鉄の咆哮 04
夜間に冷やされた空気が漂う、真っ暗な空間。
カツリ、カツリと歩く音が響くそこを、ボクとサクラさんは小さな蝋燭一つを持ち進んでいた。
ここは王城の最下層、地下部分に存在する牢などが置かれた区画。
城内で騒動を起こした輩などを捕らえるために使われるこの場所は、普段滅多に人が来ぬところでもあった。
「ここですね、騎士たちが倒れていたってのは」
「うわ、血の跡がまだ残ってるじゃない。掃除くらいしなさいよ」
「……残ってる方がいいのでは? 証拠を探しに来たんですから」
件の賊が放り込まれ、口封じをされたという牢の前。
そこで足元を見てみれば、小さな蝋燭の明りに照らされた石の床は、黒々とした血の痕跡を露わとしていた。
サクラさんなどはゲンナリとした様子を見せているけど、まあ確かに見ていて気分の良いものではない。
「足音、かなり響くわね」
「余程上手く消さないと、気取られずに接近するのは難しいと思います。となれば一気に接近して、騎士たちを斬ったということですか」
「賊の方は静かにしていたかもね。案外助けに来たとでも思ったかも」
牢の中などへ視線を這わせ、ボクらは感想を口にしていく。
ゲンゾーさんから大よその状況は聞いていたけれど、確かにこの場所であれば、普通は襲撃が容易ではない。
軽く声を上げれば響き、中に居る人間は間違いなく気付くからだ。
それでも警備に立つ腕利きの騎士に気取られぬよう、武器すら抜かせぬ間に斬り伏せてしまうなんて、勇者くらいにしか不可能な芸当に思えた。
「それで、手掛かりは見つかりましたか?」
「さっぱりね。そもそも私は専門家じゃないんだし、あったとしても気付かないかも」
「……では無駄足ですか」
意気揚々来た割には、結局なにもわからないと言い放つ。
でも元々そうなる気はしていたし、実のところサクラさんも半ば面白半分で牢を見に来ていたはずで、期待という意味では別に裏切られてはいなかった。
なので上に戻って朝食でもと言いかけるのだけれど、サクラさんは小さくボクを制止する。
「来たのはあながち無駄でもなかったかもよ」
「え?」
サクラさんはボクの口元へ指を押し当て、静かにと呟く。
いったい何がと思いつつも、とりあえず口を閉じていると、遠くから小さく足音らしきものが聞こえてくるのに気付いた。
彼女はボクよりもずっと早く、これに気付いていたようだ。
しばし緊張に息を呑み、音が近づいてくるのを待つ。
ただ蝋燭の小さな明りが届く範囲へ足を踏み入れてきたのは、ボクらの知る顔であった。
「お二方、どうしてこのような場所へ?」
「そっちこそ。こんな早朝からなんで牢なんかへ来てるのかしら」
地下牢へ姿を現したのは、王国の近衛隊に属する元勇者のユウリさんだった。
彼女はいつも纏っている軽装の鎧を脱ぎ、私服の上に厚手の上着を羽織っただけという格好で、明りすら持ってはいない。
いったいどうしてここへと思いきや、地下牢への入り口となる扉が開いていたため、気になって様子だけ窺うため降りてきたのだと告げた。
「私たちは見ての通りよ、いったい誰がやったのか、それを突き止めるための手掛かり探し」
「警察の真似事は感心しません。出来れば護衛に専念して頂きたいのですが」
「と言われてもね。もうわかってると思うけど、私たちも依頼を受けて動いてるわけだしさ」
なにやら少しだけ妙な気配が。
変わらず無表情が張りついたユウリさんであるが、蝋燭の明りで照らされる彼女の目元は、ほんの僅かに強張っているようにも思える。
「この件は近衛隊に一任されております。源三様のご意向とはいえ、横入りをなさるのは……」
「私は今まで知らなかったんだけど、あの人ってこの国じゃ相当に偉いそうね。権限は近衛隊以上、陛下も無下には出来ないって。流石は国内最強の一翼とまで言われるだけあるわ」
張り詰めた空気が、ジワリと地下牢を支配していく。
彼女らはこれまで特別多くの接点があったとまでは言えないけれど、見たところ表面上上手くやっているように思えた。
特にサクラさんなどは、ユウリさんのことを妙に気に入っているようで、親し気に話しかけることも多かった。
しかしこの空気はどういうことだろう。冬の寒さに冷え切った地下牢であるというのに、肌が焼きつくような緊張感がこの場を支配している。
「で、貴女はどう思う? ここでの惨状について」
「……勇者がやったのに間違いはないかと。騎士団や近衛の中には幾人か、勇者であった者も居ます。勿論自分も含めてですが」
「仲間を庇うつもりはないのね」
「もし庇ったところで、信用されるとは思えませんので。逆の立場なら自分もそう考えます。ですが少々言い返させてもらえば、現在城に留まる客人の中にも該当する人間が居るのではと」
「そこを突かれるとなかなかに痛いわね。精々お互いに疑われないよう行動するとしましょ」
ある種の牽制し合いのような、ギスギスとした言葉。
彼女らの会話はそこでプツリと途切れ、地下牢は再び静まり返る。
口を開かぬまま静かな時間がしばし流れ、ユウリさんは用が済んだとばかりに会釈をすると、小さな足音を残し去っていった。
