糧 03
サクラさんと共に魔物を狩り始めて2日目。残念ながらこの日は雨だった。
昨日はとても上手くいったため、勢いそのままに今日もと思っていたのだが、生憎の天気に見舞われ、この日は中止と相成る。
でも仕方がない、悪天候での狩りは危険度が高い以上、経験の少ないボクらは対処が難しい。
足下の悪さに加え、弓使いであるサクラさんにとって、視界の悪さは特に不利な状況だ。
それに雨天時に出没する魔物は何故か、晴天時に比べて強力な個体が多くなる傾向があった。
当面こういう日は大人しくしておく方が賢明。と出発前に教官から口を酸っぱく言われてもいたし。
「ふえっくしゅっ!」
柔らかな早朝の陽射しが差しこむ、協会のロビー。
ボクはそこで毛布を頭からかぶったまま、盛大にクシャミをした。
昨夜は結局、散々飲み散らかした酒壷を片付けた後で、ロビーの椅子を並べその上で眠るはめになった。
サクラさんは同室を気にしないとは言っていたが、こちらはそうもいかない。備えられた毛布一枚を鎧とし、あの部屋から退避してきたのだ。
ただ暖かな春とはいえ、雨が降っているというのもあって、隙間風の通るロビーはとても寒い。
多少お金はかかるが、なんとか一人一部屋に変えてもらうよう、おじさんに言っておかなければ……。
「クルス君どうしたのぉ? 風邪?」
朝食を摂りに来たのだろう、姿を現したソニア先輩が心配し声をかけてくれる。
その後ろでは寝惚け眼なタケルさんが、大きな欠伸をしていた。
「いやちょっと、ここで寝ちゃって」
「まだ夜は寒いんだから、ちゃんと部屋で寝ないとダメだよぉ」
ボクはそう注意するソニア先輩に、ロビーで寝ることになった理由を説明する。
とはいえサクラさんが酒の勢いで暴走したとは言えず、ただ同じ部屋で眠る訳にはいかないという、極めて紳士的な理由だけを用いて。
すると先輩の後ろで眠そうな顔をし、椅子へと座っていたタケルさんが急激に目を見開く。
「ガタッ!」
と叫びつつ椅子から立ち上がる。自分で椅子から立ち上がる音を口にしているのが、何とも奇妙だ。
最初彼の変わった言動は、異界の人特有のモノかと思っていた。
だが今では何となくだが、彼はその中でも少々変わり者なんじゃないかと思えてきた。
「あ、相部屋……、だと!?」
「ええまあ、サクラさんが勝手に決めちゃったんですけど」
「つまり同じ部屋に、あのキツめ美人さんと一晩中二人きりで……」
まだ一晩中二人きりにはなっていない。ボクはその前に逃げ出したのだから。
ただ否定しようとするも、タケルさんはあまりこちらの言葉を聞く気はなさそうだ。
彼は相部屋という言葉を反芻しながら、何がしかの妄想を始めたようだ。
『ふふ、かわいい。君、初めてなんでしょ?』
『そんな……、恥ずかしくて言えません』
『大丈夫よ、私に任せて。お姉さんが全部教えてあげる』
『サクラさん、……ダメです、こんなこといけません』
「……とかそんな事やってたんだろお前ら!」
一人延々と気味の悪い声色で、妄想全開な演技を口にするタケルさん。
彼は頭の中で展開されたよろしからぬ想像を根拠とし、大きく叫びボクを責めた。
ちょっと妄想が激しすぎるんじゃないだろうか。できれば自重して欲しいです。
ソニア先輩なんて、タケルさんの想像に顔を真っ赤にしている。
彼女は純情な人なんだから、あんまり欲望駄々漏れなのを聞かせてはいけない。
「……あなたたち、朝っぱらから何を騒いでるの」
眼を血走らせながら問い詰めてくるタケルさんをなだめ、その妄想を否定していたのだが、随分と喧しくしてしまったようだ。
起きてきたサクラさんは、こちらに呆れられたような視線を向けてくる。
彼女は昨夜あれだけ大量に飲んだというのに、二日酔いをしているような気配などまるで感じさせない。
となるとあの程度の酒量ならば、まだまだ余裕だということか。……恐ろしいことだ。
「これはどういうことなのだ! 若い男女が2人きり、密室でベッド一つだと!?」
「いや、ベッドは一応2台あるから……」
「夜中にお手て繋いで踊りましょってことはないだろ。つまり昨夜のクルスとお姉さんは、めくるめく禁断の園へ……」
興奮冷めやらぬタケルさんは、朝食が来るのを待とうと椅子に座ったサクラさんに迫り、昨夜の真相を聞き出そうとする。
聞き出すも何も、ボクが喋ったこと以上のものは何もないのだけれど。
サクラさんもあるがままを答えているのだが、追い縋る彼は先程の根も葉もない、妄想のような行為があったのではないかと問い詰める。
