嵐襲来 06
広場へと向かったボクは、周囲を見渡すことなく探す相手を見つけることができた。
大勢の着飾った人がごった返す広場は、歩けば人とぶつかるのが避けられないと思えるほど。
けれど広場の隅にある一角だけ、まるで人を寄せ付けぬように空いていたために。
一見して不自然にも思える空間の中心には、祭り用の装束に身を包んだ女性が、ひとり椅子へ腰かけていた。
「なかなか似合うじゃない。馬子にも衣装ってね」
「いや……、その言葉の意味はよくわかりませんが」
人の入っていかぬ空間の、中央に座る女性へと近付く。
すると彼女はすぐさまこちらの姿を見つけ、軽く手を掲げ声をかけるのだった。
その彼女、サクラさんは黒を基調としたドレスを纏っていた。
他の人たちが着る物とは若干意匠が違うけれど、それが彼女のスラリとした長身や、短くなった黒髪とやけに合っており、ボクは一瞬見惚れ立ち尽くしてしまう。
ただそれを褒める前に、サクラさんの方からこちらの評価を頂戴してしまった。
「褒めてるのよ、一応ね」
「向こうの言葉で言われてもわかりませんって。もっと単純に評価して貰えれば」
「じゃあ言ったげる。よく似合ってるわよ、クルス君」
立ち上がるサクラさんは、ボクの服へついた埃を軽く払ってから、囁くように告げる。
それを聞いてほんの少し気恥ずかしくも、どこか誇らしい気がしてしまう。
「ていうかさ、なんで私こんなに距離置かれてるのかな……」
「まさか無自覚です?」
「もしかして私が綺麗過ぎて近寄りがたいとか? それは困ったわね、ついにモテ期到来!? なんてね」
冗談めかし、困ったと言わんばかりに言うサクラさんだけれど、彼女のした予想は正解だ。
正直今のサクラさんには、ある種の近寄りがたさがある。
もちろんそれは悪い意味ではなく、似合いすぎている衣装に加え、珍しくしている化粧によって。
普段のサクラさんを知っている人も、そうでない人も。一目見てドキリとさせられるその姿に、どう声を掛けたものか戸惑っているのだ。
案外王城へ滞在している時に培った、貴族のお嬢様としての振る舞いが、今になって効いているのかもしれない。
預かった地位の返却が却下されてしまったので、今も名目上は貴族家のお嬢様なままなのだけれど。
そんな彼女へ向け、ボクは小さく息をついた後で、意を決して告げるのだ。
「そうですよ。皆近寄れないんです、サクラさんがその……、すごくキレイだから」
「……ま、またまた冗談ばっかり。どうしたのよ急に、どこでそんな言葉教わってきたの? さてはオリバーね、あいつ意外とナンパ野郎だし」
ボクの言葉を聞き、ポカンとするサクラさん。
彼女は少しだけ固まった後、慌てて笑いながら誤魔化すように言葉を吐き出していく。
けれど町の雰囲気や衣装、そしてクラウディアさんによって後押しされた今日のボクは、ここで引こうという気が起きなかった。
例え周囲に大勢の人が居る場所でも。いや、むしろこの場だからこそあえてだ。
「本気で言ってるんですよ。……サクラさん!」
「な、なに!?」
「改めてお願いします。ボクと、踊ってもらえないでしょうか」
困惑に後ずさりかけるサクラさんへと、改めて踊りの相手を申し入れる。
その際にボクは目を閉じて頭を下げ手を差し出すのだけれど、突き刺さってくる周囲の視線を強く感じる。多分相当に目立っているはずだ。
一瞬だか永遠だか知れぬ時間が経過し、もしかしてダメなのだろうかと思い始める。
けれど手へ柔らかで細い感触が伝わり、ハッとして顔を上げてみると、そこには化粧越しに真っ赤な顔となったサクラさんが。
彼女は周囲をチラチラと窺いながら、ソッとボクの手を握っていた。
