蜃気楼の都 11
次々と繰り出される水流は、階層のようになっている天井を崩落させていく。
地上に向け岩を砕き、上昇していく黒の聖杯。
そしてそんな黒の聖杯を追いかけ、落下する岩へと飛び移りどんどん上に向け駆け上がるサクラさん。
普通の人間には到底叶わないであろう、常軌を逸した動き。
けれどこの世界へと召喚されたことで、身体能力を強化された彼女ら勇者の中には、こういった行動を易々と行う人も居る。
そんな中の一人であるサクラさんは、器用に弓を構えながら落下する岩の間を跳ね、振動しつつ昇る黒の聖杯を狙い続けていた。
「落下だけはしないで下さいよ……」
ひょいひょいと登っていくサクラさんを見上げ、ボクはもう決して届かないであろう声で呟く。
彼女が怪我をするのは毎度の事であるけれど、流石にこんな状況で足を踏み外してしまえば、ただの怪我では済まない。
再び骨を折る程度であればまだマシ。既に地底湖は水と岩で埋まっており、こんな場所に落ちては命に係わる。
ただそんなボクの心配を他所に、サクラさんは黒の聖杯を追い跳ね登る。
尚も天井は砕かれ続け、召喚された水流によって幾度目かの天井が破られた瞬間、天井が白く輝いたように見えた。
いや、天井が輝いたのではない。遂には地下という限られた空間を突き破り、空が露わとなったのだ。
既に陽も昇った世界へ飛び出す黒の聖杯。岩の間を飛び追い続けるサクラさん。
そんな両者はここまでの追跡劇を終え、岩の見えぬ空間へと浮かぶ。
サクラさんにはその状況、両者の間に障害となる岩が存在しなくなった瞬間こそ、好機であると捉えたらしい。
空中という不安定な体勢のまま矢を放つと、矢は勢いよく黒の聖杯へと迫った。
「……なんていうか、本当に器用な人ですよね」
サクラさんがした攻撃に、ボクは点のようにしか見えないながらも、感嘆と呆れの混じった声を漏らす。
普通に矢を射ただけでは、召喚した水流によって防がれるだけ。
けれどサクラさんは矢を射た後、いつの間にか掴んでいた石を投げつけ、水の隙間を突き二重に攻撃を仕掛けていた。
けれどなんとかそれを感知したようで、寸前で空中を移動し石を回避する。
ただそこまでで対処も限界に達したらしく、更に追撃として射られた矢によって、黒の聖杯はその鉛色の身体を貫かれていた。
空中でそんな動きをした彼女に、称賛よりも呆れを覚えてしまうのは、致し方ないように思えてならない。
落下する黒の聖杯は、これまで見たのと同じように、崩れつつ空中へ霧散していく。
一方のサクラさんは崩落した層の縁へ手を掛け、悠々とそのまま登っていき、一番上となる地上に立つのだった。
「……えっと、下で合流しようって言ってるのかな?」
そのサクラさんは勝利の余韻に浸る間もなく、身振り手振りでボクへ何かを伝えようとしている。
すぐさま下層に居る亜人たちを連れ、上に戻ろうという意図なのだろう。
ボクはとんでもない視力を持つ彼女に大きく頷くと、重い荷物を持って踵を返すのだった。
……一応、大量に満たされた水を水筒に移してから。
その後、来た道を辿って亜人たちのもとへ戻ったボクは、動ける者だけを連れ上へと向かった。
なかなかサクラさんと合流できないなと考えていたけれど、彼女とは教会に繋がる階段の最中で出くわす。
いったいどうしたのかと問うと、サクラさんは小さな声で、「アルマを別の場所に移動させていた」と返した。
そうか、突然に現れた亜人たちと直接顔を合わせるのはマズイ。
なにせ探し続けていた両親がその中に居らず、下にはまだアルマの妹に当たる少女が横たわっているのだから。
せめて落ち着いた状態で、ゆっくりと話をしてあげなくては。
「……見事に誰も居ませんね」
そうしてボクが亜人たちを連れて地上に戻り、燦々と降り注ぐ太陽光を浴びながら、都市アルガ・ザラ市街の光景を眺める。
まるで人の気配がしない乾ききった街並みに、つい端的な感想が口を突いた。
あれだけ活気に満ちていた市街が、まるで嘘のようだ。
実際あれは黒の聖杯が見せていた幻覚なのは間違いないようで、空っぽとなった町には、乾燥した冷たい空気が舞うばかり。
「アルマは協会の宿に待たせているけれど、その間に人っ子一人として住民の姿は見えなかったわ」
「では町の住人は、全員どこかへ避難したということでしょうか?」
「おそらくね。水が枯渇したと判断してすぐに逃げ出したんだろうけれど、見たところそう前の話ではなさそう」
無事であった亜人たちと共に、休憩できそうな手近な宿へと入る。
そこは町へ来た初日に泊まった場所で、人がまるで居ない点を覗き、前に見たのと同じ光景が広がっていた。
建物もそう古くなってはいないし、しおれた花も完全には乾ききってはいない。
たぶん入ってすぐに置いてあった暦表に記された日、その辺りが町の最後に当たる日だったのだと思う。だからこそ、町の異常が余所に伝わっていなかったのだ。
