錆色の教会 06
コルネート王国は乾燥した南部に比べ、中部地域は比較的緑豊かな土地だ。
標高もそこまで高くはないため気候は温暖で、豊富に沸き出す水によって、王都内には幾本もの水路が張り巡らされている。
広場には噴水が整備され、高く舞い飛沫をあげる水によって、夏場などは子供たちが戯れる光景が広がっているのだと思う。
とはいえ今はまだ春を間近にしたばかりな時期。
流石に水も冷たいため噴水の側には人も居らず、逆に言えばそれ故に人と話をするには好都合な場所となっていた。
「はい、飲みなさいな。適当に買った物で悪いけど」
「ありがとうございます。……その、お代は」
「別に気にしなくていいって。あまり持ち合わせがないんでしょ」
小さく噴き出す噴水の側、置かれたベンチへ腰かけるメイリシア司祭。
突如現れボクの腕へしがみ付き、教会の人間から逃げていた彼女へと、サクラさんは近くに立つ屋台で買った温かい飲み物を差し出す。
受け取ったメイリシア司祭は、代金を口にするのだけれど、サクラさんはそれを突っぱねた。
大抵の場合、司祭は立場に反し思いのほかお金を持ってはいない。
教会そのものが清貧を謳っているのもあるし、基本的に聖職者は僅かしか給金を受け取ってはいないから。
最低限必要な物は教会が用意する。娯楽に金を使うなどもっての外という考えだ。
「申し訳ありません……」
「謝罪は別にいいんだけどね。それよりも事情の説明が欲しいかな、どうして逃げ回ってたのか」
別に飲み物が口を割らせる手段ではないだろうけれど、サクラさんはすぐさま本題を切り出す。
同じ教会の人間であるはずなのに、何故ああも必死になって逃げようとしていたのか。
おそらく教会内において、彼女が問題を起こしたか、あるいは特別な事情があって逃げている。どちらにせよこうして片棒を担がされたのだ、理由くらい聞いても罰は当たらない。
……サクラさんはおそらく、多分に好奇心もあるのだと思うが。
「うちの子はなかなかに純情でね、抱き着かれたせいで勘違いしちゃうかも。それは困るでしょ?」
「いや、いったいボクを何だと思ってるんですか」
グッと近寄り、メイリシア司祭へ問い詰めるサクラさん。
けどその理由として挙げられた内容に、ついつい横から突っ込みを入れてしまうのだった。
それにしても彼女、余程の事情があると見える。
メイリシア司祭がどういった理由で逃げていたのかは知らないけれど、昨夜少しだけ話した相手にしか過ぎないボクにすら、助けを求めてしまうくらい切羽詰っているようだ。
事情を口にするのは抵抗あるようだけれど、咄嗟にとは言え縋った相手だけに、話をする必要があると考えたようで、小さく口を開く。
「その……、お恥ずかしい話ですが、教会に下された指示に反発をしてしまいまして」
「そんなことだろうとは思ったけど、具体的には何を命令されたのよ」
身を縮ませるメイリシア司祭は、案の定か教会内での問題が原因で逃げたのだと告げる。
ただ具体的にどうであるかは口を噤んでおり、なにやら厄介な気配を感じずにはいられない。
それでもサクラさんは好奇心が勝ってしまったのか、さらに問い詰める。
するとメイリシア司祭は小声で、とんでもない内容を口走るのだった。
「わたくしに、……とある貴族の愛妾になるようにと」
彼女が口にした内容に、ボクとサクラさんは唖然とする。
これは確かに、易々と口には出来ぬ内容だ。
もし本当にそのようなものを教会が斡旋し、身内である司祭へ指示したとなれば、それこそ教会の地盤を揺るがすような大事。
まさかそんなとんでもない内容が飛び出してくるとは思ってもおらず、ボクらは無言のまま顔を見合わせてしまう。
「ねえねえクルス、"あいしょー"ってなに?」
ボクらが口を開き沈黙していると、隣で座るアルマが袖を引っ張る。
よくわからないといった様子で、メイリシア司祭の口にした言葉を問うのだけれど、いったいどう説明したものやら。
