糧 08
ガァンガァンガァン!
夜闇ごと静寂を掻き消さんばかりなその音は、町の西に異常が起きていると知らされた、まさにその夜に鳴り響いた。
あまりにも激しく鳴らされる、警鐘の鈍い音に驚き目を覚ます。
ベッドから飛び起き部屋の窓を開けると、音は町へ住む全員を叩き起こさんと、延々暗い夜空に鳴り響く。
聞こえるのはおそらく、西門のある方角から。
「クルス君!」
きっと教官が教えてくれた、例のやつが町に近付いている。
その可能性が高いと考えたボクは、急ぎ服を着替え支給品である防具を兼ねたローブを身に着ける。
そして扉を開けようとしたところで、サクラさんがさきに部屋へと飛び込んできた。
「あ、今起こしに行こうと」
「いくらなんでも、こんなに騒がしくっちゃ寝てらんないわよ。……これって、たぶん例のよね?」
「間違いないと思います。この鳴らし方は、魔物の襲撃を示すものですから」
見れば既にサクラさんの準備は万端。新調した鎧を着こみ、弓も手にしている。
起き上がるなりすぐさま着替え、戦いに備えていたようだ。
警鐘の鳴らし方には幾通りかあり、火事によるもの、自然災害などによるものが存在し、その中には魔物の脅威を表すモノが含まれる。
ボクら召喚士は騎士団へ入った時点で、それらを全て頭に叩き込んでいる。
そのためこれが魔物によるものと察知し、ここへ宿を取る他の召喚士たちも次々と部屋から出てきた。
続いて彼らの勇者も出てくるが、一様に寝惚け眼を擦り擦り、中には大欠伸をしている者まで居る。
サクラさんのように、すぐ戦える体勢に在るとは到底言い難い。
「おうお前ら、もう準備はできてるようだな」
まずは状況把握をと考えていると、廊下の奥から協会のおじさんが姿を現す。
彼は自身も戦う気なのだろうか、厚手の革鎧に身を包み、その手には薪割り用に使っていると見られる斧が握られていた。
「話くらいは聞いているだろう。数はまだ不明だが、西門から魔物が侵入したらしい、お前たちは一足先に向かってくれ」
「了解しました。えっと、彼らは……」
「こいつらならワシに任せておけ、寝惚けた頭をかち割ってでも起してやる」
おじさんはそう言うと、意気揚々と腕を捲り、呆とする勇者たちへ歩み寄っていく。
どうやらあの齢の割には筋骨隆々とした腕で、勇者たちの頭を叩き起こすようだ。
その手腕が気になるけれど、今はノンビリ眺めている場合ではない。
サクラさんと顔を見合わせたボクは、急ぎ協会から出ると、西門の方角へと夜の街を駆け出す。
「西門でしょ、近道はないの!?」
「こっちですサクラさん、ここを通った方が早いです!」
協会から出て通りを進むボクは、サクラさんの手へ触れ路地へと飛び込む。
生まれ育った故郷ではないものの、この町へは休暇の度に来ていた、勝手知ったるなんとやらだ。
当然ながら時刻は深夜、どの家々も窓はしっかりと閉められ、中から明りが漏れている様子はない。
そんな暗く見通しの悪い路地を、立ち止まることなく駆け続ける。
いまだ町中には警鐘の音が響き続け、脅威が尚も迫っていることを突き付けてくる。
しかしいまだ魔物の姿は一切見られず、淡い月明かりの中、周囲へ注意を払いながら走り続けた。
「暗いし建物が密集してて、これじゃどこに魔物が居るかわかったもんじゃない」
「仕方ないですよ。狭い町だけど、それなりに人が住んでるんですから」
「……まったく、クルス君ちょっとこれ持ってて!」
建物に阻まれ狭い視界、月明かりが届かず暗く見通せぬ進行方向。
そんな状態に焦れたサクラさんが、名を呼ぶなり投げて寄こしたのは予備の矢筒だ。
予備をボクが預かるのには異論はない。
だがその意図を計りかねていると、サクラさんは近くにある民家の壁へ駆け、壁際に置かれた木箱を踏み台にし一気に屋根の上へと登って行った。
壁を蹴り屋根の淵にかけた腕一本で、身を屋根の上へと放る一連の動作に、ボクは呆気にとられて眺める。
勇者は元々、あちらの世界においてはそこまで特別な身体能力を有してはいないと聞く。
けれどもどういう理屈か、この世界へ召喚された後は常人を遥かに凌ぐ身体となるようで、民家の屋根へ飛び移った動きもその恩恵であるようだ。
