祭典 01
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拝啓 お師匠様
お師匠様がメルツィアーノへと帰って以降、少しばかりの騒動はありましたけれど、概ねこちらは平穏に過ごせています。
もちろんお師匠様が下さった手帳を頼りに、薬師としての勉強は続けています。
最近では王都から本も取り寄せましたし、カルテリオに居るお医者様とも情報交換をし、それなりに知識も増えて来たのではと自覚し始めました。
今は得た知識を元に、近場の森などで薬草を収集する日々。
これは単純にお医者様からの要望もありますが、近々また遠出をしようと考えているため、その間に必要となる薬品の材料集めを目的として。
なにせボクらはこれから、国境を跨ぎ隣国へ渡ろうとしているのですから。
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シグレシア王国を縦横へ幾本も貫く街道。
その内1つを通り、王国の中部地域に在る流通の拠点となる都市ネドを経由し、王都を通って王国北部へ。
広くも人通りのまばらな街道を乗合馬車に揺られ、数日の時間を要し辿り着いたのは、幾人もの騎士たちが護る小さな木造の砦だった。
「……確かに。通って構いません」
街道を塞ぐように建てられたその砦へ入り、簡素な卓越しに座る騎士へと、ボクは一枚の書面を渡す。
それをしばし眺めた騎士の青年は、立ち上がって敬礼をすると、奥にあった扉を押し開けた。
「ここから少し行った先に、コルネート側の砦があります。そちらでも同様の手続きを」
「はい。お世話になりました」
「道中お気をつけて。それと、"出来るだけ早い帰還を"願っています」
ここシグレシア王国側の関所である砦へ詰める騎士の青年は、礼を口にするボクへ意味深な言葉を発す。
そんな彼の見送りを受けるボクらは、扉奥へ伸びる少しだけ広い通路を進み外へと出た。
視界には殺風景な、岩肌と雑草が茂るばかりな街道が広がる。
そこをボクとサクラさん、そして嬉しそうに手を繋ぎ歩くアルマと進んでいった。
「さっき騎士が言ってたのってさ、たぶん"裏切るなよ"って意味よね」
「間違いなくそうだと思いますよ。口調は穏やかでしたけど」
背後の砦が小さくなってきたところで、サクラさんはコソリと率直な感想を口にする。
越境許可の証書を確認した騎士が告げた言葉、"出来るだけ早い帰還を"というのは、他国に行ったきりにならぬようにという念押しだ。
「稀にですけど、居るそうですよ。特に今から入るコルネート王国は、シグレシア以上の大国。こちらで名を上げれば、比較にならないほどの富も手に入りますから」
「魔物に対する切り札として召喚した勇者が、勝手に他国へ移り住まれるなんて堪ったものじゃないわね」
「ですので滞在期限は決められています。今日から最長2ヶ月、それまでに目的を果たして戻りましょう。一応多少の遅れくらいは許してくれますが」
こうして他国へ、隣国であるコルネート王国へ渡ろうとしているのは、真横で手を繋ぎ嬉しそうに歩くアルマのため。
亜人である彼女の両親や一族が、奴隷商の手から逃れようと国境を越えたことはわかっている。
ただ一向に戻ってくる気配がないため、こちらから探しに行く必要に迫られていたためだ。
とはいえ王都で越境許可を得るも、その後は色々と騒動もあったため、なかなか実行には移せなかった。
サクラさんの怪我もようやく完治し、こうして国境へ来るのが年を越してからになるとは。
「そういえばこの世界に召喚されてから、一度も国外に出てないのよね。クルス君は?」
「ボクだって初めてですよ。特別用事もありませんし、度々国境を行き来する機会があるのは、行商人か国の使節団くらいじゃないですかね」
「それもそうか。コルネートって、どういう国なの」
興味津々、サクラさんは前方へ小さく見える、コルネート側の関所を指し問いかける。
コルネート王国は隣国なれど、そう特別交流が多く人が行き来するわけではない。
ボクもあちらの国の人を見たのは、たぶん1度か2度くらいしかないはず。
当然他国の情報などそう入ってくるはずはなく、まだ見ぬ地にサクラさんの好奇心はいたく刺激されているようだった。
「本で読んだくらいしか知りませんけど、面積はシグレシアの4倍。国力はそのさらに倍といったところですか。東に位置するアバスカル共和国と並んで、大陸有数の大国ですね」
「そういえば、私が召喚された当初にそんな話もしてたっけ」
「別名"砂塵の女王"。他国が畏怖と敬意を込めて呼ぶ名前です」
「……砂塵?」
ボクは記憶に押し込んでいた知識を総動員し、興味を前面に押し出してくるサクラさんへ説明をしていく。
ただ彼女はここコルネートに付けられた別名に、小首を傾げるのだった。
「国土の3割くらいが砂地だそうですよ。砂漠とかって言うそうで」
「砂漠……? 向こうって確か、シグレシアより寒いのよね」
「そのはずです。もしかしてあちらの世界にも、そういった場所があるんですか?」
コルネートはシグレシアよりも北に位置し、冬場などは凍えるように寒いのだと聞く。大陸北部の国々程ではないそうだけど。
