蜃気楼の都 02
吹き付ける寒風に、舞い上がる黄金色の砂。そして翻る白い帆。
昇ったばかりの朝日を浴び、サクラさんの駆る砂上艇は砂を裂く勢いで、盛り上がった地形の上から舞い飛ぶ。
「サ、サクラさん! ちょっと速すぎませんか!?」
「そんなこと言われたって、まだ上手く速度調整できないのよ!」
「振り落とされますよ、このままだと!」
……いや、飛ぶというよりも、暴れ回るという表現の方が適切かもしれない。
命綱代わりの編み込まれた頑丈な綱を握り、ボクは必死に振り落とされぬよう、砂上艇に食らいつく。
身体を固定されているアルマも、纏う外套でなんとか砂から顔を守りながら、目を白黒させていた。
砂漠に面した町へ来た翌日、砂の上を渡る砂上艇を借り受けたボクらは、早速そいつを使い目的の場所へ向け出発した。
向かうは蜃気楼の都とも言われる、砂漠の小都市アルガ・ザラ。
けれど町を出発して早々、風を受け張る帆の勢いそのままに進む砂上艇を、サクラさんは悪戦苦闘しながら御すハメになっていた。
単純に強い風によって、進む先を上手く調整できないというのが一つ。
それに風に流され形作られた砂の丘は、船に跳躍しろと言わんばかりに聳え立ち、操作の効かぬ船はそちらへ流されていく。
登った丘の上から、空へ向け飛び立つ砂上艇。
ボクはその飛行と落下を繰り返す船にしがみ付きながら、砂塵の女王というこの国が持つ二つ名に納得がいくと、眼下の光景を眺めつつ思うのだった。
「だ、大丈夫?」
「……あまり大丈夫とは言えそうにありません」
「でも振り落とされなくて安心したわ。ようやく動かすのにも慣れてきたし、ここからは安全にいけるはずだから」
上下左右に揺さぶられ、時には横転しかけながら"爆走"する砂上艇。
けれど船の操作に慣れてきたサクラさんによって、ようやく動きが安定し始めた船の上、ボクはグッタリとしながら返す。
サクラさんは一安心とばかりに、鞄の中から水筒を取り出し水を煽る。
実際彼女の言うように今は船も安定しているし、強い風を受けながらも砂の丘を迂回出来てきた。
なのでここからは最初のような、暴れ馬に跨るような乗り心地は避けられそうだった。
とはいえ身体の中を振り回され、口にした朝食の全てを逆流させてしまう寸前。
ただ心配になってアルマを見てみると、こちらは逆に今のが面白くなってしまったようで、楽しそうにはしゃいでいる。
なかなかに逞しい子だ。
「でもこれで、ようやく見張りに専念できそうです」
「そいつはなにより。でもそう長くは必要無さそうよ、なにせもうかなり移動したもの、夜には到着するはず」
しばし風に当たっていると、少しばかり気分も持ち直してくる。
そこでようやく伸びをして周囲を窺うのだけれど、綱を引き砂上艇を操るサクラさんは、もう半ば役割は済んでいると口にした。
周囲に建物や木々が無いから気付きにくいけれど、砂上艇はもの凄い速度で走っている。
馬車が全力で疾走する以上の速さが出ているようで、既にアルガ・ザラまでの行程中、半分近くを消化してしまったようだ。
もう昼も回っているため、しばらくしたら町が見えてくるはず。進む方向が合っていればだけれど。
「それにしても、もう3週間近く経ちましたね……。そろそろ帰国の目途を立てないと」
風を切り勢いよく進んでいく砂上艇。
受ける風によって長い耳と尾をなびかせるアルマを横目に、ボクはソッとサクラさんへと近付き呟いた。
「流石に期限内で戻らないと、相当マズイことになりそうね」
「追手を差し向けて来るとまではいきませんが、二度と家に帰れなくなる恐れはあります」
「ならもし見つかっても、長々と別れを惜しんではいられないか」
亜人たちを探すという以外に、目下ボクらへ突き付けられている問題はこれだろうか。
コルネート王国への滞在可能期間は、多少の猶予こそあるものの約2ヶ月。
その短い間にアルマの両親を発見し彼女を帰して、春が来る頃には国境を越えシグレシア王国へ戻らなくてはいけない。
一応は騎士団所属となるボクとサクラさんは、もしこの期間内に戻らなければ、下手すると脱走扱いにすらされかねなかった。
「でも大丈夫だって。想像以上に早い移動手段も確保したし、もしアルガ・ザラで見つからずにその先に在る町へ行っても、十分戻ってこれるもの」
「流石にそこまで行けば追いつける、……はずですよね」
「きっとね。もしそれでダメなようなら、今回は大人しく引き返しましょ」
亜人たちがどうしてこんなコルネート王国の奥まで移動したのかは不明。
けれどいくらこの国へ入ってから時間が経っているとはいえ、砂漠を越え国の中部にまで行くというのは考え辛い。
となればアルガ・ザラか、もしくはその先に在ると聞く都市あたりに居てくれるはず。
もしそこで見つからないとすれば、余程の理由があって移動したに違いない。
そうであればこちらとしては時間切れ、アルマには申し訳ないけれど、彼女を連れてシグレシアに帰還する必要が。
