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第八話

 草哉とは現地での待ち合わせにしてもらい、約束の三時まで、という事で、晶と真紀緒を連れて秋葉原に向けて午前中に家を出た。

「いつの間にニカちゃんまで誘ったんですか……」

 駅に向かうまでの道のりで、後ろでは若い女の子が集まったとき特有の甲高い声が聞こえていた。

「来ちゃまずかった?」

 明らかに意地悪でニカ子は言う。

「そんな事言ってないって……」

 三人で勝手に行きたいとこに行ってもらっていれば、俺は時間まで着いて行くだけでよさそうだ。逆に俺があちこちをつれて回る手間が省けたというものか。俺は珍しくポジティブな考え方ができた。 

 大騒ぎで電車に乗り込み、周囲の視線を集めに集めた訳だが、その殆どは、年頃の女の子の習性と諦めた顔を見せていた。が、若い男達だけは、三人三様の容姿を持つ彼女達に色めき立っているようだった。俺は、恥ずかしいあまりドア一つ分の距離を取って、その様子を見ていたが、改めて見ても色々な意味で目立つ三人だな、としみじみ思った。

 晶と真紀緒は、まず降り立った秋葉原の街並を一望し、歓喜の声を上げた。

 ちょうど日曜と言う事もあり、大通りは歩行者天国として解放され、ますます観光モードを盛り上げた。我ら観光ツアー御一行のお客様達は、街の中心でもある巨大なビルが所狭しと並ぶ大通りはもちろん、掘り出し物を探す人達で溢れる細い路地にも入り込み、おもしろグッズを見つけては喜んでいた。俺も秋葉原はたまに来るし、ちょっとしたお祭りのような休日のこの街は嫌いではない。楽しそうにしている彼らのお守役として来てはいるが、悪い気はしていなかった。

 どんな味がするのか、というので路面販売しているたこ焼きを買い、店の前であつあつを頬張らせた。苦戦しながらもおいしそうに食べている三人を見ている所に、ポケットに入れてある携帯がメールの着信を知らせた。見ると草哉が到着したらしい。

「ニカちゃん、悪いけど二人をお願いしていいかな。草哉が待ってるからそろそろ行かないと」

 ほふほふと息を吐きながら、顔を上向きにして返事をする。

「まかへてー」

 そう言いながら、左手の親指と人差し指で丸をつくって見せた。晶も真紀緒も事情は分かっているからか、軽く挨拶だけしてまたすぐにたこ焼きに夢中になった。

 彼らを後にし、草哉との待ち合わせ場所の駅前に歩き出したが、もう少し引き止められるか、一緒に行きたいだの言われると構えていただけに、肩すかしをくらったみたいに、寂しいような気分になった。なんだかんだと俺も楽しんでいたのかも知れないな、と考えていたら、草哉の姿を見つけた。

「お、来たな」

 側に寄ってきた俺に気がつくと、草哉は耳にはめていたヘッドフォンを外しながらそう言った。

「んじゃ、行きますか」

「うん。それで場所はどのへんなの?」

 早速歩き出した草哉に続いて俺も歩き出す。

「遠くはないよ。まあ、ついて来て」

 そう言う草哉に暫く着いて行った先は、結構な古さの雑居ビルの並ぶ通りだった。賑やかな大通りからは大分外れ、辺りには、露店のように売りものを道路に広げた外国人の姿が目立つ。怖い噂話をよく聞く場所なので、いつもはあまり近づかないようにしていた地域だ。軽くこわばっている俺をよそに、草哉は慣れているのかまっすぐ目的地に進んで行く。そして、一つの雑居ビルの入り口に吸い込まれる様に入って行った。

「ここ?」

 薄暗いエレベーターホールで、上ボタンを押して持っている草哉に聞く。すぐ後ろにむき出しで階段があり、人が三、四人も来れば身動きが面倒になるような狭いところだ。コンクリートの壁なので、風呂場の様に話す声が反響する。

