錆色の教会 05
ゴソリ、ゴソリと動く毛布。
ベッドの上へ贅沢にも何枚も敷かれたそれの下で、ボクは寝起きの掠れた思考のまま上体を起こした。
大きな欠伸をし周囲を見回すと、そこは見慣れぬ非常に大きな部屋。昨日泊まった宿とも違うここは、王城内の一画に設けられた来客用の寝室だ。
昨夜の祝宴は結局日付変更あたりまで行われ、ようやく解放され部屋へ戻ったのは翌日。
そこから眠そうにするメイドさんに案内されて、これまた贅沢な湯殿で身体を洗い、あてがわれた部屋で一泊する運びとなった。
どうやら祝宴に呼ばれた客は、基本的に全員が王城へ宿泊することになっていたらしい。
ただ教会関係者だけは、昨夜の内に城下へ戻ったそうだけれど。
「アルマ、朝だよ。起きれる?」
「……やぁだぁ。まだねるー」
ボクは眠たいままでなんとかベッドから這い出ると、一枚二枚と毛布を剥がす。
その下から出てきたのは、随分と可愛らしい寝間着を着せてもらっているアルマの姿。
いったいいつの間に潜り込んだのか、隣の部屋でサクラさんと一緒に眠っていたはずのアルマは、幸せそうな寝顔で身体を丸めていた。
長くフサフサな尻尾を抱き眠る幼い少女を揺すり起こそうとするも、身を丸め抵抗する。
仕方なしにアルマを置いて、直接扉で通じているサクラさんの部屋へ。
軽いノックを経て慎重に入り込んだそこでは、案の定ベッドへ身体を放り投げ眠る彼女の姿があった。
寝返りを打つ彼女に近付き、アルマにしたように揺り起こす。すると一瞬ピクリと反応したかと思うと、突っ伏したままで声を発した。
「やーだー。まだ寝るー」
「……そんな冗談を飛ばせるくらいなら起きてくださいよ」
隠す気などさらさらない棒読み。
隣の部屋でアルマがしたおねだりの言葉を聞いていたらしく、ほぼほぼ同じ様子で返してくるのだった。
これが意図せず無意識に同じ言動であったのなら、多少微笑ましく思えるのだけれど。
ともあれ自宅であればともかく、ここは王城の一室。
今日はこの後で宿に戻り、王都観光の続きをする予定なのだ。早々に出発の準備をしなければ。
そう考え、無理やりに毛布を剥ぎ取ってサクラさんを起こし、荷物の中から彼女の着替えを取り出す。
なんだか使用人のような世話の焼き方だなと思いつつ準備をしていると、今度は部屋の扉を叩く音が。
「おはようございます。よくお休みになられましたか?」
扉を叩き入って来たのは本物の使用人、来客が使用する区画を管理する執事とメイドだ。
起こしに来たであろう彼らは、欠伸をしながらも身体を起こすサクラさんを見て、丁寧に頭を下げるのだった。
執事らは部屋の中へ入ってくるなり、置かれているテーブルを動かす。
部屋の中央にそれを移動させたところで、部屋には次々と料理が運ばれ並べられていく。どうやら朝食はここで摂る形のようだ。
ボクが元の部屋へ戻り、まだ眠っていたアルマをなんとか起こして連れてくる。
その頃には食卓の準備も整い、執事が茶を淹れ終えたところで、眠い目を擦るアルマを座らせ揃って食事を始めていく。
「そういえば昨夜、メイリシア司祭と一緒に居られたようですが」
ただまだ眠気からボンヤリとしている状態であるのを見かねてか、眠気覚ましを兼ねて執事は一つ話題を振ってきた。
彼はどうやら昨夜の祝宴中、あの会場内で動いていたらしい。
そして配膳などをしている最中に、偶然テラスでボクがメイリシアさんと話しているのを見かけたとのこと。
偶然あの場で彼女と会っただけで、それまで面識らしい面識はなかったことを執事に伝える。
一昨日に教会の前で視線が合ったりはしたけれど、あのくらいなら知り合った内には入らないだろうし。
すると執事は少しだけ納得した様子となると、次の用があると言い残し、この場をメイドに任せて退出していくのだった。
「さっき話に出た司祭、そんなに有名な人なの?」
執事が出て行き、朝食を進めていく。
そうして茶を少しばかり飲んだところで、サクラさんは部屋へ残りこちらの世話をするメイドさんへ、今しがたした話題についてを振った。
王都ラベリアのように巨大な都市では、教会も大きく司祭の数もそれなりには居る。
なので執事という立場ではあるけれど、さっきの人が名を知っていたことが少々意外だったのかもしれない。
「メイリシア司祭ですか? そうですね……、王都住民の多くが名前くらいは知っているかと」
「そんなに有名なんだ」
「王都住民も特別信心深い者が多いとは申しません。ですがなにぶん、あの容姿で聖職に就くとなれば」
「目立つのも当然、ってことね」
メイドさんもまた、あの司祭の娘については知っていたようだ。
どころかここ王都ラベリアに住む民の、ほとんどが知っているのではないかと返す。
とはいえ彼女のする説明に、ボクとサクラさんは納得し頷く。
女性であっても教会に身を置く人たちは、化粧っ気がないこともあって目立ち難い。当然それは意図してなのだけれど。
しかし彼女、メイリシア司祭は同じくそういった事をしていないにも関わらず、一瞬にして目を惹く風貌をしていた。
なのでメイドさんの言うように、人伝などで噂が広がっていてもおかしくはない。まさか王都中にとまでは思っていなかったけれど。
「ただ……」
「ただ?」
「司祭としての知識などとは関係なく、無理やりに祀り上げられたのではと噂されていますね。あの若さで司祭というのは、まず前例がありませんから」
