四つ足の矜持 02
協会職員のおじさんに連れられ降りてきたのは、一見して至って普通の少年だった。
現在14のボクより2つくらい年下だろうか。おずおずとした気弱そうな素振りで、ボクらの前へ来るなり深く頭を下げる。
最初に会った時のボクのようだと告げるサクラさんは、どこか懐かし気だ。
本当にこんな感じだったのだろうかと訝しむも、すぐさま彼女の告げた言葉より、別の点が気になり始める。
というのも彼は、室内だというのに何故か鞄を襷に掛けており、さらに口の開いたそれが妙に身体の大きさと合っていないように思えたから。
「それで、例の変わり者だっていう勇者は?」
リーヴスと名乗る少年召喚士と挨拶をするなり、サクラさんは問い掛けながら小さく周囲を見回す。
話を聞く相手は彼かもしれないけど、悩みの種は召喚された勇者。直接見た方が話しは早いと考えたからに違いない。
けれどもリーヴスはグッと言葉を詰まらせ、どうしたものかと視線を泳がせる。
彼の反応が妙に感じられ、いったい何が問題となっているのだろうと思っていると、直後サクラさんの言葉へ返すように声が聞こえてきた。
「変わり者とはシンガイだな。これでもおいら、立派な"ケットウ"を持つユイショ正しい生まれなのだぞ」
突如として響いた声に、ボクらは揃って周囲を見回す。
けれども声の主は見当たらず、方向的にこちらかというところへ視線を向けるも、そこに居るのは困った様子のリーヴスのみ。
まさか彼が変な声を出して喋ったのかとも思うけど、おじさんを見てみると彼は首を横へ振っていた。
いったい誰がと思い訝しんでいると、またもや同じ声が響いてくる。
「どこを見ているのだ、ジョーシキに囚われしニンゲンども。こっちだこっち」
なにやら偉そうな声を耳にし、今度こそはと視線を向ける。
ただ向けた視線の先へ居た"そいつ"を目にするなり、ボクは自身でも可笑しくなるくらいに硬直するのであった。
「……サクラさん」
「なにかしら、一応聞いてあげるわよ」
「きっとボクはまだ、乗合馬車の中で居眠りしてると思うんですよ。なのでちょっと馬車に戻りますから、良いところで起こしてもらえませんか」
「気持ちは理解できるけど落ち着きなさい。もしこれが夢だとしたら、きっと私が見てる夢だから」
「困りましたね……。人の夢の中に入った経験がないのでどうしたらいいのか」
きっとボクだけでなく、サクラさんもまた混乱の最中に在るらしい。
目にしたそいつの姿に揃って動揺し、まずあり得ないであろう可能性を模索してしまうほどに。
ただもし仮に他の人であっても、同じ反応をするのではと思う。
なにせ目の前に、視線の先にあるリーヴスの鞄の中から顔を出すそいつは、普通であれば喋る事などないのだから。
ただボクら大人組が愕然とする中、この場で最も幼い彼女には混乱などないようだ。
好奇心を満面に浮かべ、甲高く上げた声と共に抱き着きに行くのだった。
「わんちゃんだ!」
アルマが叫び声と共に抱き着いた先へ居たのは、鞄の中から顔を出した相手。
黒と薄い灰色で地味に彩られた顔に、赤い舌先がハッハッハと覗くそいつは、かなり変わってはいるけれど確かに犬だ。
その犬は抱き着くアルマの行動に喜んでいるのか、さらに吐く息を荒くし、不敵さを含めた声を発する。
「なんともだいたんな娘だ。男に対してフヨーイに抱き着くなど、やけどをしても知らぬぞ」
「わんちゃんしゃべってる!」
「ふふふ、おいらが喋る姿が珍しいか。子供のよろこぶ顔が見られるなど、男みょーりに尽きるというものよ」
なんだかおかしな喋りをする点も気にはかかるけど、これは確かに犬だ。
身体の大きさや毛色こそ異なるけれど、垂れた耳などはアルマとそっくり。
ただ鼻がやけに低いのに加え、鞄から覗く尻尾はグッと丸められ、言葉使いに反し勢いよく振られている。
尾が振られている点もアルマと同じだけれど。
「犬……、ですよね」
「見紛うことなき犬ね。しかもパグ」
自分自身へと確認するように呟くと、サクラさんもまたそれを肯定。
たぶん彼女の言ったパグというのは犬の種類なのだろうけど、随分と特徴的な外見なのですぐに出てきたようだ。
「にしても何で犬が人の言葉を話せるのよ……」
至極ご尤もなサクラさんの疑問。
ボクはそれに対する答えなど持ち合わせないのだけれど、代わりに答えたのは当の本人。……いや犬だ。
「うむ、じじょーを話せば長くなる。ショーカンとやらをされたらなぜか話せるようになっていた」
