鉄の咆哮 03
王弟デイルカート。城内におけるこの嫌われ者は、元々非常に将来を嘱望されていたらしい。
現王である兄と比較し剣術や学問に秀で、端正な容姿もあって兄を差し置いて次期国王になるのではと噂されるほどに。
このあたりはオルニアス殿下と似たようなもので、案外この王家の血とも言える傾向なのではと邪推してしまう。
しかしここから先はオルニアス殿下の場合と少々異なり、兄である現王は継承権を放棄することなく王位へ就いた。
別に継承権の順位を盾にした訳ではない。むしろ前王を始めとした王族や国の主だった貴族たち、それに大多数の家臣たちによる後押しを受けた結果だ。
ではどうしてずっと優秀な弟が王位に推されなかったのか。
その理由を問われれば、きっと当時を知る多くの人間はこう答える。「デイルカート殿下はあまりにも人を蔑にし過ぎる」と。
「私はほとんど部屋に篭ってたから、臣下の人たちと話をする機会って多くなかったんだけど、それとなく聞いてみたら散々な言われようね」
「一応ボクは評判くらい耳にしていたので、覚悟だけはしていました。でも想像以上です」
王城の奥、上の階へ在るサクラさんへと与えられた私室の中。
その日一日の役割を全て終え、食事を済ませたボクは彼女が居るこの部屋へとやって来た。
楽な格好へ着替えノンビリとするサクラさんの前へ座り、話をしたところ早速話題に上ったのは、王弟デイルカートについて。
「予想以上の性悪だわ。人を見る度にまず舌打ち、指示を出し終えたらまた舌打ち。その後で必ず嫌味を言い追い払って、戻って来たところでまた嫌味。それが家臣全員に対してだってさ」
「家臣どころか他の貴族に対してもそうらしいですよ。なんというか、王位に推されないのも納得です」
「人心掌握なんてあったもんじゃないわね。……でも能力だけは高いってのが厄介なところか」
実のところデイルカート殿下は、王族内でも相当なはみ出し者であるらしい。
そんな状態であれば厄介払いされそうなものだけれど、今も王城へ居続けているのは、ひとえに執務を行う能力が異様に高いが故。
一部には居なければ何も回らないと言われる程で、人格面さえ真面ならと陛下を悩ませていると聞く。
ただ悪評は噂に乗り他国にまで届いているそうで、国内の貴族はおろか他国からも嫁入りの話は一切ないそうだ。
「……でも別に人間性を根拠にしてるって訳じゃないとは思うけどね、あの殿下が首謀者であるって予想は」
「ゲンゾーさんはそういった理由で疑う人ではありませんしね。きっとある程度の証拠を掴んでいるはずです」
「ならそこを信用して、殿下の方は任せるとしましょ。私たちがやらなきゃいけないのは……」
突然に首謀者の名として挙げたゲンゾーさんだけれど、たぶん以前から疑いの目は向けていたのだと思う。
今回は少々抜けた面を晒してしまった彼だけれど、普段表に出ている性格に反し、基本的には慎重で思慮深い一面を持つ。
そんな人が密かにとはいえ明言したのだ、最低限の確証を持っているはず。
であればこちらはゲンゾーさんに任せるしかない。
その一方でボクとサクラさんがすべきことは、また別に存在した。
「賊の口封じをした人間への対処ですね」
「いくら王弟に剣の腕があると言っても、腕利きの騎士数人を斬るほどじゃない。間違いなく犯人が勇者である以上、勇者が対応しなきゃ」
「ゲンゾーさんは自分が対峙すると言いましたけど、実際には手一杯。となればサクラさんが頼りですか」
「任せて頂戴。……とは言え、正直自信はないんだけどさ」
自身の薄い胸をドンと叩くサクラさんだけれど、直後苦笑し小さく首を振った。
なにせこれまで彼女が相手にしてきたのは主に魔物。強力な個体も含まれているけれど、相応に手を尽くせば勝てる知能しか持たぬ敵だった。
しかし今回相手とするのは人間。それもそこいらのゴロツキや野盗などではなく、同格の存在である勇者。
"ニホン"と呼ばれる異界より召喚された人々は、こちらで生まれた人間より遥かに強力な能力を持ち、生半可に太刀打ちできる相手ではない。もちろん個人個人で差はあるけれど。
「で、でもきっと大丈夫ですよ。いい加減自覚してるはずです、サクラさんはこの国に居る勇者たちの中でも、かなり高い能力を持っているって」
「とは言われるみたいね。おっさんも太鼓判を押してくれてるし、そこは信じていいんだと思う」
「でしたら……」
