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構成術士の欠陥因子 《OD》  作者: 寺鳥 夜鶏
オーバーダイブ編 <上>
12/124

Act.9 予兆 <1>

二千九十八年 三月二十九日。



空はどこまでも青く、どこか現実味のない色合のまま

空に浮かぶ白い雲はその存在さえどこか不確かなようで、コントラストの低い青のキャンパスに塗りつけられた白の絵具を思わせる、ぼんやりとした色彩をていしていた。


雲は散ることなく明確な輪郭を保ったまま海岸部特有の海陸風に流され、ゆっくりと海へと流れていく。

白い雲の隙間から差し込む太陽の光が頬に触れ、柔らかな熱と共に確かな春の訪れを感じさせる。


若葉萌える季節。


中等部と高等部を同じ敷地内に構えた国立詞素大学付属第七学園には、朝早くから部活動に勤しむ生徒。新学期を目前にした在学生達の活気に満ち満ちていた。


そんな春風香る朝、おろしたての真新しい制服に身を包んだ黒髪の少年が、やや俯き加減にアスファルトの街道を歩いていた。

器用にも彼は双眸を閉ざしたまま朝の走り込みを行う人並み――恐らく夏の大会を目指す運動部員達――の合間を縫うように、黙々とその歩みを進めていく。街道を進むその足運びには全くの無駄が無い。


少年の足がようやく学校の敷地内へと踏み入り、長い(けやき)並木道へと差し掛かった頃。

歩道脇に設けられた緑化スペースから芽吹いて間もない新緑の香りが漂い、眠たげな少年の鼻腔を突いてきた。


恐らく春休み中に緑化活動でも行われたのであろう。

全く、ご苦労なことだな――と、襲は声には出さず胸中で呟く。


「………はぁ」


代わりに、春やかな一日の始まりにまるでそぐわない湿っぽいため息が襲の口から深々と零された。


決して、襲は春が嫌いなわけではない。むしろ一年の中で最も華やかな時期に対する襲の認識は、良好と言わざるを得ない事情がある。

それは昼休みに屋上で行う昼寝然り、空き教室の窓際で行う睡眠だったりするわけなのだが……残念ながら、今日はそんな麗らかな(?)春の一日を過ごせるような暇はないだろう。

それを予感し、同時にその現状を受け入れてしまっている自分自身が憎い。

周囲に流されているようなどことない不安が胸を掻き乱し、柄にもなく落ち着かないのだ。


すべての不安の元凶は、襲の胸ポケットに入れられた黒塗りの一枚のカードだった。

不自然なまでに黒いカードを手には取らずに頭の中に思い浮かべ、その表面に描かれていた文字列を脳裏で並べる。


BLACKブラックCシー


まるでカードそのものの存在を体現するかのような。否、正しくは刻まれた言葉をカードが文字通りの色彩と共に体現しているのだろうが、そんな些細(ささい)なことは彼にとってはどうでもいいことではあった。

重要なのは、このカードが自宅に届いたということである。

数日前にウィスタリアへと引っ越してきたばかりの襲が、こうして始業式前に第七学園に足を運んでいるのもこの黒いカードが原因であり、その発端は今日彼が入会する予定のサークルにある。


活動内容から察するに、正しくはアルバイト、と表現するべきだろうか?


学校側には健全なボランティアサークルとして地域活動及び学内の問題解決に努めている旨を伝えているが、その実態は労働先とのGIVEギブTAKEテイク。有り体に言うと金稼ぎがその主な活動内容である。

このカードは有事の際サークル長からの呼び出しに利用される代物らしく、まぁはっきり言ってしまうと完全にサークル長の趣味らしい。


今回は彼女――サークル長の呼び出しによって、高校生ですらない襲も七高の敷居をまたぐこととなったわけなのだが。襲が早くも、と言うよりフライング気味に七高の制服に袖を通しているのはやはりカモフラージュの為なのだろう。


「さて、と。目的地は……一号館か」


事実、幸いにして襲の変装(?)に気づく者はなく、何の障害もなしに学園の校門前まで辿り着いていた。しかしここから先、校舎などが建ち並ぶ学園の中心部へ立ち入るにはセキュリティゲートを通る必要がある。入口に並ぶセキュリティゲートには学生証の掲示、認証が求められるものであり、正式に第七学園の生徒になったわけでない襲には本来ならば入ることが叶わないエリアだ。


急用で駆り出されでもしているのだろうか?

