Act.40 侵入者 <6>
黒いコートに身を包む、細身の侵入者。
術式を解除する様子を醒めた眼差しで見据えていた襲は、無表情に切り出す。
「お前は……人間だな?なら一応、今回の首謀者ってことでいいのか?」
問い掛けに対し、侵入者は答えない。
外国人ならば日本語がわからないのも無理はないが、襲は相手が使用していた「ステルスクラフト」に見覚えがあった。
返事は期待せずに、独り言のように続ける。
「さっきの術式から察するに、お前は“鳴神家”の人間か?それとも――」
独り言の合間に、奔る、光線。
襲は焦らず片足を引いて半身をずらし、光条に道を譲った。続けて放たれた青い光弾を掻い潜りながら、攻撃の出処を探る。しかし、碌な索敵もせずに襲は視線を目の前の人間に戻した。
恐らくはこちらが屋上に来ることを予測して、残留思念(詞素に残留した思念波)を利用した遠隔操作式の設置型構成術を予めどこかに仕掛けておいたのだろう。つまり、まんまと嵌められた形だ。
だが、迫り来る危機に反して。
襲は張り詰めていた緊張と戦意が、不意に空気の抜け始めた風船のように白けてゆくのを自覚していた。
(殺傷能力の低い構成、か。人質目的か……?)
降り注ぐ光弾の雨を前方へと距離を詰めながら躱し、駆ける。間合いを詰められるのを嫌ったのか、やや身動ぎしたと思われる侵入者の右手に詞素の奔流が束ねられ、淡い緑光を放ち始めた。
目にも止まらぬ速さで。詞素によって形成された“武器”が顕現される。
それはまるで、銃のような形状をしていた。
「詞素装甲」のように立体格子状に繋ぎ止められた詞素が力場を成し、物質的な性質を確立させる。大きな枠組みで言うと、詞素の相対座標を固定して力場を形成させる術式全般を「結合術式」と呼ぶが、侵入者はこれを用いて粒子の銃を形成させたらしい。
(『ガンクラフト』…!)
「ガンクラフト」とは、詞素を用いた遠距離術式の中でも「銃」という概念に基づいた特殊な術式である。厳密に言えば、“銃という立体構造”を利用して何かしらを撃ち放つ構成術、ということである。
銃という立体構造を発動条件とする以上、基本FLAMEをはじめとする射撃特化型のAIUが発動には必要不可欠だが、侵入者は弾丸だけでなく銃身そのものを詞素で構築し再現させているらしい。
一般的な射撃特化型AIUが火薬と弾丸の代わりに詞素を用いているだけであるのに対し、侵入者が行使している術式は銃弾を発射する為に必要な要素“全て”を詞素で補っているようだ。
間違いなく、相手は構成術士として非常に高い素質を持っている。
本来ならば、最大限の緊張感を以て臨むべき強敵。
しかし、襲は銃口から放たれた緑色の光弾に対して警戒するわけでもなく、相手の懐へと直進した。当然放たれていた詞素の弾丸が身体を撃ち痛みを伝える。だが、それだけであった。命中した光弾は制服の合成繊維を僅かに溶かすに留まり、肉体に穴を穿つどころか襲の突進を静止させることさえできていない。
殺る気のない攻撃など、恐るるに足らず。弾丸の雨を抜けて襲は侵入者へと手刀を放った。対する侵入者は避けることはせず、粒子で形成された拳銃をコンバットナイフのような形態に変化させて突き出してくる。
眼前に突き出された光の刃に対し、動揺も恐怖すらも抱かぬまま、襲は前へと踏み出した。
防御する姿勢すら見せずに、両手を開いて“刃に”飛び込む。
「――…ッ!?」
詞素によって形成された、荷電粒子の刃。それは先程の攻撃とは異なり、明らかに殺傷を目的とした術式だ。生身で飛び込めば、負傷するのは間違いなく襲の方――…。
もし仮に侵入者側に相手を拘束する必要性があったとしても、懐に潜り込まれた時点で自身の保身を優先するのが軍人としては妥当な判断だろう。学園には人質などいくらでもいるのだし、替えのきかない、己自身の安全を最も優先すべきなのだから。
だが、動揺を露にしたのは襲ではなく、攻撃を放った侵入者の方であった。
突き出された刃に対し、急所を自ら晒して飛び込んでくる、敵。確かに動揺を誘うには十分な要素だが、それでも侵入者には躊躇う余地はなかったはずだ。
――突き出せば、全てが“終わる”。
襲の瞳は、フードの下に覗く侵入者の瞳を無表情に覗いている。
侵入者の瞳は、自らの手元に握られた凶器を見詰めていた。
