蜃気楼の都 06
勇者支援協会アルガ・ザラ支部に備わった宿の一室で、ボクは部屋の片隅にある椅子へ腰を降ろしていた。
無言のまま、浅い寝息を立てるアルマの姿を視界に収めつつ、もう一人の部屋の主を待ち続ける。
そんな中、軽く短い音が一度だけ外で鳴り響く。
毎夜教会が鳴らす、日付変更を知らせる鐘の音。普段はもっと早くに眠ってしまうため聞くことはないそれが、静まり返った町中へと反響していった。
鐘の音の余韻が身体を震わせ、部屋の主を今か今かと待つボクだったのだが、静まりかえった中でしばし待っていると、扉がゆっくりと開かれた。
「おかえりなさい。どうでしたか?」
「収穫はあったわね。日付変更のタイミング、鐘が鳴ったのと同時だった」
部屋へ戻って来たサクラさんは、扉を閉めるなり淡々と状況を口にする。
彼女が行っていたのは、この町がどの時点で前日に引き戻されているかの把握。
密かに大通りへ潜んでいた彼女は、通りがかる人々などを観察し続け、それを把握していたのだった。
「鐘がなった途端、警邏中の騎士が掻き消えた。それはもう一瞬にしてね」
「ではやはり……」
「一応探してみたけれど、少しして同じ人が後ろから来た。毎日警邏をしていても、まったく同じ時間に歩いてる訳じゃないってことね」
ベッドの一つに身体を放り出すサクラさんは、見た物の異常さに反し、至って気楽なモノだ。
ただそういった光景を見たからこそ、吹っ切れたのかもしれない。
それに彼女が見たそれは、同じ日が繰り返されている証拠。
本当に時間が巻き戻っているのか、それとも幻覚として見せられている光景なのかは不明。
けれどこんな事態を引き起こせるのは、ボクが知る限り"黒の聖杯"と呼ばれる、この世界へ蔓延する謎の存在以外にはなかった。
「それにしても、日付変更と同時にですか。もし鐘の音が繰り返しの合図だとすれば……」
「教会に黒の聖杯がある可能性は高いかも。確か見れていない場所があるって言ってたわよね?」
「地上階は見ましたけれど、地下は見せてもらえませんでした。案外そこに黒の聖杯が」
もし黒の聖杯が原因だと仮定して、どうして日付変更の時点で日を繰り返すのか。それはまだ不明だ。
けれど日付の変更と結び付けられる物があるとすれば、教会が鳴らす鐘の音くらいのもの。
なら真っ先に探すべきは教会。それも昨日ボクが見ることの叶わなかった、町の水源であるという地下部分。
そこまで大きくはなく、小さな礼拝堂くらいしかない教会だけに、探すとすればその一点だ。
「ならそこへ向かうとしましょ。仮眠を摂ってから、早朝にでも行く?」
「でも管理しているのが教会の司祭なので、もう少し早い方が良いと思います。起きていたら間違いなく止められますし」
「ということは寝る暇もないか。お菓子でも食べて英気を養ってから、盗賊よろしく忍び込むとしますか」
そう言ってサクラさんはベッドから起き上がると、部屋の片隅へと移動する。
置いてある大きな背嚢の口を開け、中に納めてあった保存食と水を取り出すと、ボクへ投げて寄越すのだった。
日付も変わり、今日でアルガ・ザラに来て4日目。
ここで手に入る食料は当てにならないため、徐々に食料も少なくなってきた。
まだ数日分はあるとはいえ、これ以上長居はしたくないと言うのが本音。砂嵐によって補給も儘ならないし、一刻も早く事態を打開しなくては。
サクラさんから渡された菓子と水を、大切に大切に口へ運んでいく。
そうして暫しの時間が経ったところで、ボクはアルマを静かに起こした。
流石に教会へはアルマを連れて行けやしない。けれど朝になればここの管理をしている人間が、アルマを見つけ追い出しかねない。
なのでどこか適当な空き家を見つけ、そこで待っていて貰わなくては。
アルマを起こしたボクらは、忍び足で密かに協会付きの宿を跡にする。
そして郊外へ移動し、空き家ではあるけれど比較的綺麗なままの一軒を見繕うと、何枚もの毛布と共にアルマにここで待つよう告げた。
「眠っていていいよ。明け方には戻ってくるから」
「うん……」
眠い目を擦り擦り頷くアルマに、ボクは頭へ手を乗せ撫でる。
するとその感触に安堵したのか目を閉じ、そのまま毛布の中へ倒れ込むように眠ってしまった。
寝息を立てるアルマへともう一枚毛布を被せ、音を立てぬようソッと空き家を跡にする。
