蜃気楼の都 07
一閃する短剣。切り裂かれ血飛沫を撒き散らすリザード。
振り降ろされていた爪の一撃を軽く避けるサクラさんは、すれ違いざまに次々と魔物を斬り捨てていく。
水は得体の知れぬ偽物であったけれど、魔物はそうではないようで、時折こちらにも届く血飛沫は、少しばかりの熱を持っていた。
「まったく、どんだけ来るのよ!」
基本が弓手であるサクラさん。とはいえ得意とは言わないまでも、接近戦はそつなくこなす。
それは生半可な勇者よりも腕が立つと言え、予備として持つ短剣だけで、十分に魔物と渡り合えていた。
けれど洞窟の奥より次から次へと沸いてくるリザードの群れに、さしもの彼女も悪態が口から漏れる。
許容範囲を越え迫るリザード。サクラさんはずっとそれらを相手もしていられないと考えたか、一瞬だけ振り返り指示を飛ばす。
「……きりがない。クルス君、突破するわよ。足止めを!」
「わ、わかりました。鼻と口を塞いでください!」
際限なく姿を現す魔物を、いつまでも悠長に相手などしていられない。
そこで危険は承知の上で、この場は突破し奥を目指すことにした。
サクラさんの声を受け、肩に下げた鞄へ手を突っ込む。
取り出すは小さな小瓶、中には色の付いた細かな粉が詰まっている。以前にも使った、吸い込んだ者に麻痺効果をもたらす代物だ。
ボクは大きく息を吸い込み口と鼻を塞ぐと、サクラさんも同様にしているのを確認し、勢いよくリザードたちへと投げつけた。
身体に跳ねて地面へと落ち、小瓶が割れ周囲にばら撒かれる粉末。
その粉、痺れ薬混じりの空気を吸い込んだリザードは、身体の自由を奪われ、次々と倒れ込んでいく。
そんな光景に動揺が起こり、すかさずサクラさんとボクは魔物の壁へ突っ込む。
「……ぷはっ。ど、どこまで行くんですか!」
「そんな事はこの道に聞いて頂戴。あと魔物にもね」
リザードの群れを突破し、洞窟を奥へ奥へと進む。
いや、進むというよりも逃走に近いそれであり、今後はどうなるかサッパリわからない。
ただぶち撒けた薬品が効力を発揮してくれているのか、リザードが後ろから追って来る気配はなく、ボクらは地下道内の一画に空いていた、小さな横穴へと逃げ込み小休止とした。
「案外入り組んでるみたいね。この奥にも道が」
「行ってみますか?」
「そうね、リザードの体格じゃこの穴は通れないだろうし、背後を心配しなくていいかも」
さっきまで居た場所よりも、ずっと狭いそこで軽く弾む息を整え、再び奥へと進んでいく。
人よりも随分とガタイの良いリザードであるだけに、逃げ込んだこの道に入り込むのは一苦労なはず。
それに入る姿も見られていないだろうし、連中の鼻が利くと言っても、今は薬品の効果で嗅覚も鈍っている頃。
背を強襲される心配がないというのは、僅かな救いであると思えた。
「けどもしこんな所で鉄砲水にでも襲われたら、ひとたまりもないわね」
「……怖いことを言わないで下さいよ。なんていうか、容易に想像できてしまいます」
慎重に耳を澄まして進んでいると、サクラさんはその沈黙に耐えかねたのか、なかなかに恐ろしいことを口走る。
場所が場所であるだけに、当然そういった事態は考えうる。
もし何がしかの理由で水量が一気に増えたとすれば、こんな狭い道一気に水没してしまいかねないのだから。
けれどボクが背筋を震わせる姿を見るなり、サクラさんはカラカラと笑い自身の発したそれを否定した。
「ゴメンゴメン。でもたぶん大丈夫だと思うけどね」
「どうしてです?」
「さっきクルス君が言っていたように、ここの水は本物じゃないもの。……おそらく、水源そのものが枯れている」
彼女は壁へ手を着き、沿い滴る水に触れる。
ついさっきボクがしたのと同じ行動を取ったサクラさんは、自身の服へと濡れた手を擦り付けた。
いったいどうしたのだろうかと思っていると、その濡れた部分に触れてみろと告げられる。
「あれ? 濡れていませんね、もう乾いたとか?」
「というより、最初から濡れてなんかいないのよ」
「よくわかりません……」
「喉が潤せないのも当然、おそらくこの水そのものが幻で、ここには水がほとんど無いんだと思う」
サクラさんのした突拍子もない推測に、一瞬思考が混乱する。
けれどゆっくり反芻して考えてみると、案外彼女の言う事は間違っていないように思えてきた。