二人の身体が交錯する、瞬間。侵入者は咄嗟に光の刃を収めていた。刃を形成していた粒子が拡散し、散り散りになった詞素の中に襲は手を伸ばす。伸ばされた右腕は侵入者の頭部に触れる直前、中指と親指で一つの輪を作っていた。
体内の詞素を、中指に集める。
襲の指先に、蒼い火が灯った。
中指に力を込め、輪を崩すようにして前方へと放つ。それはまるで、と言うより、デコピンそのものであった。
放たれた指先は侵入者の額に触れると蒼い火花を飛ばし、雷光を放つ。
「ぐっ――…」
デコピンを放たれた侵入者は短な呻き声を上げ、崩れ込むように転倒した。意識を寸断された身体は弛緩し無気力に崩れ落ちる。
「おっ、と」
倒れた侵入者の身体を襲は抱き留めるようにして受け止めた。やけに軽い身体を支えたまま膝を曲げ、ゆっくりと床に降ろす。
だが襲は反射的に受け止めたわけではなく、意識的に身体を動かしていた。
本来ならば明確な敵である侵入者に対して紳士的(?)な行動を取るのは良心の呵責の一切を否定する襲の神経では有り得ないことだが、その点、今回に限っては例外的な措置と言える。
それ以前に侵入者を無力化させた際に使用した術式は、襲が扱える対人用の術式の中でも最も殺傷能力が低い術式の一つだった。
先の術式。見た者は電気を放出したように錯覚したかもしれないが、彼が放ったのは電気的なものではない。
そもそもスタンガンで相手の意識を奪うことが困難であるように、人間の意識を電流で刈り取るにはそれなりに高い電圧が必要とされる。もちろん、電圧が高くなれば人体への危険性も無視できないだろう。構成術士の肉体がいくら丈夫であるとしても、発電系統の術式は対人用の術式としては些か扱いに難があるのは否めない。
手刀で首筋を打って気絶させる手段も考えはしたが、喉仏の左右にある頚動脈洞を圧迫すると起こる頸動脈洞反射を利用した失神法では、打撃法ゆえに、生死に係わりかねないほどの高いリスクが伴う。
結論から言って、襲は指先に宿した詞素を相手の体内に流し込み脳幹に流れる血流を一時的に遮断させた。
脳幹に流れ込む血流を遮断することで、対象の失神を誘発させる構成術。日本では「流し」と呼ばれる詞素の伝導技術の応用技であり、極少量の詞素容量しか有していない襲にできる数少ない術式の一つだ。生命の危機はもちろんのこと、後遺症の可能性も低い。
目立った外傷はないだろうが、内部組織の損傷の可能性はゼロではない。
念の為に確認しておこうと侵入者のフードを払った襲の目が、ようやく侵入者の素顔を捉えた。見覚えのある顔立ちに思わずため息が零れる。
「やはり……な」
銀の髪に青の瞳。驚くほど白い新雪のような肌は北欧系の血が成せる美か。
実際に会うのは初めてだったが、襲はこの少女のことをよく識っていた。
いや――、正確にはつい先程、少女の放った詞素の弾丸に頭部を撃たれた際に理解した――と言うべきなのだろう。
構成術士は「構成を読む」際に、相手の放出した思念波をトレースする。
つまり他者の思念波あるいは残留思念によって、自身のミーム細胞が共振することでその相手の構成を読み取るわけだが、その構成の中には当然術者の“思念”が残留している。
思念とは「念」そのものだ。
術に対するイメージや術を放っている時の思考、そして記憶。それら全てが内包され、複雑に絡み合うことで構成は形作られている。
だが、単純な指令コードでしかない「構成を読む」ことができたとしても、構成の奥底に沈んだ「記憶を読む」ことは容易ではない。
例外的に、互いに思念波の類似性が見られる者同士(例えば血縁関係者など)ならば互いの「記憶を読む」ことがあるらしいが、世界的に見ても実例が少なく詳しいことは解っていないのが現状だ。
しかし襲には、相手の記憶が流れ込んできた経験が幾度となくあった。
だがそれは、彼が“その為に造られたもの”であるからに、他ならない。
「面倒事は、御免蒙りたいんだがな」
だが、彼女をこのまま放っておくわけにはいかないだろう。学園内の騒ぎはこの際度外視したとしても、識ってしまった少女の「事情」が、襲にとっても無視できない「事情」だったのだから。
先ずは目の前の要件から片付けようと、そう胸中で独りごちて。
ポケットからTIGを取り出した襲は、最後の侵入者を片付けたであろう幼馴染へと電話を掛けた。