「そう。六階。だいたいいつもここだな。他の所には行った事ないや」

 すぐ横にある壁には、このビルに入っているテナントの名前を埋めるように枠が全八階分用意されてある。しかし。その内ちゃんと会社名が入っているのは二階の同人ビデオの制作会社だけで、他は空いているのか、ただ案内が出ていないだけなのかは分からない。当然、六階も何も書いていなかった。

 のんびりとしたエレベーターがやっと一階に到着したちょうどその時に、一人、同じ目的であろう男の人が後ろから、一緒に乗り込んだ。

「お、御門君。あ、もしかしてこちらが、お友達?」

「あ、ルーフェスさん。そうなんです、友達の田中雪広です」

 金属の摩擦音を派手にならしながらエレベーターの扉は閉まり、狭い空間に三人がいた。

「どうも、田中です」

 ニコニコと笑うそのルーフェスさんという人は、二十代後半から三十代くらいの、こう言っては失礼かもしれないが、とてもふくよかな方で、笑うと眼鏡が頬にめり込んでしまう。体格のいい人は、時に年齢や特徴が分かりづらい事があるが、ルーフェスという名前から想像できる外国の方ではなさそうだ。簡単に言えば、見るからに日本人。

「今日は楽しんで行ってね。ところで、いま後ろで隠れていた女の子三人も一緒じゃないの?」

「え?」

 六階に到着し、エレベーターから降りながらルーフェスは話を続ける。

「今、僕がこのビル入って来る時、外から君たちを覗いている三人の女の子がいたから。知り合いかなって思ったんだけど」

 俺は一瞬で心臓から大量の血液が体中に放出されるのを感じた。あいつらだ。やけにあっさり俺を行かせたと思ったのは、はじめから後を着いてくるつもりだったんだ。

「すいません、俺ちょっと外見て来ていいですか」

 まずは腹が立った。でもすぐに、このままほっとく事もできないと思った。さっき通ってきたような怪しい通りを、あの三人だけでウロウロさせられない。声を掛けられるくらいならまだいい。もしも、悪い人達に連れて行かれでもしたら、いくらスポーツ万能のニカ子いるとはいえ、どうにかなるとも思えない。

「ユキ、誰のことか知ってるの? 知り合い?」

「もうすぐ始まる時間だけど?」

 俺は、一度下まで行ってしまったエレベータを呼び戻す為に、下へのボタンを押しながら答える。

「ちょっとその辺を探してみます。すぐ戻りますんで。草哉、悪いな、ちょっと心当たりがあるから、急いで行ってくる」

 エレベーターが到着し、扉が開くのを待ちきれずに乗り込もうとすると、中には乗客がいて危なくぶつかりそうになる。

「あっ、すいませ……。あああああ」

「ユキちゃん!」

 まさに、その三人だった。

 睨みつける俺の視線をかいくぐる様にして、三人はせっつく様にエレベーターから降りて来た。

「こんなところで、何してるんです!」

 だいたい、この計画を発案した元はわかっている。その容疑者を特に睨みつけると、その隣から援護が飛び出した。

「申し訳ありません、田中さん。悪い事だとは知りながら、後をつけるような真似をしてしまいました。お気を悪くされたとは思いますが、どうか寛容に……」

「ごめんね、ユキちゃん。きっと、御門君とメイド喫茶でも行くんだろうから、後からついて行っておごってもらおう、って……。冗談のつもりだったの、でも、ごめん」

「ごめん! ユキ君なら、絶対気がつかれないと思って……つい」

「晶D!」

「あ、いけね」

 正直者すぎるのも、かえって状況を悪化させるというお手本だ。呆れてもう、怒る気にもならない。しかめっ面をして三人が肩を窄めて謝る姿を見ていたが、急におかしくもなってきた。

「もういいですよ。とにかく、この辺り、あんまり治安よくないみたいですから、女の子だけでは心配です。俺はちょっとここで用事があるし。どうしようかな、待っててもらえます? 時間どのくらいの予定なんだろう」