「それ預けとくから、合図したら投げてね。遅れないでついて来て!」
と一方的に告げると、周囲を見回しながら屋根の上を疾走していく。
高い位置から魔物を探そうという考えなのだろう。
不安定な足場であるにも関わらず、サクラさんは屋根から屋根へと、速度を落とすことなく走り続ける。
そんな高い位置を飛び越えていく姿に、勇者という存在の力強さを感じた。
ボクはサクラさんを見失わぬよう必死に追いかけながら、ジッと彼女の姿を見つめる。
黒い硬革鎧と長い黒髪のサクラさんは、暗い空を背景に夜の闇へ溶け込んでいく。
そんなサクラさんが駆けるその姿を、ボクはこんな状況で不謹慎だと認識しつつも、美しいとさえ思ってしまった。
「クルス君、あそこ!」
しばらく上と下で周囲を探り続ける。
そうしていると、建物の上に居るサクラさんが叫び、大通りを指さしていた。
彼女の示す方向へ向かい、路地から飛び出してそこへ行くと、道の真ん中に人がうつ伏せで倒れている人を見つける。
近寄ってみると、それは薄い板金鎧と兜を着こんだ男。たぶん見回りをしていた騎士。
声をかけるも反応が無いため、うつ伏せになった体を返してみると、身体の中央には大きく抉るようにつけられた二筋の傷が。
月明かりに照らされた顔を見てみると、開かれた瞳には光が無く、既に事切れているのがすぐに理解できた。
ウォーラビットなどの小さなものではない。もっと大きな、強力な魔物の仕業だ。
死者に祈りを捧げる時間も惜しく、その場で兵士の死体を横たわらせると、屋根の上に居るサクラさんへと首を横に振り手遅れであると知らせる。
彼女はボクの動作をすぐ理解したようで、すぐさま魔物を探すべく周囲を警戒しようとするのだが、一瞬ピタリと動きを止め大きな響く声で叫ぶ。
「クルス! 後ろ!」
サクラさんの声が耳へ届くと同時に、背筋へと嫌な感覚が奔る。
それを感じてか、あるいはサクラさんの声を聞いてか、ボクは無意識に身体を横へ投げ出した。
直後、地面へと転がるボクの眼には、先程まで立っていた場所を大きな丸太のような何かが上から迫り、地面を抉るのが見えた。
何回転かして止まるなり、急いで身体を起こしそいつへと視線を向ける。
建物の陰に隠れていたのか、暗闇からノソリと這い出たそいつは、ボクの前へと姿を現す。
重低音の呻り声、月明かりを反射し青白く輝く毛並み、口から伸びる鋭い牙と強固な爪。
地面に腰を落としたままのボクを見下ろすそいつは、身の丈にして4mを超える巨大な魔物だった。
「……森の王」
この巨躯、輝く体毛。そして人を容易に喰らう口。
間違いない。直接その姿を見たことはなかったが、こいつは俗に"森の王"と呼ばれる、稀に出現するとされる強力な魔物であった。
その大きく獰猛な魔物を前に、ボクは唖然とし身動きが取れない。
森の王はそんなボクを格好の餌と認識したのか、口の端から大粒の涎を垂らし、太い脚を一歩前に踏み出した。
だが歩みは、突如受けたであろう衝撃によって中断される。建物の上に居たサクラさんが、やつの頭部へと矢を射たのだ。
矢は針金を思わせるような硬い体毛と表皮に阻まれ、貫くとまではいかず浅く刺さっただけ。
それでもボクから気を逸らす効果は得られたようで、森の王の注意はすぐさまサクラさんへ向かった。
「クルス! 路地に入りなさい」
と叫ぶなり、屋根を伝ってより高い家屋へと登っていく。
サクラさんの言葉にハッとしたボクは、手近にあった森の王が入れないであろう、細い路地へ身を滑り込ませた。
その間もサクラさんは移動しつつ矢を放ち続けているようで、身体に埋もれた矢を払い落とそうと、大きく暴れる森の王の姿が見えた。
ただ魔物の注意を引きつけるだけの効果はあっても、小さな傷を負わせるだけで致命傷には程遠く、これでは埒が明かない。
弓の性能か、それとも矢に問題があるのか。いやおそらくはその両方。
弱い魔物を狩るのには十分なそれだけど、大型の魔物を狩るだけの威力や強靭さを備えた代物ではなかった。
「代わりの矢を!」
「は、はい!」
遂には持っていた矢が尽きたのだろう、ボクの持つ矢筒を寄こすよう指示を出してくる。
サクラさんの位置を確認すると、狭い路地の中から矢筒を投げ放つ。
