辛酸 05
腕の一薙ぎで2人を沈黙させ、脚の一振りで3人をふっ飛ばす。
大観衆の叫びを背に舞台へ乱入したサクラさんは、40人にも及ぶ大勢を相手に大車輪の戦いを繰り広げていた。
囲まれたロウハイクを助けるためのそれだけれど、見た目だけで言えば無謀な戦い。
けれどやはり勇者ということだろうか、易々と大男たちを薙ぎ倒していく姿は、外見的な面を除けばさながら蟻と巨像のよう。
「ク、クルスさん。こっちにも来ます!」
ただそんな惚れ惚れするサクラさんの強さも、のんびりと客席へ座って眺めてはいられない。
ロティーナさんの叫びに反応し振り向いてみれば、客席内の通路を幾人かの男たちが走り、こちらへ向かってくる姿が。
きっと商人ラネオンによって、こちらの人相も伝えられているに違いない。
男たちと遠巻きながら目が合った瞬間、こっちを指さし真っ直ぐ向かってくる。
「アルマをお願いします。ボクが食い止めますので」
「大丈夫……、なのですか?」
「やってみせますよ。これでも戦いの術くらいは持っているんですから」
慌て逃げ場を探すロティーナさんへと、ボクは力強く言い放つ。
さっきサクラさんにも言われたばかりだ。到底戦いなどできないロティーナさんとアルマを守るには、ボクが頑張らなくてはいけない。
走り向かってくる連中とロティーナさんたちの間に入ると、持っている鞄の中へ手を突っ込む。
取り出したのは短い金属の棒。それを握ると、棍棒を振り回してくる男の攻撃を受け止めた。
「下がってて! すぐに終わらせますから」
ズシリと骨に響く振動。それを受け呻きながらも、背後のロティーナさんとアルマへ退避を告げる。
ボクは体格にも恵まれてはいないし、かといって特別動きが素早いとも言えない。
けれど曲がりなりにも騎士団員の端くれ。戦う術を持たぬ人を護るため、戦いの矢面に立たないでどうする。
抑えつけるように圧のかかる棍棒を、辛うじて金属の棒で受け止め続ける。
ただそれを握るのは片手だけ。もう片方は襷に下げた鞄へと入れ、中からもう一つの物を取り出した。
手にしたのは小さな小瓶。その口を我ながら器用に開くと、棍棒を振り回す男たちに向けぶち撒ける。
「な、なんだコレは!」
「クソガキが、舐めやがって!」
小瓶の中に入っていた粉を浴びた男たちは、咳込みながら身体を払う。
一見してただ黄色いだけの、麦の粉にも思えるそれを受け、鬱陶しそうにする男たち。
ただ頭に血を上らせ再びこちらを向くも、男たちは突然に歩を止めた。
身体を硬直させ、男の手からは棍棒が零れ落ちる。
そして男たちは次々と通路へ崩れ落ち、身体を硬直させるのだった。
「……良かった、書いてあった通りの効果が出てる」
倒れた男たちの姿に、ボクは安堵の息を漏らす。
今ぶち撒けた粉は、お師匠様から受け取った手帳に記されていた、痺れ薬を自ら調合した物。
僅かに手に入った材料を使い、悪戦苦闘しながらつい最近作ったばかりで、まだ一度も試したことがない代物だった。
けれど効果はしっかりと現れているようで、男たちは身動き一つ出来ない。
「大丈夫ですかクルスさん!?」
「ええ、なんとか。それよりこっちへ、今のうちに逃げます」
心配そうにするロティーナさんの手を握ると、持っていた金属の棒を収めアルマを担ぎ上げる。
そして急ぎ通路を走り、安全な場へ移動を試みた。
通路に転がった男たちは、おおよその事情を察した観客たちによってボコボコにされているため、追っては来れないはず。
これも極まりつつある興奮のせいかと思うと、少々空恐ろしいものを感じられてならない。
けれど今この場に関しては救いだ。この隙に2人を安全な場所に避難させなくては。
抱き上げたアルマとロティーナさんを連れ、観客席から脱し屋内の通路へ。
しばし薄暗いそこを駆け逃げる中、背後を振り返ってみる。
こちらを追いかける姿はなく、ボクは小さく安堵すると、彼女らを手近にあった小部屋へ押し込む。
「ボクは加勢してきます。どれだけ役に立つかは知りませんけど」
「弟を、お願いします。ご無事で……」
「きっと大丈夫ですよ。ロウハイクにはサクラさんがついてますから」
入った部屋でへたり込み、上目づかいで心配そうにするロティーナさん。
彼女に安心するよう告げるボクは、扉を閉めると通路を奥へ奥へと進んでいく。
目指す場所は闘技場の中心、ロウハイクが立ちサクラさんが乗り込んだ、戦いの舞台へ。
観客たちの声が浅く響く暗い通路、そこへ時折現れる警備の男たちをいなしながら進んでいく。
下げた鞄の中にあるシビレ薬の残りや、吸い込むと一時的に咳が止まらなくなる薬品。
