蜃気楼の都 03
砂漠の小都市アルガ・ザラへと到着して2日目。
それは早朝、眠い目を擦りながら食事を摂るために、階下の食堂へ降りた時の事だった。
「あんたら、どうして上から?」
昨夜から続く空腹感に、もう限界だとばかりに起きだし、急ぎ食堂へ移動する。
ただそんなボクらを見つけた宿の主人は、こちらの姿を見るなり朝の挨拶を交わすどころか、諌めるように鋭い視線を向けた。
ボクらはそんな宿の主人が発し言葉の意図を理解できず、首を傾げるばかり。
一方で彼は手近にあった棍棒へ手を伸ばさんばかりの勢いで、こちらを睨みつけていた。
「どうしてと言われても、ここに泊まったからじゃないですか」
「昨日泊まった客は何人か居るが、お前さんたちの顔は知らん。いつの間に入り込んだ」
「いつの間にって……。覚えてないんですか? 昨夜来て一泊分を……」
「知らんと言っているだろうが。サッサと出て行け、騎士を呼ばれん内にな!」
どういう訳かボクらの事を覚えていないと主張する店主は、手にした棍棒を振り回す。
闇雲に振るわれるだけのそれだが、かといって反撃することも出来ず、ボクらは大急ぎで上の階へ戻る。
荷物は部屋に置いたまま、そのまま宿を飛び出す訳にはいかなかったためだ。
宿の店主に追い立てられ、混乱したまま早朝の通りへ放り出される。
背後で荒々しく閉じられる扉の音が聞こえ、閑散とし柔らかな陽射しの降り注ぐ大通りで、ボクらは揃って立ち尽くした。
「な、なんだったんでしょう」
「私に聞かれてもね。……記憶障害か何かかしら」
空腹感に腹を鳴らしつつ、唖然とし目の前の宿を眺める。
昨夜確かにこの宿へ来て、ちゃんと店主と顔を合わせ一泊分の宿泊を告げ、更にはここで食事までしたのだ。……なぜか全然腹は膨れていないけれど。
まだ宿賃の支払いをする前なのが救いだけれど、だからといって納得も出来ない。
「ともかく他の宿を探しましょ。なんだかよくわからないけど、拠点が無いことには身動きし辛いもの」
「そ、そうですね。重い荷物を預かって貰わないと」
当初の予定では、この後で亜人たちを探すため町中を歩き回るつもり。
なんだか予想外の展開に動揺を隠せないが、大本の目的であるそれを達するためにも、まずは拠点の確保が先決。
サクラさんの言葉に頷いたボクは、同じく混乱し目を瞬かせるアルマの手を引き、早朝の大通りを歩くのだった。
しばし宿屋を探し歩くうちに、市街は賑わいの色を濃くしていく。
昨夜到着した時点では、既に多くの商店などが明りを落としていた。
けれど砂漠の中に存在する数少ない都市ということもあってか、それなりの人口を抱えているここアルガ・ザラは、活気に満ち満ちていった。
「この様子だと、他にも宿は見つかりそうですね」
「ならその前に、屋台あたりで食事にしない? 私もう限界」
「アルマもおなかへったー」
宿も重要ではある。けれど目の前に直面しているのは、昨夜から続く空腹感。
サクラさんとアルマは揃って腹を擦り、食事こそ第一であると主張してくるのだった。
それに空腹感もだけれど、ひたすらに喉が渇く。どこか手近な店で食べ物や飲み物が売っていないかと、朝市が開かれている一角へと移動することに。
そこで適当にパンや果物を購入し、広場にある簡素な椅子へ腰かける。
ようやくありついた食事に目を輝かせる2人が、無言のままでそれらへと齧りつく姿に苦笑しながら、ボクも購入した果物へと歯を立てた。
乾燥地域でよく売られるという、水分を多く含む果物。
口に入れそれから甘く、溢れるような水分が口に広がっていく。そしてカラカラに乾いた喉を潤し――。
「……なんだか、全然解消されません」
「クルス君も? こっちもそう、食べているはずなのにまったく腹に溜まってこないのよね」
甘く豊富な水分によって、ヒリつく喉は癒されていくはず。
だというのに喉は渇きを訴え続け、脱水のためか身体にはあまり力が入らず、空腹感はまるで満たされない。
それはサクラさんも、そしてアルマも同様であったらしく、彼女らは手にした食料を矯めつ眇めつしながら、不可解そうに首を傾げていた。
「どうにもおかしいわね。……クルス君、ちょっと持って来た食料を頂戴」
「いいですけど、控えめに食べて下さいね。十分に買ってから出発しましたけど、万が一って事はありますから」
「わかってるって。干し肉とパン、あと水を頂戴な」
サクラさんは手にしていたパンを自身の膝上へ置くと、ボクの背負う背嚢を指さす。
そこには持参した食料などが納められており、万が一のために消費を抑えようと考えていた物だった。
