鉄の咆哮 01
王城内で貸し与えられた部屋を片付け、服装も普段通りの動き易い物へと着替え、手荷物を全て一つの背嚢に納める。
殿下を狙う賊も拘束したことだし、王城を跡にする準備は万全。
あとはゲンゾーさんのもとへ行き、サクラさんが纏っていた貴族のご令嬢という称号を返還するだけ。
当人曰く"重っ苦しい"というそれを突き返すべく向かった、王城内にあるゲンゾーさんの執務室。
そこへと入ったボクとサクラさんは、この日行っていた準備が全て無駄になると知るのであった。
「悪いが当面は王城へ留まってもらう。扱いも今のままだ」
彼が持つ執務室へ足を踏み入れ、早速別れの挨拶をしようとした矢先。
こちらが口を開こうとするところへ、先制攻撃のようにゲンゾーさんから放たれた言葉に、ボクらは揃って硬直した。
「えっと、……どういう意味かしら?」
「言葉通りの意味だ。残念ながらお嬢ちゃんには、もう暫くの間は貴族の真似事を続けてもらわにゃならん」
「いや、だからそれがどういう意味なのかって聞いてるのよ」
唐突に告げられた内容に困惑しつつも、サクラさんは疑問を投げかける。
一昨日城内で行動を起こしていた賊を捕らえ、昨夜は事情の聴取にほとんどの時間を取られはしたが、ゲンゾーさんからは依頼の終了を告げられた。
城下でアルマを待たせていることだし、早速荷を纏めて去ろうとしたというのに、翌日になって尋ねてみればこうだ。
一夜にして許可は不許可へ、なぜ一転して言葉を変えたのかと思いきや、どうも事態が急転直下したという理由があったようだ。
「殿下を籠絡した酒場の娘を含め、賊の全員が今朝、牢内で死体となって発見された」
「……自害?」
「いいや、他殺だな。警備に立っていた騎士団員が6人、こちらも息絶えていたからよ」
ゲンゾーさんが出立に待ったをかけた理由に、ボクは驚きつつも納得をした。
賊を暗殺したのは間違いなく今回の首謀者で、まだこの件が片付いていないどころか、余計に混沌とし始めている。
つまりこれが解決するまで、ボクらはこの役割に徹し続けねばならないという訳だ。
「それなりに平穏で安定した治世の国。……と私は思っていたんだけど、ここ何日かで一気にその認識は瓦解したわ」
「残念なことに、長年王侯貴族の社会はゴタゴタし通しだ。とはいえ暗殺騒ぎなんて何十年ぶりらしいがよ」
サクラさんのゲンナリした様子に、ようやくカラカラと笑うゲンゾーさん。
実際この国は今でこそ一見して穏やかだけれど、なかなかに血生臭い歴史を辿っている。特に魔物がこの世界へ現れるようになった、数十年前の辺りから。
"黒の聖杯"という謎の存在が現れ、それによって魔物が召喚される始めた時期、この国はかなり混乱した状況に在ったと記されている。
自国の兵力のみで魔物に対処をし、他国や勇者の手を借りぬと突っ撥ねていた当時の王。それに対し勇者召喚の必要性を訴えていた、とある地方貴族。
両者は対立を続けた結果、暗殺の応酬という泥沼の戦いへ脚を突っ込んでしまったらしい。
結局は王を暗殺した貴族が、新たに王としての椅子に座った。それが今の王族だ。
王族が暗殺者に狙われ、その暗殺者が口封じのために始末される。今のこの状況は、当時の混乱を彷彿とさせるものであった。
「ゴタゴタって。それって首謀者が、王族か貴族だって言ってるようなものよね」
ただそんな内容より、サクラさんには引っかかる点があったようだ。
困惑の表情をスッと収め、静かな調子で簡潔な言葉を発した。
ゲンゾーさんの言葉を聞く限り、そうとしか聞こえないと言わんばかりに。
「隠さずともいずれバレるだろ。このご時世は他国との大きな揉め事も無い、となりゃ殿下を含め今の王家が弱って喜ぶ輩なんぞ、王族や貴族にしか居ねぇよ」
「とすると私たちが次に受けるのは、その王族か貴族の中に居る犯人捜しかしら?」
「いや、そっちは騎士団に任せる。前にも言ったが、そういった情報収集に長けた連中が居るからな」
「なら何を求めるの? こうして留まれなんて言うからには、私じゃないとダメな理由があるんでしょ」
サクラさんの感想を一切否定することなく、ゲンゾーさんは首謀者が王城内の権力者、つまりは王族や貴族であると断言する。
でもそうだとすれば、それこそこちらの手には余るというもの。
なにせ貴族のお嬢様という看板を背負ってはいても、サクラさんはそういった世界について疎く、捜査紛いの行為をするノウハウなどないのだから。
ただゲンゾーさんもそれは重々承知しておりボクらを……、というよりもサクラさんを残そうとするには、相応の理由があるようだった。
「牢の見張りをしていた連中は、騎士団内でも相当の腕利きと評判だった」
「曲がりなりにも王族を殺害しようとした連中だもの、精鋭を警備に立たせるのは普通かもね」
「そんな連中が全員、少しでも叫ぼうものなら反響する地下牢で、音もなく始末されちまった。暗殺者は相当な手練れに違いない」