よもや幼い子供に対し、こんな生々しい知識を与えるのは如何なものか。
「え、えっとね。夫婦じゃないんだけど、とっても仲の良い男の人と女の人というか」
「お友だち?」
「お友達……、というのとは少し違うんだけれど」
無邪気な幼い疑問に対し、メイリシア司祭は困り果てる。ボクだってどう説明してよいかわからない。
ただ横からされたサクラさんの「大人になったらわかるわよ」という、投げやりながら他に選択のしようがない説明によって、なんとか事なきを得る。
アルマは若干不満気ではあるけれど、現状これ以外には出来ようはずがない。
「で、そのどこぞやの貴族とやらのもとへ行けってのは、教会組織そのものからされた指示な訳よね?」
「司祭長様から直々に……。なので実際には、そう捉えて頂いて構いません」
「なんでまたそんな事に」
声を潜め、おそらく壮絶な教会の恥となるであろう内容を口にする。
ただ思い起こしてみれば、今朝の食事中にメイドさんがしてくれた話が、これと酷似する内容だったのを思い出す。
あの時にされたのは、彼女の稀な容姿を使って貴族に取り入ろうとしているのではという噂。
そのために若くして司祭に捻じ込まれたという噂だったのだけれど、こんな話を聞かされれば、尚のこと信憑性を増してしまう。
一応確認をするべくその噂話を振ると、彼女は沈黙したまま首が縦に振られる。
つまりは最初からこのために司祭にされたのだろう。
「祝宴があった翌日にそんな話をされたってことは、昨夜は相手の貴族に対するお披露目だったてことね」
淡々とした、サクラさんの言葉に昨夜を思い出す。
テラスで話していた時に来た、壮年の司祭。そいつがメイリシア司祭に対し、貴族に挨拶をしろと言っていたのはそういう意図だったのかと。
はてさて、いったいどうしたものやら。
彼女が嘘を言っていない限り、これは教会の権威を揺るがすような大事だ。
けれど実際のところ、余所者であり明日には王都を離れ帰国の途に就くボクらに、いったい何が出来るというのだろうか。
事情を聞いたのはこっちだけれど、好奇心からそれをしたサクラさんも失敗したと考えているのか、表情はどこか気まずそうだ。
メイリシア司祭は、半ば涙目となってボクらを見る。
彼女もこっちが他国人であるというのは知っている。けれどだからこそか、一縷の望みを賭け助けを懇願しているかのよう。
とりあえずその彼女にアルマを見ていてくれるよう頼み、ボクはサクラさんと共に少しだけ離れた場所へ。
そこで小さな声で、短く相談をするのだった。
「ど、どうするんですかコレ……」
「どうするって。私たちの手におえる話じゃないでしょ」
「かといってここまで聞いておいて、さようならとはいきませんよ」
「まったくどこの誰よ、好き好んで根掘り葉掘り聞き出したのは」
「……名前を言って欲しいんですか?」
コソコソと、相談というか困惑を口にし合う。
メイリシア司祭に関しては、メイドさんから聞いた噂がほぼほぼ真実に近かったというのもあって、同情しないこともない。
若干不憫に思うし、出来ることなら助けてあげたいとは思う。
けれど招待を受け訪れただけの異国人に何が出来るのかと言えば、おそらく碌になにも出来やしない。
では彼女を放っておくのかと言われれば、それは流石に気が引ける。
「たぶん彼女の本音としては、国外に逃がして欲しいんですよね」
「コルネートよりも、シグレシアの方が教会の権威は弱いもの。そこまで頼んで良いかは判断しかねてるみたいだけど」
振り返ってメイリシア司祭を見てみると、彼女はアルマの手を握った状態で噴水に腰かけ、こちらを潤んだ瞳で見つめていた。
それはもう、縋るように。
あの視線を見れば、言葉には出さぬものの本当に望んでいることくらいはわかる。
普通であれば、この場でさようならと言って逃げ出すという選択肢が思い浮かぶ。
