Act.69 エンカウント <1>
二千九十八年、三月三十一日。
第七学園での会議の後、自衛隊が手配したという軍用ヘリに乗り込んでいた紗雪と鷹明は、軍の宿舎にて宿泊した後、作戦に同行することとなるBD部隊との合流を果たしていた。
そうして《VSS-18便》が運行を開始した時分とほぼ同刻に、再び、一行は軍用ヘリに乗って目的の地へと向かう。
「それにしても、まさかこんなペーペーと合同だなんて…。正直、アイツらいない方がマシだと思いますけど?」
「紗雪、言葉を慎め」
「すみませーん、鷹明先輩」
先行部隊から遅れること、数十秒。最後尾を飛行するヘリの機内に二人は居た。
元々二十人近い人員を運べる比較的大型の軍用ヘリであったが、今この機内に居るのは紗雪と鷹明、そしてヘリの操縦を務める桐生一真という四十代前後の軍人だけである。
「だが、気持ちは解からなくはない」
鷹明が苦笑するように、紗雪がこうして拗ねているのには無視し難い理由があった。
「確かに今回同行することになっているBD部隊の大半が実戦経験の無い素人ばかりだ。戦闘面に関してはやはり多少の不安は残るだろう」
軍役を負った構成術士の大半が若くして命を落とす現代において、常に人員不足は付いて回るものである。今回の作戦では、部隊の構成にそれが顕著に現れていたのだ。
実に投入された兵士のおよそ九割が詞素大学を卒業したばかりの、謂わば素人集団。実戦において素人の大半がただの足枷にしかならないことを身を以て知っている二人にとっては、やはり少なからず気が重くなる内容ではあった。
それこそ、議論しても仕方がないことではあるのだが。
「申し訳ない、お二人さん。先月の一件で軍も大分人員不足でな、こちらとしても非常に頭が痛い話なんだが……」
ヘリの操縦を続けながら会話に混ざってきたのは、今作戦において唯一ベテランとも言うべき一真である。
一真は構成術士ではない為正確にはBD部隊の一員ではないのだが、二年前に起きたコルメス奪回作戦を含め、数多くの戦場を生き抜いてきた経験を買われてBD部隊の指揮官として現場に入っているらしい。
「いえ、それは致し方ないことかと。それに、あの事件では我々も惜しい命を無くしました」
「望月優奈さん……だったな。彼女には我々も何度も助けられた」
感慨深げに語る一真の声には、確かに、故人を心の底から悼むような色が含まれていた。
紗雪もその変化を機敏に察知していたらしく、彼女は軍の宿舎にてレーシングガールが着ていそうなやたらと肌色の多い戦闘服(鷹明から見れば、である)に身を包んだ四足を、心無しか座席の上で丸めている。
「ところで桐生少佐。一つ、お尋ねしたいことがあるのですが」
「ん、何だ?」
一真が形式的な会話を嫌っていることを幾度かの面識の中で悟っていた鷹明だったが、敢えて硬い言葉を用いて詰問を行ったのには理由があった。否、動機と言うべきか。
「貴方は、雨宮襲という人物をご存知でしょうか?」
突然の詰問に大きなリアクションを示したのは、一真本人ではなく、鷹明の向かいの席に腰を落としていた紗雪の方であった。
「新しく我々の仲間になった少年の名前です」
先日の襲の発言から推測すれば、襲と軍との間に何らかの接点があったと疑うには十分な理由となりう得る。以上の点を鑑みれば、言葉を補足した鷹明の真意が解らない紗雪ではなかったが……。
彼が作戦に私情を持ち込むような性格ではないと思っていた紗雪には、少しばかりその言動に面食らうものがあったのだ。
一方、一真も鷹明の言葉に暫く息を詰まらせていたようであったが、誤魔化しの一切を許容しない威圧的な視線に晒され、すぐに諦めたような表情を浮かべる。
「……まぁ、確かにアイツとは古くから面識がある」
「それは彼が軍人だったということでしょうか?」
返答を予測していたかのようにインターバル無く放たれた鷹明の詰問に対して、一真は再び言葉を詰まらせた。
幾許かの停滞を経て、ヘリの操縦桿を握ったまま返された答えには、
「いいや、違う」
偽りや韜晦に準ずるものは感じられない。
返答を聞いても特に反応を示さない鷹明に、今度は一真が問いを投げる。
「そもそもどうして俺とアイツが知り合いだと思ったんだ?まさか、アイツが自分から話したとは思えないが」
一真が心底不思議そうに口を開いたのは、恐らく、襲と一真の二人の関係が決して浅い仲ではないことを示唆するものだと鷹明は冷静に判断した。
訊き出すには慎重に言葉を選ぶ必要がある。紗雪に目配せをしつつ、鷹明は回答を行った。
「我々のサークルに加入する際、彼は『望月優奈に借りがある』と語っていました。
恐らく、それが彼がサークルへの参加を希望した大きな理由になっている」
瞬間、一真の表情が僅かに引き攣ったのを鷹明は見逃さなかった。
「そうか……アイツ、変わんねぇな」
一真の心境を察することは、人の感情の起伏に疎い鷹明には到底叶わない。
一方紗雪には、呆れにも似た呟きに込められたその真意の片鱗を、伏せられた眼差しの奥に垣間見た気がした。
「一体、何があったのですか?」
「……お二人は、望月優奈さんの遺体を見たのか?」
鷹明の質問に対して返されたのは回答ではなく、何故か鷹明と紗雪両名への質問であった。
