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仮初の令嬢 08


 強くも柔らかで、しなやかかつ細い。

 初めて会った時、ボクの頭を万力の如く締め上げたそれは、普段武器を持つと信じられぬほどに繊細なサクラさんの指だ。

 ボクがここまでの1年近くで慣れ親しんだそれは、たぶん持ち主の顔を隠したままで問われても、まず間違えはしないはず。


 その目に馴染んだ彼女の指は、少しだけ開かれた扉の中から覗き、こっちへ来いと強く主張する動きをしていた。

 城内の回廊を進む中、突然現れたそれに唖然としつつも、ゲンゾーさんと共にソッと移動。

 取っ手を掴み開くなり、ボクの身体は捕まれグイと引きずり込まれる。



「来るのが遅い」


「す、すみません。こっちもゴタゴタとしていて……」



 真っ暗な室内、僅かに差し込む月明かりによって浮き上がっていたのは、ジト目でボクを見下ろすサクラさんの姿。

 彼女は苛立ちと安堵感の入り混じった声で、とても軽くボクの頭を小突いた。

 豪奢な衣服を身に纏っている以外、普段通りな彼女の姿にボクもまた安堵の息を漏らす。



「無事だったか嬢ちゃん」


「当然でしょ。おっさんと違ってまだまだ若いもの、寝起きでも身体は動いてくれるのよ」


「言ってろ。……ところで殿下は?」



 無事であったことに同じく安堵の色を表に出すゲンゾーさん。

 顔を合わせる度のお約束となっている、軽口の応酬をほどほどに済ませると、彼はすぐさま真っ暗な部屋の中を見回す。


 おそらくここは物置。薄らと差す月明かりによって、部屋のそこかしこへ木箱や使っていない棚などが置かれているのが見える。

 サクラさんはそんな部屋の一角を指すと、ようやく人心地つけるとばかりに、壁へ背を預けた。



「そこに。状況がまだ把握しきれていないけど、とりあえず危なそうだったから連れてきたわ」


「助かる。殿下、ご無事でしたか」



 指差された場所には、床へ座って膝を抱え震えるオルニアス殿下の姿が。

 ゲンゾーさんが近付き声をかけて触れると、殿下はビクリと身体を震わせ、恐る恐る顔を上げた。



「ああ……、お前か。いったいどうなっているのだ、どうして私がこのような」


「お気を確かに。殿下のお命を狙う賊です、現在騎士たちが捜索を」



 すっかり憔悴しきった様子の殿下は、力ない様子でゲンゾーさんの姿に胸を撫で下ろす。

 なんだかんだ言っても、彼はこの国で活動する勇者の中で最強と呼ばれる一翼を担う。

 そんなゲンゾーさんが目の前に居てくれるというのは、自身の安全を保障されたも同然な心境にさせられるようだ。

 ただだからこそ、今度はまた別のことが思考をよぎるらしい。



「そ、そうだ! 彼女はどうした、怪我などしていなければいいのだが」


「殿下……、あの娘は」


「ゲンゾー、すぐに探しに行くぞ。彼女になにかあったなら、賊共を生かしてはおけん!」



 すっくと立ち上がる殿下は、物置から飛び出さんばかりの勢いで扉へ向かおうとする。

 殿下の言う彼女というのは間違いなく、酒場の娘を指している。

 自身を狙っている刺客である可能性が濃厚であるというのは、目の眩んだ殿下にしても、そろそろわかっているはずだというのに。


 ただそんな扉へ向かう殿下の前へ立ち塞がったのはサクラさんだ。

 彼女は殿下が扉へ伸ばそうとした腕を掴むと、強引に押し留め強い調子で口を開く。



「殿下、そろそろ目の前を直視してもよろしいのでは?」


「何を言っている、私はただ……」


「もうお分かりになっているでしょう。あの娘が近付いてきたのは、殿下の命を狙っていたがため。今回の出火や襲撃は間違いなくその繋がりですし、斬りかかってきた輩の顔にも見覚えがあるはず」



