四つ足の矜持 09
ガタリガタリと小石を跳ねる車輪が回り、馬車は荒く整備された街道をのんびり走る。
寒風を遮るものもない平野部を進む馬車の幌は、所々が虫に食われ穴だらけ。なので例え中に居たとしても、暖を取るのは難しそう。
もっともボクが座るのは御者台。暖かさとは元々無縁で、ひたすらマフラーと厚手のコートを頼りに耐えるばかりだ。
「お疲れ様クルス君。もう少ししたら交代する?」
「代われる訳がないでしょう、その腕で。……わかってて聞いてますよね?」
そんな御者台へと半分身を乗り出し、交代を口にするサクラさん。
けれどもボクは彼女の身体へ一瞬視線を向けると、嘆息しつつその言葉を否定した。
なにせ再度開いてしまった傷によって、サクラさんの左腕は包帯でぐるぐる巻き。
右の腕も骨が折れてしまったせいで固定されており、今現在両腕共に使い物にならず、食事すら満足に出来ない状況。
彼女は元々馬の扱いがそこまで得意でもないし、御者など到底無理な話だった。
「ほら、一応気遣いとして聞いておこうと思ってさ。私たちだけ中で和気藹々としてるよりはマシでしょ」
「そこは否定しませんけど。てっきりボクだけ寒空の下で、延々放置され続けるのかと思いました」
「あんまり拗ねないの。ほら、果物でも剥いてあげるから」
「ですからそれも出来ないじゃないですか」
「もちろん剥くのは私じゃないわよ。リーヴスがやってくれるから」
たぶん毎度のことだけどボクをからかっているであろう、サクラさんのカラカラとした笑い声。
彼女は視線だけで幌の中を指すと、小さく肩を竦めて見せた。
現在ボクらはネドの町を離れ、一路南の港町カルテリオへ向かっている。
サクラさんの怪我が落ち着くまで、ネドで療養してはという考えもあった。
けれど結局は、落ち着ける場所で療養する方がマシと考えたために。
これ自体は当初の予定通りではあるのだけれど、実はこの旅路、まる助とリーヴスも同行している。
約束した武器に関する理由もあるのだけれど、寒さに弱いまる助が冬を越える為にという理由もあって。
この世界に慣れていない状態で、身体に合わない土地へ居させるというのは少々気が引け、多少温暖なカルテリオで過ごしてはとこちらが勧めたためだった。
「その、……痛みとかはないんですか? 結構馬車が揺れるので」
冷たい風に晒され、短くなった黒髪をなびかせるサクラさん。
そんな彼女が腕を使わず器用に伸びをしているところへ、ボクは小さな声で身体の調子を尋ねた。
「なんとかね、こう見えて昔から回復は早い方だもの。それに腕を動かすのは難しいけど、案外身体の動きで衝撃は逃がせるし」
「そんなこと言って、時々目元が痛みで歪んでますよ。特に右腕」
「痛った! ちょっと、いきなり触らないでってば。……仕返しのつもり?」
平然と返しはするも、よく見れば揺れる度に痛みのせいか表情にそれらしき様子が見られる。
そこで少しばかり悪戯心を起こし腕へ触れてみると、サクラさんは小さく悲鳴を上げるのだった。
「そういった意図が無いでもないです。折角なので」
「クルス君って、意外と根に持つわよね」
「生憎と性格が悪いですからね。サクラさんが怪我をしている今が好機です」
普段であればこのような真似をしようものなら、羽交い絞めにでもされかねない。
けれど今は腕がまるで使えず、反撃の心配は皆無。なので日頃の報復をするならば今しかなかった。
たぶん怪我が治った後で、この数倍をやり返されるのはわかっているけれど。
「覚えてなさいよ。嫌ってほど後悔させてあげる」
「出来るだけその時が早く来るよう願っておきます」
「……そうね。じゃないとカルテリオでの立場だって危いもの」
ボクの飄々とした言葉に歯噛みするサクラさんだけれど、すぐさま苦笑し街道の向こうへ視線を向ける。
今は幌の中でまる助と眠っているはずのアルマ。その両親を探し、王国の北部へと行ったのが冬の頭あたり。
そこからボクの故郷であるメルツィアーノへと移動し、越境申請を行うために王都へ。
さらに王城でしばらくの療養を経てネドを経由し、そこでまる助たちと会ってから今に至るけれど、随分時間が経ってしまった感は否めない。
もう年の終わりも近く、カルテリオを長く留守にしてしまっている。
いくら町長公認で移動の自由が利くとはいえ、延々留守にしていてはやはり立場というものがある。
町の周辺に出る魔物を狩っていたからこその優遇であり、怪我をした状態ではそれすら儘ならないのだから。
「流石に追い出されたりはしないでしょうけど、早く治してまた普段通りの生活に戻りたいところです」
「でもその後にはまた移動よ、アルマの両親を探しに」
「せめて春になってから行きたいところです。コルネート王国はシグレシアよりも寒い土地ですから」
かといって評判回復のため、カルテリオへ居続けるというのも難しそう。
そもそもはアルマの両親を探すのが目的であったし、王都で発行された越境許可証だって、あまりに発行時期が古くなると関所で引っかかる恐れも。
