act.1 誰にも内緒の、唯一の…
私立翠蓮高校の校舎は三つで構成されている。四階建ての本館と五階建ての新館。そして三階建ての旧校舎だ。
授業等で使われるのは本館と新館で、旧校舎には生徒会や委員会の執務室、部活や同好会の部室が入っている。
その一階の一番端っこに、数名の生徒で結成されたバンド「アカボシ」の練習室はあった。
涼風を入れるために開けられた窓からは彼らの曲が流れ出ていて。
その窓の下に一人の女子生徒がいた。名前は井上花音。襟元には一年を示すバッジがきらりと光っていた。
スカートを汚さないように気をつけ、とんとんとリズムを刻む指先。目を閉じて聴き入るその表情には幸せそうな笑みが浮かんでいて。
「アカボシ」はボーカル、ベース、ギター、ドラム、キーボードの五人で構成されるアマチュアバンドだ。けれど彼らの音楽センスはよくて、校内どころか校外にもファンがいるくらいだ。
花音もまたそのうちの一人だった。引っ込み思案な性格のおかげで、他のみんなみたいにはしゃいで応援したりできないけれど。
だから、この特等席で彼らの演奏を聴くのは誰にも内緒の、唯一の楽しみだった。
小さく、本当に小さな鼻歌を歌う。
今流れている曲はどうやら練習用に録音したものらしく、ボーカルが入っていなかった。
こっそりと練習室をのぞけば、ベース兼リーダーで三年生の音無響しかいなかった。
(響先輩……)
花音のほほが淡いピンク色に染まる。
一八一センチの長身はすらりとしていて。つやのある黒髪は少しはねている。こちらに背中を向けているので顔は見えない。けれど、花音はその面影を思い描くことができた。
一見冷たそうな印象を与える切れ長の目。すっと通った鼻筋。滑らかな曲線を描く、ほほから顎にかけてのライン。
(やっぱりかっこいいなあ)
普段の彼も、ベースを弾いている彼も。
じっと見つめていると、響が身動きした。
花音は慌ててしゃがみこむ。
息をひそめて様子をうかがうが、相変わらず窓からは音楽が流れているばかりで。
ほう、と安堵のため息をつく。
と、曲のテンポが変わった。花音が一番好きな曲だ。
アップテンポで、ボーカルの女の子が力強く歌う姿がかっこよくて。聴いていると心が弾んでそれが心地よかった。
だからほとんど無意識だった。
曲がもっとももり上がるサビ部分にさしかかったとき、花音は思わず歌っていた。
声は抑えていたつもりだったけれど、実は声量がある花音の歌声はしっかり窓から室内へと届いて。
ガラッといきなり窓が全開になった。
「っ!!」
びっくりして見上げる花音の目の前に、同じく驚きの表情を浮かべている響がいて。
「おまえ――」
深みのある低音に、我に返った花音はダッシュで逃げ出していた。
(聴かれた!)
顔が真っ赤になっていく。それと同時に、頭の中は真っ白になっていた。