Act.91 熱 <1>
身を焼かれるような衝撃に呑まれ、離散する意識の断片。
どろどろに熱く溶けた『それら』は朦朧とした景色の中で、痛みと、そして強い「空腹感」を訴えてきていた。
飢餓に飢え死に絶えた自我のひとつ、怪物になる前は加々美大志と呼ばれていた男の細胞の断片が、近づいてくる芳醇な“生の香り”を捉えた。
液化した細胞を蠢かし這いずるように近づけば、軍服に身を包んだ人間の姿がその眼に映る。
ご馳走だ、と人ならぬ自我の囁きが聞こえた。
恐らくこの騒動を聴き付けて駆け付けたのであろう軍人、それも構成術士の群れを見て、怪物は歓喜にその身を震わせる。
腹を満たせばまだ自我を保てる。その一心で加々美大志は生き残った残骸を集め、構成術士たちの死角へと身を潜めた。
水音を立てて忍び寄り、虎視眈々とその機を狙う。
周囲を見渡した部隊長らしき人物が、現状の確認を優先せよと指令を飛ばした――直後、
異形はその項へと噛り付いた。
◇◆◇◆◇◆◇
戦闘を終えた襲とシェリルが到着ロビーへと戻ってきてみると、意識が戻ったのか、先程シェリルが回収した梓が壁に寄り掛かったまま上体を起こし、帰ってきた二人を椿と共に出迎えた。
「あの怪物は、どうなりましたか?」
「撃退しました」
「吸蔵解放」に伴う激痛に苛まれていた襲に代わり、シェリルが穏やかな口調で応じた。
その言葉に梓が苦い笑みを浮かべて頭を下げる。
「そうですか…。すみません、その、助けていただいて」
「あ、あの!私からもありがとうございました!」
立ち上がろうとする梓の身体を支えながら、椿も頭を下げる。
何故か沈黙しているシェリルを見遣り、「どうした?」と襲は問い掛けようとして、
「そちらの方も、助けていただいてありがとうございました」
不意に掛けられた言葉に目を剥き、首を巡らせた先にある二つの垂れた頭を見て、襲は息を呑む。
その様子を見ていたシェリルが何故か小さく笑う。襲が白い目をシールドディスプレイ越しにシェリルに向けると、彼女は慌てて姿勢を正して言った。
「いえ、私たちがこちらに来たのは偶然でしたし、あまりお気になさらないで下さい」
「そうですか。ところで、お二人は一体どうしてこちらに…?見たところ軍の所属ではなさそうですが」
梓から放たれた詰問を受け、襲はようやく梓がこちらの正体にまだ気がついていないことを悟った。
よくよく考えてみれば……ではなく、普通に考えればわかることだが、機密性の高いフルフェイスヘルメットを被っている以上、こちらの声はややくぐもって聴こえ顔ははっきりとは見えないはずである。
正直開口一番罵声の一つや二つ飛んでくることを覚悟していたので、非常にありがたい話ではあった。
まぁ、こちらの存在自体を完全に忘れていたという可能性も無きにしも非ずだが……。
自分で言ってて悲しくなってきた、これ以上自分の影の薄さを揶揄するのはやめよう。精神衛生上宜しくない。
とまれ、身元がばれるわけにもいかないだろう。襲は慎重に言葉を選んで答えておいた。
「民間の方から依頼を受けただけですよ」
「では、民間警備会社の方……ということでしょうか?」
「ええ、そんなところです。それより身体の方は宜しいのですか?」
話題を逸らすべく話題を投げると、梓は乾いた笑みを浮かべて自嘲気味に答えてくる。
「右腕が多少痛みますが、他は問題ありません」
視線を梓の右腕へと向ければ、確かに赤黒く変色し歪な形へと変形しているのが見て取れる。
冷静を装ってはいるが相当痛むのだろう。梓の額から滲む珠のような汗を見咎めた襲は、無言のまま自身の右腕を梓の右腕へと伸ばした。
「……あの、何か?」
突然伸ばされた手に若干の警戒心を露わにした梓を余所に、襲は無線の回線を開き小声でシェリルにその意図を知らせる。
「手を貸していただけませんか?」
『多少の治癒術式の心得ならありますが、骨折を直すとなると私では…』
「構いません、こちらの手の甲に掌を重ねて詞素を注ぎ込んでいただければ結構です」
襲の言葉に一瞬疑問の色を呈したように見えたシェリルだったが、良くも悪くも人が善いのだろう。躊躇いなく手を伸ばし、こちらの手の甲に自身の掌を重ねると躊躇いがちに詞素を注ぎ込んでくる。
その間に襲は左腕をポーチに伸ばし、普段は使わない腕輪型のAIUを握った。
体内に注ぎ込まれたシェリルの詞素を、AIUに内蔵された詞法陣を介して性質を転化させ、体外へと放出。梓の肉体に吸蔵させると同時に、襲の「眼」は眼前の梓の肉体を構築する「情報体」を解析し、逆算。負傷前の身体情報を割り出していた。