やはり砂上艇に乗って砂漠へ出た直後に見た、大規模な隊商は、アルガ・ザラの住民たちだったのかも。
「幸運にも、少しばかり保存食が残ってた。こっちはちゃんと食べられそうよ」
「なら良かったです。水も手に入るようになりましたし、救援が来るまで持ちこたえられますね」
食堂へ入った亜人たちは、体力の限界だとばかりに座り込む。
その様子を見て呟くサクラさんの言葉に、ボクは安堵の息を漏らした。
長期間の地下生活、それに不足した栄養と乾いた身体。
当然のように体力は相当に減退しており、亜人たちが砂漠を越えるのは困難に違いない。
となればボクらが砂上艇を使って他の町へ移動し、そこでコルネート王国の騎士団に報告、救援を求めるというのが無難。
それを待つ間の食料が存在するというのは、まさに命を繋ぐ報告に他ならなかった。
「さて……。クルス君、地下に残っている亜人たちを、階段の下あたりまで運んできて頂戴な」
「サクラさんは手伝ってくれないんですか?」
「私はこれからやる事があるもの。埋葬前に腐敗はさせられないけど、出来るだけ運びやすい場所に移動してくれると助かるかな」
サクラさんはそう告げると、宿の奥に置いてあったであろう、大きな麻袋を十数枚ボクへ押し付けた。
これから教会の地下へ赴き、下で横たわる亜人たちを埋葬する準備を始めて欲しいという意図だ。
けれど荷物もなく宿を出て行こうとするサクラさんは、いったい何をするのだろうかと思い、その背へと問いかける。
「サクラさんはどこへ?」
「協会の宿よ。少しばかりキツイ役割だもの、こういうのは私がやった方がいいでしょ」
サクラさんの言葉に、ボクはすぐさま言わんとすることを察する。
亜人たちは助けた。だがその中に家族が居ないということを、アルマに宣告しなくてはならないのだ。
アルマがより懐いているのはボクの方だけれど、だからこそこの役割を任せたくはない。そうサクラさんは考えたようだ。
なんだかボクまで子ども扱いされているようにも思えてしまうけれど、確かにこういった場合、彼女に任せた方が無難とも思える。
具体的な年齢はいまだもって秘匿されたままだけれど、彼女の方が人生経験は豊富。より傷付けない形での話し方も心得ているに違いないから。
「……わかりました」
「終わったらここに戻っていて。たぶん、こっちの方も時間が掛かる」
サクラさんはそう言うと、軽くボクの頭を撫で宿を出て行く。
きっと彼女ではなくボクが行き、アルマに事情の説明をしたとすれば、きっと碌に話すこともできず固まるばかりだったはず。
なのでサクラさんが説明役に回るのは間違いではない。けれどそれが歯痒く、澱んだ心情を振り払うように受け取った麻袋を担ぐと、自身も宿を出るのだった。
閑散と、というよりも完全に無人となった都市アルガ・ザラの市街を歩く。
乾いた地面ではあるけれど、広場に見える小さな噴水からは、弱々しいながらも水が流れていた。
あれはきっと、ついさっきの出来事のおかげで水が戻った、地底湖から昇っているのだろう。
ただそれ以外はまるで生命の色を感じさせぬ、砂漠の延長線上のような光景だ。
幻覚として見えていた都市にはあった、木々の緑や小鳥の姿も今はなく、ひたすらに広がるのは砂に浸食されていく町の姿。
「ここから一番近いのは、北にある町か。そこへ逃げた人は多いんだろうな」
残され倒れた家畜を遠巻きに眺め、視線を北側の砂漠へと向ける。
今は砂嵐も収まっており、これならばボクらで乗ってきた砂上艇を使い、近隣の都市へ助けを呼びに行くことは可能なはず。
しかしいくら町に水が戻ったとはいえ、この町が復興するのは難しいと思えた。
既に破壊したとはいえ町の地下に、それも水の供給元である地底湖に魔物の根源たる黒の聖杯が現れたのだ。
またあれが出現しないとも限らず、そんな場所に住みたいと考える人間がどれだけ居るか。
「前途多難、どころじゃないよな。呼び名の通り、跡形もなく消えていくってことか」
目の前に在る砂漠と、街並みを交互に眺める。
"蜃気楼の都"などという異名を持つここアルガ・ザラ。その名が表すように、幻として消えゆく定めであるようだ。
けれど少なくとも、今この時点で町に居る人間は消え去る訳にはいかない。
亜人たちの多くが、アルマの妹と同族たちが多く命を落としたことは、不幸であるとしか言いようがなかった。
でもまだ全てではない。半分以下になってはしまったけれど、生き残っている者も居るのだから。
「とりあえず、次にここを訪れる人にはお帰り願おうかな。救助要請も兼ねて」
ボクはそんなことを呟きながら、砂漠へ向け大きく手を掲げて振る。
視線の先では、風を切って走り後ろに砂を巻き上げ走る、数艘の砂上艇が姿を現していた。
きっと砂嵐が途切れたことによって、この町を訪れることが出来た人たち。
そんな新たに現れた、不幸にも何もない町を訪れる来訪者へと、ボクは厄介事のお裾分けを目論むのだった。