彼女が去り足音が聞こえなくなったところで、ようやくボクは自身が呼吸すら不自由していたことに気付く。
肺の澱んだ空気を吐きだし、冷え切った新しい空気を取り込んでようやく気を落ち着けた。
脱力しながらサクラさんを横目で見ると、彼女はまだユウリさんが去った方向を見つめており、ソッと独り言のような小声で問いかける。
「悠莉の居室って、確か城の上層に在ったはずよね」
「え、ええ。近衛隊ですし、王族の女性たちを警護する隊の隊長でもありますから、王族の居室近くに与えられたそうです。サクラさんの部屋とも近いはず」
「なのになんでこんな場所へ来たのかしら。朝食を摂るのだって、近衛や高位の家臣たちが使う食堂があるでしょうに」
さきほどから可能性を匂わせる発言をしてはいたけれど、サクラさんのした言動に一瞬身体が震える。
言われてもみれば、いくら地下牢への入り口が開いていたからといって、ユウリさんが入ってくるものだろうか。
他の見回りをしている騎士であればともかく、彼女の部屋はここよりずっと上階にあるのだから。
「そんなまさか……」
「残念だけど疑っておく方が賢明よ。向こうの世界もこっちと同じ、良い人間も悪い人間も居る。召喚する対象は人格で識別してるって訳じゃないんでしょ?」
「それは……、そうですが」
「召喚された中に悪人が混じっていてもおかしくはない。彼女がそうであるという証拠はないけどさ」
ボクの目には、決してそのようなことをする人には見えなかった。
けれどもそうではないと断言するには確証が持てず、サクラさんの言うように、多少の疑いを持っておくのが無難なのかもしれない。
それに考えてもみれば、ユウリさんが受け持ちが大きく違うはずの王弟デイルカートの指示を受け、伝言を持って来たりという光景を目にしているのだから。
もしそうだとすれば辛いのもだと考えつつ、ボクらは揃って地下牢から出る。
凍えるような地下から、暖房の熱が微かに漂う地上階の廊下へ。温度差に自然と身体を震わせ、濁りつつあった思考を振り払うべく頬を叩く。
するとそんなボクらの姿を丁度見かけたであろう、ひとりの執事が近寄ってくるのが見えた。
「おはようございます。バランディン子爵家のご令嬢」
「あら、おはよう。……えっと、申し訳ないけれどどなただったかしら?」
近寄るなり一礼し、少しばかり色味が強い茶の髪を揺らす執事。
サクラさんは挨拶を返しつつも、怪訝さを表に出し彼へと問うた。
一見して特徴らしい特徴の無い、中肉中背なこの執事。ただボクはこの人に見覚えがある。
確か王城内の一角へ居を構える騎士たちの、世話役をしている人物のはずだ。
けれどもそれとは別にこの執事、ボクは他にどこかで見たような気がしてならなかった。
もっとも王城へ滞在してからそれなりの日数が経つ、何度となくすれ違っている内に、変な記憶違いを起しているのかもしれない。
「これは失礼を。わたくし王城の騎士団区画で、執事を務めさせていただいております、ゾルアネトと申す者。お姿を見かけましたもので、少々ご挨拶をと」
「そうでしたの。ごめんなさいね、あまりそちらへ足を運ぶ機会が少ないもので」
「お気になさらず。……ところでこのような早朝に、地下牢などへ何用で?」
軽いやり取りをしていき、執事はチラリと地下牢への入口の方へ視線をやると、そこから出てきたボクらへ怪訝そうに問うた。
なにやらその目は疑わしさを湛えているようであり、それほど寒くはない廊下にあっても、背へ風の通るような心地にさせられる。
しかしサクラさんはそんな視線を適当に受け流す。
「少々地下牢の様子を見ておこうかと。ご存知だと思いますけれど、私は貴族位を頂戴致しましたが、現役の勇者でもありますので」
「お噂はかねがね。しかしだからといってそのような調査、ご自身がされずとも」
「先ほど近衛の悠莉にも同じことを言われましたわ。ほどほどにしておいた方が、自身のためにも良いのかもしれませんわね」
ちょっとだけ貴族のお嬢様らしい、余所行きの言葉使いで返すサクラさん。
すると執事の男は眉をピクリと動かし、なにやら考え込む様子を見せると僅かに上擦った声で呟く。
「悠莉……、あの者が地下牢に」
「どうかされました?」
「いえ、お気になさらず。突然に知った名を耳にしたもので」
一転してニコリと笑む執事は、なんでもないと告げ再び頭を下げた。
そして「失礼いたします」と言うなり、硬い足音を響かせ去っていくのであった。
隅の方へ極僅かに黒の混じった珍しい髪を撫でつけ、整えながら行ってしまう姿を眺め、ボクは小首をかしげる。
「何の用で話しかけて来たんだか」
「ただ単に朝の挨拶をするため、ではないんですか?」
「それなら別にいいんだけど、なんだか変な雰囲気だったのよね……」
他に何か用でもあったのかと思ったのだけれど、ただ地下牢から上がってきたことを不審に思っただけなのかもしれない。
けれどもサクラさんは、あの執事がそれとは別に目的があったのではと思っているようで、去っていく背を眺めながら、不審さを口から漏らしているのだった。