その内容にいい加減呆れたのか、一つため息をつくとジロリと上目遣いの冷たい視線で、タケルさんを鋭く一瞥する。
彼はその視線を受け、大きな衝撃を受け自身の椅子へと落ちていく。ただどういう訳か、なんとなく嬉しそうに見えるのは気のせいだろうか。
それになんだろう、サクラさんの冷たい視線を見ていると、向けられていないはずのボクもどういう訳かゾクゾクしてきた。
……やっぱり風邪でも引いたのかもしれない。
「えっとですね、サクラさん。確かに宿泊費用が安くなるのは嬉しいんですけど、それでもやっぱり同室はちょっと」
タケルさんと入れ替わるように、ボクはサクラさんの前へと立つ。
正直このまま同じ部屋でなんてなったら、ボクはこのままロビーで寝続けるしかない。
あるいは以前にからかわれたように、ボクが狼と化してしまうかだ。
「クルス君が紳士で居ればいいだけの話でしょう? それとも君は、私がお嫁に行けなくなるような事をしようとするのかしら?」
ボクの抗議などどこ吹く風、ふふんと鼻を鳴らし若干挑発的な反応を示す。
お嫁に行けなくなることってなんですか。やっぱりあれですよね。滅相もありません。
そんなことをしようものなら、きっと返り討ちに会うのがオチだ。
その上で今後延々とそれをネタにからかわれ、パシリに使われ続ける未来がボクの脳裏を過る。
「でもサクラさんの気持ちもわかるなぁ。ワタシたちは無理だけど、一部屋で済んだらもっと早くお金も貯まって、装備だって良いのが買えるのにねぇ。絶対に無理だけど」
なるほど、ソニア先輩も心情的にはサクラさんの気持ちがわかるようだ。
でも二回も無理って言う必要あるんですか先輩。タケルさんが今のでかなり打ちのめされてますよ。
女性陣から言葉と視線のナイフを突き立てられ、打ちひしがれる姿は少々可哀想には思う。
ただその表情は、若干満足そうにすら見えた。やはり癖になってしまったのか。
「お前ら……、そんなに節約したいなら同性同士で同室になればいいだろう」
そんなボクらへと、いつの間に近くに来たのか協会のおじさんは呆れたように呟く。
そう言ってテーブルの上へ、器用に四人分の朝食が乗った皿を置き引っ込んで行った。
おじさんが食事と共に置いていった、あまりにも単純な言葉に沈黙する一同。
なんでこんな事に気付かなかったのか、自分でも不思議ではあるが確かにそうだ。同性なら何の問題もない。
お互いに宿代が節約できて、ボクは寒い中毛布に丸まって寝なくて済む。
ついでに言えば、人目から解放されたサクラさんのからかいに晒されずに済む。
若干変わり者ではあるが、タケルさんの相手をするだけでいいのだ。
「……それじゃ、そういうことで」
とボクが言うと全員が首を縦に振る。
あまりに単純すぎ、誰も気付かなかったことへの気恥ずかしさからか、異論どころか一言も発されることはなかった。
その後朝食を終えたボクらは、部屋へ戻って荷物の移動を行った。
ボクとサクラさんの部屋へソニア先輩が、ボクはタケルさんの居る部屋へ。
女性同士というのもあるが、サクラさんにちょっとした憧れを持ち始めていたソニア先輩にとって、これは嬉しいのか表情は晴れやかだ。
ただ一方のサクラさんは、外用の仮面を外して息抜きのできなくなったためか、嫌がるという程ではないが苦笑を浮かべていた。
「それじゃ、しばらくよろしくねソニア。とりあえず約束を果たすまでは」
「こちらこそぉ。でもあまり早く旅立っちゃうと、寂しいですからぁ」
ともあれ仲良くやっていくのに異論はなく、二人は軽い握手を交わす。
サクラさんの言う約束というのは、同性同士で同じ部屋となるに当たって、ボクらは4人で話し合ったものを指す。
あくまでもこの部屋割りは、双方共に節約し可能な限り早く装備を整えるために行うもの。
故にこの町で可能なだけの装備が手に入ったら、すぐにこれを解消し町を出るという約束だ。
これから先、この4人で和気藹々と旅をすることはまずないため。
加えて仲良くなるなという訳ではないが、必要以上に相手側の魔物討伐には干渉しないようにというのも決めた。
新米勇者たちの入門編とも言えるこの町で、今の時点から他者に助けてもらっていては、この先もやっていくのは不可能だろうという判断からだ。
この後で買い出しをする必要があるとのことで、ボクらは協会のロビーでソニア先輩らと別れた。
広いそこが二人だけになるなり静まり、さて部屋にでも戻ろうかと考える。
しかし振り返って歩こうかとした時、突如としてサクラさんに肩を掴まれ、グッと顔を寄せられ告げられる。
