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嵐襲来 07


 盛大に盛り上がった年越しの祭から一夜明け、冷え切った空気がカルテリオの町を覆う早朝。

 広場の一角から周囲を見渡せば、そこには死屍累々大勢の大人たちが地面へ転がっていた。


 ただこれは喧嘩や暴動の類によるものではなく、単純に酒を飲み過ぎたが故に。

 踊りが終わった後で全員へ振る舞われた酒が、今年は少々度数の高い物であったらしく、多くの人が飲む加減を間違えてしまった為だ。

 一応所々に火を焚いてはいるけれど、この様子だと数日後には風邪ひきが大量発生してると思う。


 そんな大人たちの情けない姿を尻目に、ボクは大きく欠伸をしながら家路につく。

 一緒に踊っていたサクラさんが、お師匠様によって強奪された後、結局僕はオリバーに朝まで付き合わされるハメとなった。

 ナンパに失敗した彼は呑み開かす相手を探しており、おかげでボクは現在、強い眠気と酩酊感に襲われている。



「もう限界だ。帰ったら着替えて……、すぐベッドに」



 何度目か知らぬ欠伸をし、そう決意しながら辿り着いた家の扉に手を掛ける。

 そして扉を開き中へ入るのだけれど、真っ直ぐ自室へ行こうとするボクの前には、夜に見たのと同じローブを纏うお師匠様が立っていた。



「……お師匠様。そんな大荷物でどちらに?」



 ただそこへ立っていただけなら、お師匠様も夜明かしをし今帰宅したばかりと考える。

 けれども手には大きな麻袋、それに背へ同じく大きな背嚢を負っていて、まるで今から旅に出ると言わんばかり。

 ……いや、これは間違いなく旅をするための格好だ。



「世話になったなクルス、わたしはこれで帰るとする」


「そんな……、どうして急に」



 案の定、本来の住む場であるメルツィアーノへ戻ると告げるお師匠様。

 ボクは突然に告げられた言葉に驚き、つい近寄ってローブを掴んでしまうのだけれど、お師匠様は呆れた様子で息を吐いた。



「お前、わたしがどれだけ此処に滞在していると思っている?」


「それはそうですが……」


「随分と長く家を留守にしている。待つ者など居ないが、それでも多少なりと不安にはなるというものだ」



 確かにお師匠様がカルテリオへ来たのは、冬の頭にボクらがこの町を発った直後。

 なので2ヶ月近く滞在していることになり、いい加減家に帰ろうと言いだしてもおかしくはない頃合い。


 しかし薬学をお師匠様から教授してもらい始めて、まだたった数日しか経っていない。

 幾つか基本的だけど実用性が高い物は覚えたけれど、技量的にはまだ全然であるし、応用などはまるで手を着けていない。

 卒業を口にするにはまだ早すぎる。



「そろそろ納入先である騎士団の連中も、薬を使い果たす頃だ。注文が入った時に居なかったのでは、折角の上得意を他の薬師に取られかねん」


「……そこを言われてしまうと」


「であろう? 切実な理由なのだよ、流石にこれを言えばお前も留めようとは思うまい」



 一転してカラカラと笑うお師匠様の言葉に、ローブを掴む手を放してしまう。

 薬師としてはとても評判の良いお師匠様のことだ、少しくらいサボってもそこそこは許してくれるように思える。

 けれど数か月も所在不明となれば、付いたお客が離れるには十分な時間。

 さしものお師匠様にしても、そこばかりは許容できないらしい。



「しかし自分からお前に薬学を教授すると言った手前、全て終えぬまま帰るのも心苦しい。そこでだ」



 お師匠様自身も、基礎の基礎を教えている最中であるのに帰るのは、多少なりと抵抗があったようだ。

 自身の懐へ手を入れるとゴソゴソ漁り始め、分厚い一冊の手帳を取り出した。

 ボクはこれを何度か見たことがある。お師匠様が長年愛用している、薬の製法などに関し細々と記し続けていた物だ。



「こいつをやろう。あとは勝手に学ぶといい」


「よいのですか? ずっと大切に使っていたのに」


「内容は"ココ"に全て入っている。時折戯れに眺めるよりは、余程有用な使い道であろう」



 お師匠様はコツンと、自身の頭へ拳を当てる。

 片手で持つには少しだけ難しい、この分厚い手帳に記された膨大な知識。その全てが自身の頭へあるのだと。

 そんなお師匠様は少しだけ寂しそうな表情を浮かべると、拳を解きボクの頭へ柔らかく手を置いた。



「これでようやく、少しはお前の役に立てた気がする」


「そんな、お師匠様は最初からずっとボクの……」


「わたしはただ、失った親友に代わってお前を見守っていただけさ。召喚士の師匠としても、そして親代わりとしても、中途半端であるとずっと思っていた」



