仮初の令嬢 03
貴族家の養女となり、王位継承権1位の殿下と接触。そして異界より召喚された勇者という立場を利用し、籠絡して酒場の娘と引き離す。
単純に言えばたったそれだけ、しかしなかなかに難しそうなそれこそが、今回サクラさんへと押し付けられた役割であった。
「お坊ちゃんを私の魅力で骨抜きにすればいいんでしょ?」と、自信満々に語っていたサクラさんではあるが、なにやらそれが逆に不安と思わなくもない。
その彼女は現在、王城内の空いていた一室へ居を移し暇な時間を過ごしている。
ただそれも当然か。いくら一時的であるとは言え、公的には貴族家のご令嬢となっているのだから、町の宿へ泊まるなどとはいかない。
一方でボクはと言えば、普段着ている召喚士のローブを脱ぎ、地味な格好をし王都の市街へと繰り出していた。
「"あれ"がそうか……。一目見ただけじゃわからないや」
夜の帳が降り始めた頃、足を踏み入れた酒場の隅で小さく呟く。
視線の先へ居るのは、カウンターの席へ腰かける一人の青年。そして卓を挟んで立つ娘。
言うまでもなく青年の方は、シグレシア王国の王位継承権1位となる殿下。そして向かいに居るのが、件のお相手となる酒場の娘だ。
ただ殿下はしっかりと庶民の格好を模しているのか、一見して立場がバレるような姿ではない。
気にせず視界に映っただけなら、ただの少しばかり小奇麗な青年としか見えない容姿だ。
「すまない、君のことを受け入れてもらえるよう、説得を続けているんだけど……」
「わかっているわオルニアス。貴方と一緒に居られる日まで、待っているから」
「絶対に、絶対に父上を説得してみせるよ。必ず」
酒場の喧騒へと混ざりつつも、随分と雰囲気は盛り上がりつつあるらしい。
両者は人目も憚らず手を取り合い、ジッと相手の瞳を見つめていた。
辛うじて聞こえてくる会話の様子からすると、いわゆる相思相愛状態といったところか。
これが王位継承権1位オルニアス殿下のちょっとしたお遊びであれば、別れさすのも容易いのかもしれない。
けれどもこうまで熱を上げているようでは、手こずるのは避けられそうもなかった。
「一番の原因は、わたしに教養が無いせいよね。せめてもっと……」
「それは違う。あいつらは相手の地位しか見ていない、君の本当の素晴らしさに目もくれていないんだ。いっそのこと僕もこんな立場を捨てて、君と一緒になれれば……」
「短気を起こしてはダメよ。貴方はこの国に必要な人、いつかみんなわかってくれるわ」
他の客を放っておいて、なにをしているのかと思わなくはないが、この殿下と娘は随分と熱心に未来を語り合う。
ともあれ娘の方の言葉を聞くに、どうやら殿下の正体を知ってはいるようだ。
さてはオルニアス殿下の地位目当てかと思うも、現状そうであると断言するだけの根拠は得られていない。
「もう戻らないと。次に会えるのは……」
「あまり無茶をしないでね。わたしはずっとここに居るから」
「数日以内にはまた必ず会いに来るよ。絶対に」
名残惜しそうに、別れの言葉を交わすご両人。
ただ娘は無茶をするなと言うわりに、どこか再度来ることを要求しているような素振りが、ほんの少しだけ気にはなる。
案外これが、恋は盲目とか言われる類のものなのかもしれない。
何度となく振り返りつつ酒場を跡にした殿下を追い、ボクもまた幾ばくかの金を置いて店を出る。
時折振り返って尾行を探ろうとする殿下と距離を置き、それとなく人通りに紛れ進んだ先には、当然のように王城が。
殿下は王城裏手の門から静かに入っていき、ボクもまた同じく門へ。
警備に立つ騎士と苦笑交じりの挨拶を交わすと、オルニアス殿下の追跡を止め、ひと気のない通路を城の奥へ向かう。
入り組んだ通路を右へ左へと進み、かなりの階数を登って辿り着いた先にある扉を軽くノックし、中からの返事を聞くなり静かに中へ入り込んだ。
「お帰り、様子はどうだった?」
「ゲンゾーさんから聞いた通りでした。完全にのぼせ上ってますよ」
「そいつはまた、落とし甲斐があるってものね」
入った先の部屋へ居たのは、大きな椅子へ腰かけ茶を口にしているサクラさんだ。
シグレシア王国貴族、バランディン子爵家当主の養女。それがサクラさんへと与えられた仮の地位であった。
ただどこかで聞いたことのある家名だと思ったら、なんのことはないボクらも以前に利用したことのある名。
バランディン子爵というのは、以前この王都で貴族の屋敷へ使用人として潜入する時、紹介状を書いてくれたとされる貴族だ。
とはいえ実際にはそんな人物も家も存在せず、騎士団が方々の調査を行う際に利用する、架空の貴族家であるそうだけど。
領地そのものは一応王国北東部へ実在するそうで、そこでは専任の役者が貴族を演じ暮らしているのだという。
「お、落とし甲斐って……」
「あら、失礼を。下々の娘にうつつを抜かされていらっしゃる殿下の目を、覚まして差し上げるのが私のお役目でしたわね」