 そう思って、草哉の姿を探そうと振り向くと、ルーフェスがすぐ側で笑顔で見ていた。

「いいじゃない、彼女達にも参加してもらえば」

「いや、でも、いいんですか……?」

「女の子なら、何人でも大歓迎さ。それに、どこかで待たせているよりも、安心でしょう?」

 そう言われればそうだが。

「先に行ってますから、来るなら受付で名前だけ書いて下さい。草哉君ももう、待ってますよ」

 そう言い残し、ルーフェスは重そうなグレーの鉄のドアを開けて、中に消えて行った。不思議そうに中を覗き込もうとしていた三人は一同に俺を見る。

「田中さん、勝手に着いて来ておいてなんですが、一体何が始まるんです?」

「俺も実はよくわかってないんですけど。ゲームとかアニメとかが好きな人たちの集まりらしいです。どうします? 飛び入りで参加してもいい、って言ってくれてるんですが」

 晶は問題なさそうだが、他の二人はそういう物に興味があるどころか、嫌悪感があったりしたら辛いだろう。逆の立場から言っても、そんな目で見られたくない。

「真紀緒もたしか大学の専攻は、近代アニメ文学じゃなかったっけ? いい勉強になりそうじゃん」

「ええ、楽しみです。ぜひ参加させてください」

「そ、そんな学科があるんですか……?」

 なんだか、この二人から垣間見える未来が、どうなっているのか心配になるが、今はいいとしよう。

「ニカちゃんは……? 嫌でしょ?」

 嫌だとも言いづらいだろうし、かといってはっきりキモイと言われるのもまた辛い。無理やりっていうのも、気が引ける。

「超興味ある!」

「え?」

「私、ゲームもアニメもあんまり知らないけど、少年漫画ならたくさん読んでる。でも、なかなか女の子には話の合う子もいなくって。そういうのが好きな人もきっといるでしょ?」

 俺は、多分、と頷いた。

「なら、決まりー」

 そう言ったのは、俺ではなく晶だった。待ちきれずに真紀緒を連れだって、さっさと奥へと続く扉を開けている。

 俺とニカ子は顔を見合わせて、少し笑った。

「晶ちゃんって、すごく大人に見える事もあるけど、やっぱり年下だなって、思った、今」

 そう言ってニカ子は優しい顔を見せた。

「ニカちゃん、漫画なんて読むんだ。知らなかった、しかも少年漫画なんて、いつから? きっかけは?」

 白いタイルを敷き詰めた、シンとした空気のエレベーターホールには、二人のスニーカーが鳴る音が響く。ニカ子はドアの取っ手を握りながら顔だけこちらを見て言う。

「昔っから。ユキちゃんの影響だよ」

 ぽかんとする俺をよそに、ニカ子はそのまま、薄暗い会場に入って行った。

 

 そこは、だだっ広い空間で会議室とも、小ホールとも言えるような場所だった。広さは学校の教室と変わらぬ程度。右側一面は窓があるが、遮光カーテンらしき黒い布で覆われている為、ほとんど日光は入っていない。カーテンの隅から溢れた光と、正面に置いてある大きなホワイトボードに当てられたライトだけで、この部屋はうっすら明るいだけだ。中には二十人前後の人影が見える。暗いし後ろ向きで座っている姿では、どんな感じの人なのかは分からないが、殆どが男性のようだ。

