辛酸 04
その後、商人ラネオンによる直接的な酒場への圧力は鳴りを潜めた。
おそらくロウハイクが表面的には反発しつつも、店の事を思い八百長を受け入れるか悩んでいるのを、向こうが勘付いていたため。
気持ちとしては理解できる。姉弟2人で切り盛りしてきた店だ、失うのは惜しいと考えて当然だった。
とはいえ一切手出しをしてこないかと言えば、そうではない。
間接的にラネオンは影響を行使しているようで、これまで仕入れをしてきた商店などが、揃って期間中の取引は出来ないと言ってきたのだ。
闘技戦開催期間中は営業を止めているとはいえ痛手だ。下手をすれば闘技戦が終わった後も、取引が再開できないかもしれないのだから。
「陰湿すぎますよ。こんな形で嫌がらせをしてくるなんて」
「決勝戦で負けなければ、この町で商いを続けなくさせてやる。そう言いたいわけね」
闘技場階下に用意された控室。そこで次の戦いを待つロウハイクを前に、ボクとサクラさんは悪化しつつある状況に悪態つく。
ロティーナさんなどは今更言っても仕方がないと、存外楽観的な態度ではある。
けれどこのような事態に巻き込んでしまったこちらとしてはそうもいかない。なんとか今の状況を打開すべく、頭を捻らし続けるのだった。
「お前らももう気にすんなよ。ほとんどオレが招いた事態なんだからさ」
「けれどボクらがロウハイクに話を持ち掛けなければ、取引先だってあんなことには……」
「だからいいって。いざとなったら、他の町へ移るって手もあるしよ」
ロウハイクはあっけらかんとした様子で、然程気にするようなものではないと言い放つ。
住む場を移すなどと簡単そうに言うけれど、生まれ育った地を離れるなど容易くはない。
他の都市に知人友人が居るなんてのは、普通に暮らしている人間には稀。それはシグレシア王国でも、コルネート王国でも同じ。
例え闘技戦の賞金があったとしても、頼る人も居ない地では並の労では済まないはず。
「なんにせよ、今日の結果次第ね。どうするのか決めた?」
「……いや、まだだ。どちらを選んだもんだかな」
サクラさんの問いに、ロウハイクはかぶりを振る。
都市ダンネイアで行われる闘技戦、今日はその最終日。つまりは決勝戦。
ラネオンから突き付けられた要求を受け入れるかどうか、それを決める場が迫りつつあるのだ。
「どのみち勝てないようじゃ、選ぶことすら出来ねぇが」
「そうね。……時間よ、健闘を祈る」
打ち鳴らされる鐘の音が、通路に反響し控室まで届く。
決勝戦開始の合図であるそれを聞いたロウハイクは立ち上がると、拳同士を打ち自身へ気合を入れた。
頷き無言のまま、控室奥に在る扉から会場へと歩く彼の姿が見えなくなったところで、ボクらも別の通路を通り観客席へ向かう。
きっとこうしてロウハイクの側に居続けるのは、立場的に本来好ましくないのだと思う。
なにせいくら依頼を達した後とはいえ、その依頼人に弓引く行為であるのに違いはなく、しかも報酬を受け取る前なのだから。
ただその報酬も、きっとヤツらや払う気などとっくに無いのだろう。
だからこそボクらは、彼らに味方すると決めたのだ。後で殴りこんででも支払わせる前提で。
「サクラさん……、ロウハイクは勝てるでしょうか?」
「確実にどちらが勝つとは言えない。実力的には拮抗してそうだから」
薄暗く、試合直前であるため閑散とした通路を進みながら、隣を行くサクラさんへソッと問いかける。
我ながら不安と緊張に溢れる声でしたそれに対し彼女がしたのは、予測の出来ぬというものだ。
ここまでロウハイクの試合を全て見てきたのと同時に、決勝戦で戦う相手の試合もまた見ている。
ラネオンという商人が雇った闘技者は、おそらく買収によって勝ち上がって来たはず。
けれど相応に実力者であるのも間違いはないようで、サクラさんはこれまでのように、ロウハイクが実力で順当に勝てるとは断言できないでいた。
通路を抜け観客席へ入ると、そこはまだ闘技者が出てきていないにも関わらず、興奮が最高潮へ達していた。