 真っ直ぐに殿下を見据えるサクラさんは、立場の違いを取っ払いあるがままを告げる。

 どうやら先ほど廊下で見た刺客は、やはり娘と共に殿下が引き入れた人間であったらしい。

 とはいえそんな言葉を信じたくない表れか、殿下はサクラさんの手を振り払うと、隠れていることを忘れたような大声で叫ぶ。



「彼女を……、それに私をも愚弄するか!」


「ここまで来れば、殿下の機嫌を害さぬよう隠し通すのは叶いません。あの娘はとっくの昔に、何者かの息がかかっていると明らかになっているのです」


「も……、もしお前の言うことが本当だとして、それでは私がただの大間抜けではないか」



 サクラさんへと食ってかかる殿下の言葉に、ボクはふとある感想を抱く。

 結局のところこの殿下は、あの娘を大事に想うからこそ厚遇した訳ではないのだろうと。


 次代の王位に最も近いとされてはいても、実のところ継承権1位という立場ほどには、オルニアス殿下の評価は高くない。

 実際には彼の弟たちの方が、より知性に溢れているなどという評判は、この王城へ滞在する中で幾度か耳にした。

 殿下にしてみればそういった風評への反発心もあって、別段本心から好いてもいないあの娘を拠り所とし、利用していたのではないだろうか。

 きっとそんな殿下の心情を、上手く利用されたのだと思う。



「忌憚なく言ってしまえばそうです」


「本当に、なんと遠慮のない女か。……恨むぞ」


「ご自由に。ですが私にはそうとしか言えません。それにご存知のように私は殿下の気を惹くため、一時的に貴族位を拝命した立場。ご機嫌取りに腐心する必要がありませんもの」



 ここまで言われてしまうと、殿下にしても立つ瀬がない。

 肩を深く落とし、歯を食いしばって手を震わせてはいるものの、反論の言葉を吐くことはなかった。

 既に酒場の娘が刺客の一味であると、受け入れ始めているようにも見える。



「あの娘を招き入れていたことで、殿下の評判は著しく落ちています。ですが多少は、取り戻す余地があるやもしれません」


「今更どう汚名を灌げと言うのだ。臣下たちが呆れていることなど、とうに知っておるわ!」



 自身への苛立ちか、言葉がなおも荒れていく殿下。

 しかしそんな彼へ向け、サクラさんは片膝を着いて顔を上げると、静かながらもハッキリとした声で告げた。



「ご命令を。王城へ火種を持ち込み、不埒な企みをした輩を討てと」


「……それをもって、名誉の一部を取り戻せと申すか?」


「指を咥え、暗がりで全てが終わるのを待つよりはマシかと。それに私は曲がりなりにも勇者、人を相手とするのは専門外ながら、ただの賊に後れを取るつもりはありません」



 頭を上げニヤリと笑むサクラさんの表情に、息を呑む殿下。

 "ここで怯えて震え、嵐が過ぎ去るのを待つ気か?"、"これ以外に面目を保つ道はないぞ"と、脅しを掛けんばかりな内容。

 だけれど現にこの騒動を呼び起こしたのは殿下自身であり、ここで前に立って解決のために尽力せねば、以後の立場が危うくなるのは間違いない。

 そして今目の前には、助力してくれる大きな戦力が存在する。手を伸ばす以外の選択肢などあるはずがなかった。



「た、頼んだ。だがあの女だけは、生かしたまま捕らえてくれ。……いや、未練などという話ではないのだが」


「承知しております。殿下のお心のままに」



 意を決しその提案を受け入れる殿下。

 サクラさんはそれに対し立ち上がって流麗な動きで一礼すると、薄明りの中でも映える柔らかな笑顔を浮かべた。

 ……でもこれはきっと、毎度のことながら当人の心情とは別な、鉄仮面の表情なのだとは思うけれど。



 そんなサクラさんの様子に薄々感付いているのか、ゲンゾーさんは若干引きつった表情ながらも頷く。

 彼はこの場で殿下を護ることに専念するとのことで、ボクはサクラさんと共に物置からソッと出ると、ひと気のない回廊を奥へ向け歩いていった。

 少しばかり進んでいき、振り返っても物置が見えなくなった頃。サクラさんは大きく伸びをすると、腕を天上へ向けたままで叫ぶ。



「さあ、いくわよクルス君! 馬鹿殿下をちょっとだけマシな王子様くらいにはしてあげましょ」


「……大概失礼ですよね、サクラさんも」


「何を今さら。ともあれこれで、殿下からも幾らかの謝礼は貰えるはず」



 意気揚々、大きな声で決意を口にする。

 かなり無礼な内容であり、場所が場所だけに他の王族にでも聞かれてやしないかと窺うも、ボクらの他に気配らしきものは感じられない。

 そのことにホッとしつつも、発された内容に今度はゲンナリとした。



「どうして急に乗り気になったかと思えば、結局それが目的ですか」


「お金は大事よ。おっさんと陛下、それに殿下からも貰えて三重取り。そう思えば面倒臭さも忘れて浮足立つってものよね」



 よもやそんな理由でとは思ってもみず、つい乾いた笑いが漏れてしまう。

 そこまで切羽詰った懐事情ではないのだけれど、それでも持つに越したことはないと断言するサクラさんは、どんどんと廊下を進んでいく。

 そうして視線の向こう、2人ほどの手に短剣を持った人間を見るなり、短い言葉を発し床を蹴った。



「見えた。突っ込むわよ」



 舌なめずりし駆けるサクラさんの手は、拳となって強く握られている。

 彼女は目の前へ現れた連中が敵であると確信し、一足飛びに接近。驚愕に目を見開くそいつらへと、拳を振り降ろすのであった。



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