Act.16 教室にて <2>
話がなかなか進まないな、などと襲が内心悲観していると。
「……おい紗雪、新入りも困っているだろう。その辺にしておけ」
そんな彼に助け舟を出したのは、意外にも紗雪の真向かいに腰掛ける、厳い風貌の男子生徒だった。
それまでこちらに見向きもしなかった人物が突如として仲裁に入ったことに意外感を覚えつつ、顔を向ける。
「すまない。入室早々、紗雪達が失礼したな」
「いえ、お心遣い感謝します」
見たところ、身長は百八十センチ以上はあるだろうか?
身長に関してはそれほど高身長というイメージは抱かなかった襲だったが、骨張った体格と、制服の上からでも分かる引き締まった筋肉によって生み出される体感的な存在感が既に高校生の「それ」ではない。
内心、あまり関わり合いたくない人種であることを強く認識していたのだが、
「三年の岩柳鷹明だ。宜しく頼む」
鷹明は音もなく立ち上がると、のっそのっそと(その身の運びは軽やかで、あくまでも視覚的なイメージである)こちらへと歩み寄り大きな掌を差し出してくる。
一連の落ち着き払った言動に、鷹明は対面する者に威圧感を植え付ける覇者の風格を匂わせた。
(岩柳……特質系か?)
仕方なく――もちろんそんな難色は表情には微塵も出さず、襲は差し出された手を握り返し「こちらこそ宜しくお願いします」などと真面目腐った返事を返しながら、彼の「眼」は鷹明の詞素呼吸を観察していた。
身に纏うオーラは、赤銅色とも言うべき褐色の波動。
恐らく岩凪鷹明は炭素系の特質系能力者だろう、と目測を付けながら、襲は思考を加速させた。
「特質系の能力者」と彼が表現したのは、能力の特殊性故である。
構成術師は思念波によって万物を構成する「情報体」に干渉し制御するが、この干渉能力は基本ミーム細胞から発せられた思念波のみならず、体外に放出した詞素の中に残留した思念(残留思念)でも構成術を発動することができる。
そして“一部の人間”――つまり「特質系の能力者」は、自らの肉体から発せられた思念波と残留思念が「ある限定した情報体」に多干渉することが知られている。
つまり彼らは、ある特定の原子や分子に直接干渉することができるのだ。
例えば水分子に特化した干渉能力を持っている構成術士ならば、詩素を用いなくとも思念波だけで水分子を自らの手足のように操ることができる。
これは速度にしても範囲にしても、そして何より術の力にしても、単一元素あるいは分子に限って言えば、通常の構成術師とは別次元的な制御能力を有する。
代わりに、特質系能力者はそれ以外の分野に関して軒並み能力が劣る、と言われている。
それはまるで、特定の情報体に対する干渉能力に詞核の演算領域のキャパシティを喰われた代償のようではないかと、襲は常々考えていたのだが…。
(『視た』ところ、鷹明先輩は詞素呼吸も文句無しの一級品だ。部長も“同じ”ようだし、何か特殊な条件でもあるのか?)
肉体の活性度だけで言えば規格外とも言うべき鷹明から一瞬視線を流し、再び部長の、明日香の生体放射を見遣る。
その視線に何を思ったのか、彼女は少しばかり慌てた様子で口を開いた。
「私は七高ボランティアサークル(仮)!…の部長を務めております。
一年――じゃなくて、今年で二年生になります。真藍 明日香です。宜しくね?」
それでも柔らかな笑顔(プライスレス)を添え忘れない辺り、流石と言うべきなのだろう。
サークル活動だというのにどうして部長と名乗っているのか、という疑問が浮かび、続けてその部長がなぜ二年生なのかという素朴な疑問が浮かぶ。
ついでに言えば、何故(仮)の部分に己の活力の大半を割いていたのかが……少し気がかりではあったが。
そう感じたのはきっと、彼だけではなかったのだろう。事実、鷹明は明らさまに顔を顰め、
「……(仮)は付けなくてもいいだろう」
「でも事実でしょ?」
奇襲気味に横から差し込まれた紗雪からの援護射撃によって、見事撃沈していた。
言い返す言葉が見つからず低い唸りと共に黙り込んだ仏頂面に機嫌を良くしたのか、紗雪はニカっと白い歯を見せながらくるりと襲の方を向いた。
「私は明日香と同じ二年の一番合戦紗雪。一番に合戦と書いて一番合戦だ。面白いだろ?」
健康的な運動会系然とした少女はハンサム(死語)な笑顔を浮かべ、簡潔な自己紹介を口にした。
