Act.6 After Dark <1>
二千九十八年 三月二十四日。
ロシアのサンクトペテルブルク郊外に位置するとある街は、七年前に起きたハンニバルの襲撃事変によって多くの命が奪われ、今尚その傷跡が数多く残る地域の一つである。
あの日以降から慰霊碑や墓地群、死者を祀った教会が多く見受けられるようになった反面。襲撃の恐怖からか、それとも死者の安息を願ってなのか。今日では故人を悼みに訪れる者を除けば、そこに暮らす者は事件発生以前と比べると極少数だと言っていいだろう。
都心からやや離れていたこともあって元よりそれほど華やかな街ではなかったのだが、それでも古き良き街並と、そこに住まう者達の活気が織り成す独特の空気があった。
気候は寒くとも、人の温もりを感じることができる。そんな「人が住みやすい街」だったのは間違いない。
だが、人気がなくなった街並は当時のような暖かさは当然なく、廃墟同然の建物がちらほらと抜け殻のように見受けられるだけである。
四月を目前とした今も、まだ、極寒地特有の冷気が重く沈殿している。
それでも少女はこの街を愛していた。
夜の帳が下り、数年前より明らかに明かりの少なくなった表街道。
一人歩くのは、蒼銀の銀糸のような艶やかな髪の少女。
青のピーコートに身を包んだ少女は首筋を撫でる夜風に身震いし、ラビットファーの中へと首を竦ませる。
その拍子に胸に抱えた紙袋がかさりと音を立て、中に入ったパンから麦の香ばしい香りが漂った。
「冷めてしまう前に、孤児院の皆に届けなくては」
先を急ごうとした少女の白く絹のような頬に、ひやりとした感触が落ちてきた。
思わず、彼女はその場で空を仰ぐ。
――雪だ…。
少女の瞳は瑠璃色の輝きを湛え、淀みない水面には黒塗の空から舞い降りる降雪が映り込む。
街灯に照らされる結晶は宝石のようにキラキラと、今尚残る冬の残滓を感じさせた。
その光景を目にしながら。
両親を失い、孤児となった七年前の「あの日」のことが少女の脳裏を過ぎる。
確か、雪の降る夜だった。とある修道院に身を寄せていた少女に、両親の死が伝えられたのは。
当時の少女は泣くことも忘れて、唯一手元に残った両親の写真を額縁に飾り、ただ日が暮れるまで眺めていた。
今思えば、なぜそんなことをしていたのだろう?
泣きじゃくる同期生の横顔を思い浮かべながら、彼女は自問する。
――だめだ、思考がまとまらない。
寒さの所為だろうか?
それとも――…
彼女は一人、頭を振った。
それでも過去の記憶は留まらずに、洪水の如く溢れ出てくる。
家族を失った少女は、町外れにある児童養護施設に送られることとなった。
事件から半年程の月日が流れた、晩冬の日。身寄りのない彼女たちを修道院まで迎えに来たのは、どこの使いかも知れぬ黒服の男たちだった。
彼らと修道院の子供たちにとって母親のような修道女が何やら凄まじい剣幕で言い争っていたのを、幼い記憶の片隅に少女はおぼろげながらに覚えている。
そして次の日、修道女の姿は修道院からいなくなっていた。
もしかしたら彼らに殺されたのかもしれない。そう悟りつつも、心のどこかで生きていて欲しいと縋る思考もあったのだろう。
しかし、少女は二度と修道女の暖かな笑顔を見ることはなかった。
そうして半ば強制的に連れてこられた場所は、ただの児童養護施設ではなかった。
両親を失った者を無償で保護するという大義名分のもと、構成術士足りうる者を選別し、軍事的教育を施す為の施設。
そう、だった。
構成術士としての才能が認められなかったものは適正検査の後に「処分」され、埋葬するわけでもなくただ雪の下に「放置」された。
そんな非人道的な扱いがまかり通っていたのは、政府によって秘密裏に作られた施設故だったのか?
今ではもう、少女には確かめようがない。
その施設は既に解体されているのだから。
だが、施設の名前なら覚えている。
構成術士第三開発研究所。
彼女はそこで構成術の扱いのみならず、あらゆる戦闘技術を叩き込まれた。
射撃術や体術、暗殺術や潜入術及び戦術学。こうした最高峰の戦闘教育を施されたのは少女がまだ善悪の判断がつかないような時分の話であり、彼女は己の置かれている場がどれだけ歪んでいるのかをしっかりとは把握できていなかった。
いや、その言い方は正しくないのかもしれない。
呼吸し、栄養を摂取し、睡眠をとるのと同じように、戦闘技術を学ばなければ彼女たちは生きていけなかったのだから。
だが幸いにして、施設での生活は三年余りで終わることとなった。
世界有数の構成術士の家系として名高い日本の「鳴神家」の構成術士たちが、ロシア遠征(戦闘行為という意味ではなく、日露の合同訓練)の際に構成術士第三開発研究所を発見し、念入りに調査した上で、国際法延いては倫理に悖るとして大規模な解体工作に動いたのだ。
この行為はロシア側との全面衝突を招くかと思われたが、「鳴神家」という“名前”とEUG(地球連邦)の後ろ盾もあり、大きな問題とはならなかった。ただし、今回の事件が政府組織とは何の関連性もなかったというロシア側の主張が、EUGで問題なく通ったという点も大きかったのだろう。
こうして施設が解体された後、少女は日本の鳴神家に一時身柄を保護されることとなった。
当初ロシア側は孤児全員を育児施設などで引き取る旨を申し出ていたようだったが、長きに亘る強制的な軍事教育による心身の衰弱と、禁忌的な肉体改造手術が行われた子供が様々な合併症を発症していたこともあり、彼女も含め、大半の子供達は長期的な保護観察が必要とのことで、急遽治療環境の整っている日本へと身柄が移されることとなったのだ。
実の所、彼女の身体は改造手術を行われたわけでもなく全くの健康体だったのだが、コミュニケーション能力の低さが災いして、精神面において問題があると判断された次第である。
だが結果から言えば、幸いして――と言うべきなのだろう。
日本での生活は数年に渡ったが、自然と彼女は何の不平不満も抱かなかった。言葉の壁こそあったものの、彼らは彼女を手厚く保護してくれた上に最低限の教養を教えてくれたのだ。
今思えば、自分は間違いなく幸運だったのだろう。
こうして無事に母国に帰ってこられた上に、もう一つの母国を――日本という心の拠り所を得られたのだから。
「懐かしい…ですね」
日本にいる恩人の顔を思い出し、彼女は思わず笑みが溢れるのを自覚した。
確か簪と言っただろうか?少女は自身の髪をピッグテールにまとめている金の髪留めへと手を遣り、思い出に耽る。
そんな時、町外れにある教会の鐘楼が低く身体の芯にまで響くような音を立てて鳴った。時を告げる鐘の音は、今が夕餉時であることを伝えるものである。
いつの間にそんなに時間が経っていたのだろう?
彼女は懐かしい「極東」の思い出から慌てて意識を戻し、パンの袋を抱え直してから孤児院への帰り道を急いだ。
きっと子どもたちがお腹を空かせて、今か今かと自分の帰りを待ちわびているに違いない。
これからもこんな何気ない日々が何時までも続くのだと、彼女は何の疑いもなしに、そう――思っていた。