 ひとしきり中を見回して、入り口のすぐ脇に置いてある、小さめの机があるのに気づく。上にはノートが開かれ、机からぴらっとたらされた白い紙には、『受付』と書いてある。

「ここに名前書くみたいだ。書いておくね」

「うん、お願い。暗くてよく見えないな、晶ちゃん達どこいったんだろう」

 ノートには、草哉の名前が最後に書いてあり、俺は自分の名前と、おまけの三人の名前をその下に書いておいた。

 そのとき、部屋中がにわかに沸き立った。すぐに拍手があちこちから鳴り始めた。

「なんだろう? 」

 ニカ子も驚いているようで、首を右左に動かしている。

「始まるのかな。そのへん適当に座っとこう」

「うん」

 俺たちは、部屋の一番後ろのから何が始まるのかを待っていた。

 すると、前方のホワイトボードの後ろから、一人の女の人が現れた。途端に、部屋の観客から、おおおお、と声があがった。

「みんなー、こんにちはー! 今日も集まってくれてどうもありりんです。みんなのシュウです、今日もよろしくね」

 マイクを持ったシュウと名乗るその子は、アイドル顔負けの甲高い声で顔の横で手のひらをくるくると振りながら、あっちにこっちにと視線を振りまいていた。着ている服も、フリフリのレースがついている裾の広がったミニスカートと、丸いエリのやっぱりフリフリの半袖ブラウスという、何かの衣装とも思えるものだ。今まで静かだった会場が、一気に盛り上がる。歓声や、ざわめきも控えめながら、続いている。

「アイドルか何か、かな? ユキちゃん知ってる?」

 隣のパイプ椅子に座っているニカ子が顔を近づけ、小声で聞いてきた。

「いや、わからない。多分、ネットアイドルか、地下アイドルか何かじゃない?」

「地下アイドルって、秋葉原とかに多い、マイナーなアイドルのこと? 」

「そうそう。地下の小さいスペースでライブとかをやってる、地道なアイドルの事。たぶん、そのどっちかじゃないかな」

 アイドルオタというカテゴリーも、もちろん今でも健在だ。しかも最近は、大手事務所で大々的にテレビやグラビアで活躍するアイドルを応援するよりも、もっと身近な存在を売りにする、ネットや地下のみで活躍する女の子達を応援するオタの方が多いかもしれない。オフ会と聞いて来てはみたが、本当はこのアイドルの交流会なんじゃないだろうか。出来るだけ観客を増やし、盛り上げる為に俺も呼ばれた、と。

「草哉め……」

「ん? 何?」

「い、いや、なんでも……」

 俺は、アイドルオタでも、コスプレ萌えでもないって知っていて連れて来たって訳か。だから、今日の事をなにも詳しく話さなかったんだな。あいつ……。

 普段知り合えないような、年や環境の違う人達と、もしも趣味の事で話が盛り上がれたら楽しいかもしれない、とこっそり楽しみにして来た俺は、がっかりしたのと、利用されたような気がして、途端にテンションが下がった。

 前方では、シュウと言う子が、最近あった事、なんていうテーマをホワイトボードに書き出して、飼っている愛犬のドジ話を披露している。わざとらしい表情も、大げさなアクションも、目当てに来ている人には悶絶ものなのだろうが、一歩離れて見ている側にしてみれば、何がいいのか理解できない。 

 しかし、俺はそんな人達を否定する事も出来なければ、否定しようとも思わない。俺の趣味だって、立場が変われば人から気持ち悪い、なんでそんなに夢中になるのか、外に出ろ、と蔑む人達もいる。いい気分はしないが、そういう人とは考え方が違うのだ、と割り切って自分の好きな事をしてる以上、やはり『オタク』は『オタク』同士、認め合い、譲り合っていくのだろう。だから俺は、否定はしない。

 しかし、かといって一緒に楽しめるかどうかはまた別問題。せっかくの日曜、さっきまではなかなか楽しい休日だったのに、ぶち壊された気分だ。草哉を探し出して、今日はお暇すると伝えよう。

 それにしても暗い。草哉どころか、目立ちそうな晶と真紀緒も見つけられない。

 依然騒がしい舞台に見立てた部屋の最奥では、今度はシュウが声優を勤めたという、オリジナルビデオアニメを上映すると言って、盛り上がっている。ホワイトボードの後ろから、大画面テレビが引っ張りだされて来ていた。この暗がりはその為だったのかとようやく分かったのだが、今やどうでもいい事に思えた。

 上映が始まり、オープニングの可愛らしい歌が流れている。シュウという女の子には、さして興味はないが、アニメに関してはさにあらず。どんなキャラなのか、どんな作画かとやはり気になり、ちらりと画面を見てしまう。