「クルス君、速攻でお金を貯めて、早くこの町から出るわよ」
「……ど、どうしたんですか急に」
妙に力の込められた、サクラさんの声と目。
圧力さえ感じるそれに動揺しながら、いったい何を急にと思い問うと、彼女はげんなりとした様子で項垂れた。
「ソニアの前じゃ流石に言えないけど、私はちょっとあの子苦手なのよ……」
「先輩は良い人ですよ。ちょっとノンビリしてますけど」
「良い子だからよ。あんなキラキラした目で見られているとこう……、罪悪感ってのがね?」
なるほど、つまりサクラさんはこう言いたいのだ。
サクラさんの性格というか本性を見誤ったソニア先輩は、ある種憧憬に近い感情を持ち始めている。
それはサクラさんにとって眩しい視線となっており、その本性を高強度の仮面で隠し続けるのが、気まずくて仕方ないということか。
「仕方ないですね。でもまだ慣れていないので、当面はウォーラビット狙いを続けます。その代わり毎日2往復しましょう。体力的にはキツイですが、そうすれば多少は」
「わかった、出来る限り頑張るわ……」
これはよほどソニア先輩の視線が気まずいらしい。
実際サクラさんも黙って座りお茶でも飲んでいれば、そうと言われても疑わぬ雰囲気を持っている。
あの素直で純真無垢な先輩のことだ、きっとサクラさんを強くてカッコよく、それでいて聡明な大人の女性と評価しているのかもしれない。
この夢を覚ますというのは、流石に気の毒な気がしてならない。
「ではまず、ちゃんとした防具からですね」
「そっか。借りもののコレを持ったまま、他の町に行くわけにもいかないわよね」
普通の魔物を狩っている分には、弓は今のところ問題ない。
となればまず手を着けるは、武具店から借りたままの防具を自前の物に変えること。
「軽量金属を使ったものは難しいです、大抵は高価なので。となると硬革の部分鎧が手頃ですが……、借りている物は使ってどうですか? 今のは分厚い革をただ鞣しただけの品ですけど」
「悪くはないんじゃない? 動きも邪魔にはならなかったし。でもウォーラビットの歯とか見ると、正直頼りないわね」
それはそうなのだろう。借り受けたのは、防具としては本当に最低ランクと言ってもいい代物だ。
無いよりはマシだけど、下手な扱いのナイフでも切り裂けてしまいかねない。
でも防具屋の店主を責めるわけにもいかない。
それ以外の補助具などもかなり値引きしてもらったし、矢などは定価の半額以下で譲ってもらったのだから。
おそらく武器の分を差し引いても、ほとんど利益は出ていないはず。
そのうえ中古とはいえ、防具まで貸してくれた。多少の打算が含まれているとしても、感謝をしなければ。
「出来れば弓手専用の部分鎧が欲しいところですね……」
「そんなに違うの?」
「弓手用のは身体を覆う範囲こそ狭いですが、動きを妨げませんからね。硬革製の鎧でしたら、多少の攻撃を受けても致命傷を避けられる可能性は上がると思いますし。もちろん受けないのが一番ですけど」
「それはそうよ、私だって痛いのや苦しいのはイヤだもの」
全ての召喚士が例外なく、人生に一度しか勇者を呼び出せない。
当然ボクが召喚したサクラさんに怪我なんてして欲しくはないし、死ぬだなんて考えたくもない。
だからこそその可能性から目を背けず、可能な限り装備はしっかりと揃えたい。
しばらくはボクの欲しい物ができても、彼女の装備へと優先的にお金を回してしまいそうだ。
なんというか、まるで我が子を大事にする父親のような心境。
彼女の方が年上であるうえに、ボクはそういった……、諸々の経験がないので我が子が云々というのは変ではあるけど。
「そういうクルス君はどうなのよ」
「え?」
「主に戦うのは私だけど、キミにだって危険があるでしょ。自分の装備はどうするの?」
延々サクラさんの武具に関してばかり話していたせいか、逆にこちらが心配されてしまう。
ただ一応ボクには、騎士団から支給されたローブがある。
とある魔物から採れる、耐火性や対刃性に優れた毛を織って作られた物で、騎士団に入った時に召喚士見習いたちへ配られたものだ。
それを説明すると、サクラさんは一応は納得してくれたようだ。
本心を言ってしまえば、これだって彼女に使ってもらいたいくらい。
だがボクの体格に沿って作られたローブは彼女には短く、そのうえ弓を扱うには酷く邪魔になってしまう。
でも少しばかり心配してくれたことが嬉しく、ボクはカップに入った茶を口に含むサクラさんへ、声の大きさ以上の礼を口にした。