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構成術士の欠陥因子 《OD》  作者: 寺鳥 夜鶏
オーバーダイブ編 <上>
2/124

Act.0 忌み名

二千九十八年 三月十一日。



冬の寒さが尚も残る、この日。一人の女が自らの子供の手を引いて夜道を走っていた。

都心よりやや遠い廃れた街並みには、ちらほらと点る街頭の明かりだけが人魂のように浮かび上がり、息を切らしながら走る二つの人影を薄ぼんやりと照らし出している。

最中、少女は母親を見上げ泣きそうな表情で訴えた。


「お、お母さんっ……私、もう走れないよっ」

「ならお母さんがぶってあげるから、早くッ!」


珠のような汗が首筋を伝い、くたれた上着の柄襟首を湿らせる。そこへ回された我が子の両腕を熱と感じ取ってから、女は再び走り出した。


――奴らが、追ってきている。


耳朶を不愉快にぜる足音は自身の足音とはその質が明らかに異なるもので、その地獄の底から這い出した亡者のような粘着質な断続音は、追跡者が人ならぬものであることを如実に物語っていた。



がり、がり、がり。


ひた、ひた、ひた……と。



酸素を求める肺が焼けるよう痛み、疲労からか、鉛のように重くなった両足が思うように前へ進まない。恐怖に駆られた思惟しいだけがただ急げと叫び、悪戯に夜の街道を滑った。

どれほど走り続けただろうか。走っているのか歩いているのか本人でさえわからなくなってから、しばし。人気ひとけがない夜道を走り抜けた女の足が、ようやく人通りの多い街道へと差し掛かろうとした、その時だった。

背後にて何かが空を裂く音が響き、女が何事かと振り返った――刹那、激痛が左足に走り、悲鳴を上げた女は顔からアスファルトへと倒れ込んだ。

激痛に見遣れば、太く赤黒い針のようなものが左の脹脛ふくらはぎを貫いている。傷口から滲む鮮血が女の足を伝い、背筋を襲う寒気をより確かなものとしてゆく。


「お、お母さん……大丈夫?」


背中の我が子の声を聞き正気を取り戻した女は、背後を――肌寒い闇夜が沈殿している後方へと視線を投げた。



ひた、ひた、がり。ひたひたひた…。

がり、がりがりがりがり。



確かに忍び寄る死の足音に女は悲鳴を上げそうになった唇を噛み、持ち得る自制心を総動員させて我が子を見た。


「お母さんは大丈夫だから、早く逃げなさいッ!」

「い、いやぁ!いやだよっ、逃げるならお母さんも一緒にっ!」


涙を目尻に浮かべた少女が倒れたまま動けずにいる女の身体に縋りつき、仄かな体温を伝える。

不意に芽生えた生への実感が、ヒステリーを起こし掛けた女の思考を払った。

この温かな熱を、命を、何としてでも助けなければ…。

冷静さを幾分か取り戻した女は我が子の両肩に手を置き、つぶらな瞳を覗き込むようにしてさとす。


「お母さんもすぐに行くから。ね?いい子だから、お願いよ、今は――」


そう語り掛けた女の前に、暗い影が落ちた。

恐る恐る顔を上げる。

そこには、生臭い獣のような息を吐き、身を震わせるヒトがいた。

知らず、女の口から震えた声が零れ落ちる。


「ひぃっ」


それは、ヒトと呼ぶには余りにも異形か。

焼けただれたような顔はマネキンさながらに表情がなく、垂れ下がった皮膚を衣類のように着こなす様は、いづれ訪れるであろう人の「死」を具現化させたような、生々しい、禍々しさに満ち満ちている。

人間であれば腕と呼ぶべき部分には、異常なまでに肥大化した肉の塊がだらりと垂れ下がり、その先端には冷ややかな輝きを放つ鎌のような鉤爪が覗いている。


「は、ハン、ニバル……」


鉤爪が、がりがりと金属を擦るような音を立てて引き摺られ、忍び寄る異形の足が、ひたひたと足音を立てる。

小刻みに頭を痙攣させながら歩み寄る姿は、まるで死神。


その鎌首が持ち上がり、我が子を抱えた女が反射的に瞼を閉じる――、




「何とか間に合ったな」




――刹那。気怠けだるげな声が響き、蒼の閃光が闇を押し退けるように瞬いた。


翻った刃も蒼。


空気が爆ぜる音を散らしながら虚空から振り下ろされた刃は、雷の如く死神の脳天へと突き刺さるや、肉の焼けるような異臭と共にその身体を通過。閃光に驚いた女が瞼を開くと同時、死神の身体が赤く粘ついた体液を滴らせて、脳天から左右へと真っ二つに分かれた。


