祭典 05
都市ダンネイア市街。その中心部から少し外れた住宅地の奥へと、細い路地を幾度も曲がって辿り着いた一角。
極々小さな、地域の人間が使うためだけの広場に面して建つ、近隣住民専用とも言える酒場。
そこを営むのが、ロティーナとロウハイクの姉弟だった。
そんな姉弟へとサクラさんがしたのは、闘技戦への出場をしてはどうかという提案。
延々町中を巡っても候補者を見つけられなかったボクらにとって、弟のロウハイクとの出会いはまさに渡りに船という状況だ。
そしてこの提案に対しロウハイクが返した答えは、意外なことになかなか乗り気なものであった。
「正直、今回は出たいと思ってた。恥を承知で言うが、今この店は台所事情が悪くてよ」
「だから賞金が欲しい、と?」
「ああ、そうだ。例え優勝までいかなくても、ちょっと勝ち進めば幾らか金がもらえる」
ロウハイクが易々と出場への意欲を示した理由。それはなんとも切実なものだ。
ここはとても小さな、地域の住民たちだけが使うような酒場ではある。
けれど元来身体があまり強くないロティーナさんにとって、それすら大変であるとのこと。
そのため店も休みがちであり、ロウハイクはひたすら金を欲している状態だった。
「それは好都合ね。でももっと貰える方法があるわ」
「なんだ? 少しでも多く金が欲しい」
「私たちはとある人から、出場する闘技者を探して欲しいと依頼されてる。その人の名前を背負ってくれるなら、賞金とは別に報酬が受け取れるの」
前もって、これを受けても完全に自身の栄誉とはならぬと伝える。
ロウハイクには今回の依頼主である、ベルガニーラ商会という看板を背負って戦ってもらわねばならず、もし勝ち進めばその喝采は彼だけに降り注ぐものではない。
だからこそ商人や町の有力者たちは、こぞって実力者を雇おうとしているのだから。
「実を言うとね、私たちも闘技者が見つからなくて困ってたの。この依頼を完遂しないと、報酬が受け取れないから」
「正直だな」
「黙っているよりはマシでしょ。貴方の場合、本音を曝け出した方が信用してもらえそうだし」
ここは下手に隠し立てするよりも、アッサリと白状してしまった方がいいはず。
今は乗り気なロウハイクだけれど、一歩踏み外せば途端に決裂しかねない。
なにせ彼はわざわざこちらと組んで出場などせず、単独で参加すればいいのだから。
「ならその商人の下で戦えば、最低限の金が手に入るんだな?」
「そこは断言する。依頼主が嘘を言っていなければっていう前提だけど」
「この町じゃ、闘技戦絡みの契約を破るヤツは居ねぇよ。すぐにバレて吊し上げられる」
「それじゃこれで決まりね。とりあえず今晩はお暇するけれど、明日になって気が変わらなければ契約をしに行きましょ」
あまり長居をしては悪いとばかりに、サクラさんは立ち上がる。
きっとボクらが去った後、姉弟で話し合いをするはずで、そこに居続けるのは邪魔でしかないと考えたため。
それを証明するように、ロティーナさんの表情はあまり芳しくない。
体調が悪いというためというよりも、自身や店のために弟が危険かも知れない戦いに、身を投じるのを善しとしていないからだと思う。
けれどそこはボクらが口を挟むところではなく、そそくさと店を跡にする。
扉を閉めるとすぐさま中からは、口論めいた声が小さく漏れていた。
「とりあえず一安心、……でいいんですかね?」
「たぶんね。当人は出場する気満々だし、あとは姉を説得できるかどうか」
やはりサクラさんも同じことを考えていたらしい。
ロウハイクはたぶん決意を固めているのだと思う。例えそれがたったあれだけの、短い交渉の末だとしても。
けれど見たところ、彼は姉に弱い面があるようだ。もし本気で説得されれば、覆してしまうのではと思える程に。
「一応他にも候補は探しておいた方が良さそうね。万が一ってこともあるし」
そう告げるサクラさんは、元来たのとは異なる路地へ入っていく。
目ぼしい酒場の全てを周ったとは思っていたけれど、こうして小さな酒場がまだ残っていて、そこで候補者が見つかったのだ。
案外そういった場所にこそ、探す強い闘技者が居るかもしれない。
「クルス、あのおにいちゃんダメなの?」
「ダメではないけど、戦ってくれるとは限らないからね。他にも居ないか探しに行くんだよ」
細い路地を行くサクラさんの後を追い、アルマの手を握って進む。
ただ幼いアルマにしても、先ほどの会話でおおよそ話が纏まったということは理解していたようだ。
なのに次の候補者を探すべく移動しているのが、少しばかり不可解なようだった。
「アルマ、あのお兄ちゃんキライじゃないよ」
「ボクは殴られかかったせいで、微妙な心境だけどね……」
「キライ……、なの?」
「そういう訳じゃないよ。たぶん悪い人じゃないし、うってつけだと思う」
もう既に割り切ってはいたつもりでも、殴られかけた事でちょっとばかり、ボクは苦手意識を覚えてしまったらしい。
とはいえ彼がそれなりに強いのは間違いなく、選ぶことそのものに異論はなかった。