算出した情報を基に構成術を発動する。
発動した構成術は、「情報復元」。
それは「過去の情報」を再現するように対象の構成分子を吸蔵操作することで、分子レベルで対象――「現在の情報体」を「過去の情報体」へと組み替える構成術である。
結果、梓の体細胞に吸蔵された詞素によって、タンパク質構造及びカルシウム構造を始めとしたあらゆる身体構造が負傷前のものへと復元されてゆく。
術式の発動から終了まで、要した時間は僅か一秒弱。
青白い閃光と共に完治した患部を見遣り、襲以外の三人は驚きをその表情と言動に露にした。
「な、治った…?」
自身の腕を見て驚愕に言葉を失っていた梓に代わり、滔々と椿が独りごちた。
シェリルも動揺こそしているようだったが、自分も手伝った手前下手に驚くわけにもいかずリアクションに困っているのかもしれない。
骨が折れていたことがまるで嘘であったかのように、治癒した右腕。「えっ、えっ?」などと困惑を言葉にしながらペタペタと梓の右腕を触り始めた椿に代わり、今度こそ梓本人が口を開いた。
「これはただの治癒術式ではありませんよね。一体……」
梓の紫色の瞳が、シールドディスプレイ越しに襲へと向けられる。
しかし動揺していたのは襲も同じであった。
「どうやって」ではなく、「どうして」彼女の怪我を直したのか。それが彼自身にもとんとわからなかった所為である。
他者から「優しさ」と勘違いされ兼ねない行為を嫌う、自分らしからぬ行為。
他人を思いやる行為に並べて価値はなく、そもそも、そんなものは存在こそしないのではなったか?
少なくとも、自分の「なか」には。
自己の精神的欲求を満たす為だけに行われるそれらの行為は偽善だ。醜悪で、唾棄すべき行為だ。
胸中でそう罵りつつ、ひとり無表情に狼狽え、どう答えようかと襲が思案していたとき、
『見ィつケタぁあ』
頭上から響く、悪魔の声。
「―――っ!」
咄嗟に飛び退くように身体を動かした襲とシェリルの視線が、そして、椿の身体を抱えてその場から跳躍した梓の視線がほぼ同時に声の主を捉える。
ロビーの天井を突き破って落下してきた人影は、数秒前まで襲たちが立っていた場所へと凄まじい速度で落下してきた。
赤黒い、否、黒い人型の物体が握りしめた拳を床へと叩き付ける。
瞬間、生じたのは凄まじい爆音と、
「きゃっ!」
打突点より捲れ上がった床材の破片の津波だった。
悲鳴を上げた椿の手を手繰り寄せ、「詩素光壁」を後方に展開した梓が衝撃波の反対へと脇目も振らずに駆け出す。
その後ろ姿を確認した襲は疑似詞素装甲を発動して再度跳躍。降り掛かる瓦礫を拳で砕きつつ、比較的損害が少ないと見える出発ロビーへと跳び込む。
「今のは……まさか、」
同じく出発ロビーに跳び込んできたシェリルが、到着ロビーに穿たれたクレーターを眼下に見遣り、息を呑んだ。
捲れ上がった床材の中央に立つ、黒い影。
姿形こそ違うが、この悍ましい粘着質な「気配」は間違いようもない。コイツは――…。
「生きていやがったのか……」
先程「爆雷陣」で粉々に吹き飛ばしたはずの、ヒトならざる異形の姿。
体格こそ一回り小さくなり一般的な成人男性と大差ないようにも見えるが、その外見は異質そのもの。全身を覆う金属質な表面組織は虫の甲殻にも似ており、例えるならば古来西洋の騎士が身に着けていたというプレートアーマーの類に外見上は似ていたと言えた。
似ていた、と過去形で表現したのは、怪物の外見がすぐに変貌した為である。
肉体が一回りほど膨張したと見えるや、押し上げられた鎧の隙間から無数の目が覗き始め、禍々しい黒の霧を周囲に滲ませ始めた。
虚ろな眼差しを浮かべ虚空を眺めていた眼球の群れは、怪物が身体を起こすと同時ぎょろぎょろと周囲を見渡し始め、その視線の先に四人の姿を捉える。
怪物が、右手を掲げる。
その延長線上には、襲の姿が。
気色悪い奇声を発しながら突き出された掌に、眩い光球が生まれる。
その正体は、恐らく高励起状態のフリークス粒子の塊だ。それも、かなり“高濃度”の。
舌打ちをしながら後方へと駆け出した襲の背に、放たれた光弾が迫る。
慌てて回避行動に移るが、「吸蔵解放」によってズタズタに引き裂かれた筋繊維に大した力が入るわけでもなく。
加速してゆく意識とは裏腹に鈍重過ぎる動作を続ける襲の肉体には、凄まじい速度で放たれた光弾の軌道上から逃れることは不可能であった。
出発ロビーに設けられた窓まで、あと僅か。
飛び降りろ、と命じられた肉体がガラス窓を突き破るが、背後より迫る光弾はそれらの回避行為を嘲笑うような速度で襲の背後へと迫り、そして―――。