崩れた死神の向こう。

闇夜に紛れ込むように立つのは、右手に刀を携えた一人の少年。

黒髪、黒づくめの身体には時折静電気にも似た閃光が奔り、鋭い輝きを放つ紫の瞳を虚空に浮かび上がらせている。


その背後から、もう二匹。狼のような外見をした異形が少年へと躍り掛かる。

見ずに攻撃を察した少年は、雷光を帯びた刃を逆手に持ち替え、跳び込んでくる狼と擦れ違うように柄を握る腕を振るった。雷弧を描いて滑った刃が噛み付かんとする狼の身体へと吸い込まれ、口元から尾にかけて横薙ぎに一閃。二つに両断された死骸が、赤黒い血しぶきを上げながらアスファルトの上を転がる。


一方、少年の死角へと回った残る一匹が、強靭な肉体をしならせて少年の左側方から猪突。花弁のように左右上下へと裂けた口を大きく開き、刃物のように鋭い牙を突き立てるべく肉薄する。


直後、上空から光の槍が降り注いだ。


狼の胴体を的確に射抜いた光槍が路面へと突き刺さり、地鳴りのような衝撃と共に、焼け溶けたアスファルトの異臭を周囲へと拡散させる。

女の鼓膜へと届いたジャッという油が跳ねるような音は、異形の血が蒸発した音か。

狼の身体を路面へと縫い留めていた槍が消え、赤黒い血がアスファルトに滲む。――と、槍が降り注いだ方向。頭上から、声が響く。


「お兄さん、お怪我はありませんか?」

「ああ、問題ない」


緑の光の衣を身に纏い、天界から舞い降りた天女を思わせる所作でふわりと舞い降りてきた黒髪の少女が少年へと声を掛けた。

ぶっきらぼうな態度で応じた少年は刃に付着した血を払い、片刃の凶器を鞘へと収める。そのまま倒れたまま動けずにいる女に歩み寄ると、そっと手を差し出して、


「大丈夫ですか?」


その手を、女は払った。


「ば、化け物ッ!」


憎々しげに返された言葉の節々に感じるのは、得体の知れない存在に対する恐怖と憎悪。

それでも眉ひとつ動かさなかった少年は負傷した女の左足を見遣り、なおも続けた。


「病院までお送りします、手を」

「触らないでッ!」


再び差し出された手を払った女は、無表情を貫く少年を真正面から憎悪の炎を宿らせた双眸で睨み付け、喚き、怒鳴る。

無言を貫く少年に代わり、今度は黒髪の少女が悲痛気な表情で訴え掛けた。


「私たちは敵ではありませんっ、悲鳴を聞いて駆け付けただけ――」

「あんたたち構成術士こうせいじゅつしなんて、みんな化け物よっ!」


しかし、女の態度は変わらない。

胸中に渦巻く黒い感情を吐き散らし、大声で喚く。


「私の夫を殺したのも構成術士ッ!あいつらと何も変わらない、人の皮を被った化け物じゃないっ!」


そう言って女は手短な場所にあった拳大の石を拾い、少年へと投げつけた。放たれた石はそのまま額へと当たり、鈍い音を立てて少年の頭が弾かれる。

一部始終を後方から見ていた少女が悲鳴を上げ、慌てて少年へと駆け寄った。


「大丈夫ですかっ!?このっ……」


怒りを声音に滲ませた少女がよろめいた少年と入れ替わるように前に出ようしたが、少年は手を翳してそれを制し、首を横へと振った。

もの言いたげな表情を浮かべて下がった少女を余所に、少年は額から伝う血を拭うこともなく女へと詰め寄り、三度手を伸ばす。


「ひぃっ!いやぁ、触らないでっ!この化け物ぉ!」


女の抵抗を払い除けた少年の腕が、血まみれの左足に触れる。

直後、蒼の閃光が傷口付近にて瞬くや、脹脛の傷が瞬時に塞がった。再形成された肉に押し退けられるように赤黒い針が抜け落ち、乾いた反響音を響かせる。

唖然とした表情を浮かべる女と視線を交わすこともなく、無言のまま立ち上がった少年は淡々とした口調で言う。


「では、我々はこれで失礼させていただきます。道中、お気をつけて」


そう言って踵を返した少年を、悲しそうな視線を送っていた少女が小走りに追い駆ける。

二人の姿が再び閃光と共に消えた一方で、女は、知らず涙を流した。


女の涙を誘った感情は、一体何だったのか。


気を失った我が子の寝息だけが女の嗚咽に交じり、冷えた夜風に乗ることもなく、暫しの合間、夜の街道の一角に滞留した。



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