 嫌いではない。独創性に欠けているとも言えるが、最近ではよく見るタイプの典型的なアニオタ好みのアニメだ。メインらしい三人の女の子キャラは、清楚系、ボーイッシュ系、天然系と、タイプは違えど、目が大きく魅力的に描かれている。シュウというアイドルが好きでも、アニメ自体が好きでも、萌え要素あり、という感じか。

 それでも、俺の冷めた気持ちは変わる事もなく、どんなものかを見定めたらもう用はない、と草哉を探し始める。

 心持ち腰を浮かせて、前傾姿勢になったりしながら、前に座る人たちの顔を見える限り確認しようとするが、なかなか見つからない。関係ない人を、あまりジロジロと見ていると気を散らしてしまって申し訳ないし、困ったなと思いながらも目だけは動かしていた。その時、じわじわと異変に気がつき始めた。

 座っている人たちの前方に回ってはいないので、顔を正面から見てはいないが、横顔を見る限りでもそれはわかる。

 なんか……イっちゃってないか? 

 全員がそうなのかは、全て確認していないのでもちろん分からないが、俺から見える範囲の人は皆、画面に異常なまでに喰いついている。目を皿の様に丸く見開き、大体口が開いている。笑っていたり、顔つきが変わったりするでもない。ただ、まっすぐに画面を見入っているだけ。

 相当このアニメが好きで、瞬きするも惜しんで観ているのはないかとも見えるが、どうもそうではない。楽しんで観ている様子ではないのだ。

 このアニメの何がそんなに……。

 そう考えながら画面を観て、また気づく。

 まだオープニングの音楽だ。

 大体アニメのオープニングなんて、一分か二分くらいだ。もしもわざと長く作ってあっても、もう始まってから五分以上は経っている。

 あれ?

 俺は気づいた。

 さっきと同じ映像だ。全く同じ。

 アニメのオープニングを繰り返している?

 妙だ。本編が全く始まらない。

 それでも……誰も不思議がっていない?

 俺は異様な雰囲気の周囲を見回しながら、ニカ子に聞こえる様に言う。

「ニカちゃん、なんかこのアニメ変じゃない? それに観てる人も。ちょっと不気味な感じ……ニカちゃん? 聞こえてる?」

 俺ははっとした。ニカ子の目は、周りの人の目と同様に画面を観たまま動かない

「ニカちゃん!」

 肩に手を置いて揺すっているのに、気づいているのかいないのかわからない。

 大画面から浴びせられる白い光に浮かび上がるニカ子の横顔は、まるで自分の部屋にいる俺自身を見ているよう。胸がちくりと痛んだ。

「ユキ君!」

 突然後ろから声を掛けられて俺は飛び跳ねるように驚く。

「晶さん、真紀緒さん! どこにいたんです、全然見えなくって」

 どうやら探していたのは、こちらだけではなかったようだ。

「ユキ君、止めて! このアニメの上映、早く止めて!」

 二人は揃って神妙な顔つきで、俺に何かを訴えている。

「止める? 上映を止めるってどういう事?」

 晶と同じくらい動揺しているはずだが、真紀緒はどこまでも冷静さを欠かさずに答える。

「理由は言えません。また、私たちが、歴史を変える行動をする事も、絶対にしてはいけない事です。しかし、見て見ぬ振りをしろとは、教則本には載っていません」

 まだ意味を理解できずに、二人を見上げる俺の横で、晶が気づく。

「ニカ子ちゃん! ねえ、ニカ子ちゃん!? まさか……」

 晶の言う『まさか』の後に続く言葉を、知る術はないが、異変である事には違いないと確信する。なぜなら、いくらアニメが上映されていて音楽が鳴っているからといって、これだけ大声で騒いでいるのに、誰一人こちらを振り向かないなんて、不自然すぎる。

「田中さん。混乱されているのは重々お察しします。お聞きになりたい事もあるでしょうが、お願いします。ニカ子さんや御門さんの為にも、あの映像を遮断しなくては、取り返しのつかない事に」

