Act.39 侵入者 <5>
孤児院に身を置く少女は、亡くなった両親の写真を写真立てに収め、ただ日が暮れるまで眺めていた。
日々繰り返される殺伐とした軍事訓練に追われていた少女は、感情を殺し、無表情に心を壊していた。
日本のとある組織に保護された少女は、戸惑いながら、人の温かさを知った。
教会に身を置いた少女は、敷地内を縦横無尽に駆け回る子供達の世話に追われながら、柔らかな微笑みを浮かべていた。
そして彼女は、
シェリル・フェランディーは――。
「襲っ――!」
カレンの呼びかけに。
意識を取り戻した襲は、銃弾を受け傾いていく両足に力を込め、歯を食い縛った。
頭蓋を叩いたのは翡翠の光弾。対し、襲は仄暗い意識の中で何とか踏み留まる。
(射撃ッ――!遠距離の構成術か!?)
頭が少し痛んだが、取り敢えず身体は動くようだった。
察するに、受けたのは実弾ではなく圧縮した詞素の弾丸だろう。そもそもこの身体はただの銃弾でやられるような柔な造りはしていないのだが、逆に先の攻撃が「FLAME」などの射撃特化型AIUによって行われたものであったならば、間違いなく脳髄まで掻き回されていたはずである。
続けざまに紫色の視線が捉えたのは、蒼の閃光。
それは、全身を包むように発動した発電系の構成術だった。
詩素を振動させ互いに擦り合わせることで、「詩素発電」は摩擦帯電を引き起こす――。
だが、発動した術式は発電量が少なく、総合的に見ても殺傷能力が低いように思える。もしかしたら、感電による対象の無力化を狙った拘束用の術式なのかもしれない。
思考を走らせながら、襲はある行動に移った。
だが、第三者の視点から見れば彼が何をしたのかは全くわからなかったことだろう。
それもそのはず。アクションを起こしたのは襲の肉体とは言っても、彼の「脳」だったのだから。
襲が念じた、瞬間。肉体を拘束していた電流の鎖は、瞬時に引き裂かれる。
「来てっ!」
周囲を確認しようとしたタイミングで不意に背後から襟首を掴まれ、弛緩したままの身体が引っ張られていく。建物の影まで来ると襟首を拘束していた掌が不意に離れ、襲は若干咳き込みながら顔を上げた。
案の定、目の前には赤い髪をした少女の姿がある。
「大丈夫!?意識はハッキリとしてる!?」
朦朧とした意識が見せた幻覚だったのか、少女の目尻には僅かな雫が光っているように見えた。
「あ、ああ。問題ない、心配かけたな」
額に手を当て、「半自動自己復元」を発動させる。幾分かクリアになった視界の先には不機嫌そうな幼馴染の顔があるだけであり、涙の痕跡など欠片も見受けられなかった。
「別に心配なんてしてないけど、まぁユイちゃんと約束したからね」
「ん、約束…?」
引っ張られたことで乱れた襟首を直しながら襲が訊ねると、カレンは少し考える風情をとった。
「強いて言うならダメ人間のお守り、かな」
言わずもがな。ダメな人間とは襲自身を揶揄する言葉なのだろうが、不思議と苛立ちなどのマイナスな感情は生じなかった。
思わず苦笑しながら、お礼交じりに破顔する。
「取り敢えずサンキューな」
「なっ――はぁ、調子狂うわね。謝らなきゃいけないのは私の方なのに……」
こちらから顔を反らし、もごもごと何やら小声で呟くカレン。
素直にお礼を言われたのが恥ずかしかったのだろう。頬に薄らと紅が差している様が少し面白かったが、それを指摘すると小一時間程詰られそうだったので自粛しておいた。
代わりに、話を進める。
「さっきの狙撃、どこから撃たれたものかわかったか?」
襲の詰問に再び視線を正面に戻し、カレンは人差し指を立てた。指先を中央図書館の隣に建てられている号館に向けながら、推論を述べる。