他には強烈な香辛料の刺激によって視界を奪うという、基本的に魔物相手に使うような代物を、惜しげもなく使っていった。
そうしなければボクのようなひ弱な人間、まともに目的地へ辿り着けるはずがない。
通路内で息を弾ませ走っていると、先へ外の明りが見える。きっとあの先が舞台に繋がっているはず。
舞台上へ出てすぐ戦いへ参加できるよう、短い金属の棍棒を手にし、ぶち撒けることが出来るよう薬品の一つを掴む。
そうして通路を飛び出すのだけれど、眩しさに目を細めた先に立っていたサクラさんは、ボクを眺めこう告げるのだった。
「遅いわよ。残念だけど、その手にした物は仕舞いなさいな」
「えっと……、まさかもう」
「この程度なら助けも要らないってこと。もちろん全員生きてるわよ?」
自身の手に付いた埃を落とすように叩く彼女は、視線で舞台上をグルリと一瞥する。
見れば彼女の周囲には、無数の男たちが気絶し倒れている。
積み重なって置かれたその姿は、どこか滑稽にも見える。けれどまず真っ先に思うのは、あまりに無慈悲な実力差。
観客席から見た時も、圧倒的な差はあると思った。
けれどこうしてその全て、40名にも及ぶ男たちの全員が倒れ意識を失う光景は、感嘆の前に愕然としてしまう。
それはボクだけでなく、ロウハイクや観客たちも同様。
さっきまでの歓声はどこへやら。目の前で繰り広げられた一方的な制圧劇に、観客たちは静まり返って目を見開き、舞台上に立つサクラさんの姿を凝視していた。
「お客はともかく、君は呆然としてる場合じゃないでしょ、ロウハイク」
「あ、ああ……」
けれどサクラさんはそんな空気を物ともせず、カツカツと舞台を踏み鳴らし歩くと、ロウハイクの頭を鷲掴みにする。
ここでようやくハッとしたロウハイクは、立ち上がり周囲を窺う。
「こんなふざけた真似をされて、黙ってる訳じゃないわよね?」
「……当然だ。町の人間が楽しみにしていた闘技戦を、こうも滅茶苦茶にされて許せるかよ」
「なら落とし前はつけて貰いなさい。あいつを殴り倒してでも」
サクラさんはロウハイクの肩へ手を置き、語りかけるような口調で静かに告げる。
そして人差し指を立て、観客席上方の一点を指すと、闘技場内へ響き渡る声で叫ぶのだった。
「ラネオン! お前が出場者や大会の運営者を買収したのはわかっている、降りてきてちゃんと説明して貰うわよ!」
叫ぶサクラさんが指す一点、観客たちは揃ってそちらを向く。
そこには人々へ自身の財力を見せつける為か、豪奢な衣服に無数の貴金属を身に着けた商人ラネオンの姿。
そしてその傍らには、同じ派閥に属し付き従っていた、ベルガニーラ商会当主が居た。
向けた指の先へ居たそいつらと、静まり返ったせいでよく聞こえるサクラさんの言葉。
観客たちが状況を理解するのにはこれらだけで十分。決勝後に突然告げられた無茶な試合が、どうして行われたのかというのを。
「そうだな。ついでにぶっ壊された店の借り、しっかり返して貰わねえと」
「私たちが受け取る報酬の件も、ついでにお願いね」
「任しとけよ。体中が痛くて堪んねぇが、あいつらをぶん殴るくらいの余力はあるからよ」
ニタリと、獰猛な笑みを浮かべるロウハイク。
彼は焚きつけるサクラさんの言葉を受け、石造りの舞台を蹴り観客席へと飛び込んでいった。
猛烈な勢いで階段を駆けるロウハイクと、その姿へ再び歓声を上げる観客たち。
迫る猛獣の姿に恐れをなし、腰を抜かしそうになる商人2名。
両者の間へ立ち塞がるはずの護衛は、サクラさんの拳を浴び全員が舞台上で壊滅状態だ。
「お、あれは本気で殴る気ね」
「……なんだか楽しそうですよね、サクラさん」
「それはもう当然。たぶんあの依頼人、報酬を払い渋るつもりだもの。痛い目をみればそんな気も起きなくなるってものよ」
階段を駆け上るロウハイクの背を眺め、サクラさんは愉快そうに笑う。
なんだか結果としてこうなる事を望んでいたような、どこか恐ろしい発言が聞こえてしまう。
「ロウハイクが騎士に捕まらなければいいんですが」
「もしそうなったら、事情を話して釈放の嘆願でもするとしましょ。それに闘技戦の優勝者は町の英雄、騎士たちも無体な真似はしないって」
「……だといいんですけれど」
なんとも楽観的な発言をするサクラさんに対し、ボクは不安感が増すばかり。
けれど走るロウハイクを止めるにはもう遅く、彼は悪辣な商人たちの前へと躍り出る。
そして彼の振りかざした拳は、ボクのする心配などを余所に実に小気味よく、そいつらを纏めて"ブッ飛ばす"のだった。