「とりあえず移動しましょ、死ぬほど居心地が悪いし……」
そう言うとサクラさんは手を引き、広場を横断して反対側へと移動する。
手首が痛くなるほどの強い力であり、気恥ずかしさから一刻も早くこの場を逃げたいという心情を、隠そうともしていないようだ。
大勢の人々の間を掻い潜り、少しばかり人の密が穏やかな場所へ。
そこでようやく一息つくと、サクラさんは丁寧に梳かした頭を荒く掻き、困った様子を浮かべるのだ。
「今日のクルス君は、いつになく大胆ね」
「すみません、つい雰囲気に流されて……」
「でもたまには悪くないかも。年下の男の子にダンスのエスコートをしてもらうってのも、貴重な経験よね」
「ちゃんとリードしてよ」と告げるサクラさんは、改めて手を差し出す。
その頃には広場の中央で、旅の吟遊詩人や町の人間が音楽を奏で始めており、同時に大勢の人間が向き合っていた。
年越しの祭、その最後に行われる踊りが始まろうとしている。
「でも流石にこれ以上目立つのは勘弁して欲しいし、隅っこで大人しくやるとしましょ」
「目立たず踊れるんですか? 座ってるだけであんなに派手だったのに」
「踊りが始まったら、もう他の人なんて見向きもしないわよ。ほら、誰もこっちを見ていない」
スッと手を引き、ボクの身体を寄せてくるサクラさん。
そして軽く呼吸を合わせながら、彼女は視線で周囲を指した。
見てみれば同じように動く他の参加者たちは、自身の相手と向き合うのに必死で、もうボクらを見ようとはしていない。
折角サクラさんが綺麗な格好をしているのに、これはこれで面白くない気もするけれど、彼女にとっては好都合であるようだ。
「この際だから楽しむとしますか。よろしくね、クルス"さん"」
「よ、よろしくおねがいします!」
この時ばかりは、サクラさんもボクを多少大人扱いしてくれるらしい。
普段とは異なる呼び方に心を沸き立たせ、彼女の手を少しだけ強く握り、広場に出来た輪の中へと混ざっていった。
最初に流れる曲は激しく、大勢の人が一度に走っているのではと錯覚しかねない、激しい流れへ呑まれていく。
それが一段落すると、今度は一転してゆったりとした曲調に。
こちらは決まった踊りの形などないようで、周囲を見れば各々好きに動き、楽しそうに言葉を交わしながら踊っていた。
ボクとサクラさんは踊りながら、記憶の浅い部分へ仕舞い込んでいたものを掘り起こす。
王城へと留まっていた時、ほんのちょっとだけ使う機会があったため、一通りの踊りは習っている。
極々簡単なそれではあるけれど、少なくとも相手の足を踏まぬようにする効果はあったらしく、余裕を持って踊ることができた。
「見て、あっちにアルマとまる助が居る」
「ホントですね。……でもあれ踊りと言えるんですか?」
「抱き抱えて走り回ってる、て感じかしら。でもいいんじゃない、楽しそうだし」
穏やかな曲に合わせていると、サクラさんは広場の一角へ見知った顔を見つける。
そこでは確かにアルマとまる助が一緒に居るのだけれど、まる助を抱き抱えたアルマが、広場内を楽しそうに走っているという状態で、到底踊りには見えない。
でもまる助も尻尾を振り楽しそうで、仲の良さが伝わってくるようだった。
そうしていると、いつの間にか音楽は鳴り止む。
これで終わりかと思うも、まだ年は越していないし住民たちも解散していないため、おそらくただの小休止であるようだ。
広場内にある一角へ行くと、そこで配られている無料の果実水を2人分もらう。
片方をサクラさんへ渡すと、彼女は周囲を見渡しながら、ニヤリと口元を歪めた。
「これだけ盛況なんだから、ダンスホールとか開いたら流行るんじゃないかな」
