Act.17 余波と歪み <1>
「みんな、席に着いて」
コホン、と咳払いしたのは、ホストの席に座っている明日香だ。
他のメンバーもようやく落ち着きを取り戻したらしく、今は大人しく座っているようだが……恐らくは表面上だけのことなのだろう。
紗雪からは興味深々といった視線を受け、ダリウスからは八つ当たり気味(と言うか完全な八つ当たりである)の敵意を向けられている襲は、助け舟が来たとばかりに、喜びと期待を込めた視線を明日香へと投げる。
その視線に気づいたのだろう。明日香は少し気遣うような表情を見せ、気不味そうに切り出した。
「…えっと、そろそろ会議の方始めましょうか。ベリル、お願い」
「わかりました」
彼らが部室に集まってから既に十五分以上の時が流れていたが、ようやく肝心の本題へと入れるようだ。
明日香の言葉が場の空気を切り替えたようで、メンバー全員の意識が紅茶を淹れ終わり改めて席を立ったベリルへと向けられる。
「今日集まっていただいたのは他でもない、仕事の話です」
ベリルはそう告げて、機械仕掛けの方卓へと右腕を翳した。
もちろんリモコンのように“赤外線のようなもの”が視認できたわけがないのだが(それ以前に赤外線は視認できない)、その行く末は卓上ディスプレイに相違ない。
防水防汚加工が施されたガラステーブルは、恐らく馬鹿にならないお値段なのだろう。
だが、彼らの意識は方卓の上の空間。正確にはその空間に投影された作戦資料に移っていた。いわゆる立体映像の一種である。
半世紀以上前には既にレーザーで空気をプラズマ発光させて映像を描画するシステムや、超音波式の霧生成装置で発生させた霧をスクリーンに見立てることで立体映像を出力する装置などは存在していたらしいが、この立体映像はそう言った類のものではない。
彼らの目に移っている光は、詞素より生ずるもの。
そしてこの方卓内に内蔵されているのは、構成相互変換演算器(affectus interactive unit)。一般的には「AIU」の略称で呼ばれている、構成術の発動を補助する為に開発された術式演算器の類であろう。
構成術における「構成」とは人間の「イメージ」そのものであり、数式で説明できるような代物ではないとされてきた。
しかし今から二十数年程前、当時構成学の第一人者であったフェルゼン・ミュラーの手によって、思念波とそれを受けた詞素の間に「ある規則性」があることが発見され、それを数値化して制御する技術の基礎理論が提唱された。
これは現在では「フォノンコード」と呼ばれ、構成術に関わるあらゆる分野でその技術が活用されている。
これらの進歩によって詞素を用いた機械の開発が実現可能になるかと期待されていたのだが、残念ながらそうは問屋が卸さなかった。
そもそも詞素を用いた機械の開発に必要な技術は、主に二つある。
一つは詞素を保存する技術、もう一つは人工的に思念波を生成する技術である。
第一条件の「詞素を物質化して保存する技術」こそ確立していた人類だが、残念ながら思念波を機械的に保存・生成する技術に関しては全くの手付かずであった。現在も、である。
現状としては詞素を利用した機械の操作には、構成術師の手が必要不可欠。
しかしその一方で、高度で複雑な機械構造を理解しそれを構成術で模倣するというのは非常に困難なことである。
そこで開発されたのが術式の演算を補助する為の装置。つまりAIUであった。
AIUには本来構成術師も無意識下でしか処理することができない構成式(構成術の演算式)を二次元情報に変換した図案、有り体にいうと魔法陣のように図式化した「詞法陣」と呼ばれる術式が内蔵されている。
要約して述べると、AIUは、本来ならば膨大な演算が必要となる構成術の発動を補助し円滑化する為の装置なのだ。
詞素は構成術によって様々な性質を持った素粒子に転化するが、その多くの生成粒子は物質間の相互作用。つまり、力を伝播するボース粒子としての性質を色濃く有する一方、物質を構成するフェルミ粒子の性質も有している。
「視る」限り、このAIUは詞素を物理的性質へと転化させ、更に詞素に加えるエネルギー量を調節することで電子遷移を引き起こし、詞素に任意の発色を促しているようだ。