「……ボクにはその言葉使いが合ってるのか判断できませんけど、なんだか変です」
「正直私もそう思うわ。ホント、慣れない事をするもんじゃないって話ね」
手にした扇子を口元へ当て、ホホホと笑いながら、貴族のお嬢様風な芝居口調で話すサクラさん。
とはいえ彼女も流石にやり過ぎたと思ったようで、グッタリと椅子の背もたれへ身体を預け、面倒臭そうにダレた声で愚痴をこぼす。
うん、やはりこっちが彼女本来の姿だ。
ただ脱力し長椅子へ寝転がるサクラさんをそれとなく眺めてみると、あながちおかしくないのではとも思えてくる。
艶やかで長い黒髪を纏め、瀟洒な衣服へ身を包んだサクラさんの姿は、確かに貴族のご令嬢と言っても差し支えはなさそうだ。
黒髪であるため異世界人であるのは明らかだけど、持ち前の整った容姿もあって、どこか高潔な気配すら感じてしまう。
「ところでクルス君、オルニアス殿下が会っていた娘って、容姿的な面では私と比べてどうなのかな?」
「サクラさんの方が美人だとは思いますよ。まず間違いなく」
「いや、そういう意味じゃなくって……。一応褒め言葉として受け取っておくけど」
長椅子へ寝転んだままで問うサクラさんへと、ボクは想った事を即答する。
見た限り酒場の娘は、別段これといって美人と形容する感じではなかった。
どちらかと言うと素朴でカワイイという印象を抱いたのだけど、逆にそういった点が殿下にとって好ましかったのかもしれない。
ともあれその質問は、サクラさんの意図するものとは違ったようだ。
自身が殿下の好みそうな容姿であるかを気にしたが故の質問であったらしく、ボクは酒場の娘の容姿を基準とし、"違う"と答えを返す。
「となると殿下に対する私の武器は、勇者であるという一点のみね」
「ただ公に接近するには必要ですけど、貴族の立場自体は逆効果かもしれません。どうやら権力に縛られるのを嫌がっているみたいで」
「わかり易いくらいド典型なお坊ちゃんね。こりゃおっさんが苦心するはずだわ」
オルニアス殿下と酒場の娘を別れさせるべく、国王やその家臣たちはこれまでにも何人か、有力な貴族の子女と見合いをさせてきたらしい。
ただそのどれもが不発。最後の手段として、殿下が関心を持つ勇者をという考えに至ったのだと聞く。
まさかその刺客が、偶然王城へ現れたサクラさんに振られるとは。
「落とし甲斐があるとは言ったけど、正直もう逃げ出したい心境よ。ひたすら面倒臭い」
「でも今になっては断れませんよ。なにせ頼んできたのが……」
「国王陛下直々だもの。逃げ道は完全に断たれたわね」
今回この厄介極まる依頼を受けたのは、幾つかの理由があってのこと。
1つ目はゲンゾーさんの企みによって、常軌を逸した高級菓子を食べてしまったため。ただこれは半ば冗談の範疇か。
2つ目には他国への越境申請に要する時間を、大幅に短縮してくれるという理由によって。
そして3つ目には、このシグレシア王国の国主である国王陛下が、直々にしてきた依頼であるという点だ。
「突然でしたからね。まさか国王陛下が入って来るなんて思いませんでした」
「ゲンゾーのおっさん、こっちが断れないよう先手を打ってたのね。いったいいつの間に呼んだんだか」
ゲンゾーさんによって通された応接間、そこへと現れたのは、簡素ながらも上等な衣服を纏った壮年の男。
ボクは一瞬、どこかで見たことある人だなと思ったけれど、すぐさまその人が誰であるかを思い出す。
騎士団の施設へ掛かっていた肖像画に描かれていた人物、つまり国王陛下の顔であると。
陛下は応接間へ入ってくるなり、ゲンゾーさんに代わって対面へ座り、直々に依頼を受けてくれるよう頼んだのだ。
強制ではないとは言われたけれど、こうなれば断るという選択肢は無いも同然。
「完全に嵌められましたね」
「どれだけ用意周到なのよ。てっきり頭脳労働はクレメンテさんの担当だと思ってたのに」
「流石王国随一の勇者と言われるだけはあります。あまり関係ない気もしますけど」
大きく息を吐くサクラさんは、立ち上がって綺麗な衣服の裾を直し、自身の少しばかり薄い胸を叩く。
そうして気合を入れ、翌日以降に待ち構える厄介事への覚悟を決める。
「仕方ないか。明日早速見合いだっていう話だから、クルス君も陰で見守ってて頂戴」
「ボクはサクラさんの従者っていう扱いですし、すぐ近くに控えていますよ」
「なら安心ね。もし殿下が不埒な行為に及ぼうとしたら、ちゃんと助けてよね」
ニカリと笑んで告げるサクラさんは、ボクの頭を軽く小突く。
とはいえ勇者である彼女を、殿下がどうこう出来るとは思わないのだけれど。
でもなんだかボクが貴族の屋敷で、そこの庭師であった青年と接触していた時を思い出す。
あの時とはまったく逆の立場だけれど、今度はボクが陰ながらサクラさんを見守り、支える立場になるのだと思えば感慨深い。
密かに口元が綻んでしまうボクは、そんなサクラさんに了承を示すべく大きく頷くのであった。