多少の疑問は抱いたものの、妙なところで律儀な性分の鷹明は首を横に振った紗雪に習い即答していた。
「いいえ。我々の死亡は、その機密性から基本事故として扱われます。
ですから原則、互いの『家』の間で直接的な繋がりのない場合は、死亡した者の葬儀には参列しないよう取り決められております」
ゆえに可能な、傭兵組織にも似た特殊な組織形態。だが、それこそが明日香と共にサークルを立ち上げた優奈本人が求めたものでもある。
だから鷹明を含め、部員の多くは優奈の死について詳しくは知らない。
『家』絡みで繋がりのあった、真藍明日香を除いて。
それを依頼者側の人間たる一真が知らないわけがない。そもそも鷹明たちのような非合法的な組織に需要があり続けるのは、そうした「使い捨てのし易さ」に注目してのことなのだから。
構成術士を「人」ではなく「兵器」として扱う軍にとって、「使い勝手の良さ」に勝る、これ以上の付加価値はない。
こうした現状は現場に身を置く者ほど痛感してしまうものなのだろう。鷹明と紗雪を含め、一真には許しがたい現状であった。
憎むように、辛むように、彼は告白する。
「彼女の死の間際、近くに居たのは雨宮だった」
「それは――…」
どういう意味ですか、と尋ねようとして。
鷹明は言葉を詰まらせた。
否、正確には質問を取り止めてしまったと表現すべきであろう。
対面する一真の表情には、普段の硬派な面持ちからは想像もできないほど、感情の色がありありと滲み出ていた。
「アイツが――望月優奈を殺した。
いや、違うな……介錯したって言った方が正しいんだろう」
思わず、鷹明は言葉を失った。
それは、会話に混ざろうと先程からタイミングを伺っていた紗雪も同様である。
そんな二人の姿をルームミラー越しに捉えながら、一真の意識は一ヶ月前の「あの日」へと遡っていた。
血塗られた刀を左手に。
血塗れの少女の頭部を右手に。
部隊員を連れて現場に向かった一真に向けて、少年は無表情に語る。
――俺が殺した、と。
その時の眼差しを、一真は忘れることができない。
冷たく無機質で、どこまでも深い哀しみを映し出した、昏い“紅”の眼を。
沈殿した重い静寂の中で、一真は何とか言葉を紡ぐ。
「だが、これだけは言っておく」
それは「告白」というより、「懇願」に近しいものであった。
見ていることしかできなかった、自分への。
何より、命を奪うことでしか誠意を示すことができなかった、少年への。
「アイツに責任はない。誰の責任でもないんだよ。
……だが、もし、もし仮にあるのだとしたら。それはきっと俺たち『大人』なんだろう」
だから、負い目を感じる必要なんて無いはずだと、一真は胸中で呟く。
呟かずにはいられない。
謝らずにはいられない。
その呟きだけは、その謝罪だけは、声に出しても出さなくても、決して届かないと知っていたのに――。
言い様もない罪悪感から目を逸らし、今は操縦に集中しようと一真は視線を前に上げた。
その、直後の出来事であった。
前方を飛行していたヘリの一機が巨大な蝶のような化物に襲われ、眼下の森林へと墜落していったのは。
ヘリが地表に落下すると同時に、真紅の爆炎が前方にて上がる。
『出やがった!新種の飛行種だっ!こんなヤツ報告には挙がってないぞ…!?』
続けて、すぐ目の前を飛行していた機体も森林から現れた蝶に組み付かれ、金属の装甲をまるで紙くずのように拉げさせて爆発。炎上した。
羽を捥がれたことで完全に推力を失った機体は当然飛行を続けることが叶わなくなり、やがて、錐揉むように回転しながら落下してゆく。
『クソッ、偵察隊は何やってたんだ!!』
それを真横から見ていたもう一機のヘリのパイロットも、恐怖からか、無線の向こうで酷く声を荒げていた。
「落ち着け、落ち着くんだ!連中は森の中から湧いて来てる。すぐさま高度を上げつつ旋回、この空域から離脱しろっ!」
見兼ねた一真が無線を介して指示を飛ばすも、実戦経験の無い連中は既に極度のパニック状態に陥ってしまっているらしく全く指示が通らない。ただ悪戯に、時間と命を消費してゆくだけである。
『ハンニバルだとっ!?どういうことだ!?
出現の報告を受けていたのは、ここからまだ十数キロ先だったはず――』
そこで無線が途切れてしまったのは、言うまでもなく通信の回路を開いていた機体が巨大な羽虫のようなハンニバルに襲われ無残に墜落した為であった。
爆発時に飛び散った破片が運悪くこちらのヘリを掠めてゆき、プロペラを損傷させる。
――このままでは不味い。
冷静に判断を下した鷹明は、戦闘準備を整えた紗雪へ目配せしつつ、操縦席へと顔を出した。
「桐生少佐、近くに大きな湖があります。そこへ着水しましょう。機体は俺が保護します」
目の前で人が死ぬ光景を目にしても鷹明と紗雪が冷静を保っていられたのは、二人が人の死に「慣れていた」ことが最も大きな要因として挙げられるであろう。
一端の高校生でしかない二人にとってそれが本当に「幸い」であったのかどうかはともかくとしても、戦闘員としては役に立てそうもない一真にとっては、これ以上なく頼もしく感じられた。
「……わかった、頼んだぞ」
後方から追い掛けてくる蝶を操縦桿を左右に切って何とか回避しながら、鷹明たちを乗せた軍用ヘリは近くの湖へと緩やかな弧を描いて接近した。