アルマとそんな話を続けていると、再び住宅地の中にポツンと広場が見つかる。
そこへ入り込んで周囲を窺うと、酒場というのが適切かどうか、小さな店を見つけた。
「私は中に入って探してくるけど、2人は外で待ってる?」
「……そうします。歩き疲れてしまいましたし」
「脚が震えてるわよ。また殴り掛かられてもいけないし、そこで待ってて」
一緒に入ろうとするのだけれど、サクラさんは振り返り確認するように問う。
ボクはその言葉に甘え、外の広場で座って待っている事にするのだけれど、彼女の発した言葉にはまた別の意図があったようだ。
急いで持っていた外套を外し、自身の脚を隠すように前へと移動させる。
サクラさんはそんなボクの様子にくすりと笑むと、そのまま店の中へと入っていった。
残されたボクとアルマは、広場にある適当な椅子へと腰かける。
歩き疲れたのか、徐々に舟を漕ぎ始めたアルマの頭を膝に乗せ眠らせると、先ほどの状態に思いを馳せた。
「口惜しいけど、あの人で間違いはない気がする……」
寝息を立てはじめるアルマの頭を撫でつつ、ボクはひとり嘆息するように呟いた。
ボクが召喚士として活動を始め、もう1年近くが経とうかという頃。
これまで多くの魔物と対峙してきたおかげで、相応には度胸も培われてきたと自負している。
けれどそんなのを物ともせず迫るロウハイクの拳に、ボクは強い恐怖心を覚えたのだ。
もちろん勇者たちと比肩しうるとまでは言わないけれど、それ程までにロウハイクの拳は鋭かったのだと思う。
なのでボクの中では、もうロウハイクで本決まりとなっている。
もしサクラさんがもっと強い人を見つけられれば別だけれど、仮に他の候補者が居たとしても、きっと彼を押すに違いない。
若干、口惜しい感は否めないけれど。
ただそんな心配は杞憂だったらしく、店から出てきたサクラさんは大きく首を横へ振る。
それにその後も幾つかの店を周り、住民たちから話を聞いてはみたけれど、有望そうな人間を見つけるには至らなかった。
ならロウハイクが上手く姉を説得できることに賭け、ボクらは夕刻の町を歩き、少しばかり迷いながら宿へと戻るのだった。
「結果的に、暴漢と間違われたのが救いだったかもね」
「あれが無かったら、そのまま帰っていたでしょうしね。勘違いさまさまです」
「クルス君の面白い反応も見れたし、私としては商会の依頼も果たせそうだしで万々歳よ」
帰り着いた宿で簡単な夕食を取りながら、ボクらはこの日一日の労をねぎらい合う。
とはいえもっぱらサクラさんがイジリ続けるばかりで、ボクはなんとかそれを逸らそうと奮闘するばかり。
アルマなどは歩き通しであったせいか、食事を半分ほど食べた時点で眠ってしまった。
「そういえば依頼主のベルガニーラ商会ですが、今まで送り込んできた出場者は皆、準々決勝止まりだったそうで」
「なら今回はそれ以上の成績を残せそうね。ロウハイクは実力的にかなりのモノだと思うもの」
「引き受けてくれるのなら、とりあえず依頼は達成ですね。これで一安心ですか」
優勝とまで言えるかどうかは不明だけれど、ボクらに関してはこれで安堵できる。
受けた依頼は闘技者を見つけることであり、成績の如何に関しては契約に含まれていないためだ。
これでもし成績不振を理由に報酬の難癖を付けて来ようものなら、この町に在る勇者支援協会の支部にでも駆け込めばいい。
もっともロティーナとロウハイク姉弟の事情を想えば、優勝して欲しいとも思うのだけれど。
サクラさんとそんな会話を交わしていると、宿で食事をしている酔客のひとりが、目敏くこちらの話す内容を聞いていたらしい。
千鳥足気味でこちらの卓へ近寄ってくるなり、親し気な様子で話しかけてきた。
「なんだい、あんたらあそこのベルガニーラに雇われたのか」
「え、ええ……。闘技戦への出場者を探すために」
酔っぱらった男の問いに、困惑しつつも肯定する。
とはいえこの依頼、別段隠すような内容ではない。
こういった行為は他の商会もやっているし、偶然受けてくれる他国の勇者を見つけたというだけで、何がしかの規定に違反はしていないのだから。
「勇者の協力なんて取り付けたんだ、今年はあそこが優勝かねぇ。……だが待てよ」
なにやら感慨深そうに、男は頷きながら納得する。
反応からするに、勇者が選んだ闘技者というのはそれ程までに優勝確率が高いようだ。
周囲の人間もこの会話を横で聞き、賭けの倍率が変わってしまうだろうと噂し始めていた。
しかし対面する酔っ払いの男はふと、なにかを思い出したように首を捻る。
「どうかされましたか?」
「いや、ちょっとな。あそこの商会が、勇者の選んだ闘技者を立てるってのが腑に落ちなくてよ……」
ここまでの酔いが覚めていくような素振りで、男は怪訝そうに表情を顰める。
サクラさんもそんな男の様子を不審に思い、いったいどうしたのだろうかと問う。
そして男が問いに対し返した言葉に、ボクらは眉を顰め、得も言われぬ困惑を覚えるのであった。