「……問題はそこじゃないのよ。そいつは賊や騎士を躊躇うことなく殺している、そんな輩を相手にしなきゃいけないっていう恐怖心は、どうしたところで拭えない」
恐怖、彼女は確かにそう言った。
初めて見た魔物に困惑するもアッサリ狩り、名を持つ強力な魔物を前にしても臆さず立ち向かってきたサクラさんが、恐ろしいと口にしたのだ。
ボクはこれまで一度として耳にしなかったサクラさんの言葉に、頭を岩へ打ち付けたような感覚に襲われる。
決して失望したとか、そういう話ではない。
ただボクはサクラさんに対し、恐怖などといった感情とは無縁な、完成された戦士のように思ってしまっていた。
アンデットに嫌悪感を持ってはいたけれど、それだって割り切って戦っていたし、最終的にはどんな相手にも立ち向かえるのだと。
けれども考えてみればサクラさんとて、元来はただの一般人でしかないのだ。
当然戦いに対する恐怖はあるし、特に同等の勇者であり人を殺すことに抵抗を持たぬ相手との戦いなど、臆する気持ちがあって当然。
一瞬、無茶を言ってでもこの依頼を蹴り、逃げ出そうかという考えがよぎる。
幸いにも蓄えはある。勇者としての名は取り返しがつかないくらい落ちるかもしれないけど、命に比べれば安いものだ。
そう考えかけたのだけれど、サクラさんはグッと力を込めて立ち上がる。
「でもやるわよ。覚悟自体は済んだもの」
「いいんですか? 敵は同郷の人間ですよ」
「いつかはこういう日が来ると思っていたもの。野盗退治とかの依頼も受けていかなきゃだし、ここで慣れておくのも悪くないかもってね」
肩を竦め、楽観的な空気を表に出すサクラさん。
けれどもただの野盗と違い実力を持つ勇者、しかもおそらく暗殺を生業としている輩。
そこまで危険な相手と戦うというのは、"退治"という言葉では足りないのだと、彼女自身わかっているはず。
「そう不安そうな顔しないでよ。まるで留守番を言い渡された子犬みたい」
「ですが……」
つい表情へ現れてしまっていたのか、ボクの頭へ手を置き柔らかに撫でるサクラさん。
とても子ども扱いをされているとは思いつつも、それを振り払う気は起きなかった。
そんなボクの気を紛らわそうというのか、彼女は軽く手を叩き室内へ音を響かせると、ちょっとばかり浮かれた調子で告げる。
「とりあえず明日は、朝一で牢を見に行ってみましょ」
「牢へ、ですか?」
「犯行現場を見るのが、犯人探しの第一歩ってね。暇つぶしで見てたドラマ知識を生かす時が、遂に来たようね」
何故かサクラさんは一転して声を明るく、機嫌を上向かせていた。
言っている意味はわかるようなわからないような、けれど陰鬱になりかけた気分を持ち直すには十分であったらしい。
「でも子供たちの護衛は……」
「だから早朝にするのよ、王族の子供たちが起きてくる前にね。さあ明日は早いんだから、もう寝なさいな」
そう言ってサクラさんは近付き、怪訝そうにするボクを小脇に抱えると、ベッドの前へと移動し放り投げる。
心地よい弾力を持つベッドの上で跳ね転がり、混乱しつつも文句を言おうとするのだけれど、彼女は有無を言わさず隣へ寝転がった。
「ま、まさかボクもここで!?」
「当然でしょ。どっちかが寝坊しても起こせるし、相手の部屋まで迎えに行くのは面倒だもの」
「でもそんな、男女で同じベッドに寝るだなんて……」
「お子様がそんなこと気にしなくていいのよ。それとも遂に獣へ変化しちゃう?」
まさかとは思うけど、どうやら本当にここで眠っていけと言っているらしい。
サクラさんとはここまで1年近く一緒だけれど、野宿などをした時を除き、眠るときは流石に別々の部屋だった。
……温泉へ一緒に入ったことはあるけれど、あれとはまた別の話だ。
「じ、冗談は止してくださいよ!」
「冗談なんて一言も言ってないんだから、諦めてここで寝なさいな。ほら、もう少しそっちに寄って」
力でねじ伏せるように、上体を起こしていたボクを寝かせるサクラさん。
彼女は直後にボクの手を握り、小さく「おやすみ」と言い、そのまま目を閉じてしまった。
握られた手はヒンヤリとしているけれど、どこか熱いようにも感じる。
それにサクラさんの手からは、どこか不安感が滲み出ているように思えてならない。
ボクは少しだけ力を込め、戦いに明け暮れる勇者のものにしては華奢な手を握る。
対しサクラさんから柔らかに握り返される手の感触に、少しだけ顔を赤くしつつ、ゆっくり微睡へ浸っていくのであった。