「えっと、つまり踊りを目的としたお店ってことですか?」
「そうそう。結構良案だと思うんだけど」
こんな祭りの最中になにを思い付いたかと思えば、カルテリオで行えそうな商売について。
遊んでいる最中なのだから、今くらいそういった発想を余所に置けばいいだろうにとは思うけれど、彼女はこう見えてなかなかにお金が好きな人だと思い出す。
単純に後々のために、溜め込んでおきたいだけだと思うけど。
「他に娯楽がありませんからね、それなりに儲かるとは思いますよ。でも今まで同じことを考えた人は居るはずですけどね」
「てことは、やらない理由があるってことよね」
「最初だけ繁盛しても、案外飽きられるのかもしれません。手を出さない方が無難だと思います」
現在の広場は、町の人たち全員が居るのではと錯覚しかねない盛況ぶり。
この光景を見れば、踊りの場を商売として設けるという案は悪くなさそうにも思える。
けれど祭りは毎年のように行われており、これまで同じ考えを持った人間は何十人と居たはず。
でもカルテリオにそんな店があったなど聞いたことはないため、なんらかの障害があるのだと思えた。
商売を始め継続するのだって、そんな甘い話じゃないと思うし、大人しく勇者に専念した方がいい。
でも、ボクが反対する理由はもう一つだけあった。
「それに……」
「それに?」
「こうして年に1度、大切な人と踊れるならそれだけで十分かなって。そう思います」
やはり今日は祭りの浮かれた雰囲気に呑まれてしまったのか、ボクの口は非常に軽くなってしまっている。
内に起った本心が口から漏れ出て、サクラさんはそれを聞くなり、手にした果実水を落としそうになってしまう。
「ホント、今日の君は生意気ね」
「今夜だけは勘弁してください。たぶん明日になったら、恥ずかしさで頭を抱えると思うので」
「……一度限界までお酒飲ませてみたいものね。どれだけ口説かれるものやら」
再び頬を染めるサクラさんの姿に、ボクは少しだけ愉快な気持ちとなってしまう。
普段の平静でこちらをからかってくるサクラさんもいいけれど、こうして恥ずかしそうにする彼女もなんだか好きだ。
そうしてしばし休憩を摂っていると、再び音楽が鳴り始める。
もうそろそろ眠気も感じ始めていたけれど、自身の頬を叩いて踊りへ参加する。
再び踊りの輪へ混ざり身を任せていると、町中へ教会の鐘が鳴り響くのに気付く。きっとこれが年越しの合図だ。
「サクラさん、今年もよろしくお願いします」
「こっちこそよろしくね。……主に家事とか」
周囲でも同じような光景が繰り広げられるけど、サクラさんの発した言葉に少しだけガクリと力が抜ける。
もう少し甘い言葉を頂戴したいと思わなくはなかったけれど、案外これで十分なのかもしれない。
これがいつも通りな、馴染んだボクとサクラさんの空気なのだから。
「若人たち、上手くやっているようでなによりだ」
ただそんな空気へ浸るのも束の間、突如として横から降ってきた声に中断されてしまう。
見ずとも誰であるかわかる声に振り向いてみると、そこには普段通りの簡素なローブを纏ったお師匠様の姿が。
そのお師匠様はボクらをみてニヤリと笑むなり、不審な言葉を吐くのだった。
「だが男女の仲は、障害があるとより燃えるなどとも聞く。別に男女でなくともいいのだが」
「えっと、お師匠様……。それはつまりどういう?」
「クルスよ、しばしサクラ嬢を借りるぞ。安心しろ、少ししたら返す」
お師匠様はそう言うと、サクラさんの腕を掴む。
そして呆気に取られるボクを余所に、同じく状況が飲み込めず沈黙するサクラさんを連れ、広場から伸びる路地へ連れて行ってしまう。
一方ひとり残されたボクは、ただ首を傾げ佇むばかりであった。