砂漠などは特に冷え込みが激しく、まだ春も遠い今の時期にあっては、なかなか超えるのが難しいとも。
ただサクラさんの反応からすると、どうやらあちらの世界にも同様の環境は存在するらしい。
ただそちらは非常に暑い場所のようで、あまり寒さとは縁遠い印象を抱いていたようだ。
「それにしても砂漠越えは厄介ね。上手く移動手段が確保できればいいんだけど」
「そこいら辺は、関所の人に尋ねてみるとしましょう。もうそろそろ着きますし」
腕を組み渋い表情をするサクラさんへと、ボクは軽く笑んで前方を指さす。
シグレシア側の関所からしばし歩き続け、コルネート側のそこはもう目と鼻の先。
関所としての機能を持つ木造の砦前へ辿り着くと、扉を何度かノックする。
すると中からは、白いマントにすっぽり身を包んだコルネート側の騎士が姿を現した。
確かコルネートも、シグレシアと同じく騎士たちがこういった役割を担っていると聞く。
「許可証を拝見したい」
ボクらを関所となる砦へ迎え入れるなり、なんとも簡潔かつ静かな声で要求する騎士。
さっきも渡したそれを鞄から取り出し、対面の騎士へ渡すと、彼は立ったままで黙し読み始めた。
「結構。ではシグレシアの勇者と召喚士殿、我らの国へ来られたご用向きは?」
「人探しです。期限内になんとか見つけられればとは」
「……珍しい理由だな。時折入国してくる勇者は大抵、武具の入手などが目的なのだが」
一応形式的なものだとは思うけれど、入国の理由を訪ねてくるコルネートの騎士。
それに対しボクが正直に目的を口にすると、彼は若干怪訝そうな様子で首を傾げた。
「えっと……、この子の両親を探しているんです。流浪の民で、山地を越えてコルネートへ移動したようで」
本音を言えば、あまりアルマのことは口にしたくはない。
なにせシグレシア程ではないにせよ、コルネート王国でも多少なりと亜人は狙われ易い傾向があるため。
けれどここで下手に隠し立てをして、妙な疑いを持たれるというのも好ましくなかった。
そこで少しばかりはぐらかした言い方をするも、彼はすぐさま裏側に潜めた内容に気が付く。
「ああ、もう少し西側の山地に居るとは聞くな。という事は、その子は亜人か」
「ご存知なんですか?」
「以前あちらに配されていた時期があった。その頃に彼らとは、何度か話をしたことがある」
なかなかに意外だけれど、国境警備の騎士はアルマの部族について知っているようだ。
懐かしそうな様子で、真面目そうに締まっていた表情が僅かに緩む。
これは絶好の手掛かりかもしれない。そう考えたのはサクラさんも同様で、彼女は身を乗り出し行方の心当たりを問うた。
「流石にわからないな。彼らはまさしく流浪の民、時折国境を越えて来た時には、あちこちへ商いのため移動していたから」
「そう……。なら仕方ないわね、地道に探すとしましょうか」
結果的に、この期待は空振りに終わってしまう。
でも移動を繰り返すというのがわかっただけで上々、そこを念頭に置いて探せばいいのだから。
「ともあれ気を付けて行くといい、その子が変な輩に狙われないようにな。自分が亜人たちと接触していたのも、彼らを狙う奴隷商を牽制するためだった」
「忠告感謝するわ。お礼はこの国で目一杯飲み食いするってことでいいかしら?」
「それで十分さ。見たところ君たちは懐が温かそうだからね」
カラカラと、軽口を叩き合うサクラさんと騎士。
なんだか思いのほか気さくな人で、ボクもこの国へ入る不安感が、幾分か紛れていくようだった。
案外こういった狙いもあって、温厚な性格の人を国境警備に当たらせているのかもしれない。
「例の山地にもっとも近いのは、ここから西北西へ行った先に在る都市"ダンネイア"だな。おそらくあそこには立ち寄るはず。道中砂漠は通らない、移動はし易いはずだ」
「ありがとうございます。ではまた帰りに」
「ああ、道中の無事を祈っているよ」
通過の承認を示す印を押す騎士から、越境許可証を受け取る。
ボクらはその彼に礼を口にし、薄暗い国境の砦を通過。コルネート側へと出るのだった。
暗がりへと慣れた目が、明るい陽射しを受け眩む。
少しだけして再び明るさへ慣れ目を開くと、ボクは目の前へ広がる光景に、思わず感嘆の声を漏らした。
「これが……、コルネート王国」
「また随分と変わるものね、いかにもな乾燥地帯って感じ。寒いけど」
たった1つの小さな砦を挟み、視界に広がる光景は一変。
砦の側には緑が多少あるけれど、前方へ目を向ければ一面の荒涼とした大地が広がっていた。
別にこれがコルネート王国全土に広がっている訳ではないけれど、国の特徴を表す光景なのだとは思う。
騎士から受けた穏やかな様子に安堵していたボクは、またもや不安が押し寄せてくるのを感じる。
けれどそんなことなどお構いなしに、サクラさんは一歩前へ出ると、振り返り腰を落とす。
「さあ、行きましょうアルマ。あなたの家族を探しに」
柔らかに、ボクと手を繋ぐアルマを抱擁するサクラさん。
彼女がしたその行動にアルマは小さく頷くと、珍しく緊張した様子で、幼い少女は強くボクの手を握り返すのであった。