「水も、食料も、人も。全てが幻で、私たちはその中で空の卓を前に食事をしていたってことね」
「黒の聖杯が見せた、幻ということですか……」
「おそらく。現実に目の前へ偽の人々が居たのか、それともこっちの頭の中に幻覚を見せていたのかはわからないけれど」
もしサクラさんの想像が正しいとしたら、なんとも恐ろしい光景だと思う。
誰も居ない町の中、存在しない人間に向かって話しかけるボクら。
居もしない宿の主人と話して部屋を取り、無人の食堂へ入り置かれてもいない料理に舌鼓を打つ。
空っぽの店を外から眺め、幻の少女が人形を買い与えられる光景を、微笑ましく眺める。
そんな姿を想像し、背筋がゾッとしてしまった。
いったいどこまでが本物で、どこからが幻覚なのかもわからない。境界線が不明な世界。
間違いなく黒の聖杯による仕業であろうこの現象だけれど、この町が他の都市から"蜃気楼の都"と呼ばれているのを思い出す。
「サクラさんは……、本当に居ますよね?」
「さて、どうだか。案外私やアルマすら幻の一部で、本当はクルス君たった一人でこの町に居たりして」
「こ、怖いこと言うのは止めてくださいよぉ!」
ニヤリとし返すサクラさんの言葉に、ついついボクは情けない声で抗議をする。
そんな話を聞かされてしまっては、目の前に居るはずなサクラさんだけでなく、外の空き家で待っているアルマまで、ボクの頭にだけ居る空想上の人なのではと思えてしまう。
けれど彼女はそんなボクをひとしきり笑うと、思い出したように指を立てて口元へ当てる。
「静かに」と、真剣な表情で呟くサクラさんの言葉に従い口を噤むと、彼女はソロリと歩きもう少しばかり先へと進んだ。
突然どうしたのだろうと、首を捻りながらも着いていく。
すると少しばかり行った先で立ち止まった彼女は、手にしたランプを壁の一画へ向け照らすのだった。
「これは、背嚢ですか?」
「置き去りにされたって感じじゃなさそう。扉代わりね、これは」
サクラさんがランプの明りを向けた先にあったのは、比較的大きな背嚢。
中身がかなり少なくなっているであろうそれは、岩の割れ目部分へと突っ込まれており、いかにもな不自然さだった。
けれどサクラさんが言うところによれば、こいつは目的合ってここに在るのだと。
扉代わり。つまりこの岩の割れ目の向こうに誰かが居た、あるいは居るという意味だ。
「許可も得ずに申し訳ないけど、ちょっとだけお邪魔するわよ」
そう告げるサクラさんは、岩の割れ目に詰め込まれた背嚢を掴むと、強引に引きずり出す。
取っ払ったそこに見えたのは、人ひとりがやっと通れるといった程度の穴。そこからは澱んだ空気が漏れ出してきた。
互いに顔を見合わせ頷くと、ランプを手にしたサクラさんが先に入っていく。
彼女が通り抜けた頃を見計らい、ボクも真っ暗なそこを這って進むと、ごく短い距離だけで起ち上がれる空間へと出た。
「ああ、まさかこんな場所に居るだなんてね……」
入り込んだ空間で立ち、ランプを掲げて内部を照らすサクラさん。
彼女はそこの様子を眺めると、渋い表情で呟くのだった。
照らされた空間、そこに居たのは十数名に及ぶ人影。
ただボクはその人たちが、普通の人間でないことにすぐ気付く。
「亜人……。町中に居ないと思ったら」
開けた空間に腰を降ろし、あるいは横たわっている人影。その全員に、特徴的な耳と尾が。
見覚えのあるその姿は、アルマと同じく亜人としての特徴だ。
通ってきた地下道に比べればマシとはいえ、然程広くもない空間へ並んだその亜人たちは、揃って俯き生気を感じさせない。
まさかこの人たちも幻覚の一部ではと思うも、今はそれを疑っている場合ではない。
急いで近寄ってみると、辛うじてではあるが脈打つものを感じた。
「サクラさん、この人はまだ大丈夫です。かなり衰弱していますが」
「……こっちはダメね。おそらく半分近くが」
けれど全員が無事とは言い難いようだ。
助かったのは亜人たちの中でも半分を少し切るくらい。多くは飢えによってか命を落としてしまったらしい。
しかも生き残りの亜人たちも、極度の衰弱で息は絶え絶え。
ボクはそんな亜人たちを少しでも救わんと、荷物から残り少ない水と食料、それに薬を取り出すのだった。