えるべく、メイリシア司祭はこの話に乗ることにしたようだ。
「当人の承諾は得た。あんたらもよろしく頼むぜ」
ニカリと笑む騎士団長は、事態に流されるボクらへ手を伸ばす。
もう今更逃げることは叶わない。そうわかっていつつ伸ばされた手を掴み、自然と苦笑いが漏れるのであった。