糧 05
サクラさんが"スキル"と呼ばれる力の片鱗を見せて以降、ボクは暇を見てはそれについて手探りながら調べ続けた。
とは言っても、やることはもっぱら騎士団施設内の資料を漁ったり、教官を訪ねて話を聞いたり。
ただそれも徒労とは終わらず、おおよその目算を付けることはできた。
「結論から言えば、サクラさんのスキルは移動する物体にかかる力を修正する能力。性質変化を促すスキルの一種ですね」
「……よくこの短時間で調べたもんね」
「なんだかんだ言って、騎士団は勇者について一番詳しい組織ですから。記録も沢山残っていました」
サクラさんがスキルを持つ可能性が浮上し、数日後の朝食の席。
ボクらは向かい合って座り、調べ上げた内容の報告と確認を行っていた。
彼女の見せた、矢の軌道が変化し魔物の急所へ向かったという現象。
やはりあれは彼女の発現させたスキルの影響であろうと、教官からもお墨付きを頂戴した。
まさか同期の召喚士見習いの中で、最も才能がないなどと言われたボクが召喚したサクラさんが、こんな力を得るなど望外の喜びだ。
調べたところ、これと全く同じスキルを持つ勇者が、20年少々前にも一人存在したらしい。
ただその人はあまり戦いを好まなかったそうで、もっぱら別の方面、干拓事業などへの協力で貢献をしたのだと、兵舎に置かれた資料には記されていた。
その人も今は勇者を引退し、ここよりずっと遠方でノンビリ暮らしているそうだ。
「ですが使用には制約があります。まず対象が、必ず動いている物体であること」
「制止した物には使えないってことね。他には?」
「有効範囲ですが、サクラさんの視界が及ぶ範疇が限界ですね。暗闇などで見えない場合も不可です。おそらくこれはサクラさんのスキルが、手ではなく目に依存しているせいかと」
ボクは軍の施設から借りてきた本を開き、一つ一つ注意事項を口にしていく。
ここまでサクラさんは、自身が放った矢に対し、無意識のうちにそれを行使していた。
だが今後は意図して使えるよう、訓練していく必要がある。
それにしても、以前にサクラさんとまったく同じスキルを持つ人が居て良かった。
これがまったくの手探りであったら、いったいどれだけの時間を要したか知れたものじゃない。
ただ二人三脚で色々模索するというのも、なかなかに悪くはないと思わなくもないけれど。
そうして長々と説明を終えた所で、ボクは分厚い本を閉じ深く息を吐く。
サクラさんにしても少々疲れる話であったのか、椅子へと深くもたれかかり、すっかり冷めた朝食の香茶を啜っていた。
その香茶が入ったカップを置くなり、サクラさんは深刻そうな面持ちで顔を乗り出してくる。
「話が終わったところでクルス君、スキルの件とは別に、私は一つ気付いたことがあるのだけれど」
「言わずとも大丈夫ですよ。ボクも今まさにそこを話そうとしていたところです」
スキルに関しては、互いにある程度情報の共有は成した。
そこはいい。これから先も、少しずつ深めていくのだから。
ただボクらはそれが片付いた事で、朝食の席へ着いて以降、目を背け口にも出そうとしなかった、ある問題へと取り掛かることにした。
ソニア先輩たちとは、過度の干渉を避けようと約束したものの、毎朝の食事くらいは一緒にしている。
ただこの日、先輩たちは珍しく夜明け前に協会を抜け出し、外で食事してくると言って飛び出していった。
だがその理由はおおよそ察しが付く、まさに目の前に広げられた料理の山だ。
「教官から聞いてはいたんですよ、協会の食事はマズいって」
「だったら早く教えておいてよ……。逃げ損なったじゃない」
「すみません、完全に油断していました。初日に出されたウォーラビットが普通に美味しかったので……」
普段の至って普通に美味しい食事とは違い、今テーブルに乗せられているのは、これでもかと言わんばかりに盛りに盛られた料理。
普段食事を作ってくれているのは、いつも居る協会の職員であるおじさんだ。
ただこの日は多忙なおじさんに代わり、近所に住むおばちゃんたちが善意で協力して作ってくれていた。
「これ絶対、5段階くらい材料の質落としてるでしょ」
「質より量を地でいってますね。勇者ならこれくらい食べると思ったんでしょうか」
「というかそもそも味がしないし……。野菜なんてひたすら土臭いし……」