お淑やかさには程遠い言動であるが、不思議と不快感はない。
砕けた口調と態度には少し驚かされたが、サバサバとした含みない態度に彼にしては珍しく初対面ながら純粋な好感を覚えた。
本当は彼女の詞素呼吸にも興味があったのだが、幾ら短時間とはいえあまりジロジロと見詰めるのは相手に失礼だろう、と自粛することとする。
まぁ、更なる人物の介入によって困難になった、というのが本当のところだったのだが。
「遅刻してすみません、部長!」
息も切れ切れに肩で息をしながら転がり込んできた人物は、決して小さくない声量で自動ドアが開き終わる前に入室してくる。
冴えない色合いを浮かべるブロンドの髪を汗で濡らし、明日香に体当たり気味の報告を投げる人物は…。
「あっ!かかりちょー!おはようございますっ」
「部長!その呼び方は止めて下さい!新入りに聞かれたらどうするんですか!?」
どこかサラリーマンのような風格を漂わせる、中肉中背の(やや老け顔の)男子高校生である。
失礼ながら一瞬教員関係者かと身構えてしまった襲だったが、胸元にあるエンブレムを見る限り、歴とした先輩のようだ。
「留年生?」という失礼極まりない疑問を生産性豊かな思考で遮断し、代わりに少し遅れて入ってきたもう一人の人物の方を見る。
「見ての通り、この馬鹿に付き合っていて遅刻しました。申し訳ありません、明日香」
そう言って扉の前で頭を下げたのは、“緑色の長髪”が美しい長身の女性だった。
緑色の双眸は白い肌に翠玉を嵌め込んだように映え、無表情ながら見る者に魔力的な魅力を魅せている。
「ふふっお疲れ様、ベリル。お仕事の方はどうだった?」
「この馬鹿が盛大に足を引っ張ったので、予定より少し遅れが出てしまいましたが……。取り敢えずは問題ありません」
ベリルと呼ばれた少女は事情を察したように労ってくる明日香に柔らかな笑みを向けると、ちらり、と探るような視線を襲に投げてきた。
どこか挑戦的な眼差しは鋭利でありながら男性の劣情と恋慕を駆り立てて止まない代物であったが、心拍数は勿論のこと、少年の表情は変わらない。
しかしながら少年の関心はベリルと呼ばれた少女に強く向けられており、彼の眼差しには知識欲からもたらされる確かな「熱」が宿っていた。
何が少年の興味を誘ったかと言われれば、単純に、その鮮やかな髪の色と虹彩の色彩である。
一世紀前ならば髪染めとカラーコンタクトの併用を疑われるような外見ではあるが、彼女の緑は非常に純粋な色。
そう、混じり気ないこの自然な色合いは“先天的なもの”なのだ。
(あれは……色促反応。『色付き』か)
色促反応とは構成術士の血を引く者に稀に現れる、世界的にも非常に稀な症状である。しかし未だ未解明な要素が多く、主な症状としては髪や虹彩などの色素の異常として表面化することが多い。
彼自身も色促症状の幼馴染がいるということもあり、認知こそしていたのだが…。
やはり緑色の色促反応には物珍しいものがあり、彼が衝動的な興味に駆られるには十分過ぎる対象だったのだ。
彼が凝視したのは一秒ほど。
すぐに会釈を返した為かベリル本人も不審に思った様子はなく、今度は打って変わって柔らかな笑みを浮かべてみせた。
「おいベリル!恰も俺の所為みたく言うな!終いには泣くぞ、いいのか!?」
係長(名前がわからないので取り敢えずそう呼称することにした)は涼しい顔をしたベリルの物言いが気に食わなかったのか、拳を握り締めたままベリルに詰め寄ると、唾を飛ばし兼ねない勢いで抗議の旨を口走った。
「ええどうぞ。ですが、あなたのみっともない泣き顔を鑑賞するような悪趣味は生憎持ち合わせていないので、泣くようでしたらどうぞ、部屋の外でお静かにお願いしますね?」
しかし無表情を貫くベリルは冷酷な言霊を係長へと投げつけ、エメラルドの瞳をすっと細める。
殺気すら感じさせる少女の態度にそれを向けられた当人がどう感じたかはわからなかったが、上体を反らしながら後退った様子から見ても、それなりの効果はあったらしい。
鷹明同様、女性陣には口で適わないと痛感したご様子の係長だったが、視線を外した拍子にふと―――襲と目が合い。
ものの見事に飛び火した。
「……おい新入り!なに笑ってやがる!」
あくまでもポーカーフェイスに努めていた彼に理不尽な言い掛かりを付け、係長はずかずかとこちらへと歩み寄ってくる。
