鉄の咆哮 06
王城へ入り、サクラさんが貴族家のお嬢様という役割を演じるようになって約3週間。
その間に色々とあったけれど、オルニアス殿下が狙われ、その後賊と警備の騎士が殺害された時を除けば、王城内は表向き平穏なままだった。
けれど決して、心底穏やかであるとは言えそうもない。
ギスギスとした緊張感はどことなく漂っているし、賊や騎士を殺したのが勇者であろうという噂は広がり、疑いを向けられた元勇者たちが心労を色濃くしている。
ボクらに出来ることと言えば、一刻も早く勇者でもあるという賊を見つけること。
つまりそいつを拘束、あるいは"倒す"ということであり、そのための探りは常に行っていた。
そして成果の一つとして、ボクはこの日密かにゲンゾーさんから呼び出されたのだ。
「なんつーかよ、お嬢ちゃんの洞察力には恐れ入る」
「ではサクラさんの予想は正しかったということですか?」
「ワシは長年ここでやってきて、"ヤツ"とは幾度か顔も合わせてきたが、まったく気づきやせんかったぞ。本格的に、寄る年波には勝てんということだな……」
なにやら意気消沈気味なゲンゾーさんに、どう返したものかと困り果てる。
ただ彼もそうしてばかりはいられないと考えたか、気を取り直して机の中から数枚の紙を取り出し、ボクの前へバサリと置いた。
目配せで読むよう促すゲンゾーさんに従い、手に取って文字へ視線を這わせていく。
ボクはそれを読み進めるにつれ、次第に自身の表情が強張っていくのが手に取るようにわかった。
「騎士団の諜報要員を何人も投入したが、気取られぬよう調べるのに随分と苦労したそうだぞ。なにせ相手は勇者だ、ちょっとした不注意が命取りになりかねん」
「前から思ってたんですけど、騎士団内に居るっていうその諜報員て、もしかして元勇者なんですか?」
「そりゃそうだろう。場合によっちゃ危険な任務だってある、こちらの人間には務まらない内容もな」
視線は渡された書類から外さず、ほんの少しだけ気になっていたことを問うてみると、思いのほかアッサリとそれは肯定された。
なるほど勇者という常人を遥かに超える能力を持つ人たちであれば、多少危険な情報収集手段も行えるということか。
だとすればこの書類に記された内容も、より信憑性を感じられる。
「賊の娘が酒場の外で会っていた男。そいつとあのゾルアネトとかいう執事が同一人物なのは間違いない」
「王弟殿下との関わりは……」
「そもそもあいつは殿下が城外から連れてきた人間だ。素性やらも城にある書類に色々と書いちゃいるが、まず出鱈目だろうよ」
まったく同じ書類を2部用意していたのか、手にした紙を読み上げていくゲンゾーさん。
彼が発した言葉を聞き、手元の字を読んでいくことで、納得し無意識に頷く。
ユウリさんと執事ゾルアネトが口論をする現場に出くわした後、サクラさんはゲンゾーさんに対してこうお願いをしたのだ。「あの執事の素性を探ってもらいたい」と。
そしてゲンゾーさんが持つ権限を利用し、件の騎士団内の人間を使って調べさせた結果がこれだった。
なので結局ボクが感じていた、執事をどこかで見たような気がするという感覚は、間違いではなかったらしい。
賊と接触していた男が執事と同一人物で、なおかつその執事は表向き接触の無いデイルカート殿下が迎え入れた人間。
となればオルニアス殿下暗殺の首謀者が、王弟デイルカートであると考えるのは自然な流れだった。
「だがよ、サクラの嬢ちゃんもよくあの執事が怪しいだなんて気付いたもんだ」
「最初は髪色が気になったそうですよ。確かに色味が不自然でしたし、染めた物だと考えれば」
「そういや嬢ちゃんも貴族の屋敷へ潜入する時、同じようなことをしたんだっけか」
「よくよく見ればほんの少しですが、黒髪も混じっていますしね。それにユウリさんと話していた時の様子、到底堅気には思えませんでした」
サクラさんは外見を、そして執事にしてはガラの悪い言動などが気になった結果調べたのだけれど、結局出てきたのはもっと大きな成果。
直感というのもあながち馬鹿にしたものではないと、妙な感心をしてしまう。
「だがそうなると、やっぱりあいつは元勇者ってことで間違いないだろうよ」
「そういう人って、それなりに居るものなんですか?」
「お前さんらが想像するよりはずっとな。召喚後に勇者となるも、馴染めず転落していくやつは案外多い。なまじ実力があるだけに、裏社会へ誘われる輩もそれなりには」
「ではあの執事も、そういった中のひとりということですか……」
もし素性を隠す必要が無い人間であれば、そもそも城にある書類に不備などないはず。
けれど実際には執事に関しては多くが擬装されており、それが素性を隠さねばならぬという証拠となっていた。
ひたすら面倒臭いことこの上ないけれど、虱潰しに調べていけば色々と見えてくる。
「ともあれわかったのは今のところこれだけだ。重々警戒するよう伝えといてくれ、こっちも極力警備を増やす」