……いっそ見つからなくてもいいのでは。そう想う気持ちが無いでもないけれど、ボクは危うく口へ出しそうになったその言葉を飲み込んだ。
その後は乾いた砂混じりの空気を浴び、ボクらは砂上艇に揺られ砂漠を延々と進んでいく。
出発直後、やたら大規模な隊商を見かけた以外、これといって変哲のない道中だ。
一応遠巻きに時折魔物らしき姿が見えるけれど、戦いには至らない。
なにせ魔物が走るよりも砂上艇はずっと速く、見つかったとしても逃げるのは容易。
こちらもそんな状況でわざわざ危険を冒すわけはなく、ひたすら魔物から逃げ続け、予想通り夜にはアルガ・ザラの町へと辿り着くのだった。
「アルマ、気を付けて降りるんだよ」
「はーい」
砂漠の砂地と、僅かな土による土地。
そこの境へ止め、打ち付けられた杭にローブで砂上艇を固定。ボクは一足先に降り立つと、腕を伸ばしアルマを抱き抱えた。
踏み固められる地面へソッと立ち、キョロキョロと周囲を窺うアルマ。
流れる水音に、生える木々。小動物や虫が視界へ映り、人々の声が耳へ届く。
一面砂ばかりしか見えなかった砂漠にあって、ここだけは取り残されるように生命の色が浮き上がっていた。
「まさしくオアシスね。ここに居てくれるといいんだけれど」
砂上艇がしっかり係留されているのを確認したサクラさんは、飛び降りるなりグッと伸びをし呟く。
砂漠の中に在って水が沸くこの都市は、ようやく辿り着ける人の住める土地。
ボクらはたった半日程度で辿り着いたけれど、きっと何日も砂漠を旅してきた人たちであれば、再度あの乾ききった地に足を踏み入れたいとは思うまい。
旅の途中でここアルガ・ザラへ立ち寄り、旅立つことなく居付いてしまった人が多いとは、道中の町や村で聞いた話だった。
「ともあれ宿の確保ですか。それと思いのほかアッサリ到着したので水や食料はありますが、出来るだけ温存したいです」
「そうね……。帰りがけに補充しようにも、おそらくこの町は物価が高いだろうし」
置いた砂上艇から離れ、すぐ目の前へ見える市街地へ向かい歩く。
その最中にボクは背負う背嚢の中身をチラリと確認し、持って来た食料などの節約を口にした。
この半日ほどの移動で、僅かながら水や食べ物は消費した。とはいえまだまだ余裕はあり、すぐさま補充を要する程ではない。
それに今は冬場であるため、食料や水は比較的持ってくれるはず。
けれどサクラさんも言ったように、こんな流通の叶わぬ砂漠のど真ん中、水はともかく食料は高いに違いない。
ひとまずは宿を確保し、明日からは亜人たちの情報を得るべく聞き込みを開始。
そう考えたボクらは市街を歩き、適当な宿の看板を見つけ中に入る。
宿に入ってすぐに立っていた店の主人から挨拶をされ、サクラさんはすぐさま宿泊と簡単な食事を求めた。
「とりあえず一泊分でお願い。翌日以降をどうするかは、明日になって決めるから」
「承知いたしました。ではお部屋へご案内を……」
思いのほか高くはなかった宿代に安堵しつつ、主人の案内で宿の2階へ。
案内された部屋が小奇麗であることに再び胸を撫で下ろし、ボクらは荷物を置くと早速階下の食堂へと移動した。
そこで出された食事は、やはり物資を節約するのが常であるためか、質素さが際立つ内容。
けれど長い時間砂上艇で揺られた身には、逆にこの軽い食事がありがたい。
保存の効く豆と根菜のスープに、固焼きのパンを口に運びながら、ボクはようやく一息つくのだった。
「サクラさん、どうかしましたか?」
「……え? ああ、ちょっとね。気にしないで」
けれど食事を進めていく中、サクラさんが怪訝そうに首を傾げるのに気付く。
なんだか不可解気な、納得のいかない様子。
いったいどうしたのだろうと思い問うのだけれど、彼女は自身でもどう言い表わしたものか悩んでいるようで、その場は気のせいであると思う事にしたようだ。
ただ出された食事を食べ終わる頃になって、ボク自身もなんだかおかしな感覚を覚えているのに気付く。
皿の中にあったスープは完食。パンだって全て食べ終え、一杯だけとはいえ果実酒だって飲んだ。
けれどどういう訳だろうか、まったく空腹感が収まる様子はなく、酒精を摂ったことによる酩酊感もない。どこか妙にすら思える、ふわふわとした感覚。
「なんだかやたら喉が渇くわね……」
「冬なせいで寒いとは言え、ここは砂漠地帯ですから。思った以上に乾燥しているせいかもしれませんよ」
「かもね。ほら、アルマもしっかりとお水を飲んでおきなさい」
サクラさんはさっきから、酒を控えずっと水や果実水を口にしている。
けれどなかなか喉の渇きが癒せないらしく、しきりにアルマへ水分の摂取を促していた。
それでも乾燥した砂漠地帯の影響なのか、なかなか乾きは癒えない。
そしていい加減切り上げ戻った部屋で、仕方なしに持ってきた水を飲んだ頃になって、ようやく人心地着くことが出来たのだった。