上手く渡せたことを示すように、直後使い切って空になった矢筒がボクの頭上から落ちてくる。
ただ新たな矢筒を背負い、次の矢を番えようとしていたその時。
魔物は届かぬ位置に居るサクラさんを諦めたのか、突然に町の中央に向けて身を翻して駆けた。
重い足音を鳴らしながら駆ける魔物は、散見する騎士たちを薙ぎ払いながら進んでいく。
サクラさんも追跡しながら矢を射ているが、相変わらず有効なダメージを与えられているようには見えない。
何かもっと破壊力のある武器で、強力な一撃する必要がある。だが下手に近寄っては餌食になるだけ。
追いかけながらそのように考えていたところで、道の先に人が2人立っているのが見えた。
その顔には見覚えがある、ボクらと同じく協会の宿に泊まる新米勇者、それもミツキさんを愚弄していた勇者の女の子2人組だ。
「貴女たち逃げて!」
森の王が駆ける進路上に立つ彼女らは、無謀にも武器を構え、その首を自らが獲ろうとしているようであった。
到底勝てる相手ではない。それを知ってか知らずか、それとも自身の力量への過信か、サクラさんの警告も無視し森の王へ剣を横薙ぎに振るおうとする。
しかし剣は森の王へ届くことすらなく、鋭く強靭な爪を持った前足に掴まり、1人が地面へ身体を縫い付けられる。
分厚い爪は彼女の胸部へ深々と突き刺さり貫通。確認するまでもない、間違いなく即死だ。
隣に立っていたもう一人の女の子は、その光景に呆気にとられ、口を開けたまま森の王を見上げるのみ。
自身の頭上から聞こえる、獰猛な呻り声にようやく気を取り戻したのか、ハッとして悲鳴を上げる。
しかしその時には既に大きく開かれた口が、自身へと覆いかぶさろうとしている瞬間だった。
「……ったく、命を粗末に」
鋭い牙は腰の辺りへ食い込み、勢いよく振り上げられる。
口から覗く下半身はジタバタと抵抗らしきものを見せるも、森の王が首を一振りするなり、すぐ近くの壁へグシャリと何かが叩きつけられる音が。
森の王はその口を幾度か開き、咀嚼音と共に黒々とした液体を滴らせる。
サクラさんの悪態と共に視界へ焼きつくその光景に、ボクは脚の震えを感じずにはいられない。
ボクらこの世界に生きる住人よりも、遥かに強いとされる勇者がいとも容易く散っていく。
これまで狩ってきた魔物と違い、森の王はこちらの手に負える存在ではないのかもしれない。そう思い始めていた。
森の王は人の味を覚えてしまったのか、次なる得物を探し首を巡らせる。
そうして大通りの先へ向けられたその目が、ずっと向こうにあるへと注がれた。
ヤツの視線の先に在るもの、それは身の丈ほどの大槌を携えた女の子。
「美月! 逃げなさい!」
「ミツキさん!」
ボクとサクラさんは同時に、彼女へと逃げるよう警告する。
彼女は今しがた喰われた同胞の姿が見えたのか、怯えた様子ながらかけられた声に反応し、近くの路地へと逃げ込んでいく。
だがあまり狭いとは言えないそこは、森の王の体格であれば辛うじて通れる広さ。
路地を走り逃げるミツキさん。彼女を追う森の王。
そしてそんな両方を見失わぬよう、必死に食らいつくボクとサクラさん。
何とか彼女から注意を逸らそうと、矢を射たり拾った木材を投げつけるなどをするのだが、森の王は一向に構う様子がない。
そうしているうちに、ミツキさんは袋小路へと入り込んでしまったようで、逃げ場のない壁に背を向けて立ち尽くしていた。
「……ヤダ、来ないで!」
ミツキさんの叫び声が、静まり返った夜闇に木霊する。このままではただ餌食になるのを待つだけだ。
ボクは非力であると知りながらも、気力を奮い立たせ、持っていた短剣を抜いて飛びかかろうとした。
だがボクが飛びかかる前に、意外なことにミツキさんは怯えながらも、逃げる最中も手放さなかった大槌を構えて森の王へと対峙した。
「戦わないと……、戦わないと! ベリンダのためにも!」
自身の戦意を奮い立たせるように、今度は悲鳴ではなく鼓舞の言葉を吐く。
これまでの自信が無さ気で、オドオドとした彼女の様子からすれば信じられない。
だがその脚は震え、今にも崩れ落ちそうな一線で踏みとどまっているように見えた。