渋々ながらそれを取り出すと、早くと急かす彼女へ手渡す。
それをジッと凝視するサクラさんは、ゆっくりと干し肉と固いパンを咀嚼し、水を少しずつ口へ含んでいく。
飲んでからしばしジッとし、何かを考え込んでいる素振りを見せる彼女は、目元を顰め頷くと水筒をアルマへ寄越す。
「アルマ、このお水を飲んでおきなさい」
「お水? サクラがくれたのを?」
「そう、さっき買ったのじゃない方。ゆっくり、少しずつね」
サクラさんは持って来た方の水を飲むよう、アルマへ強く促す。
どこか真に迫った様子であるせいか、アルマもすぐさまその言葉に従い、一口一口ゆっくり水を飲んでいくのだった。
「クルス君も。でも出来るだけ節約して飲んで」
「わ、わかりました。……でもどうしたんですか、いったい」
「こっちが聞きたいっての。どういう理屈かは知らないけれど、ここで買った物はまるで身体が受け入れてくれない。昨夜からそうだったでしょう?」
怪訝に思いサクラさんへ問いつつ、ボクは受け取った水を口に含む。
彼女が険しい表情で口にする内容を聞きながら飲んでいくと、その発言を証明するかのように、スッと喉の渇きは癒されていくのだった。
これは確かにおかしい。昨夜もそうだったけれど、食堂で食べたものはまるで腹に溜まってはくれなかった。
けれど部屋に戻ってから口にした、持参してきた簡単な焼き菓子や水はちゃんと、空腹が満たされ潤された実感があったのだ。
「どうにも不可解ね」
「仮にですけど、もし持参した食糧以外が意味を成さないとしたら……」
「体力は極力温存した方が良さそう。急いで宿を見つけましょう、せめて雨風を凌げる所を」
立ち上がるサクラさんは、アルマを抱き抱えると歩き出す。
きっと身体の小さなアルマに、あまり体力を消耗させないように。
ボクらは事態が飲み込めぬまま、大通りを歩き宿を探していく。
道に沿って建つ商店を通りすがりに横目で見れば、貴重なガラスをはめ込んで作った、外からも見える陳列棚が。
そこへ置かれた様々な品が、客たちによって手に取られ売られていく。
見た目にも奇異な人形を手に取り少女の喜ぶ姿を尻目に、その店の向かいに建っていた宿へ入り、すぐさま部屋を取った。
「やっぱりダメです。全然胃に溜まっていく感じがありません」
「味も食感もあるのに。なんだか夢の中でしてる食事みたい」
すぐさまこの宿でも食事を摂ってみるも、やはり一向に食事をした感覚が得られない。味や香りも、熱も感じるというのに。
酒だって飲めば味は感じるけれど、いくら飲んでも酔いというものが一切襲ってはこない。
目の前に存在するというのに、幻のようにすら思えてくる現象に、ボクらは強烈な気味の悪さを感じていた。
「仕方ない、当面は大人しく部屋に篭って体力を温存するしかないか」
「でも亜人たちの捜索は……」
「私がやる。クルス君はアルマと一緒に部屋に居て、出来るだけ身体を動かさないようにね」
食事という行為を諦め立ち上がるサクラさんは、ボクらへ部屋に戻るよう告げる。
春が目の前に近付いているとはいえ、まだ冬の寒さは存分に残っている。しかしこの地域の特徴である乾燥というのは、思いのほか体力を削る。
特に水分の欠乏は深刻であり、持参した水以外が当てにならないとわかった今、アルマなどは特に気を付けなくてはいけなかった。
サクラさんの言葉に頷き、ボクはアルマの手を引き上階の部屋へと移動する。
食堂を抜けたところで、入口のカウンターで帳簿を付けている店主の方を見てみれば、傍らには20日ほど前のまま日付を変えられず放置された暦表が。
「ん、どうしたんだいお客さん?」
「いえ、その暦表……」
「こいつがどうかしたのかい?」
ボクの視線に気づいた店主は、客に対する笑顔を向ける。
ならばついでとばかりに、その修正されぬまま放置されたそいつを指さすのだけれど、店主は怪訝そうに首を傾げるばかりだった。
「いえ、……なんでもありません」
「そうかい? まあいいさ、何か用があったら言っておくれ」
日付のおかしさにまるで気付かぬ店主に、強烈な違和感を感じる。
そこでボクは指摘を諦め、再び帳簿に向かった店主の適当な声を聞きながら、アルマと共に2階へ上がっていく。
部屋の扉を開き、ベッドにアルマを腰かけさせる。
そして窓へと向かって開き、大通りに面した外の様子を眺めると、大勢の人々がざわめき歩いていた。
けれどそんな光景も、先ほど口にした料理や酒を思い出せば、どこか虚ろな物に見えてしまう。
ボクは眼下の人通りと、遠くに見えたサクラさんの後ろ姿を眺めつつ、言い様もない不気味さを感じずにはいられなかった。