魔の機械 01
シグレシア王国の南岸、港町カルテリオの在る海岸線。
海から餌を用いて誘き寄せない限り、基本的にはあまり多くの魔物が発生しないここいら一帯は、それなりに安心して歩ける数少ない場所だった。
とはいえ流石に町の人たちも散歩に使う訳はなく、魔物の少なさを享受するのは、相応に自衛手段を持った人間に限られる。
カルテリオの町で言うなら、勇者の他には武器を持った騎士に、いつでも逃げ出せるよう馬に乗った人。
あとはそう、師に教授された道具を用い、弱い魔物くらいなら追い払えるようになった半人前召喚士くらいだ。
その半人前な召喚士であるボクはこの日、冬の海風が吹き付ける海岸を、散歩目的で歩いていた。
ただ海岸とはいえ、延々砂の地面が続く訳ではなく、所々に大きな岩や崖になっている箇所も存在する。
そして気まぐれを起こし、崖に空いた小さな洞窟を覗きこんだ時だ、それを見つけたのは。
「……なに、これ」
そこを覗いたのは、本当にただの好奇心。
幼い頃に近所の森を探検した時のような、沸き立つ気持ちを抱えて覗き込んだ、洞窟というよりもただの横穴にすぎない場所。
実際何かがあると期待などしていないそこで見たのは、人の形をした動かぬ物体だった。
「死体、だよね。たぶん……?」
ボクは辛うじて入り込む陽光で、薄らと浮かび上がるそれを凝視し、なんとも自信の無い言葉を呟く。
旅を繰り返してきた以上、行き倒れに遭遇した経験くらいはある。
中には食い荒らされ原形を留めていない死体もあったし、中途半端に腐敗し吐き気を催すものもあった。
そんな死体と比べれば、目の前に在るソレはまだ大したことはない。片腕こそ無いものの比較的綺麗なままで、血だって碌に流れていないのだから。
けれどもそこが逆に、ボクにはおかしく見えてならなかった。
「ここ、行き倒れるような場所じゃないよな? 町だって近いし、そんなに魔物も多くないし」
横穴へと足を踏み入れ、壁面へ縋るように座る女性の死体へ近づく。
血が流れていないだけであれば、ただ単に死後相当に時間が経過したと考えるだけ。
けれどボクがそれを死体であるか疑ったのは、血の流れた痕跡すら見られないのに加え、妙に肌の色つやがよく見えたためだった。
それに無くした腕からは、太い紐のような物が幾本も生えていたり、鉄のような金属が見えているのが相当に不可解。
どこか作り物めいた、精巧な人形なのではと思えるそれの前で膝を着く。
そして吸い寄せられるように手を伸ばし、死体にしては血色がよい女性の頬へ触れようとした時だった。伸ばしたボクの腕が、ガシリと掴まれたのは。
「――――――!!」
自身でもいったいどう発したのかすらわからない、言葉にならぬ叫び。
小さな横穴へ、そして外の海岸にまで響いたと思うそれに、ボクは自分でも驚いてしまう。
けれど一番衝撃なのは、腕を掴んだのが目の前の死体であったためだ。
「し、ししし死体が!?」
「死体、ではありません」
「喋った!? 死体なのに!」
なんとか掴む手を振り払い、大きく後ずさる。
そんなボクへと、女性の死体は俯いたままで声を発し、それによってなおも後ずさった。
一応アンデットなどと呼ばれる魔物は、国内でも極僅かながら出現する土地が存在する。
けれど少なくともそれらが言葉を発することはないし、仮にしたとしても、こちらが理解できる内容とは思えない。
だというのに、目の前のそれはちゃんと理解可能な言語として喋ったのだ。
「ですから、死体ではありません。自身はまだ"稼働状態"にあります」
「か、かど……、う?」
「はい。一部パーツを損耗していますが、まだ完全な機能不全には至っていません」
どうやら当人曰く、死体ではないと言う。
なんだか妙な話し方をするとは思いつつも、とりあえず反り気味だった体勢を立て直し、再度近づいていく。
すると死体? の彼女は顔を上げるとこちらを向き、健在な片腕で失われた腕や脚を指す。
「保有データに該当の無い少年。申し訳ありませんが、要請を受諾して頂きたい」
「えっと、何がなんだかよくわからないけど、ボクにできることなら……」
「感謝します。ではまず、自身を人の居る地まで運んでいただきたい。礼は追って」
向けた表情をピクリとも動かさず、口元だけで頼みごとを口にする女性。
彼女がいったい何者であるかは不明だけれど、酷い有様であるのに変わりはなく、それを放って見なかったことにするわけにも。
