第十二話
ワンルームのその部屋は、最低限の家具や電化製品は備え付けのものらしく、なんでもとりあえずは揃っているのだが、散らかっているでもなく、まったく生活感のない部屋だった。まるで、モデルルームに来たみたいだった。
「ルーフェスが、ここを……?」
シュウは綺麗にカバーのかかったベッドの端に座って、不機嫌そうな表情で言った。
「その通り。彼もかなり弱ってたわ、あのビルの六階で」
「だって!」
突然シュウは大きな声を上げる。そしてすぐに、その自分の声に驚いたかのように、小声で続けた。
「だって、連れて行こうにも、あんなに大きいんじゃ、とても運べないもの。見つかり辛い所まで動かすので精一杯だったのよ」
少しでも連れて行こうとした気持ちがあったのなら、ほっとした。なんとも思っていなかった、などと聞くよりはずっといい。
「シュウさん。俺の父は、この年代の時空移動の代表をしています。だから、あなたとルーフェスさんには、帰ってもらう様に引き渡すつもりです」
シュウはこちらを一切見ずに、吐き捨てる。
「分かってるわ。その為に来たんでしょう。とっとと連れて行くなりしたらいいじゃない」
俺は一つため息をついてから、続けた。
「シュウさん。そのまえに教えてください。なぜ、あなたはこの時代にきて、オタクと呼ばれる人達をマインドコントロールしようとなんてしたんですか?」
俺とニカ子は、部屋の壁沿いに立ちながら、シュウの答えを待った。
「マインドコントロール……。そうね、そうかも知れない。でも、私は、彼らを解放しにきたのよ! 彼らに危害を加えるつもりも、自分の利益に使おうとした訳でもないわ!」
「え?」
俺もニカ子もその話を聞いて驚いた。俺たちは勝手に、シュウがこの時代のオタク達を操り、自分の時代をより有利に運ぶ為の作戦なのだと思っていたが、そうではないと言うのか。
「オタクの解放、って、一体どういう意味? あなたの目的は?」
ニカ子が問う。
シュウは、口をつむった。正直俺たちに言う必要はないのかも知れないが、実際その被害を受けたニカ子は、なおさら気になるのかもしれなかった。
「言えないってことは、やっぱり正当な理由もなく、自我の欲の為にしたことだって認めてるってことじゃない。違う?」
シュウは下唇を噛んで、悔しそうな表情をしている。しかし、少しの間を経て、話さなければ話は進まないと思ったのか、ゆっくり語りだした。
「私は、二〇四五年から来たの、知ってるわよね。私、そこでコスプレアイドルやってるの、そう、オタクよ、私も」
ニカ子が窓際にあったソファーに腰を掛けた。俺はそのまま立ったままで、玄関の脇にいた。
「最近聞いたのよ、将来、オタクって言えばちやほやされる時代がくるって。このまま、この世界で頑張ってたら、良い思い出来るからって。その人は、私を応援するつもりで教えてくれたんだと思う。私もはじめは、嬉しかった。だって、まだ私の時代は、オタクはマイナーで、そうじゃない人達には気持ち悪いって言われる事を覚悟しないとやっていけない時代。隠れて隠れて、馬鹿にされても、自分の好きな事を、分かる人たちだけで楽しむ、暗い世界。でも、それが将来は、みんなが憧れる世界に変わってるだなんて! ひどいわよ!」
ミシっという音がして、ベッドを見ると、シュウの置いた手が、ベッドのカバーをきつく捕まえていた。そんなシュウを見て、ニカ子は言った。
「嬉しいことだったんじゃないの……? なにが、ひどい、なの?」
「変われたのよ。オタが日の目を見る事は可能だったのよ。それは未来が証明してくれた。なのに、この時代の人達は、変えようとしなかった。オタクである事をひた隠して、大好きな趣味も誰にも言えず、それでも構わないって、この時代の人達が思わなかったら、もっと自分達のする事に自信をもっていてくれたら! もっと、オタクの将来を考えてくれていたら、もっと早くに変われたはずなのに! 私もそういう時代に産まれたかった。未来の、オタクが憧れの存在でいられる時代に産まれたかった。でも、自分の産まれる時代を選ぶ事は出来ないじゃない! だから、過去を変えに来たの。もっとたくさんのオタクが、明るく生きられるように」
シュウは泣いていた。その意味は俺には分からないが、たぶん彼女の時代にはその時代なりの事情がって、それはオタクには厳しい環境なのだろう。しかし、未来にくるはずのオタク優遇期を知り、喜ぶより前に、ならば自分の時代も変えられるはずだ、と過去からリセットを試みたのだ。
「あなたにはあなたの思いや、使命感があるってことはわかった。でも、あなた、ただ甘えてるだけじゃない?」
ニカ子は強い口調できっぱり言った。シュウは顔を上げる。
「私が、甘えてるですって?」
「だって、そうじゃない。未来を知って、オタクの存在意義を変えられると知ったあなたは、ならばもっと前からそんな時代だったらよかったのに、と思ったんでしょう? 自分の生きる時代が、既にオタクとして住みやすい時代になっていて欲しかったって思ったんでしょう?」
「そうよ、それが何が甘えなの? 苦しむ時代を少しでもなくして、より多くの人達が、オタクであるからって日陰にいる日々を送らなくて済む事になるのよ。だから……」
「だったら! なぜ、あなたは過去の人を動かすの? なぜ、あなたは自分の時代で、自分の力で、あなたの生きるその時代を変えようとしなかったの? 過去を変える方が、自分の力で一から変えるより楽だからじゃない? 自分で今を変えるよりも、楽だからじゃないの?」
シュウは黙り込む。
「自分の時代にもどったら、そこでやって見なさいよ。どれだけ未来を早められるか。あなたの望む時代を、待ってるんじゃなくてつかみ取ってみなさいよ!」
「あんたに言われなくたって……。ここで失敗したんだもの。それしかないでしょう。まったく、オタクでもないやつにオタク道を語られたくないわ!」
今度はニカ子が、ぐっとこらえた。
「さあ、もういいでしょ。どこへでも連れて行ってよ」
「待ちなさいよ」
「何? まだあるの?」
「あなたがした事は悪い事だし、どんな高尚な志を持っていたとしても、過去を変えるなんて外道だと思う」
「もう分かったから、よしてよ。これから管理組合にも、こってり絞られるんだから、こんなところでこれ以上お小言言われたくないわ」
「あ、あの、まあ落ち着いて……」
「最後、よ」
ニカ子は、シュウを睨むように見据えていた。
「あなたのコスプレ、かわいかった」
殴り掛かるのではないか、と心配になるほど張りつめた空気だった。
その後に続いた、シュウの言葉も意外なものだった。
「……ありがと」
ニカ子は、こういう子だった。昔から。
「じゃ、行こうか、ユキちゃん」
「あ、ああ、はい」
人の良いところも、悪いところも、ちゃんと見つけてちゃんと教えて上げられる、そんな幼馴染を、ちょっと自慢に思った。
徒歩ではじめの雑居ビルまでもどり、総勢六人の不思議な集団は、父の帰りを待つ為に、我が家へ向かった。
母は、大人数の俺たちを見て、はじめは驚いたが、全員を喜んで迎え入れた。大人数で迎えた夕食は、母がノリノリでごちそうを振る舞ったということは言うまでもない。