バサリと机の上へ書類を放り出すゲンゾーさんは、立ち上がり真っ直ぐにボクを見据える。
彼曰く、「向こうがこちらの調査に勘付いていない保証はない」とのことで、もし気取られていれば行動を早める恐れもあると。
ボクはその言葉に息を呑みつつ、ゲンゾーさんの執務室から出て行こうとする。
ただすぐ背中へと声が掛けられ振り返ると、彼は思い出したように口を開く。
「そういや当人から直接話を聞いたが、悠莉の嬢ちゃんは薄々気づいていたらしいぞ」
「ゾルアネトのことをですか?」
「これまた直感らしいがな。その悠莉の嬢ちゃんに関しては、どちらとも言えんというのが正直なところだ。確かに受け持ちから考えると、殿下との接触は過剰と言える程に多いが」
不審さは残るけれど、とりあえずこちらについては判断を保留することにしたらしい。
ゲンゾーさんの執務室を出て、王城奥にあるサクラさんの居室へと向かう。
手にした情報を大事に胸元へ仕舞い込み、一刻も早く伝えようと足を速めるのだけれど、進んでいくにつれ徐々に騒々しい気配が漂うのに気付く。
いったいどうしたのかと思いつつ、サクラさんの居る部屋へ行こうとするも、彼女は廊下で数名の騎士たち相手にやり取りをしていた。
「サクラさん、この騒ぎはどうしたんですか?」
「……また賊が現れた。今度は小さい殿下たちが狙われたのよ」
そんな彼女へと駆け寄って、騒々しい状況の説明を求める。
するとサクラさんは険しい表情を浮かべ、またもや賊が襲撃を行ったと告げた。
この日もサクラさんは、貴族のお嬢様という立場から王族の子供たちと接しつつ、警護を行っていた。
そんな中で現れたのは、全身を暗い色の装束で覆った賊。
手に大きな短刀を握ったそいつは中庭へ舞い降りると、真っ直ぐ幼い殿下たちへと突っ込んできたらしい。
ただスカートの下へそれなりに武器を隠し持っていたサクラさんは、すぐさま賊を迎え撃つ。
一度二度と刃を合わせると、サクラさんを難敵と考えた賊は踵を返し撤退したのだと。
「……かなり腕が立つヤツだった。やっぱり間違いなく勇者、この世界へ来た日本の人間ね」
賊の追跡に向かうべく騎士たちが居なくなったところで、サクラさんは小さく告げる。
その様子は真剣そのもので、魔物との戦いへ向かう時に見てきた以上に、強い緊張感が滲み出ていた。
でもそれは当然かもしれない。なにせ相手はこの世界で生まれ育った人間ではなく、同等の力を持つかもしれない勇者。
それも殿下たちを殺害せんと襲い掛かってくるのだから、こっちだって相応の覚悟で臨まなくてはいけない。
つまりサクラさんに、同郷の人間と命のやり取りを強いられてしまう。
「と、ともかくボクらも追いかけないと!」
苦悩しているようにも見えるサクラさん。
彼女の気持ちもわからなくはない。けれども今は、賊をなんとかするのが先決。
サクラさんにはまだ伝えられていないけれど、それがゾルアネト執事である可能性は高そうで、普通には追及出来ない以上はこの場で抑える必要があった。
なので追跡をするべく踵を返そうとするのだけれど、身体の動きは阻害される。
見ればサクラさんがボクの腕を掴んでいて、彼女は真剣に何かを考えているようだった。
「えっと、どうしたんですか?」
「……クルス君、そっちじゃない。私たちが行くべきはたぶんあっち」
ほんの少し逡巡するサクラさんは、なにか納得したように頷く。
そして指を立ててとある方向を指し示すのだけれど、彼女が示したのは賊が逃げたとされる方角ではなく、王城の中心。
意図するところを察しかねるのだけれど、直後にサクラさんは補足するように言葉を次ぐ。
「子供たちに護衛が付いてるなんてわかりきってる。でもあいつは単騎で、それも堂々と見えるように突っ込んできた」
「……まさか囮ですか」
「殿下への襲撃すら囮にするとすれば、狙う相手は決まりきってるでしょ」
ボクの手を引き、王城の中心へと急ぐ。
向かう先にあるのはここ王城における最も重要な個所の一つ、陛下が使う謁見室や執務室が在る区画。
なのでサクラさんはこう言いたいのだと思う。次に狙われるのは陛下であると。
「急ぐわよ。今はまだ賊を迎え撃つ体勢が整っていないはず」
「でもユウリさんや他の近衛も居るのでは……」
「賊が勇者だってのはとっくに知れ渡ってる、確保に向かうのは元勇者とかの実力者ばかりのはず。悠莉だって役割からして王妃の方へ行ってるはずよ」
騒動によって陛下の側も警戒が強まるだろうけれど、一時的には混乱が生じるはず。
状態を立て直し警護の騎士が戻ってくるより前に、ゾルアネトは襲撃をしかけるに違いない。
「でもそう言うってことは、悠莉に関しては大丈夫ってことなのよね?」
「ゲンゾーさんはお墨付きをしてくれました」
「なら今はそれを信じるとしましょ」
ちょっとだけ、サクラさんにとって気になる点を口にする。
そこが表面的にとは言え解決されたことで、彼女は僅かに表情を緩めた。
ただそれによってかボクは小脇に抱えられ、猛烈な勢いで王城の中心へ向け運ばれていくハメになったのだ。