襲はその粒子の唸りが織り成す光学現象に感嘆しつつ、取り敢えずは作戦資料へと目を走らせる。
「先日、二十三時四十分頃。日本のKAGRAが微弱な重力波を観測しました。
日本政府はこれをシャドウ出現の『余波』と判断し、我々にも迎撃作戦に参加して欲しいとのことです」
「ん…?待ってくれ、かぐらってなんだ?」
襲を含めた全員が頷いた…わけではなく、頭の上で疑問符を浮かべたのはダリウスだった。
会話が寸断されたことに苛立ちを覚えたのか、はたまたダリウスの存在が目障りだったのか。ベリルはAIUに送る思念波を操作して「かぐら」の画像を見せながら、少々面倒臭そうに答える。
「岐阜県、飛騨市。神岡町の地下に設置されている大型低温重力波望遠鏡のことです。当時は一般相対性理論から存在が予言されているものの、検出されていなかった重力波を直接検出することを目的として建設されました。
現在では専らシャドウの観測装置として利用されていますが、正確には現在稼働しているのはその弐号機になりますね」
「……悪い。さっぱりわからんが、どうして重力波が検出されると“連中”が現れる予兆だってわかるんだ?」
流石に面倒になってしまったのか、ベリルは襲へと無機質な視線を投げた。
恐らくは「面倒だから適当に話題を切って欲しい」ということだったのだろうが、なぜ新人の自分にその役割を押し付けようとしたのか彼には全く理解できなかった。
そのことを少なからず面倒に思いつつも、ダリウスを気の毒に思った襲はその答えを口にする。
「重要なのは、重力は質量が空間を曲げることでその空間の曲がりから生じる力だということです」
下級生からの生意気な物言いに少しムッとした様子のダリウスだったが、恐らくは純粋な知識欲がそれに勝ったのだろう。
ベリルから襲へと視線を移して、
「それは……なんとなく。惑星なんかが重力を持ってるのは、惑星が質量を持ってるから、ってことだろ?」
「はい。例えばトランポリンのネットを空間そのものだとすると、質量体である人間がネットに乗るとその重さでネットが、つまり空間が曲がりますよね?それが重力の大雑把なメカニズムです」
空調が効いている為か少し乾き始めた唇を舐めたくなる衝動に駆られながら、自然と集まり始めた視線を受け止める。
「つまり重力波は、星などの質量体が公転などの様々な運動によって“空間を揺さぶる”ことで生じる波です。
噛み砕いて言うと、空間の伸び縮みが波のように周囲へと伝わる現象のことを我々は重力波と呼んでいます」
「で、結論としては重力波が観測されるとなんで『奴ら』が来たことがわかるんだ?」
食いついてきたのはダリウスではなく、その正面に腰掛けた紗雪だった。
彼女は期待に満ちた眼差しを襲へと送り、その答えを今か今かと待ち構えている様子である。
(なんで貴方まで参加しているんですか…?)
そんな疑問が脳裏を過ぎったが持ち前の自制心で口を噤み、紗雪とダリウスを視野に収め直してから改めて口を開く。
「恐らくですが『奴ら』も質量を持っていると思われます。仮に質量らしいものを持ってなかったとしても、奴らは別の次元から湧いて来ています。出現時はもちろん、その前兆として周囲の空間が歪み、それが重力波として観測されるのは別に不思議なことではありません。
確かに中性子星をはじめとする自然発生した重力波も多数観測されていますが、奴らが引き起こす重力波と比べるとやはり微弱なんですよ」
「これで終わり」とでも言いたげに、襲は有無を言わさぬ迅速さで視線をベリルへと戻した。
しかし、その隣で呟かれた予想だにしていなかった光景を彼は目撃する。
「へぇ…、雨宮くんって物知りだね」
感心したように呟いたのは、ホスト席に腰掛けたまま身を乗り出しそうな熱心さで聞き入っていた明日香だった。
その様子を見ていたベリルが、少し呆れた様子で明日香を咎める。
「明日香、まさか貴方も理解していなかったのですか?他ならないサークル長の貴方が?」
「ち、違うよ。ただ雨宮くんの博識さに感心していただけだって」
酷く慌てている様子を見ると怪しい限りだったが、このまま問い詰めても何も生まれないだろう。むしろ悪戯に時間を浪費するだけである。
胸中で無言のうちに判断した襲は、“既に実行に移していた鷹明を見習って”ベリルに話の先を促す視線を送った。




