仮初の令嬢 01
シグレシア王国、王都エトラニア。
そこは国の中央部へと広がる丘陵地帯、そのほぼ中心へと位置する王国最大の都市。
人口にして約60万ほどが暮らすと言われるそこは、間違いなくこの国における政治経済の中心だ。
王家を始めとし幾つかの貴族らも暮らすその巨大都市は、同時に多くの勇者たちが集う地でもある。
現に前回そこを訪れた時には、勇者支援協会のシグレシア王国本部が運営する宿へと、300に迫る勇者と召喚士が居る光景に圧倒された。
ボクらの見知ったゲンゾーさんとクレメンテさんもまたこの地で暮らし、国や騎士団の要職に就いているとのことだ。
そんな王都エトラニアへと辿り着いたボクらは、早速協会の本部へ足を運ぶ。
そこで目的としていた他国への越境申請を行うのだけど、受付の女性から返された言葉によって、疲労の色を濃くする破目になるのであった。
「申し訳ありません。こちらではこの申請は受理できかねます」
「では騎士団へ提出をした方がいいでしょうか?」
「はい。直接王城の騎士団本部へ向かって頂く必要が。そちらで申請を行っていただければ、早くて3ヶ月ほどで許可は下りるかと」
職務上の必須技能と言えるのか、穏やかな笑顔を浮かべる女性。
彼女へと提出した国境越えの申請を行う書類は、淡々とした説明と共に突き返された。
どうやら越境申請を受理するためには、前もって相手国へと使いを送る必要があるという。
それを行うのは協会ではなく、この国の軍事を司る騎士団。その本拠がある王城へ行かねばならぬと。
ならば仕方ないと、ボクらは揃って協会の建物を出る。
王城はエトラニアの中心部、ここからであれば徒歩でしばらく歩かねばならない。
「なので交通機関を使いましょう。歩きだと時間がかかりますし」
「ああ、……アレね。揺れるから正直あまり好きじゃないけど」
協会を出るなり、大通りのずっと先にある一点を指さし告げる。
サクラさんはその言葉にゲンナリするのだけれど、ここ王都で移動を行うのであれば、大抵はそれを避けて通れない。
アルマの手を引き、乗り気ではないサクラさんを伴い向かった先に在るのは小さな看板。
その看板前へと移動すると、すぐ目の前に建物の3階分に相当する、深く広い溝があるのが見える。
少々目が眩みそうなそこへ立ちしばし待っていると、遠くからドドドドドという、重く鈍い音が響いてきた。
「相変わらず馬鹿デカいわね。いまだにあんなのを乗り物として使うなんて、信じられない」
「向こうの世界には、もっと大きな乗り物があると聞いたことがありますけど?」
「乗り物の大きさとしてはね。でもああも大きな生物を使ってというのは、向こうの常識ではありえないかな」
近づいてくるそれを眺めるサクラさんは、呆れた様子で息を吐く。
深い溝の中を走ってくるのは、その溝を丁度埋めるほどの大きさをした生物。
ずんぐりとした馬にも似たそいつは、この王都をぐるりと周回する交通機関として利用される、一種の魔物であった。
「こいつが一番大勢を運べますからね。魔物なのに人にも慣れますし」
看板の前で停止した魔物の上には、十数人が乗れる鞍が据えられている。
そこへと乗り込んで椅子へ腰かけると、人を乗せる魔物はすぐ次の目的地へと出発した。
しばらく揺られていると、横に座っていたアルマが身体の向きを変え外を眺める。
そしてどこか嬉しそうに表情を開かせると、腕を上げ一点を指さした。
「おしろだよクルス!」
アルマが指し示す方向には、ここエトラニアの中心へ建つ王城が。
町を囲む丘陵地帯の小高い丘を遥かに越える高さを誇る、王都の中枢たる白亜の建物だ。
同じくその王城を眺めていたサクラさんは、ふと目が合ったボクへ微笑みつつ問う。
「クルス君は、あそこへ行ったことが?」
「いえ、ボクはありませんね。騎士団に属してこそいますけど、入団からここまで一度として」
「意外ね。立場的には一応騎士なんだから、任命式か何かで行ったことがあるのかと」
「普通の騎士であればそういうこともありますが、召喚士は騎士の中でも別枠ですから。たぶん王城へ入ったことのない人は多いと思います」
大抵の召喚士は騎士団へ入ってから一人前になるまで、各地の訓練施設のみで過ごす。
それに勇者支援協会の本部は市街に在る。いくら騎士としての身分も持つとは言え、召喚士は基本王城に用が無いのだ。
勇者や召喚士の中でも日常的に王城へ出入りするのは、極一部の限られた人くらいのもの。
例えばこの国で最高位の勇者であるゲンゾーさんや、その相棒であるクレメンテさんなどは、要職に就いているため度々王城へ行っているはず。
あとは今回のように特別な申請を行う必要があるか、多大な功績を成して叙勲でもされなければ行く機会がない。
「そういえばサクラさんの世界にあるお城って、どんななんです?」
「他の国に行けば、ここのとよく似た城もあるわね。でも私たちが住んでた国の城は、アレよりももっと小さかった。それに木造だったし」
「木造のお城なんてあるんですか……」
なんとなく異界のお城というものが気になり、話題として振ってみる。
すると返されたのはなかなかに興味深い内容で、やはり異世界との違いを改めて感じさせるものだった。
到底叶わないけれど、向こうのお城というのも一度見てみたいとは思う。
魔物の背に乗り揺られるうちに、徐々に件の王城は近づいていく。
