四つ足の矜持 08
不利な状況を一変させる一手。それが現れたのは、森の王によって再びまる助が弾き飛ばされた時だった。
今度こそダメかと思われたそれだけれど、ボクの目にはほんの一瞬だけ、薙ぎ払われるまる助が銀色に輝いたように見えた。
地面を転がるまる助へと駆け寄るも、やはり今回も怪我らしい怪我は見当たらない。
転がった勢いで少しだけ痛そうにしている以外は健在で、それとは逆に森の王を見ると、またもや脚からは夥しい血を流していた。
そしてまる助の身に着けた短剣は、再び血に濡れている。
「どういうこと、これはいったい」
「クルス、おいら別になにもしていないんだぞ。なんでか知らないけど、ブキがかってに」
「武器が、なんだって?」
「のびたんだ、ドーンッって!」
抱き起したまる助が告げる内容に、ボクは思考へ疑問が浮かぶばかり。
ただほんの少しだけの混乱を経て、先ほど一瞬だけ見えた光景と自身の持つ知識、そしてまる助の言葉がかみ合ったような気がした。
「まる助、攻撃される時に何を考えていた?」
「なにって、"このヤロー"て考えてるぞ。負けたくないからな」
「なるほど……。それじゃあ今から、その時と同じように強く考えてみて」
「よくわからん。どうしてだ?」
「いいから、サクラさんが戦ってくれている今のうちに」
怪訝そうに小首を傾げるまる助へと、ボクは急かすように告げる。
今は傷を負ったサクラさんがなんとか気を引いてくれているけれど、いつこちらに向かってくるかわかったものじゃない。
なので想像が正しいかを証明するべく頼むと、まる助は渋々ながら向き直りそっと目を閉じた。
まる助は素直に思考をそれで一杯にしているのか、徐々に口からは小さな呻り声が聞こえ始める。
それに合わせボクは少しだけ距離を取り、同じく怪訝そうにするリーヴスと共に、無言で様子を窺い続ける。
そしてまる助の呻り声が少しばかり大きくなった時だ、ボクのしていた僅かな期待が、現実となって現れたのは。
「短剣が……、大剣に」
「やっぱり、さっき見たのはこれだったんだ。まる助にもスキルが発現を」
目の前に現れたのは、固定し身に着けていたはずの短剣が、本来の8倍ほどの大きさへと変化した物。
リーヴスなどはそれを見て呆気に取られるのだけれど、ボクは内心で拳を握りしめていた。
勇者たちの中には、稀にスキルと呼ばれる特殊な能力を備わった人が居る。
サクラさんを始め何人かの知り合いが持つそれだけれど、切欠となる最初の発動時は、大抵が無意識であると聞いたことがある。
おそらくまる助のスキルは、身に着けた武器をどういう理屈によってか、変質させるという代物。
攻撃を受ける瞬間、極限状態に高まった感情によって無意識に発動させたに違いない。
「これ、おいらがやってるのか?」
「そう、君の力だ。どうかな、これで戦えそうかい」
「……もちろん!」
突然に現れた巨大な刃に混乱するまる助だけれど、すぐさま落ち着きを取り戻す。
そして子犬にしてはやけに冷静かつ鋭い視線で、サクラさんを狙い動く森の王を見据えるのだった。
自身に明確な武器を得たと認識したまる助は、変質した剣を身に着けた状態で駆ける。
身体の大きさと比較しそれはあまりにも巨大だけれど、重さなどは実のところそこまででもないようで、軽快な動きで迫っていった。
そして森の王へと肉薄するなり、胴体へ刃を奔らせる。
「いけます、いけますよクルス先輩!」
新たにまる助が得た力に興奮し、ボクの身体を揺さぶるリーヴス。
森の王へはまる助の刃が問題なく効いているようで、分厚い皮と毛を越え肉を切り裂いていた。
なのでリーヴスが勝利の気配を感じ、声を上ずらせるのも無理からぬこと。
「いや、まだ足りない……。決定打には」
「で、でもあんなに血を流しているのに」
「ああ見えて魔物ってのは意外と打たれ強いんだ。特に森の王みたいな大型のヤツは、あれくらいじゃ早々怯んではくれない」
そんな興奮に息を荒くするリーヴスへと、ボクは軽く首を振ってまだ安堵には早いと諌める。
現に森の王は傷を負ってはいつつも、動きは体躯に似合わぬ俊敏さを維持しているし、眼光もまだまだ弱まってはいない。
それにまる助の攻撃は手傷こそ負わせているけれど、致命傷とするには1歩2歩足りず、このままではジリ貧になるのが目に見えていた。
サクラさんも痛みを堪えつつ、手にした矢を振るい続けているだけであり、まる助もあの小さな身体ではいつまで持つかもわからないのだから。
「なら僕たちも加勢を!」
「それはダメだ。むしろ邪魔になるだけだよ」
「でもそれだとまる助が……」
ここに至って、ボクら召喚士に出来ることなどたかが知れている。
召喚士の行える補助は主に戦いの前段階。今のボクは矢を振るうサクラさんへと、1本ずつ予備を渡していくくらいしか出来やしない。
リーヴスもまた身に着けたナイフを手に、まる助のもとへ向かおうとするけれども、ボクよりも若干小柄なのに加え、当然のように戦闘の経験などない彼を向かわせられやしない。
なにせ普通の魔物相手でも、この世界の住人は碌に太刀打ちできやしないのだ。
魔物の中でも強力な部類に入る、森の王など戦うと考えることすら馬鹿馬鹿しい。
ではどうするのか。
何か、何かサクラさんたちを助ける手段はないだろうかと、月明かりで照らされた街並みの中へ視線を巡らしていく。