手にした飲み物をぶちまけ、色とりどりの紙吹雪が舞い、肩をぶつけた隣の客と喧嘩に発展する。
そんな一種混乱のようにすら思える光景は、この都市ダンネイアで最も華やかな瞬間。
ただこの大会が、ずっと八百長で成り立っていたと聞かされてしまうと、興奮が上っ面な物に思えてしまう。
もちろんそんな事を吹聴し、楽しんで観ている人たちに水を差すような真似はしないけれど。
「あ、もう少しで始まりますよ!」
観客席へ来たボクらの姿を見つけるロティーナさんは、大きく手を振る。
いつものように彼女の横にはアルマが座り、買った果実水を美味しそうに飲んでいた。
ボクとサクラさんは彼女の隣へ座り、緊張の面持ちで真っ直ぐに視線を向ける。
今座っているのは、少しばかり値の張る一等席。中央に据わる円形の舞台が、最もよく見える場所だ。
サクラさんが少しばかり奮発して確保してくれたそこで待っていると、歓声が一段と大きくなる。
見れば舞台の上には毎度のように審判が現れ、双方の闘技者を呼ぶべく名を叫んでいた。
「ああ……、お願いだから無事でいて……」
両の手を合わせて握り、ロティーナさんは誰へともなく祈る。
今では弟が戦うのを応援しているけれど、彼女にとってみればそこが一番肝心な部分。
どちらの結果へ転ぶにしても、ロウハイクが大した怪我もなく終えればそれでいいと考えているようだった。
円形の舞台上へ出てきたそのロウハイクは、対戦相手と一瞬だけ視線を合わせる。
しかしすぐさま逸らすと、観客席の方へと向き幾度か視線を巡らせ、たぶんロティーナさんを見つける。
ボクにはその時、彼が僅かに微笑んだように見えた。
「どうするか、ようやく決心が付いたみたい」
「そうなんですか?」
「おそらくね。彼、この試合を勝ちにいくつもりよ」
ニヤリとしそう断言するサクラさん。
ボクにはあの表情だけでそこまでは読めない。けれど彼女の言葉からは確信めいたものが感じられた。
そしてサクラさんの言葉を証明するように、開始の合図が発せられた直後、ロウハイクは一気に地面を蹴り対戦相手へ突っ込んでいく。
これまではまず相手の様子を見てから、適切な戦い方を選んでいた。
けれど今は最初から全力だとばかりに、突進し拳を勢い良く振るう。
「凄いです。今まで本気で戦ってなかったということでしょうか」
「よく今まで隠してきたものね。これだけの実力があるなら、この国の騎士団が放っておかないでしょうに」
攻め立て拳を繰り出すロウハイクの動きに、ボクは感嘆の声を漏らす。
考えてもみれば闘技戦の初戦突破時に受けた襲撃で、彼は十数人に及ぶ押し掛けたゴロツキを素手で壊滅させている。
きっと今まで実力を隠し続けていたのは、姉のロティーナさんと店を続けていくため。
でなければサクラさんの言うように、コルネートの騎士団から勧誘を受け続けていたはず。
「これなら勝てますよ!」
「……それはどうかな。向こうもいい加減動きを見切り始めた頃だし」
興奮し戦うロウハイクの勝利を確信しそうになるも、サクラさんは異なる意見を口にした。
彼女の言うようによくよく見てみれば、最初こそ全て相手を捉えていた拳が、幾度か空ぶるようになっている。
買収によって勝ち上がったとはいえ、流石は相手も決勝で戦うだけのことはある。
ただサクラさんはもう少しばかり試合の様子を眺めると、納得したように頷き、自身が口にした言葉を修正するように笑んだ。
「けどちゃんとロウハイクの方も修正してるわね」
「では試合の方は……」
「たぶん、勝てる。でもそうなると今度は、別の問題が起きそうだけれど」
サクラさんの言葉を証明するように、対応してきた相手を更に上回っていくロウハイク。
拳は速さを増し、蹴りは鋭く身体を穿ち、走る動きは敵を翻弄していく。
ここまで来れば、きっと素人目にもハッキリしているに違いない。ロウハイクはこの闘技戦を制するのだと。