きっと彼女が持つ重量級の武器であれば、頭部に上手く命中させれば相応のダメージを追わせられるはず。
だが森の王は体躯に似合わず機敏、そこに至るにはどうすれば良いのか。
ミツキさんを前に舌なめずりし、ゆっくり距離を詰めていく森の王の背を見ながら、ボクは焦る頭を必死に回転させて考える。
『グルォォォオオオォォオォォ!!』
しかし唐突に思考は中断され、吠える森の王を何事かと見れば、その凶悪な眼には一本の矢が突き刺さっていた。
サクラさんは先ほど、矢を使い果たしていたというのに。
見れば射られたのは、歪んだ上に矢羽の大きく削れた使用済みのそれ。
そんな使い物にならぬはずな矢を拾い、サクラさんは狙い違わず目へと命中させたのだ。
動く対象を操作するという、サクラさんのスキルを駆使によるもの。それが無ければ到底叶う芸当ではない。
「ミツキさん、今です!」
流石にこれには怯み、森の王には大きな隙が生まれた。
その隙こそが最大にして唯一の勝機、呆然としていたミツキさんへと、暴れる森の王へ攻撃するよう叫ぶ。
彼女は震えながらもすぐさま反応し、勇気を振り絞って大槌を振りかぶると、森の王へと接近し振り下ろした。
重い金属の塊で作られた大槌の片側、平たく作られた面が頭部を捉え、骨を砕く音が鈍く聞こえる。
しかしまだ仕留めるには及ばず、大きく暴れ振り回された太い腕によって、ミツキさんは薙ぎ払われた。
放物線を描いて飛ばされるミツキさんを受け止めようと、ボクは全力で駆ける。
辛うじて彼女が地面に叩きつけられる直前、自身の身体を間へと滑り込ませると、一瞬だけ遅れてボクは激しい衝撃に襲われた。
あまりに重いその衝撃に、息をするのも困難になりながらも、彼女の様子を確認する。
どうやら手にした大槌で、なんとか森の王による一撃を防いだようで、彼女の身体に傷は無い。
おそらくボクが激しい衝撃を受けた主な原因も、この大槌の重さ故だ。
「痛ぅ……。大丈夫ですか、ミツキさん」
「……は、はい!」
どうやら意識も手放してはいないようだ。
軋む身体をなんとか起こし、彼女を立たせて魔物へ視線を遣る。
そこではサクラさんが射る矢によって、もう片方の目を守ろうと大きな瞼を閉じている森の王が。
ヤツも学習しているのだろう。サクラさんの射る矢が、寸分違わず狙いをつけられるのだと。
だがこれはチャンスだ。今ならば再び攻撃できる。
ミツキさんと視線を合わせると、彼女は示し合わせたように頷き、ゴクリと息を呑み震えながらも駆け出した。
声を張り上げながら接近しているわけでもないのだが、自らに近寄る気配を感じたのだろうか。
片目を潰され、もう片方を閉じた状態でも迫るミツキさんの方へと向き、前足を振り回して行く手を阻もうとする。
だが滅多矢鱈と振り回された前足は、幸運にも当たることなく通り過ぎ、ミツキさんの接近を易々と許していた。
「これでラストよ、やりなさい美月!」
拾った矢も最後の一本となり、あとは彼女に任せるしかない。
森の王へと肉薄し、全身を撓らせて大上段に振りかぶる。
先を向いているのは先程打った大槌の平たい面ではなく、反対側に作られた杭状の部分だ。
迷いなく振り下ろされる大槌の先端を、矢が尽きたことによってようやく開かれた瞳が捉える。
だが迎え撃つべく薙ぎ払おうと前足を動かすも、既に大槌の先端は森の王の頭部へと達しようとしていた。
大槌の先端が頭部へと埋没し、噴出した血液と飛び散る脳髄がミツキさんを汚す。
片方だけの瞳がグルリと白く剥かれ、僅かな間を置いて力の抜けた前足が、そして全身が地面へと崩れ落ちる。
肩で息するミツキさんは、大きく叫び再び大槌を振り上げ追い打ちをかけた。何度も何度も、それが振り下ろされる。
念を入れてとどめを刺そうとしているのではなく、興奮状態から理性が追いついていないだけのようだ。既に森の王は明らかに息絶えている。
声を張り上げ振り下ろし続けるそれは、背後から近づいたサクラさんによって、大槌の柄を抑えられるまで続けられた。
「大丈夫、……もう終わったから」
優しく耳元で呟かれるその言葉を聞き、ようやく平静を取り戻し始めたミツキさんは、目の前にある潰れて散乱した頭部を見つめ、ようやく膝をつき武器を手放した。