すると視界の中で一点、使えるのではないかと思える物が目に映った。
「ボクらにもまだ、出来ることはありそうだよ」
「へ?」
「サクラさん、あいつを使えませんか!」
ほんの僅かに勝機が見えたように思え、ボクは口元をほんの少しだけ綻ばせ、サクラさんへと大きな声で叫ぶ。
指を遠くへ建つ建造物の屋上へ向けると、彼女はこちらの向けた指の先を見て、迷いを顔へ浮かべつつも頷いた。
「やってみる価値はあるかも。まる助、この場を任せていい!?」
「な、なにするんだ」
「勝つための行動よ。そのためには君に時間を稼いでもらわないといけない、出来る?」
「……わかった。でも早くしてくれよ、おいらもう足がふらふらだ」
サクラさんはまる助へと近づき、簡潔な言葉でソッと告げる。
辛うじて拮抗した戦い。けれどもいつ破られるとも知れぬ状況であり、まる助だけでは持ち堪えるのは辛そうに思えた。
けれどもまる助はギラリと眼光鋭くし、精一杯の気迫を込め了解する。
「流石は男の子ね。任せたわよ!」
そう言って後ろへ駆け出すと、彼女はリーヴスへと一気に近寄り痛む左腕で抱える。
ボクは重量級の弓を何とか抱えると、そのまま強引にサクラさんの背へしがみ付いた。
直後、身体のバネを強力に撓らせ、暗い空へと跳ねる。
一気に人家の屋上へと登り、サクラさんは屋根を伝って幾度かの跳躍を行って、ボクが指さした建物へと向かった。
たったあれだけの言葉で、彼女はこちらの意図をくみ取ってくれた。
それが少しだけ嬉しいと思いつつも、今はそれどころではなく、あっという間に目的地へ辿り着くなり転がされる。
「たぶん強度的には大丈夫だと思うけど……。2人とも、しっかり支えててよ」
「は、はひ!」
サクラさんはそこへ辿り着くなり、放り投げるように転がしたボクらへと指示を飛ばす。
ボクは起き上がるなり弓を抱え、少々情けない返事を返すのだった。
ここは市街の中心部へほど近い商家の屋上。そして屋上へと備えられた、日時計の前。
こいつは太陽の傾きで落とす位置を変えていく影を目安にするという、商家が宣伝も兼ねて置いている代物だった。
少々特異な形状をしているそれは、弓を固定するのに丁度良いのではないか。そう考えたのだけれど、近づいてみるとまさにうってつけ。
早速リーヴスと共に、重い弓を必死に日時計へ引っ掛ける。
そして2人で持ち手の部分へとしがみ付き、日時計と弓が衝撃で外れないよう支えた。
利き手である右の腕が使い物にならなず、強く弓が引けないサクラさんだけれど、これでなんとか左だけを使って攻撃が出来るはずだ。
「準備できました」
「上出来、でも放したら後で揃ってお仕置きだからね!」
準備完了の合図を出すなり、なんとも恐ろしい掛け声と共に矢を番えるサクラさん。
リーヴスと共に支える弓が撓り、固定した日時計の金属と共にボクらの身体すらも軋んでいく。
まさかこんなにも強い力が掛かっていたとは思わず、常人では扱えぬ弓を引くサクラさんが、やはりボクらとは異なる次元の存在なのだと認識せざるを得ない。
必死に食らい付き弓を保持する中、チラリと視線を眼下へ向ける。
そこでは荒い息を上げるまる助が、森の王から必死に逃げ回っている姿が。
巨大化していた短剣は、既に元の大きさへ戻っている。どうやら限界を迎えつつある疲労によって、スキルを保つことも儘ならないらしい。
そんなまる助へ向け、攻撃の準備が整ったサクラさんは、鼓膜が破れんばかりな大声で叫んだ。
「こっちに走りなさい、まる助!」
サクラさんの大きな声が町の中へ響くなり、まる助は迷いなくこちらへ猛然と駆ける。
それは考えてというよりも反射に近く、余裕の無さが如実に表れた行動。
けれどもそれは今の状況にとって限りなく正解で、日時計の建つ商家へ向け走るまる助を追い、森の王もまた地面を蹴っていた。
そして、それは存外大きな隙となっていたようだ。
「今までで一番素敵よ、まる助。あとで特大の骨付き肉を奢ってあげる」
ニヤリと、ここに至ってようやく余裕を見せるサクラさん。
彼女は最大の賛辞をまる助へ送るなり、目一杯左腕で引いていた矢を放った。
屋根の上から、一気に放たれる大振りな矢。
それはまる助の頭上を越え、僅かに森の王よりも上を通過しようとしたところで、軌道を変じ斜め上から頭部を貫く。
ズシリと重い音と衝撃が周囲を襲い、咄嗟に目を閉じてしまう。
ほんの少しして開けた目へ飛び込んできたのは、頭部を地面へ縫い付けられた巨大な魔物の姿。
即死であろうことに疑いのない光景に、ボクは力が抜け日時計からずり落ちる。
「お、終わりました……、よね?」
「……うん。たぶん、そうだと思う」
呆然とするボクとリーヴス。
そんなボクらの肩へと手を置くサクラさんを見上げてみると、彼女もまた安堵の表情を浮かべていた。
けれどもサクラさんの様子にホッとするのもつかの間、ボクの側へ置いた腕から、赤い滴りが伝ってくるのに気付く。
「ちょ、サクラさん傷が開いてる!」
「ああ……、道理で痛いと思ったら」
「止血、止血しないと! リーヴス、その帯貸して!」
森の王を討って息をつくのも束の間、サクラさんの傷口を抑え慌てふためく。
そんなこちらの様子を、まる助はキョトンとした様子で見上げているのであった。