act.5 歌うのが好き…
(どうしてこうなったんだろう……)
旧校舎の一階。その一番端っこに花音と響はいた。
目の前には「アカボシ」の練習室。
背後にはあこがれの先輩である響。
逃げ道はなかった。
(どうしてこうなったんだろう……)
何度思い返しても現実は変わらない。変えられない。
「ほら、入れよ」
「あ……」
「ん?」
扉を開ける響の手のひらに血が滲んでいるのに花音は気づいた。
「先輩、血が……」
「ああ、かすり傷だな。ほら」
と言って花音を中へとうながす響。
おとなしくされるがまま練習室に足を踏み入れた花音は、思わずぐるりと室内を見回していた。
洸の忘れものを届けに行く雪乃について行ったことは何度かある。けれど中まで入ったことはなくて。
しばらく物珍しげにいろいろとながめていた花音だったが、はっと我に返り響に視線をやる。
「あ、あの、これ……」
制服の胸ポケットから絆創膏を取り出す。ウサギ柄がなんともかわいらしい。
響の手のひらにペタリと貼る。
大きな手にファンシーな絆創膏。そのアンバランスさにしばしながめていた響だが、ふっと笑みを浮かべると花音に頭をなでた。
「ありがとな」
あまりにも自然な仕草で頭をなでられ、花音は顔を真っ赤にした。
動悸が激しくなる。そしてふと心配になった。
(先輩ってだれにでもこういうことするのかな……)
ちらりと響に視線をやる。それは自然と上目づかいになって。
と、一瞬響が動揺したように目線が揺らいで。
「?」
首をかしげる。
が、
「ひゃわっ」
響が乱暴に頭をなでたおかげで髪がぐしゃぐしゃになってしまった。
「な、なにするんですかー」
「いや。ただなんとなく」
あっさり言われた。
(か、からかわれてる……っ)
もう自棄だ。
「うう……だいたいどうして私なんですか?」
「ん?」
「バンドのボーカルのことです」
もっといい人いるんじゃないんですか?
花音の質問に響は少しだけ考えこんだ。どうやら答えを探しているらしい。
そして返ってきた答えに花音はどきりとした。
「ひとめぼれしたから、かな?」
「えっ!?」
「正確には声、だけどな」
「ですよね、あはは……」
脱力。
まったく。思わせぶりなことを言ってくれる。うっかり期待してしまったではないか。
そんな花音の乙女心に気づくことなく、
「ボーカルとして参加してほしい」
と、真剣なまなざしで頼む響。
そんな響を見て、
(本当に音楽が好きなんだなあ……)
ひしひしと伝わってきて。
でも……。
花音はうつむく。
自信が、ない。
「私、地味だし……きっとみんながっかりしますよ? だから」
「井上は?」
だから参加できません。
そう言い終わる前に遮られた。
「え?」
思わず顔を上げる。
響がまっすぐこちらを見ていて。
「井上はどうしたい?」
「あ……」
口をつむぐ花音。
どうしたい?
そんなのわかりきっている。
参加したい。だって私は――
響がにっと唇の端を上げる。
「井上は歌うの好きだもんな」
「どうしてわかって……」
「この間見たとき思ったんだ。ああ、こいつは俺と一緒だな、ってさ」
だからあきらめきれないんだろうな、と笑う。
花音は目を丸くする。
(そんなこと……)
初めて言われた。
それはそうだ。今まで人前で歌ったことはなくて。けれど――
(歌うのが好き。音楽が、好き)
今までこっそりと胸の内に秘めてきて想い。
小さな笑みを浮かべる花音の頭をなで、
「もう少し、自分に自信を持てよ。好きだって想いは恥ずかしいことじゃないだろ」
響のその言葉に、
「はい!」
花音は大きくうなずいたのだった。