「わ、わかりました。……って、重!」
そこで動揺をなんとか抑え、女性を背負おうとする。
しかし残る腕を肩に回し持ち上げようとするも、どういうことか彼女は異常なまでに重く、ビクともしなかった。
ボクもそこそこの経験を経て、身体も丈夫になっていったと自負している。
けれど女性一人担げないのかと凹んでしまうのだった。
「少年の体力では難しいかと。人を呼ぶか、運搬手段の確保をお願いしたい」
けれど彼女はそれを気にした様子など微塵もない。
その彼女が言うようにボクの体力では如何ともし難く、道具なり人手なりが必要なのは確か。
そこで女性の言葉に頷くと、一目散に横穴を飛び出し、カルテリオの町へ一目散に駆けた。
カルテリオ外周に聳える城壁へ辿り着くなり、警備に立つ騎士の詰所へ。
そこで見知った女性騎士に頼み込み、小さ目な荷車を1つ借り受けると、大急ぎで元来た道を引き返す。
ただこの行動、ボクを知る人間から見ると、相当に奇異なものとして映ってしまったらしい。
荷車を引いて海岸の横穴へ辿り着こうかというところで、すぐ背後から聞き馴染んだ声に呼び止められるのだった。
「やっと気付いてくれた。ずっと声をかけてるのに、全然気づいてくれないんだもの」
「サクラさん、どうしてここへ」
「騎士団のお姉さんから、お茶に招待されてたのよ。たまには旅の話を聞かせて欲しいって。それで行ってみたら、クルス君が血相変えてるからさ」
どうやらサクラさん、偶然あの場に居合わせていたらしい。
この程度の用事であれば、いくら同じ家に住む者同士とはいえ話す必要もないため、ボクは彼女が居ると知らなかったのだ。
「ついこっちが気になって追いかけたから、後で埋め合わせをしないと。……で、こんな場所でいったいどうしたの?」
「えっと、それは……」
「もしかして"やましい"こと? 内緒で猫を飼ってるとか、秘密基地を作ってるとか」
「そんな子供みたいな理由じゃありませんって!」
ズイと顔を寄せるサクラさんは、なにやら愉快そうな面持ちで問い詰める。
怪我がまだ治りきってはおらず、動き回ることを控えているため暇を持て余している彼女は、絶好の暇つぶしを見つけたと言わんばかり。
ただ別に隠し立てする必要などないため、サクラさんへ状況を話しても構わない。
けれどもどう説明したものか悩んでいると、強引に問うよりも別の方法が有用と考えたか、サクラさんは穏やかな調子となった。
「ならいったいどうしたってのよ。優しい優しいお姉さんに言ってごらん」
「その、実は……」
別にサクラさんの変容に促された訳ではないけれど、思い切ってたどたどしい口調ながら理由を口にしていく。
そうして全てを話し終えたところで、サクラさんは腕を組んで首を捻った後、「とりあえず見てみましょ」と言い横穴の中へ入っていった。
ボクも慌てて追いかけ、踏み込んですぐの場所へ立つ彼女の隣へ。
目の前にはここを飛び出した時と同じく、失われてた腕から謎の太い糸と金属を生やした女性が、顔色一つ変えず座っていた。
「早速人を呼んでもらえたか。助かります、少年」
ボクの姿を見るなり、小さく頭を下げる女性。
見た目的にはよくわからないけど、動けないほど大きな怪我をしているはずだというのに、口調からは余裕さを感じてしまう。
そんな彼女を見て、サクラさんはいったいどういう反応を示すのだろうと思い、チラリと横目で視線を向ける。
でもどういうことか、彼女はジッと女性を見下ろすばかり。
「あの、サクラさん?」
「こいつは驚きね。まる助を初めて見た時に次ぐ衝撃だわ」
ようやく発したサクラさんの言葉は、困惑が色濃く滲むもの。
一見して平静なようでいるけど、内心ではかなり動揺しているようだった。
そんなサクラさんは女性の前でしゃがみ込む。
そしてジッと視線を交わし、女性の身体を一通り観察し終えたところで、小さな声で問いかける。
「ねぇ、ちょっと質問してもいいかしら?」
「構いません。自身は助力を求める側、可能な範疇でお答えしましょう」
「なら遠慮なく聞かせてもらうわ。貴女って……、人間じゃないわよね?」
サクラさんの口から飛び出した言葉に、ボクは咄嗟に浅い声が漏れる。
あまりにも突然な言動に、つい失礼であると言いそうになったのだ。
けれども女性はサクラさんの言葉を気にした様子もなく、意外なことにこう返すのだった。
「その通りです」、と。