この路線は王城入口のすぐ近くを経由するはずで、ボクは眼前へ威容が近づくにつれ、徐々に緊張を感じ始めていた。
「少しだけ緊張してきました。サクラさんはなんともないんですか」
「全然平気。なにせ私は向こうの世界で、お城には何度となく入った経験があるもの」
「そ、そうなんですか? もしかしてサクラさん、実はかなり高い地位に居たとか……」
「そこら辺は想像にお任せしようかな。でもお城の最上部にも行ったことがあるわよ」
フフンと鼻を鳴らし告げるサクラさんの言葉に、ボクは感嘆の息を漏らす。
あちらの世界における城がどのような物かは想像がつかないけれど、お城のてっぺんなどという場所は、たぶん王様が使う場所に違いない。
なのでサクラさんはもしかすると、あちらの世界で貴族やそれに連なる地位であったのではと、そんな想像すらしてしまう。
でも……、なんとなくではあるけど、彼女に騙されているような気配を感じられてならない。
サクラさんの口元は愉快そうに小さく歪んでおり、ボクの何がしかの勘違いを利用し、からかっている素振りに見えてしまう。
「ほら、変な顔してないで。着いたから降りましょ」
どうにもおかしな気がしてならず、首を捻って考えている内に、目的の場所へ到着したようだ。
背を押してくるサクラさんに促され、魔物の背にある鞍から降りると、すぐ目の前には巨大な王城の入り口が。
息を整えて門へと進み、衛兵に身分証を見せ中へと入れてもらう。
アルマはそういった物を持っていないのだけれど、流石に6歳にも満たぬ子供では不審とは思われなかったようで、アッサリと素通りさせてくれた。
「これはまた、随分と立派ね。どれだけお金が掛かってることやら」
「最初の感想がそれですか。……ボクも同じことを思いましたけど」
足を踏み入れた先に在ったのは、正門と城を繋ぐための通路。
ただ通路とは言えひたすらに広い空間で、ボクらが住むカルテリオの邸宅と庭を合わせた面積の、ゆうに30倍は超えている。
そこは至る所へ緻密に彫られた彫刻が置かれており、サクラさんの言うようにお金の匂いを強く感じさせてならない。
「たぶん他国から来た客人に対して、先制攻撃を喰らわせるためだと思うけどね。"自分たちの国はこんなにも豊かなんだぞ"って」
「なるほど。つまりは牽制のためですか」
ボクには国同士の政などは、よくわからない。
でもサクラさんの言うように、調度品や建物によって相手を気圧させる事に成功すれば、優位に立てるようには思う。
ともあれそのような次元の話はボクらに関係などなく、早く手続きを済ませるため奥へ奥へと進んでいく。
しかし華美に過ぎるように見えるとはいえ、このような場所滅多に来れるものではなく、ボクは折角の機会と歩きながらも鑑賞をしていった。
そうしてしばらく通路を進んでいったのだけれど、通路の中ほどへと差し掛かったところで突然、豪華絢爛な内装に反すやたら大きく低い声が襲い掛かってくる。
「どうしたのだお前たち、こんな場所で!」
あまりに大きな声に驚き、つい耳を抑えながら振り返る。
全く同じ動作をしたサクラさんと共に見た先には、大柄な人物が腰に手を当て立っていた。
艶やかで縁に微細な刺繍を施した外套を纏うその人物は、大股で歩きこちらへと近づく。
「ゲ、ゲンゾーさん」
「久しいではないかお前たち。と言っても、あれからまだ半年も経ってはおらんか」
ボクらの前へと現れた人物は、この国で最も高名な勇者であり、随一の実力を持つと呼ばれるゲンゾーさんであった。
彼はこれまで見せたこともない、正装らしきキッチリとした衣服に身を包み、髪まで丁寧に整えられている。
その違和感全開な出で立ちに、ボクはつい言葉が漏れそうになるのを抑えるのだけど、サクラさんは我慢が出来なかったらしい。
「なんなのおっさん、その格好は。死ぬほど似合ってないけど」
「やかましい! ワシとてこんな肩っ苦しい服、似合うなどとは思っとらんわい」
「ああ、一応自覚はあるのね」
顔を合わせるなり、親しげに軽口の応酬を始める両者。
立場的な部分を言えば、勇者として長年活動し国で要職に就くゲンゾーさんの方が、遥かに上であるのは言うまでもない。
ただこの2人、何気に気が合うようで前に会った時もこうして愉快そうに話していた。
もちろんサクラさんも大人だ、最後の一線は守った上でだけれど。
そうして一通りの軽口を終えると、ゲンゾーさんはここへと来た用件を問う。
王城は基本的に勇者たちが寄りつかぬ施設だけに、ここへ来ていること自体が不思議なようで、ボクは怪訝そうにする彼へと理由を話した。
「なるほどな、アルマの両親を探すため隣国への越境申請をしにか。ふむ……」
理由を聞いたゲンゾーさんは、顎へと手を当て呻る。
これは別に彼にとって困る話でもないと思うのだけれど、なにやら考え込む素振りを見せており、ボクにはそれが少しだけ不吉さの前兆であると思えた。
なにせ彼やその相棒であるクレメンテさんがこういった仕草を見せた時、ボクらは厄介な目に遭っているのだから。
「立ち話もなんだ、部屋を用意するからそこで話さぬか」
「ですがこれから申請を……」
「なに、付き合ってくれたらワシが部下に命じて手続きをしてやる。茶菓子も出してやるぞ」
一転して笑顔を浮かべるゲンゾーさんは、強引にボクの手を取って引く。
やはり今の表情は、なにか善からぬ企みをしていたのではないか。城の奥へと引っ張られていく中、ボクはそんな確信を覚えるのであった。