けれどおそらく余所者だからこそ、メイリシア司祭が町を出るのに協力は出来るはず。
教会の信徒が多い王都の人間であれば、教会に逆らうような真似はすまい。というよりそもそも彼女の言葉を信じないかも。
「一応、どこまでを望んでいるか確認しないと。それ次第では協力だって……」
ソッと振り返り、メイリシア司祭へと近づく。
シグレシアまで連れて行ってほしいという要求であれば、流石にボクらの権限でどうこう出来る話ではない。
けれどもし国内の他の町、例えば帰路の道中に在る都市まで連れて行って欲しいなどであれば、彼女の立場に目をつむることは出来るかも。
断ったとしても、きっと彼女は責めたりしない。けれどここで逃げるのも、少々不憫に思わなくはなかった。
「……せめて、王都を離れたいと考えています」
「昨日の今日ですけれど、そんな簡単に決めてもいいんですか?」
「それほどまでに、わたくしには耐え難い命令でした。お世話になった教会に牙を剥くのは褒められた行為ではありません。しかし信仰は王都でなくても出来ますもの」
どうやら無体な命令を下された彼女の内では、王都の教会に居る司祭たちへの信頼は木っ端みじんとなっている。
ただ彼女自身の信仰心そのものは別段揺らいではいないようで、どこか地方の小さな村で教会を開き、静かに過ごしたいようだった。
ここまで聞いて、はいそうですかと背を向けるのも難しい。
それにやはり彼女を連れ出せるとすれば、余所者である人間。それも少数で魔物から身を護れる勇者が望ましい。
そう考えたボクは一瞬だけサクラさんへ視線を向ける。
彼女は仕方がないと言わんばかりに小さく肩を竦めると、苦笑しながらも頷くのだった。
「ボクらはシグレシアへ戻ります。その帰路上にある、国境手前の町まででよければ」
「感謝を致します。わたくしに出来る範疇ですが、極力お礼は致しますので」
彼女はどうも王都から出たことがないようで、一人旅というのは現実的に難しそう。
けれどボクらが連れて行かなければ、彼女は単独でも王都を飛び出してしまいかねなかった。
多くはないが街道上でだって魔物は現れる。そんな土地を、無力な司祭だけで行かせられない。
ボクの背後で彼女の言葉を聞いたサクラさんは、軽く息吐き腕を組んで、行動を急ぐ必要性を口にする。
「とりあえず速攻で道中必要な物を買わないと。……王都観光はまたいずれか」
「水と食料と、あとメイリシアさんの旅装束でしょうか。この格好で逃げるのは難しいですし」
現在メイリシア司祭は薄手の外套を羽織っているのだけれど、その下に着ているのは真っ白な法衣。
見るからに教会の司祭であると主張する格好。元の容姿が目立つだけに、着替えなければすぐさま見つかってしまいかねない。
きっと彼女は、私的な服など一切持っていないであろうから、何処かの店で適当な物を見繕わなければ。
「ですがわたくし、あまり持ち合わせが……」
「このくらいなら別にいいわよ。昨日そこそこ報賞も貰ったし」
温かな茶を買うのすら難儀するくらいだ、当然旅の装束など買うことはできない。
そこでサクラさんは、自身の財布から彼女の使う分を出そうとしたようだった。
しかし当然のことながら、メイリシア司祭は慌てる。旅に同行するだけでなく、費用まで負担させてはならないと考えたために。
ただ先日の一件で、コルネートからは報賞金を受けて取っている。メイリシア司祭の分は、そこから少しばかり出せば十分事足りるはず。
ボクはオドオドとする彼女の手をそっと握ると、急がんと引き大通りへ歩を進める。
「え、えぇぇ!?」
「最低限必要な物ですよ。それに陰鬱な気持ちでは、旅をしても辛いだけです。いっそ今は買い物を楽しんでみては?」
今の沈み込んだ彼女では、正直なところ目立ってしょうがない。
そこでボクは自分でも無茶な理屈をこねていると自覚しつつ、ちょっとでも気分を軽くしようと、困惑するメイリシア司祭の手を引くのだった。