今日こんにちではとうに無人化している駅の改札口とは違い、セキュリティレベルが高いはずの第七学園の校門に監視員の姿はなかった。

これは好都合だと、襲は口角を上げてほくそ笑む。


(これくらいのセキュリティなら楽勝だな)


さり気ない動作でセキュリティゲートに手を添えた襲の指先から、細い静電気のような光が迸った。

青く尾を引く輝きは単なる放電現象の類ではなく、むしろ構成学に準ずるもの――。


――ピッという電子音が聞こえ、開くセキュリティゲート。

挙動不審になるでもなく、襲は素知らぬ顔でそこを通過した。

第一関門クリア。第二関門は……多分ないな。


とにもかくにも、ようやく一息つけそうだ。


足取りはなおも重いが、いつまでも愚痴を零しているわけにもいかないだろう。

襲は自分自身の感情と半ば諦めにも似た折り合いをつけ、ゆっくりと眠たげな眼を開いた。


国際的な取り組みによって十八年前に設立されることとなった七高は、その性質上、通常の高校と比較しても圧倒的な規模を誇るいわゆるマンモス学校の類である。

学園の総敷地面積は、およそ八十三万平方メートル。その為か高校というよりむしろ郊外型の大学キャンパスのていがあり、それは一部の施設を共有する中等部も変わらないものの、やはり高校側の敷地内ともなると生徒数の増加や専門科目の導入によって大小様々な建築物が立ち並ぶこととなる。


(それにしてもこの学校、まるで一つの街みたいだな)


基礎教養科目を主に行うのは巨大なコの字型をした本棟二棟で、各本棟に隣設するように建てられている実験棟と実技棟はそれぞれ三棟。学園の中央付近には総合体育館が、やや西外れには小体育館が建設されている。

食堂は中高合わせて九箇所に点在し、カフェテリアやショッピングモールのおもむきを感じさせる大型の購買まである始末だ。

ここに部活動に利用されている準備棟と宿舎群、ガラス張りの壮麗な中央図書館が加わると、もはや学園というより一つの街を思わせる佇まいである。


中でも一際目を惹くのは、やはり巨大なコの字型をしたガラス張りの二棟の本棟だろう。

二棟ある本棟のうち学園の北東に位置する「一号館」と呼ばれる建築物へと向かっている襲は、道中フラフラと立ち寄った自動販売機で購入した微糖の缶コーヒーをあおりつつ、道なりを急いでいた。


「あまッ…」


陰鬱いんうつな心境を払拭するべく眠気覚ましの意味を込めて購入した缶コーヒーだったのだが、日頃無糖を愛飲していた襲には大衆向けに販売されている微糖ではやや甘すぎる感が否めず、舌の上に残る甘みに思わず顔をしかめる。


陰鬱な心境には変わりないが、お陰様で目が覚めた、と言うべきなのかもしれない。

そうして持て余し気味の感情を底の見えない飴色の水面に映しつつ、チャプチャプと缶を回しながら並木道沿いに点在する建物へと視線を移す。


「へぇ……」


襲の声帯から発せられた空気の震えは、感嘆によって生じたものであった。

学園の中央付近に位置するこのエリアでは、巨大な噴水を中心とした娯楽施設が多く建ち並んでいる。

娯楽施設とは言ってもあくまでもここは学園の敷地内であり、テーマパークのような華やかさはもちろんない。

主に見掛けるのはお食事処の類であり、現代ではやや珍しい木造のログハウスや学生が食べ歩けるような商品を販売する出店などが多く見受けられる。

まあ、長期休暇の影響で今はどの店も閉まっているのだが。


とまれ、さして空腹でもない少年の意識は元より食堂にはほとんど向けられておらず、歩幅が狭まる様子もない。

小鳥のさえずりの合間に零れた欠伸を襲が静かに噛み殺していた、丁度その時。



自動販売機の補填に来たと思われる大型トラックが、人が少ないのを良いことに、脇道から並木道へとやや飛ばし気味に差し掛かった。


その真正面に、一人の女子の姿が重なる。


交通事故――と、半世紀ほど前ならば驚愕したであろう光景だが、CTCS(中央交通管制システム)が導入された今日において、交通事故はまず“起きない”。

仮に飛び出しなどの突発的な事故が起きそうになった場合でも、一般車両の大多数に標準搭載されている衝突回避システムの処理速度が非常に早い為、接触事故にまで発展することは皆無である。