なので治療と魔物の討伐、それに他国への移動と、ここから先色々時間の制約は多いかもしれない。
サクラさんの療養期間が、辛うじて休暇になるというのが僅かな救いだ。
揺れる馬車の上で、御者台へ映ってきたサクラさんと、今後の長期的な予定について話をしていく。
するといつの間にか、ボクらの間へ後ろからヒョコリと顔を出す姿が。
黒い垂れた耳と鼻の低い顔に、赤い舌を覗かせるまる助は訴えるようにこちらを見上げてくる。
「おいらはハラが減ったぞ。昼飯はまだか」
「もう少しでカルテリオが見えてくるから、お昼は町に着いてから食べましょ」
「肉がいいぞ肉。骨つきの」
黒い目を輝かせるまる助は、空腹を訴え小さく腹を鳴らし、自身が好物と言ってやまぬ肉を欲した。
その彼は寒さから身を護るため、綿の敷き詰められた布を身体に巻き、簡易の服としている。
これを着ているのは種として寒さに弱いからで、そのために南の暖かいカルテリオへ向かうのだけれど、今度はそれが原因となって好物にありつけなくようだ。
「あんたはいつも肉ばかりね。でもお生憎様、カルテリオはお肉が貴重なの」
「……肉、ないのか?」
「あるとしても精々が干し肉だけど、それだって安くはないもの。もっぱら口にできるのは魚ね」
まる助の頭へ手を置き、柔らかに撫でるサクラさん。
けれども口から発せられる内容は、まる助にとってある意味で絶望の淵へ叩き落すようなものであり、愕然としポカンと口が開かれていた。
そして少しばかり呆然とした後、勢いよく振り返り幌の中へ向けて叫ぶ。
「リーヴス、今からネドに戻ろう!」
「ダメだよまる助。こんな寒い中で歩いて戻るつもりかい?」
肉ありきでした懇願も、自身の相棒であるリーヴスによって速攻却下されてしまう。
今乗っているこの馬車は、ボクらが移動用にネドの町で買い取った物であり、カルテリオに着いたら商家にでも売り払う予定の代物。
もしここで引き返そうとするなら、延々ここまでの距離を歩いて帰らなければならないと、リーヴスは考えたためだった。
もうカルテリオは目と鼻の先、戻るにはなかなか労を要する距離だ。
早々に否定されたことで、ガクリと馬車の荷台へ突っ伏すまる助。
好物の肉が得にくい土地で、冬の間を過ごさなくてはならないというのは、思いのほか意気消沈する事実であったらし。
そんなまる助へと、さっきまで眠っていたはずなアルマが抱き着き、寂しそうに問いかける。
「まるすけ、アルマといっしょに行かないの?」
「そ、そんなことはないぞ! 仕方のないヤツだ、そんなにおいらの尾が恋しいか」
抱き着かれたまる助は、困りながらも少しばかり嬉しそう。
なんだかんだで一番くっついてくるのがアルマなだけに、こうも寂しげにされては、我を通すのも難しいようだった。
「しょうがない、魚でガマンしてやろうか!」
そう言うまる助は、一転して元気だ。
肉は欲しい。けれども長く人と共にあった種の性か、こちらの方がより欲求としては強いのかもしれない。
リーヴスを見ると、彼はこちらの視線に気付き苦笑していた。
尻尾を振り幌の中へと戻っていくまる助たち。
ボクは再び2人だけとなった御者台で、荷台ではしゃぐまる助について思考を巡らせる。
森の王と対峙した時に発現したスキルだけれど、あれ以降一度として使う事に成功していない。
たぶんあの時仕えたのは、精神的に昂ぶっていたからこそで、使いこなすにはまだまだ時間がかかりそうだった。
でもあれが任意に使えるようであれば、きっとまる助は勇者としてやっていける。ボクは半ば確信を持ってそう思えた。
「カルテリオも賑やかになってきて、唯一の勇者っていう優位もなくなった。負けてられないわね」
「そうですね。孤軍奮闘し続けるよりはマシですけれど」
町で唯一の勇者だったからこそ、町長はボクらへ大きな家を無償で提供してくれた。
それもオリバーを始め数人の勇者が来て、まる助まで来てそれなりの人数となりつつある。
サクラさんはそのことを少しだけ喜びつつも、負けん気を露わとしているようで、ボクはそんな彼女の様子に微笑む。
「だからこそ、早く怪我を治しましょう。ボクも上に立つ優越感が恋しいので」
「ほんとクルス君て、案外性格悪いわよね」
「とても強い勇者の背に乗ってますから、増長してるのかもしれませんね。ですから責任をとって頑張ってください」
ボクがさきほどと同じ言葉を再度発すると、サクラさんは肩を竦めてみせる。
ゲンナリとする彼女へ向け、ボクは我ながら小生意気だと思える態度で返してみた。
あまりにも酷い返しによってか、逆にカラカラと笑いその動きによって痛そうにするサクラさん。
ボクは身体を折り苦痛に耐える姿にやれやれと苦笑し、馬の手綱を握り直し前を向く。
視線を向ける先、遠くには灰色の城壁と広大な海が見えつつあった。
ようやく帰り着こうとしているカルテリオの光景に安堵し、気を抜いたところで小石を撥ね揺れる馬車の振動に体勢を崩し、サクラさんへもたれ掛かる。
それによって一層の痛みを覚えた彼女は、遂に反撃を試み、笑顔のままでボクへ頭突きを食らわしてくるのであった。