第十一話
ルーフェスは、シュウと一緒に四五年から来たと告白した。まだオタク全盛期ではない時代の中にも関わらず、ルーフェスはかなりのアイドルオタク、アニメオタクで、シュウのコスプレライブ等に通いつめるうちに、使いっ走りにされる様になっていたという。今回の計画も全て、シュウが考えた物だと言うのだ。
「だからといって、あんたに責任がないと言う訳じゃないのよ? 共犯って意味わかる? 共犯。首謀者でないっていうだけじゃない」
きつく晶にいわれ首を垂れ下げているが、目だけはちゃっかり晶を見ている。
「あんた、なんでちょっと笑ってんのよ!? 立場わかってんの?」
「いやー。どっからどう見ても、萌えキャラですよねー? 萌えー。ねえ? 田中さん?」
「俺に同意を求めるな!」
筋金入りのオタクだと自負する彼にとっては、どんな局面であろうと、萌えれるキャラには目がなくなるのだろう。
晶は、顔全体で嫌悪感を現しながら、後ずさりする。
その後、残りのあきれ顔の三人に散々絞られ、ガムに仕込まれた脳内麻薬物質の成分と、それを混入している製菓工場、もちろんシュウの隠れていそうな場所も全て吐き出させた。
ルーフェスから聞き出した脳内物質の解毒剤は、真紀緒が調べたところ、ある健康ドリンクにその解毒成分がたまたま多く含まれている事がわかり、それを飲ませれば体内に多くなりすぎた物質は自然に減っていくと言う事だ。早速、家にいる母親に理由を適当に作って話し、家で寝ている草哉に無理矢理にでも飲ませるように伝えた。
そして工場には消費者の振りをして電話をし、ガムに変なものが混入されていた、と工場自身での改善を促した。直接その場に行ってなんとかしたいところだが、工場までの距離が電車でも三時間以上かかってしまう現状では、苦肉の策であった。
「よし、とりあえず、周りは固めましたね。あとは、シュウのところ。行きましょう」
「うん、この人どうする?」
俺とニカ子はうつむいて床に座っている体の大きな男を見ていた。
「僕は大丈夫ですよ。このまま放っておいてください。どうせ体が動きませんから」
「放っておいてって言っても……」
こんな裏通りの雑居ビルの一室。人の出入りがあるとは思えないし、まだ動けそうにないが、この男一人で置いく訳にはいかない。逃げるとも限らないし、シュウに何かしらの連絡を取る事も考えられる。
「じゃあ、私が残るよ」
晶が言う。
「そんな、晶ちゃんだけここに、しかもこの人と一緒にだなんて、残して行けないよ」
ニカ子は心配して言ったが、晶は首を振る。
「ユキ君もニカ子ちゃんも、早く追いかけないと。自分たちで動けない私達のどっちかが残るべきだもの。真紀緒はカメラもあるし、ここに残るなら私が適任。背もちっちゃいから、足も遅いしね」
「晶D……」
「さすがに、この人も連れてみんなで、っていうのもきついしですしね……」
俺には、いい案は見つからない。どうしよう、と考えていると、真紀緒が口を開く。
「ニカ子さん、耳にピアスは開けてらっしゃいますか?」
「え……? ピアス? うん、片耳に一カ所ずつ開いてるけど、なんで?」
それをきいた真紀緒は、自分のつけていた小さなピアスをはずし、ニカ子に渡した。
「本当なら、撮影の為私も同行しろ、と晶Dから言われる所ですが、ここは私も一緒に残ります。万が一他の仲間が現れでもしたら大変ですし。ミイラ取りがミイラになりかねません。ですから、ニカ子さんに、そのカメラを託したいのです。お願いできますか?」
晶は驚いて話に割って入った。
「大丈夫だってば、真紀緒! 一人でもだいじょう……」
「わかった。真紀緒ちゃん。晶ちゃんも、ここをお願いね」
晶の話を遮る様にして、ニカ子はそう言い、ピアスをそれぞれの耳につけた。
「気をつけて。ニカ子さん、よろしくお願いします」
「オッケー、任せて。いい映像が撮れる様に祈ってて。行こう、ユキちゃん」
「うん」
後ろでは、まだこの決定に文句のある晶が騒いでいたが、俺とニカ子はその場から急いで出て行った。
シュウの隠れているのは、その雑居ビルから歩いて二十分程度の距離にある、週間賃貸の出来るマンションしかないだろうということだった。
「この距離なら、走るのが一番早いね」
大体駅一つ分の距離。下手に駅やバス停を探すよりきっとその方が早いだろう。
「そうしよう」
体力に自信のない俺と、普段から部活で鍛えているニカ子の二人は、一斉に走り出す。いつシュウが俺たちの動きに気づいて、また逃げ出すかも分からない。とにかく急ぎたかった。