肝心の処理能力に関して言えば、およそ人間の反射速度の百倍近く。正直、いきなり道路に人が飛び出した程度ではかれようもないだろう。



そう、本来ならば、だ。



普段ならば気にも留めない、眼前の光景を認識した、瞬間。

襲は無意識のうちに後ろ足の踵を浮かせていた。

手にしていた缶を投げ捨て、弓なりに上体を屈めて浅く息を吸う。


同時刻。少女がトラックの接近に気がつき、はっとした様子で顔を上げた。


自らの意識が深く沈み加速していくような錯覚を覚える。その感覚に身を委ね、襲は腕を鋭く振り抜いた。

蹴り足で、アスファルトを踏み抜く。

同時に、足元で火薬がぜたような乾いた炸裂音が響いた。

驚いた小鳥たちが欅並木から離れ飛び去っていくのを横目に、一つの黒い影がその喧騒けんそうを重く鋭く引き裂いてゆく。

流れていく景色は滲んだ絵具のように。

風が頬を、そして耳朶じだを打つ。


少女との距離は、目測にしておよそ五十メートルほど。

少女の身体とトラックが接触するまでの限られた猶予の中、走破するには決して短くはないその距離を襲の身体は一条の弓矢の如く駆け抜け、少女のややはす向かいへと着地した。


いな、「着弾」した、と言うべきだろうか。


着地の際に砕けたアスファルトからは黒い破片が舞い上がり、襲はそれを面倒臭そうに掌で押し退けると、少女が怪我をしないよう慎重に減速しつつ、再び地面を蹴った。

膝を曲げて衝撃を殺し、緩やかに距離を詰める。

手の届く間合いまで近付いたところで、彼は華奢きゃしゃな少女の身体をそっと抱き留めた。


「きゃっ―――」


抱き留める際に少女の喉から小さな悲鳴が洩れたがようだったが、襲にはそんな些細ささいなことを気を留めている余裕はない。

恐怖に縮こまった背中へ左腕を添え膝裏を右腕ですくい上げると、歩道脇へと速やかに離脱する。


直後、張り詰めた鋭敏な神経が背後で大質量体が通過する気配を察知し、轟音と共に路面と車体が擦れる耳障りな騒音が響き渡った。


恐らくは遅ればせながら反応したシステム、あるいは運転手自身がブレーキを掛けて急制動を行おうとした結果、膨大な慣性力に車体が耐え切れず転倒したのであろう。

思わず額に冷や汗が浮かぶのを自覚しながら、襲は両腕で抱えたまま少女の顔を覗き込んだ。俗にお姫様抱っこと呼ばれる体制だったが、そのことに関しては彼は全く意に介していない。


しかし、念の為に安否を問おうとした瞬間、それまで無感情だった襲の瞳に明らかな動揺が走った。


ツインテールのように二束にまとめた黒髪に、透き通った琥珀色の大きな瞳。

腕の中の小柄な少女は制服は着ておらず、白のシャツの上に青のプレーンカーディガンを羽織っていた。風に揺れるロング丈からは、デニムショートパンツから覗く健康的な脚線美が見え隠れしている。

そんな体育会系とは異なった「内面の活発さ」を感じさせる童顔気味の少女が、小柄な身体を萎縮させて不安そうにこちらの顔を見上げていた。


少女の目鼻立ちを見た襲の心境は、一種の恐慌状態に陥っていた。

心拍数が跳ね上がるのを認識し、同時に背筋に冷たいものが走る。


とは言え、それを表情に出すような醜態しゅうたいさらさず、無言のまま欅の下に据えられたベンチへと歩み寄った襲は、抱き抱えた少女の体を無造作に―――。



ベンチの上へ投げ捨てた。




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