「ああ、そういうこと……」
淡々と、抑揚なく説明していくゲンゾーさんの言葉に、サクラさんはすぐさま納得したように首を縦へ振る。
こうまで言われれば、きっと彼女でなくとも気付くはず。
目撃者が居ないという事から、これを成した輩は決して集団ではないはず。精々が片手で数えられる程度、案外1人だけでやったのかもしれない。
そして精鋭の騎士たちを容易に殺害し、牢に入れられた賊を全員始末したうえ脱出できる人間など、そうそう居るものではなかった。
「想像通り、まず暗殺者は勇者で間違いないだろうよ。現役の勇者か、"元"が付くヤツかは知らねぇが」
普段は快活なゲンゾーさんも、今回ばかりは表情が鋭い。
それに彼は暗にこう言っているのだ、王城内に幾人か居る"元"勇者の騎士たち、その中に混ざっているかもしれないと。
「王城内には何人かの勇者が居る。その全員を犯人だと思ってもらいたい、ワシを含めてな」
「……私がそうだとは思わないのかしら?」
「お嬢ちゃんはまぁ大丈夫だろ。賭け事に狂うタイプとも思えんから借金はなさそうだし、実際金には困っちゃいねぇはずだ」
「調査済みってことね。念入りなことで」
「坊主が定時で送ってくる報告書を読んだまでさ。そいつを信用しただけに過ぎん」
ボクら召喚士は、一定期間毎に活動状況や近況などを纏め、騎士団や勇者支援協会の本部へ送っている。
ゲンゾーさんはそれを読んだようで、ここまでの付き合いもあるだろうけれど、こちらを信用してくれたようだった。
「いざとなれば勇者相手に戦ってもらうやもしれん。もちろん極力ワシがやろうとは思うが」
「了解。今さら逃げ出すことも出来なさそうだし、受けてあげる。でもその代わり報酬の増額は要求するわよ」
「それで受けてくれるなら安いもんだ。……すまんな」
必死に拒否をするかと思いきや、サクラさんは意外なことに報酬額を増やすという約束だけで受けてしまう。
そしてゲンゾーさんの小さな謝罪を背に受けつつ、執務室から出ていってしまった。
一礼だけして、ボクは彼女を追いかける。
小走りとなってサクラさんへと近づき見てみると、その歩き方はどこか流麗で、服装に反し貴族のお嬢様という看板が似合うものだった。
あの執務室を出た時点で、再び貴族の役へ戻っていたようだ。
「いいんですか? また受けてしまって」
「どうしようもないでしょ。断っても何かにつけ理由を言って、こっちを引き留めてくるわよ」
「そういうものでしょうか……」
「そういうものっていうか、あの人はそういう人よ。ああ見えて職務へ忠実な上に周到なんだから、断ったら今度は強権に物を言わせてくるはず」
「癪だけれど」と続けるサクラさんは、もう諦めきったように告げる。
ゲンゾーさんは王族でも貴族でもないけれど、何気にこの国では相当な権力を持っている。
シグレシア王国内に居る勇者の中でも、もう一人居るという同格に近い勇者と共に、国内最強の名を欲しいままとしている。
これまでは直に権力を振るってこなかったが、その気になれば一介の勇者と召喚士でしかないボクらなど、どうとでも出来てしまう人なのだ。
「もっとも当人は、好き好んでやったりはしないと思うけどね。最後にしてた謝罪なんて、随分と情感こもってたし痛快ったらないわ」
「なら、ちょっとだけ協力するのもやぶさかではないですかね」
「また一つ恩を売る機会が出来たと捉えましょ。……かなり危険だとは思うけど」
それならばゲンゾーさんの依頼を、素直に受けるのも悪くはないかと考える。
けれどサクラさんはその直後、少しだけ表情を曇らせるのだった。
そうだ、今回戦わなくてはいけないかもしれない相手は勇者。
これまで適当にあしらってきた、ゴロツキや酔っ払い、それに賊とは訳が違うのだ。
しかも警備に立つ騎士までやられている。つまり人を殺すことに慣れた、暗殺を生業とする存在なのだから。
「クルス君、おっさんに頼んで幾つか武器を用意してもらって」
「王城へ持ち込むつもりですか?」
「この程度の要求は受け入れてもらう。相手がどこに居るかもわからない状況で、こんな短剣1本持って戦えなんて冗談じゃない」
サクラさんは上着の裾を軽く捲り、そこへ下げている短剣をチラリと見せる。
王城は基本的に騎士たちを除き、武器の類を持ち込むことはできない。
王族などは携行してはいるけれど、それだって短剣や小さなナイフなどが精々で、戦うには余りにも心許ない物だった。
「わかりました。精々スカートの中に隠せる範疇で、良い武器を仕入れてもらいますね」
「よくわかってるじゃない。頼んだわよ」
サクラさんが緊張混じりに告げる言葉は、ボクに嫌な空気を感じさせるに十分。
ならば彼女が少しでも優位に戦えるように、マシな武器を用意して貰わなくては。
強気な交渉を決意し大きく頷くボクの頭へと、サクラさんは手を置きわしわしと手荒く撫でまわすのだった。