あまり土地勘のない場所だけに、通りの看板や電柱の標識を確認しながら進んでいった。
五分もすれば、俺は息が上がってくる。しかし、疲れたから休憩、と言える訳もない。ただひたすらに黙々と、町中を走る。前を行くニカ子は、時折振り向きながら、何も言わずにペースを合わせてくれていた。
ニカ子が声を掛ける。
「大丈夫? はあ、はあ。ユキちゃん、少し休む?」
俺は、からからの喉をなんとか開けて返事をする。
「だ、はあ、はあ、大丈夫、いこう、はあ、はああ」
そう、と言って俺の横で明らかにペースを落としながら、ニカ子は話しだす。
「私、ちょっとこういうの憧れてた、はあ、はあ」
「え?」
何を突然言い出すのか、と思ったが、ニカ子は構わず続けた。
「私、はあ。少年漫画好きだって言ったでしょ? はあ、はあ。なんでかって言うと、少年漫画はね、なんでもがむしゃらなの」
どういう事? と聞きたかったが、とても声にならなかった。口から出るのは、体から吐き出される大量の二酸化炭素ばかりで、俺は黙って聞くしかなかった。
「大切な物を守る為、仲間と戦う為、自分のプライドを守る為、なんでもがむしゃら、はあ、はあ。でしょう?」
確かにそうかもしれない。少年漫画は、どのジャンルの漫画よりも、がむしゃらという事に関しては負けないだろう。それが良い所だし、少年に読まれるべきもの、という位置づけなのだから当然とも言える。しかし、その何に憧れるというのか。
「子供から大人になるに従って、すこしずつ、がむしゃらに何かをする事って、なくなっていく気がするの、はあ。はあ、がむしゃらって、何か一つの為に後先考えないで、ただ一生懸命突き進むってことでしょ?」
俺は首だけで、うん、と答える。
「そういう世界が、私、はあ、大好きなの。私も、何かの為にがむしゃらになりたいって、ずっと思ってた、漫画みたいに。変かな、こんなの」
「そんな、こと、はあはあ、ないよ」
ニカ子は、笑った。額にうっすら汗をかいていて、それが太陽の光にキラキラと反射していた。俺は、その清潔感のある横顔に、どきっとした。
「ユキちゃんが、むかーし、私に貸してくれた漫画、あれを読んでから、私、漫画が好きになったの、はあ、はあ。ユキちゃんのお陰」
はあ、はあ、とリズムを刻みながら息をするニカ子は、俺を横目で見て言った。
「私も、実はオタクでしょ?」
そう言って、ニカ子は笑う。俺には、なんでニカ子がこんな話をしたのかが、わかった。幼なじみ故か。
俺が、自身をオタクだと卑下している事を知っていたのだろう。それが理由で、俺がニカ子にずっと近づかなかった事も。そして、そんな必要はないのだ、と遠回しに言ってくれているのだ。
「ニカちゃん、はあ。はあ。」
もうしゃべれない、でも、これだけは言わないと。
「ん?」
「……ありがとう」
俺の体力は、既に限界を突破していた。なのに、自然に笑顔になっていた。
ルーフェスから聞き出したマンションに到着した。俺の息は上がりっぱなしでうるさいだけなので、まずは来客のふりをして、ニカ子が外から様子を伺う事になった。その間休んでてくれ、という事なので、俺は大人しくマンション前の道を挟んだ向かいの塀に、背中を付けて座り込んでいた。
ニカ子が、マンションのエントランスに入っていった。一階の一番奥の部屋らしい。エントランスを抜けると、玄関が横並びになっていて、一番奥の玄関は、丁度俺のいるところから見える低い塀を隔てて見える場所にあった。
ニカ子がその玄関の前を、ウロウロしている。その様子が、どっからどう見ても怪しすぎて、俺は吹き出した。
と、吹き出している場合じゃなかった。
俺の目の前に一台のタクシーが停まった。まさか、とゆっくり上を覗いてみると、まさに、その乗客はシュウだった。昨日のフリフリとは全く正反対な、黒いパンツスーツを着ていて、昨日が十六歳なら、今日は二四歳というくらい、大変身していた。座っていたせいか、タクシーの中のシュウには、俺がここにいる事はバレていないようだ。バタン、という音と共に車は動き去り、俺は急いでエントランスへと向かった。しかし、そこにシュウの姿はもうなく、玄関前の廊下で、ニカ子と、シュウが鉢合わせしたところだった。
「おかえりなさい」
ニカ子は、意外に肝が据わっているようだ。
シュウはその瞬間にニカ子の事を思い出したのか、踵を返して走り出した。
「ちょっと、待ちなさいよっ!」
追いかけるニカ子から逃げ出すシュウも、俺の顔を見た途端、足を止め観念の表情を見せた。
俺とニカ子はシュウの部屋に上がり込み、話を聞くことにした。聞きたい事は山ほどあるのだ。