「ユキ君、お願い!」

 とにかく、この二人の言葉を信じない理由はなかった。テレビから流れる映像を止めるなら、電源を消せばいいのだろうが、リモコンが手元にあるわけでもないし、第一ボタン一つで消したところで、またすぐに再開されるだけだ。どうにか、少しの間でも修復不可能にするには? こういうトラップや作戦系のゲームは大好きだが、まさか自分がその当事者になろうとは思ってもいなかった。

 心配そうな顔で見守る二人を押しのける様に、俺は外に飛び出す。

「ちょっと、ユキ君! どこ行くの?」

「まさか田中さん、逃げたのでは……」

「そんな……」

 俺には、読者、いや、晶たちの番組の視聴者をあっと驚かせるようなとんちの効いたトリックなんて考えつかない。それは、ちゃんとしたフィクションのお話で楽しませてもらって欲しい。申し訳ないが、俺なんて、所詮このレベル。ただのオタクですから。

 飛び出した先のエレベーターホールをぐるっと見回す。身長より上を重点的に探すが、ない。同じようなビルを思い出しながら考える。

 よくあるのは、もう一カ所、あそこだな。

 目の前のエレベーターを横切り、その奥の階段を駆け下りる。飛び降りた、小さな踊り場にそれはあった。 

 白塗りの壁に向かって立ち、その中央に構える濃いグレーの鉄製の小さな扉を開ける。そう、配電盤だ。

「普通でごめんなさい」

 誰に謝っているのかわからないが、一人ごちながら、『六階ホール』と古いシールの貼ってあるスイッチを下に倒す。

 同時に、遠くの方でいくつか機械音がしたのを確認し、急いでまた六階まで戻る。勢い良く扉を開けると、予想通りまだ何事かと呆然とする人達ばかりだった。

「ユキ君、逃げてなかった!」

「っていうことは、今の停電は、田中さんが?」

 窓際まで行き、カーテンを腕の届く限り一気に開く。当然、遮られる物のない日光は勢い良く暗闇を押しのけていく。

 それでも呆然と座っていた参加者達は、動きだそうとする事もしない。

「ニカ子ちゃん、わかる?」

 晶が呼びかけている。俺も心配になり、駆け寄る。

「初めてなら、そこまで深くはないはずですよね……」

 真紀緒も心配そうにニカ子の肩を叩く。当のニカ子は、もう何も映し出されていないテレビ画面に、まだ視点が刺さったままだ。

「どうしよう。ニカちゃん、どうなるんです? 大丈夫なの?」

「私たちも分からない。でも、なんとかここから連れ出さないと……」

「ここから出すだけでいいなら、なんとか俺が……あ、でも草哉」

 日差しの入った部屋で草哉を探し出すのは簡単だった。一番前の席の一番壁側の椅子に座っていた。

「おい、草哉」

 後ろから肩を叩きながら、前に回る。すると、ぐらっと上半身が倒れかと思ったら、左の壁に頭をぶつけてそのまま止まった。

「おい! 草哉、大丈夫か?」

 顔を見ると、目が半分開いたまま、でも反応は寝ているのと同じ。返事はしないが、息はしている。一目見て、異常であると感じる。

「どうしちゃったんだよ、草哉! おい、おい!」

 真紀緒が俺の声を聞き、様子を見に来た。

「どうですか、御門さんは……。やはり。かなり重度ですね」

「重度……?」

 いえ、とだけ言う真紀緒は、それ以上の質問をしないでくれ、と無言で伝える。

「どうしよう、草哉を置いては行けないし、でも、晶さんと真紀緒さんだけでは、ニカちゃんは無理だし……」

 こうしている間にも、隠れて姿を見せていない主催者側が、また映像を流し始めるかもしれない。また真っ暗な部屋に戻されたら、動きもとりずらくなる。とりあえず、ここを出ないと。

 どうする。

 その時、後方にいた晶が驚嘆する声が聞こえた。

「代表!」

 振り向いた先いた代表と呼ばれる人物は、この場にいることが信じられない人だった。


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