今も満面の笑みで厨房に立つおばちゃんたちは、きっと戦いに赴く勇者を労おうと作ったのだろう。
若いのだからこのくらいは食べられる、ならば味よりも量を優先して出してやらなくては。でも格安の宿代から出せる材料費には限りがある。
その結果が異常に安い食材を使い、塩や香辛料に燃料もケチりまくった、一日の元気を出すことすら叶わぬ食卓という惨状であった。
なるほど、教官の言っていたマズイ食事の正体はこれだったか。
ソニア先輩たちが節約を中断してでも、外で朝食を摂ると言って逃げ出した理由がよくわかる。
おそらくはボクらが来る以前、今と同じ状態だったのだ。
「明日からは外で食べましょうね」
「そうですね……、それがいいと思います」
流石に善意で出された食事、一切手を付けぬという訳にもいかない。
そのためサクラさんはなんとか平静を保ちつつ料理を口に運ぶも、手の動きには若干の躊躇がある。
正直もうさっさと食事を中止し、部屋へ逃げ戻りたいようだ。気持ちは痛い程によくわかる。
ボクもまたサクラさんに倣い、なんとか食べ進めていく。
ただそんなボクらの耳へと、協会のロビー内で響く大きな声が届いてくる。
これがこの日おじさんが料理を作らず、近所のおばちゃんたちに任せた理由。
新しく召喚された男女の勇者とその召喚士たちが、昨日から大勢宿泊しているからだ。
「異世界なんだからさ、普通もっとヤバい感じのチートとかもらえるんじゃねーのかよ」
「いや落ち着けって、普通ならそもそも召喚とかされねーから」
「私どうせなら、貴族のお嬢様に転生とかのがよかったんだけど……」
「修道院往き回避からのザマァ展開ですね、わかります」
「やっぱこういう世界ってあれかな、俺これが終わったらあの娘と結婚するんだ……、とか言ったらフラグっちゃう?」
「おいばかやめろ」
なんだろう、この会話は。まるでタケルさんが量産されたかのようだ。
てっきり彼は、異界の住人たちの中でも特に変わり者だと認識を改めたばかりだってのに、それもまた間違いだったのではと思わされる。
見たところ彼ら彼女らは全員が十代のようで、ボクやタケルと同年代に見えた。
同時期に召喚されてある程度仲良くなったのだろう、男女の勇者たちが一塊になり、延々馬鹿笑いを繰り返している。
逆に言えば彼等だけで固まって、あまり他者と関わろうとはしていないようだった。自身の相棒となる召喚士とさえも。
「俺らって一応勇者なんだろ? だったら魔物とか楽勝なんじゃね」
「なんか召喚士とかいうヤツがさ、訓練しなくても勇者は普通の人間よりかなり強いって言ってた」
「それ俺も聞いたわ。自分らで魔物を倒すのがキツイから、俺らを呼び出したんだろ」
先ほどからずっと、そのような会話が先程から聞こえてくる。
昨日彼らは初めて協会に顔を見せ、そのまま装備の調達に向かったようだ。
そのため今日初めて、実際に魔物を狩りに向かうと見える。
そんな新しい勇者たちがテーブルを囲み談笑する間、彼らの召喚士たちは少し離れたテーブルに集まり、不安そうに頭を抱えていた。
「良くない傾向です。断定はしませんが、魔物を相当に侮っているような雰囲気を感じます」
「緊張感の欠片もないわね。近所の公園にでも遊びに行くみたい」
なんとも危険な臭いがする。
ボクら自身、正直ここまでは大した魔物を相手にしてきてはいない。
でも魔物を相手とおし始め数日の間に、二度ほどは危険を感じた瞬間があった。
いつの間にか背後に忍び寄ったウォーラビットに、危くその歯で抉られかけたのが一度。
地中に潜ったランプサーペントに気付かず、目の前に飛び出したところでなんとか短剣を振り回し難を逃れたのが一度。
それらはなんとか切り抜けたが、もし一瞬の判断を間違えば命を失っていた可能性すらある。
「自分の召喚士と、交流を持とうという気もあまりなさそうですし、あれでやっていけるのか心配にはなります」
「子供が集まるとあんなものでしょ。どうせ注意しても聞きゃしないわよ」
なんとか朝食を食べ終え、水を口に運びながら語るサクラさんの声は平静だ。
今は帰る手段すらわからぬ、遠い故郷の仲間に対する言葉としては、余りにも無関心に聞こえる。
心配にはならないのだろうかと聞いてみると、彼女は軽く苦笑し、