 置いた手を動かし頭を撫でながら、優しく言葉を口にするお師匠様。

 ボクにはそれが、また永きの別れを告げる言葉であるように思え、グッと息を詰まらせてしまう。


 これまで手紙は送っていても、お師匠様はまるで返事を返してはくれなかった。

 それはずっとズボラな性格のせいだと思っていたけれど、今にして考えてもみれば、お師匠様なりの激励であったのではと思えてくる。



「次に会う時は、もう少しお前の身長も伸びているだろうな」


「……はい」


「あの田舎町にまで、お前の名が轟いて来るのを期待するとしよう。自慢の弟子だと吹聴したくなるくらいにな」



 ボクは過去にないほど饒舌なお師匠様のローブへと、つい顔を埋めてしまう。

 なんだか顔が人に見せられない状態になっている気がして、咄嗟に隠そうとしてしまったのだ。

 けれど「もうそんな歳ではないだろう」と告げるお師匠様によって、柔らかく身体から離されてしまった。

 見ればお師匠様のローブには、小さく濡れた後が残っている。



「まだこれから寒さが続く、風邪など引かぬことだ。もっとも引いたとして、お前に教えた手段で治せばいいが」


「はい……」


「よし。では、サクラ嬢も息災でな」



 ボクがなんとか言葉を発し頷く。するとお師匠様は、次いでサクラさんの名を発す。

 驚いて見てみれば、玄関のホールから繋がる階段にはサクラさんが腰かけており、頬杖着いてこちらを眺めていた。

 もしや一部始終全部見られていたのかと、ボクは大急ぎで顔を擦って誤魔化す。



「ディータさんも、道中お気をつけて。朝一で行商の一団が出ますから、そちらに同行されれば安全かと」


「そうさせて貰うとしよう。上手くすれば食事にもありつけそうだ」



 どうやら昨晩の内に、サクラさんはお師匠様が出立するのを聞いていたようだ。

 あれから2人の間にどんな会話がなされたのか。それはわからないけれども、雰囲気からして深い話をしていたような気がする。

 そしてその交わしたであろう会話の一端を、お師匠様はサクラさんへ確認するように告げた。



「ところで例の話、是非一考してもらいたい」


「……まぁ、頭の隅には置いておきますね」


「親馬鹿と思うだろうな。だがわたしはこういう形でしか、不肖の弟子へ助力できぬものでな」



 いったいどういった内容かは知らないけれど、お師匠様の言い様からすると、これはボクが関わるものであるらしい。

 ただそれを教えてくれるつもりはさらさらないようで、一旦は置いた荷物を拾い上げると、ボクの横を通り扉を押し開けた。



「ではそろそろ行くとするか。行商人に置いて行かれては、追いつくのに難儀してしまう」


「あ、町の外まで見送りに……」



 まだ、少しだけ別れ難く感じてしまい、ボクはお師匠様の背を追おうとする。

 けれど「ここまでで結構だ」と告げられ、お師匠様はボクらを家の中へ残したままで扉を閉めてしまった。


 早朝の静けさの中、鳥が鳴く声と扉の閉まる音だけが響く。

 ああ言われては追いかけるのも憚られ、ボクは伸ばしかけた手を宙に浮かせたまま、玄関へ立ちつくす。

 嵐のように来て、そして去っていったお師匠様。

 でも突然の別れにやはり寂しさを拭いきれず、ボクは少しの間呆然としてしまうのだけれど、しばししてから気持ちを切り替え、サクラさんへと振り返る。



「あの、一応ダメ元で聞いてみてもいいですか?」


「ダメ」


「……聞くだけ聞いてもらえると嬉しいんですけど」



 そこで目下最も気になる内容を問おうとするのだけど、速攻で却下されてしまう。

 ボクが何を聞きたいかわかっていて、絶対に答える気はないという意思表示だ。

 けれど逆にその反応が好奇心を刺激し、サクラさんのした拒絶の意志を振り払い、無理やりに問いを投げかけるのだ。



「お師匠様とどんな話を? ボクに関する話だってのはわかりますけど」



 するとサクラさんは、ほんの少しだけ頬を染める。年越しの祭で踊っていた時に見せた、気恥ずかしさが混ざったそれと同じ表情を。

 畳みかけるように問い続けるも、彼女の頬は色を増すばかり。

 そして遂には拒絶も限界と悟ったか、彼女は近付いて来るなり簡潔な言葉を発し、ボクの頭を軽く叩くのだった。



「絶対に教えない。絶対に」



 そう言って、サクラさんは顔を背けながら家を出て行ってしまう。

 ボクはそんな姿を目で追い、残念と思いつつ自室へ戻り、倒れ込むように眠りにつくのだった。



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