「全然長くない! ……ねぇクルス君、そういう事ってこれまでもあったの?」
「ぼ、ボクは知らないです。というか他国ではどうかわかりませんけど、少なくともこの国では初めてじゃないですかね……」
まったく説明になっていない気もするけれど、たぶん当人……、いや当犬もよくわかっていないのだと思う。
ただ考えてもみれば、今もなお召喚という行為には、色々と不思議な点が多々あるのは否定できない。
古い文献を元に再現された手段をなぞっているだけで、どういう仕組みかもわかっていないし、実を言えば召喚に使う魔力云々という話も、推論や概念上の話でしかないのだ。
現にその魔力という存在、召喚以外に使い道が存在しない。
そしてあちらの世界で普通の人であった勇者が、この世界では強力な力を持つに至る理由も不明なまま。
おそらく勇者たちが強力な能力を得るのと同じで、この犬は言語を介する能力を得たのだと思う。
「い、今はとりあえず何で喋れるかを置いておくとして。君はいったいどこの誰なのかしら?」
「うむ、それを説明するには、おいらの生い立ちについて話さねばならぬな」
咳払いし気を取り直すサクラさん。
彼女が犬の素性を知ろうと問うと、アルマに抱き着かれたままなその犬は、一転して神妙な声となる。
「おいらは普通の家庭で生まれた。たんせいなヨーシで数々の"こんてすと"を総なめにした母に、可愛い声でご近所のマダムをほれぼれさせた父。そしてそんなりょうしんの間に生まれた、おいらを含む6匹の兄弟たち。だがある時、白い箱にのせられりょうしんと引き離されたのだ」
「はぁ……」
「その後おいらたち兄弟は囚われの身となり、ニンゲンたちの目にさらされ続けたが、リョシューの身となっても兄妹たちと共に耐え続けていた。だがその兄弟たちも次々とどこかへ連れさられ、おいらのみがそのカンゴクに残され、この身はいったいどうなるのかと案じたやさきだ、真っ白な光に包まれたのは」
妙に力の入った、迫真の説明。
ただ想像の中へ犬がする説明を構築していくけれど、いまいちハッキリと形になってくれない。
一方のサクラさんは犬の話になにやら納得がいったようで、小さく頷くと噛み砕いて内容を口にする。
「ようするにブリーダーのところからペットショップに連れて行かれたけど、兄弟の中で自分だけ売れ残っていたところで、偶然に召喚されたってことね」
「……そ、そうとも言うかもしれん」
彼女の言う言葉はよくわからないけど、犬の反応を見る限りそれは正解であるらしい。
アルマに抱き着かれたままな犬は、若干の動揺を感じる声となっていた。
そんな様子を誤魔化すためにか、器用に咳払いをする犬は自身の紹介をする。
「今のところおいらの呼び方は犬である。名前はまだない」
「……猫じゃなくて」
「ニンゲンの女め、どこに目を付けている。どこからどう見ても犬だろう?」
頭を抱えるサクラさんに、何を言うとばかりに怪訝そうな犬。
まだ名前はないとするその犬だけれど、ともあれこの件は完全に理解した。
これは確かに困るというのも頷ける、なにせこんなことは前代未聞、相談相手を求めるのも当然だった。
おじさんはボクが状況に納得したと見るや、サクラさんと犬を余所に小さく告げる。
「こういうこった。過去に例がないせいで、騎士団の連中も匙を投げちまってな。それで方々を移動するお前さんたちに相談したんだが」
「ボクらも初めてですよ、こんなこと。これは王都の騎士団本部に連れて行った方が……」
現実としてボクらでは対処法を提示などできず、ひとまず無難と思われる行動を提示してみる。
騎士団本部であれば、過去に例のない事態であっても、色々と情報を集めやすいだろうから。
でもそれを口にするボクへ待ったをかけたのは、犬の入れられた鞄を下げる召喚士のリーヴスだ。
「だ、ダメです! 騎士団の本部へ連れて行って、もし変な扱いでもされたら……」
大きな声で叫ぶリーヴス。急にどうしたのかと思うも、ボクには彼が言わんとしていることがなんとなく理解できた。
たぶん彼はこう思っているのだ。犬であったとしても、自身が召喚した勇者であるのに違いはない。そんな勇者がもし研究対象にでもされたら堪ったものではないと。
気持ちとしては理解できる。同じ召喚士、逆の立場であれば同じことを考えるはずだ。
そんな幼くまだ成人も迎えていないであろう少年に、ボクは密かに共感を覚える。
ならば彼に協力してあげるのもやぶさかではないと、近寄って鞄の中に居る小さな四本足な勇者の頭を、ボクは柔らかく撫でるのであった。