「私は今のところ、自分の事で手一杯だから」
と簡潔な言葉で返してきた。
彼女なりにここまで魔物を狩ってきて、色々と思うところがあるのかもしれない。
こうまで言い切られてしまうと、あの勇者たちにとって完全な赤の他人であるボクが言うのも憚られる。
彼らが身を持って魔物の危険性を認識するか、召喚士たちと上手く疎通を図ってくれるのを期待するしかない。
楽観的でこれから戦いに赴こうなどという気配すら、微塵も感じさせない勇者たち。
そんな彼等を横目に見ていた時、不意に入口のスイングドアが開かれ、協会へと入ってきた人物に気付く。
逆光のためその顔は見えないが、女性の2人組のようだ。
2人の内、前に立つ人物はキョロキョロと中を見回すと、何かに気付いたかのようにこちらへ向かって小走りに近づいてくる。
近くに来てようやく、ボクはそれが誰かに気が付く。ベリンダだ。
「4日ぶりねクルス。元気そうでよかった」
「ベリンダこそ。今日はどうしたの?」
数日ぶりに会うベリンダへ一応問うてはみるが、ここに居る理由なんて判りきっている。ついに彼女の召喚した勇者が決意を固めたのだ。
いまだ入口に立ち顔は判別できないが、共に入ってきた女の子がそうなのだろう。
「わかってる癖に。ちょっと時間はかかったけどね」
そう言って苦笑いしながら自身の後ろ、入口近くに居る自身の勇者を手招きして呼ぶ。
近くに来てようやく顔が見えた彼女は、少し幼い容姿をした同年代の娘だった。
そういえばベリンダも、同い年くらいの子だと言っていたか。
「紹介するね。この子があたしの召喚した勇者ミツキ」
「えと……、大庭美月です。はじめまして……」
名乗った彼女はもじもじとしながら俯く。
ボクはミツキと名乗った勇者に自らも名乗り、握手を求める。
彼女はその手をしばし見つめ、若干躊躇したかのようにおずおずと手を差し出した。
別段緊張させるような態度をしてはいないはずなので、彼女が非常に大人しい性格をしているだけのようだ。
「よろしく。えっと、彼女がボクの召喚した勇者のサクラさん」
次いでボクはサクラさんの紹介を行う。
サクラさんと握手するベリンダの表情が、なぜか僅かながら強張って見えるのだが、彼女も何がしかの理由で緊張しているかもしれない。
続いてサクラさんはミツキさんの前に立つと、握手をするのかと思いきや、穏やかな笑顔を浮かべて喋り始めた。
「どう? 決心はついたかしら」
「は、はい。なんとか」
初対面の相手と交わすにしては、少々おかしな内容。
具体的な意図はよくわからないけれど、事前にお互い多少の面識などがなければ、きっと生じないようなやりとりだ。
となると二人はボクの知らない所で、顔を合わせたことがあるらしい。
「えっと、二人は顔見知りなんですか? あ、もしかしてあちらでの知り合いだったとか」
「違うわよ。彼女とは一度だけ面識があるの、確かあれは練兵場だったっけ?」
まさかサクラさんたちが居た世界での知り合いかと思うも、そうではないという。
練兵場でということは、初めて魔物を狩りに行く前日、弓の練習をするため夜間そこを使った時に会ったようだ。
多少はボクもそれに付き合ったのだけれど、一足先に休んだボクの後、ミツキさんはあの場へ現れたのだろう。
そこで色々と塞ぎ込んでいた彼女を、どうもサクラさんは励ましたらしい。
「その、サクラさんには色々と相談にのってもらって……」
「みたいだね。ゴメンなさいねサクラさん、うちのミツキがお世話になっちゃったそうで」
そう言ってサクラさんに頭を下げるベリンダ。
彼女らが練兵場で会い、同郷同士多少の相談事をしたというのは既に聞いていたようだ。
ただベリンダから漂う空気は、どこか澱んだものがあるように思えてならない。
きっと自身で召喚した勇者を奮起させるのは、己が役目であると考えていたのが、サクラさんによって成されたため納得いかないのかも。
「それでもなかなか覚悟が決まらなくて、昨日になってようやく決心してくれたんだよね。教官たちには無理を言って待ってもらってたけど」
「ご、ゴメンねベリンダ」
「まぁ、別にいいわよ。それに結局は決意してくれたんだから、あたしとしちゃそれで十分」
とはいえこの二人、それなりに気は合っているらし。
申し訳なさそうにするミツキさんへと、ベリンダは軽く頭へ手を置き、穏やかな笑みを浮かべていた。