「教会に警備は居ないと思います。地下へ続く扉も薄い簡素な物でしたし」
「ならサッサと済ませましょう。こんな訳のわからない場所、一刻も早く抜け出したいもの」
「……もし教会が外れだったら、どうしますか」
「その時は急いで他所を探すわよ。食料にも段々と余裕が無くなってきたし」
人目につかぬよう静かに移動しながら、少しばかり先に建つ郊外の教会へ。
現状他に目途が付けられない以上、教会が騒動の中心であると信じる他はない。
もしあそこがダメであれば、今度こそ本当に町を虱潰しにする必要がありそうで、こうなればもう食料の残量が頼り。
砂漠に吹く嵐が止むのと、食料が尽きるのどちらが先かという、嫌な勝負をするハメになってしまう。
夜明けまでには全てを済ませようと、小走りとなって教会の敷地内へ潜り込む。
鍵は閉められているけれど、適当な細い金属の棒を突き立てれば壊れてしまうようなそれをこじ開け、軋む音と共に中へ。
住居部分の併設されていない小さな教会だけに、昼間に見た司祭は居ないようで、易々と地下へ続く扉の前へ辿り着く。
「中に何があるかわからない、離れないように」
「は、はい」
「一応武器を抜けるようにしてて。でも真っ暗だから剥き出しは勘弁ね」
軽い笑みと共にされる忠告を聞き、ボクは腰に差していた短剣の柄へと触れる。
開いた扉の奥は真っ暗で、地下へと続く傾斜はこちらを呑み込もうとしているようにすら見えた。
中に得体の知れない何かが、それこそ魔物が潜んでいてもおかしくはない気がしてくる。
サクラさんのした忠告に緊張し、小さなランプに明りを灯して彼女の後ろをゆっくり着いて進む。
石を削っただけの簡素な階段を下り、延々と進んでいく。
時折聞こえる水滴が跳ねる音に身体をビクつかせ、ボクとサクラさんの呼吸音と足音を聞き降りていくと、かなり進んだ先で階段は終わった。
「ここが一番下なんでしょうか?」
「どうかしら。ここってたぶん元は天然の洞窟だろうから、先がどうなっているかまではね」
水音と足音以外には、物音一つしない地下道。
ゴツゴツとした自然の岩肌に手を付いて進み、真っ暗な奥を凝視する。
都市アルガ・ザラで使う水の大部分を汲み上げているという水源のここは、まさに町の生命線そのもの。
なのだけれど、どういう訳だろうか。水音はするものの、なんだか空気からはあまり湿り気が感じられない。
そこで不審に思い、壁に沿って落ちる水滴へと触れる。
ヒンヤリと冷たいそいつを前に悩むと、意を決して渇きを覚え始めていた口へ運ぶ。
「サクラさん、この水……」
「水がどうかした?」
「地上で飲んだのと同じです。冷たいし、飲んだ感触もありますけれど」
「まったく乾きは癒されない、と」
険しい表情で口を開くボクだけれど、サクラさんはすぐさま言わんとしていることを理解した。
ここで沸き滴る水は、都市内の食堂や露店で口にしたのと変わらない。
いくら飲んでも喉の渇きは癒されず、味や冷たさばかりしか得られない水や酒と同じであった。
「大元の水源からしてこうなんだから、上がああなのも当然か」
「やはりここには何かがありそうですね。急いで奥を調べないと」
異常が起きているのは、都市の上ばかりではないようだ。
地下に伸びるこの水源も同様であり、ここが事態の大元ではないかという疑念は、また少しだけ深まっていく。
ならば早急にこの奥を調査し、打開のための一手を模索しなくては。
そう考え再び歩を進めようとするのだけれど、不意に肩を掴まれ動きは留められる。
「待って。簡単にはやらせてもらえないみたいよ」
制止するサクラさんの視線は、真っ直ぐにランプの明りが届かぬ暗闇へ向けられている。
そこへ明りを届かせんとランプを掲げる。すると先からはノソリと、2体……、いや3体の影が現れた。
濡れたように輝く体表、緑や茶の細かな鱗、そしてギョロリと回る鋭い目。
シグレシア王国においては北部の一部地域へ出没する、リザードとよばれる二足歩行の魔物が、目の前に姿を晒した。
「これはまた、大層なお出迎えね」
「ですがこんな場所に魔物が出るということは」
「奥に黒の聖杯がある可能性は高そうね。クルス君、しっかりついておいで!」
流石に地下で弓を使う訳にはいかず、サクラさんは腰から短剣を一本引き抜く。
ボクも手を当てていた自身のそれを握り抜くと、地面を蹴り魔物へ接近する彼女に遅れまいと、後に続くのだった。