随分とご立腹のようだな…と呆れ半分な感想を抱き、その身の運びを見て相当の実力者なのだろうと分析しつつ、統合的には「残念な天才」だと判断した。
まさか新人である彼が、自らに対して失礼極まりない思考を巡らせているとは露程も考えていないご様子の係長は、襲へとずいっと額を寄せ、鼻が触れそうな距離で睨み付けてくる。
「あんま調子ノンなよガキ!どういう経緯だか知らないが、部長が入部を許可したからといって俺達まで気を許してるかと思ったら大間違いだぞコラァ!」
「……はい。肝に銘じておきます」
随分とガラの悪い先輩ではあるが、本質的な部分では悪い人ではないのだろう。
そうやや希望観測寄りの人間観察をしつつ頭を下げると、係長は「フンッ!わかればいい」と吐き捨て、ぷいと顔を背けた。
その様子を後ろから眺めていた明日香は苦笑を浮かべ、横で控えていたベリルの瞳にはありありと蔑みの色が浮かんでいる。
「みっともなく見栄を張るのは勝手ですが、自己紹介も無しに初対面の方に唾を飛ばすという行為は非常識ですね。この際ダイナマイトでも丸呑みして永遠に黙っていていただけませんか」
言い捨てる、ではなく、切り捨てるように言い放った言葉は、酷く残酷なものだった。
内に秘められたマイナスの感情がひしひしと伝わってくる恐ろしい文字列を並べたベリルだったが、一拍空けて襲へと振り返った彼女の表情は美しく、淑女の微笑みそのものであった。
「雨宮襲さん、身内が失礼しました。私は二年の風間ベリルです。ベリルと呼んで下さい」
「雨宮襲です、こちらこそ宜しくお願いします」
手を揃え、エメラルドの目を伏せる。
その体制から繰り出されたのは、礼儀作法の教材の表紙を飾りそうなお辞儀だった。
美しく洗練された所作に驚きつつも決して気圧されることなく、襲はすぐさま姿勢を正すと自身にできる精一杯の礼儀作法で返礼した。
返礼中、襲の頭上に脇から様子を見ていた明日香と紗雪からくすくすと笑い声が降り掛かってきたが、閉じた瞼の裏で巡る彼の意識には音など届いていない。
(風間…?まさかな)
襲自身、多分に思うところはあったが、今は関係ない思考に時間を費やしている場合ではない。
これまでの己の行動と思考を一先ず忘却して顔を上げると、続けて、ベリルの隣から放たれる刺すような視線へと対面した。
係長の表情を見る限り、明らかにご機嫌斜めのよう。
先手必勝。
本能的に判断した襲はその場から一歩下がり、周囲を見渡せるポイントへと移動した。
係長を含む全ての部員へと視線を走らせてから、襲はベリルに返した返礼と同等。あるいはそれ以上のキレの良さで頭を下げ、目を伏せたまま自己紹介を実行する。
「来月、詞律精密工学科に入学することに相成りました、雨宮襲と申します。若輩者ですが、先輩方、どうかお引き回しの程、宜しくお願いします」
静謐に包まれる一室。
それは気まずさからもたらされる重い空気ではなく、驚愕によって生まれた一時の空白。
それから幾許して。
顔を上げた襲が感じたのは、刺々しさが幾分か和らいだ様子の視線だった。誤解するまでもなく係長のものである。
(そういえば係長の名前を聞いてなかったな)
白々しく胸中でそう嘯いた襲が顔を係長へと向けると、係長は小さく舌打ちして、渋々といった様子で口を開いた。
まぁ、それを遮るかたちで口を開いた者がいた為、失敗に終わったのだが。
「この冴えない老け顔の二年生は、生意気にもダリウス・ライドと言います。
名前があるなんて本当に遺憾ですので、取り敢えず係長とでも呼んであげてください」
溜息混じりに吐き捨てたのは、ベリルであった。
なぜそこまで係長…もとい、ダリウスを毛嫌いしているのかは新入りである襲にはわからなかったが、何やら根深いものがあるらしい。
まぁ、「興味ない」というのが、嘘偽りのない本当の感想だったわけだが。
(目下の懸案と言えば…そうだな。自己紹介は構わないんだが、これ、座ってからじゃダメだったのか?)
結局、立て続けの自己紹介という名の洗礼を受け続ける羽目になり、残念ながら指定された席に彼は辿り着けていない。
視界の隅でベリルとダリウスの二人が何やら揉めているようだったが、そんなことには意識を向けず。
襲はひとり、やたらと気疲れした肩を落した。