しかしだからこそだろうか、サクラさんは発する空気から緊張感を増していく。
警戒するように視線で周囲を窺う彼女の姿に、ボクは怪訝に思っていると、観客たちが強く沸き立つ声に襲われた。
「決まったわね。見事に顔面へ一撃」
「……痛そうです」
「痛いとか思う間もなく気絶してると思うけどね。……さて、ここからが本番かな」
強かに拳を顔面へくらい、音を立て倒れる対戦相手の姿。
一方肩で息するロウハイクは、構えを解かぬままで立ち、男の姿を凝視していた。
終わってみれば完勝。事前の不安が嘘のような結果に、安堵の息を漏らしかけるのだけれど、それが叶わないのはサクラさんが浮かべる表情のため。
彼女は拍手をする観客たちと共に立ち上がるも、鋭い視線で舞台を凝視し意味深な言葉を吐いた。
「あの……、それはいったいどういう」
「見てればわかるって。たぶんそろそろやらかすだろうから」
いまいち意味がよくわからないサクラさんの発言に、首を傾げつつも舞台へ視線を向ける。
すると膝を着き方で息するロウハイクの近くへ、審判の男が近づいていったかと思うと、大きく腕を掲げ叫ぶ。
「突然ですが皆様、これより優勝者による特別試合を開催いたします!」
いったい何を言っているのか。そう思ったのはボクだけではないようで、大勢の観客たちから困惑の声が漏れ聞こえる。
どうも過去の大会ではこのような事はなかったらしいし、掲示されていた大会の仕様にも記されてはいなかった。
なので本当に突然、この場で急に発表されたのだ。
「優勝者にはこれより、今から舞台へ上がる"者たち"と試合を行って頂きます。勝利すれば文句なしで優勝、負ければ優勝者の資格は剥奪。まさに闘技戦を締めくくるに相応しい内容と言えるでしょう」
審判の男が口にする内容に、ざわめきは一際大きくなっていく。
なにせ内容は無茶苦茶だ。頂点に立ったはずなのに、予定にない試合に負ければ、勝利は帳消しだと告げたのだから。
しかも"者たち"と言ったということは、複数を相手にしなくてはならない。
「ではこれより、特別試合を開始致します!」
観客たちの困惑と、目を見開くロウハイク。
それらの一切を無視した審判が叫ぶと、円形の舞台側にある通路からは、大勢の男たちがゾロゾロと現れてきた。
数にしておそらく、……40人以上。
「ようするに、闘技戦の運営そのものを買収済みってことですか……。なんて下劣な!」
ボクはあんまりな状況に、立ち上がり叫ぶ。
ラネオンはきっと、ロウハイクが八百長に応じなかった時に備え、このような準備をしていたのだと思う。
優勝などさせないという意図の、命令に従わなかった相手に行う、壮絶な常軌を逸した嫌がらせだ。
観客たちもここに至って、流石におかしいと思ったようで、中には今ボクが口にしたような内容を話す人たちも。
どうやらラネオンによって買収や八百長が行われているという内容、噂の域でなら幾らかの人は知っていたようだ。
ともあれ今の状況は非常にマズい。
ロウハイクは結果的に完勝だったとはいえ、体力を消耗し満身創痍。
とてもではないが40人を超える相手とやり合える状態ではないし、例え万全でもそれは不可能なはず。
すぐ隣で座っているロティーナさんも、顔を真っ青にし愕然としている。
きっとサクラさんは、こんな危険な状況を危惧していたのだろうかと、ソッと彼女の顔を窺う。
するとそれに対し反応するように、小さな声でボクへ呟くのだった。
「クルス君、君が2人を守ってあげるのよ」
「守……、ってちょっと待って下さい!」
「流石に放ってはおけない。連中が無理を通すってのなら、こっちだってやってやるわよ!」
サクラさんはそう叫ぶと、一気に観客席の階段を駆け下りていく。
そして客席の最前列から跳ね、取り囲まれるロウハイクの側へ着地した。
状況を正確に把握できていなくとも、多勢に無勢のロウハイクへ同情的だった観客たちは爆発。
万に及ぶ観客たちはサクラさんに歓声を送り、場内は一気に熱を上げていくのだった。