召喚士見習いとなって以降、ずっと一緒に訓練を受けてきた間柄。
そんなベリンダが、自身で召喚した勇者と上手くいってそうなのは、ボクからしても喜ばしいことであった。
しかしそんな彼女らを眺めていると、またもや唐突に背後から声が響く。
それはつい先ほどまで、たむろし大声で話をしていた勇者らが居る場所から。
「あれー、美月じゃん! どしたの、ついにお部屋から卒業?」
ミツキさんの名を呼ぶ声に振り返ってみれば、そこに居たのは新たに召喚された勇者である、女の子が2人。
ボクとサクラさんは知らないが、ミツキさんの後に召喚された彼女らは、互いに面識があるようだった。
ただ発せられた言葉からは、どこか嘲りのようなものを感じてならない。
それを証明するように、ミツキさんの近くへ来たその2人は、座る彼女を見下ろし愉快そうに笑い言い放つ。
「でもどうせあんたノロそうだし、戦うのとか向いてないって。今からでも兵舎に戻ったら?」
「それがいいって。うちらこの後で魔物を狩りに行くんだけどさ、あんたが居ると魔物がみんなそっち行きそうだよね。弱そうだから」
「言えてる! 私たちの獲物無くなっちゃうじゃん、すっげ迷惑」
「でしょー。だからさ美月、できるだけうちらから離れといてくんない? 友達のお願い聞いてくれるっしょ?」
冗談という範疇にしては、強い嘲笑が言葉からは滲む。
到底友人に対するものではなく、格下と認識した相手を愚弄し、楽しもうといった意志。
そこから先も酷く癪に障る発言を繰り返し、ミツキさんへとお願いを……、いや恫喝をする。
彼女は悔しさからか肩を僅かに震わせながら、小さく「わかった」と答えた。
横に立つベリンダは、これがミツキ自身が乗り越えるものだと考えているのだろうか。
口出そうとはせず、表情の一つも変えない。しかしその手は強く握られ、悔しさや激情といったものを抑え込む様子が見られた。
「てかさ、どうせ戦えないなら貰った金とか要らなくない? うちらが有効活用してあげるからさ、全部よこしなよ」
「で、でもこれは……」
遂にはカツアゲまで始めた。こいつらからは、ミツキさんに対する同郷同士の仲間意識などといったものが、微塵も感じられない。
弱い相手にはどこまでも強気になり、無体を働くのを善しとする輩は多々居るものだが、それは異世界であっても変わらないのか。
ボク自身もまた酷く苛立ちを覚え、いい加減どうにかしようと考えた矢先、ボクよりも早く動く姿が視界に映った。
「アンタどうせすぐ死ぬんだし、うちらの役に立てるんだから本望じゃん? さっさとよこし……、って何よあんた」
ボクやベリンダよりも先に堪忍袋の緒が切れ、一足先に我慢を放棄したのはサクラさんだったようだ。
彼女はゆっくり椅子から立ち上がると、喧しく捲し立てる2人の前へと出る。
そして極力穏やかな表情を作り、その高い身長を使って見下ろし静かな調子で口を開く。
「お嬢ちゃんたち、私たちは今彼女と大切なお話をしてるの。その残念な"おつむ"でちょっとでも理解できるなら、黙って大人しく席へ戻りなさい」
「な……、なによ。アンタには関係ないじゃん!」
「うっさいなオバサン、ミツキなんかとつるんでるんだから、どうせアンタも弱――」
そこまで言いかけたところで、サクラさんはそれまでの作られた柔らかい表情を消す。
まるで相手を人と認識していないとばかり、虫けら以下の存在でも観察するような、底冷えする冷たい視線で見下ろす。
サクラさんはなまじ美人であるだけに、そういった表情には強烈な迫力がある。
当の女の子2人組は、その強い圧に小さく悲鳴をあげて委縮し、言葉もなく退散していった。
ああいった行為をする人間の例に漏れず、彼女たちも案外小心であるのかもしれない。
正直はたから見てるボクでさえ怖い。
お願いですからボクにはそれを向けないで下さい。あんまり機嫌を損ねるような真似はしませんから。
「うん、ようやく静かになったわね」
そう言ってサクラさんは椅子に座り直し、ニッコリと晴れやかな笑顔を作った。
だがボクの方はと言えば、今の肌を切り裂かんばかりな空気に飲まれ、肩を狭めて硬直するばかり。
拝啓お師匠様、この日のボクは、綺麗な女性ほど怒った時に恐ろしいのだと知りました。