「中央図書館の隣にある、あの号館の屋上からだと思う。
『円陣』の索敵範囲に引っ掛からなかったこともあるし、多分間違いないんじゃない?」
先程展開された『円陣』の索敵範囲には中央図書館の隣にある建物、確か特別棟とやらはギリギリ入っていなかったはずだ。なるほど、あの高さならば中央図書館前の広場全体を見渡せる絶好の場所だろうし、まず間違いないだろう。
「よし、じゃあ俺はそっちを片付けてくるから、カレンは中央図書館に侵入しようとしている不届き者を伸しといてくれ」
「……了解、くれぐれもヘマとかしないでよ?」
カレンの心配に見せかけた(?)注意喚起に対し、襲は適当に手を振って答えた。そのまま蠅でも追い払うような手振りで追い出す。
不真面目な態度にカレンの目つきが少々悪くなったように見えたが、どうやら素直に従ってくれたようだった。建物の角を曲がって姿を消した赤のポニーテールを見送りながら、襲も駆け出す。
(こっちだな)
先程の狙撃、その射手の気配は既に完全に消えている。
臭い、音、そして姿。自らの存在を知らせるあらゆる情報を外部の一切から遮断し、周囲から己の存在自体を欺く隠形の術。俗に「ステルスクラフト」、あるいは「インビジブル」と呼ばれる術式を使用して相手が身を隠しているのは間違いないだろうが、襲には手に取るようにその位置を『認識』できた。
特別棟の手前まで辿り着くや否や、襲は膝を深く曲げ、音もなくコンクリートを蹴った。
緩やかに跳躍した身体が特別棟の外壁に触れた瞬間、爪先に力を込め空中で上体を起こす。そこから先は靴底と外壁との間で生じた摩擦に体重を委ねて真上へと跳んだ。後はひたすら一連の動作を狂いなく繰り返し、垂直方向へと進む。
まるで壁を駆け上っているような光景だが、勿論常人が真似できるような行為ではない。圧倒的な筋力。そして常人離れした運動神経によってのみ可能な荒技だということは、火を見るより明らかであった。
本当は一気に屋上まで跳躍することも考えていたのだが、無闇に音を立てて相手の警戒心を駆り立てるような真似は避けておいた方が無難だろう。そう判断して、静かに屋上へと駆け上る。
(さて、狙撃手は――)
屋上の転落防止柵に指を掛け、一気に屋上へと躍り出た襲を待ち受けていたのは緑色の光弾だった。
ダリウスの放った「気弾」とも似ているが、こちらの方が威力は数段劣っているように襲は認識した。生身の人間ならば昏倒させることも十分に可能だったのだろうが、襲のとっては避けることさえ煩わしく感じる攻撃だった。避けることはせず、右腕を振って光弾を弾く。軌道を逸らされた光弾は柵に当り、柵を大きく湾曲させた。
屋上に両足が付くまでの合間に。
襲の『視力』は光弾の軌跡を辿り、屋上のある一点を見据えていた。
そこには誰の姿もない。気配もない。だが、質量はあった。
襲の『感覚』は三次元空間に作用している質量体の存在を捉え、視覚情報へと昇華させていた。着地した身体をゆったりとした動作で起こしながら、揺るぎない確信を以て目の前の事象と対峙する。
不可視の敵は続けて純白の球を五つ宙へと並べ、襲の頭上へと間断なく撃ち放ってきた。その全てを前後左右の体捌きでやり過ごし、続けて、冷えた声音を虚空へと飛ばす。
「隠れてないで、出てきたらどうだ?」
見えない相手に、視線と顎先で促す。
身を隠していた相手に襲の言葉に応じたのか、あるいは「ステルスクラフト」が有効でないとみて作戦を変えたのか。
襲が睨み付けていた空間の景色がぼやけたかと思うと、滲み出すように人の姿が虚空から現れた。