そんなメイリシア司祭だけれど、あまり良くない噂も存在するらしい。
やれ身体を使って媚を売っているだの、やれ実は高貴なお方の隠し子であるだのと、証拠不在な噂の類ではあると。
ただその中でも若干信憑性がありそうだと思えてしまうのは、メイドさんが発したこの噂だろうか。
「教会の上層部が彼女を使って貴族に取り入らんと、公に会いに行ける司祭職へ捻じ込んだという話です」
これまた基本的には想像の範疇を出ない話であるらしい。
けれどボクにはメイドさんがしたこの噂が、どこか真実味を持っているように思えてならなかった。
メイリシア司祭をホール内へ引き戻した壮年の司祭は、貴族に挨拶させようとしていた。
彼女はその言葉を聞き、嫌そうな空気を発していたのを思い出す。
メイドさんはそこまで話したところで、ハッとして数歩後ろへ下がる。
どうやら憶測混じりの内容を客人にするのが、よろしくないと考えたためのようだ。
これ以上根掘り葉掘り聞くのも可哀想かと思い、ボクらもまた朝食の続きへ取り掛かるのだった。
「さて、それじゃ行くとしましょ。観光の続きもしたいし」
朝食を終えメイドさんも下がった後、ボクらは王城を出る支度を整える。
そうして荷物を抱えたサクラさんは、昨日とはうって変わって旅装束に戻っていた。
黒いドレスに身を包んだ彼女も良かったけれど、やっぱりこっちが似合っている。
ボクも慣れた格好に戻り、アルマの手を繋いで部屋を跡にする。
この町とも、そしてこの国ともあと少しでお別れ。
道中ノンビリと観光でもしつつ帰路に着けば、規定の2ヶ月以内には出国が可能な筈だ。
でもとりあえず、今日のところは王都観光に勤しむとしよう。
そう考え王城内の廊下を歩き、大勢の使用人達に会釈されながら城を出ると、揃って都市の大通りへと出るのだった。
「まずは市街の目ぼしい所を周るわよ。一昨日は少ししか行けなかったし」
王城を出るなり、サクラさんは荷物から薄い冊子を取り出す。
それは王都の主だった観光地を網羅した物で、到着初日に宿で貰った物。
どうやら彼女は、滅多に来ることのできないラベリアを満喫するべく、目一杯予定を詰め込む気らしい。
「その前に宿を確保しませんと。荷物を抱えたまま歩くのは勘弁願いたいです」
「ならちょっと良い宿を探した方が良いわね。悠莉に聞いたところによると、治安の良い国ではあるけれど、安宿がある地域は危険だって話だし」
サクラさんはそう言って、今度は別の冊子を取り出す。
たぶんそれには、町中に在る宿の情報が乗っているのだとは思うけれど、いったいいつの間にそんなのを入手したのだか。
「ユウリさんは、まだこっちへ残るんです?」
「コルネートの騎士団がする訓練に同行するんだってさ。あの子は仕事で来てるわけだし、騎士様はお忙しいみたいね」
「一応ボクらも騎士扱いなんですけどね……」
サクラさんは最初に会った時から、何気にユウリさんを気にいっていたフシがある。
なので本音では少しばかり一緒に行動したかったようだけれど、彼女は公務でコルネートへ来ているのだから仕方ない。
縁があればまた会えるだろうし、案外今日の王都滞在中に出くわしたりするかも。
などと考えたのだけれど、こっちの想像に反し出くわしたのはユウリさんではなかった。
歩きながら、サクラさんと冊子に載っている目ぼしそうな宿を見繕っていると、不意に身体へと強い衝撃が。
「ご、ゴメンなさい!」
突然に身体を襲ったのは、人による体当たり。
背後からぶつかってきたその人物は、余所見をしていたせいで盛大に突っ込んできたらしい。
頭からスッポリとローブを被り顔は見えないけれど、声からすると女性のはず。
彼女は深く頭を下げると、一瞬背後を振り返ってキョロキョロと周囲を見渡す。
その挙動不審な行動を怪訝に思い首を傾げるのだけれど、今度はボクの腕を掴み、小さくも鋭い声を発した。
「貴方は! ……お願い、少しだけ匿ってください」
「え、なにを……」
「お願いします、短い間だけでいいんです」
ローブを纏った女性はそう告げるなり、グッとボクの腕を抱くようにしがみ付く。
柔らかな感触と突然の事態に慌てるも、どこか有無を言わさぬ様子の娘。
サクラさんを見てみるも、彼女も首を傾げ肩を竦めるばかりだ。
いったい何なのだろうと思っていると、周囲を歩く人混みの中から、数名の男たちが飛び出してくるのに気付く。
そいつらはどこか必死な形相で、何かを探すように周囲を窺う。ただ見たところ格好からして、教会の関係者なのだとは思う。
男たちの内一人がこっちを凝視するも、少しして視線を逸らす。
そしてここに探す対象が居ないと判断したか、大通りを走って何処かへと行ってしまうのだった。
……でも間違いなく、彼らが捜しているのは今まさにボクの腕にしがみ付く女性に違いない。
「もう行きましたから、離れても大丈夫ですよ」
「す、すみませんでした……」
男たちの背が人混みの中へと消えていくのを確認すると、ボクは腕を掴み下を向く娘の肩へ軽く触れ、その事を告げた。
彼女は直後に身体を離し、大きく腰を曲げて再度謝罪を口にする。しかし頭を上げたところで、被っていたフードが外れ顔が露わとなる。
「貴女は……」
外れたフードの下から現れた顔に、サクラさんは小さく声を漏らす。
そしてボクもまた顔の見えた彼女、教会の司祭であるメイリシアという娘の存在に、口を開き困惑するのだった。