越中同盟
どうにも自信がない。
高校に上がって好きな人ができた。その子は同じクラスで出席番号は38番。陸上部に入っていて、短距離の選手らしい。そんなことまで知ってるくらいには好きだった。
彼女に関しての情報は簡単に記憶することができる。好きこそ物の上手なれ、みたいなもの。彼女という教科があったら、確実に上位入賞間違いなしだ。トップと言えないのは、ほぼ間違いなくライバルがいるからだ。誰も言いはしないけどわかる。スポーツ選手がその人の筋肉を見て同じスポーツをやってるかどうか当てられるように、同じ人を好きになるってのは行動とか視線が少しその人に偏っていく。そういう同じ筋肉の付き方をした奴がクラスに何人かいるのだ。競争相手は割と、多い。
高校2年目の春。
クラス替えはしないので、顔ぶれは全く変わらない。朝の朝礼まで残り数分もない今になっても、机に課題を広げて春休みの借金をぎりぎりまで返済しているひとがちらほら見える。僕はというと、まあ終わってませんけどね。もちろん机の上には数学の課題が乗っている。ぎりぎりまであがくよりも、そろそろ各教科の先生にする言い訳を考えたほうがいいかもしれない。終わっていないのは、数学だけではないんだから。
放課後になり、クラスのみんなは、各々帰る支度をしている。結局、残った課題については、一週間の猶予とペナルティとして数枚のプリントが上乗せされて与えられた。なんてこったい。利息までつけてきやがった。残った課題について、できもしない理想の計画を頭の中で夢想していたら、田中に話しかけられた。
「宿題、何個終わった」
2つ、と答えると、田中は駄目なやつだなと罵ったあとで最後に、俺もだ、と返した。終わっていた課題は偶然にも重っていなかった。そこで田中が提案をしてきた。
「次の土曜、お前ん家行っていいか。終わってない宿題お前のから写したいんだけど」
二つ返事で承諾すると、田中はじゃあバイトがあるからまた明日なと、そそくさと帰っていった。田中とは、中学が別なので、出会って1年くらいの付き合いなんだけど、何故か馬が合う。気さくで、ほとんどのクラスメイトと、冗談が言い合える。社交性にあふれた人間だった。お互いに帰宅部、だとか、趣味が合うとか共通点は結構ある。ただ、どちらかというと、意識が内に内にと向いていく自分がなぜ仲良くなれたのか、時々考えることもあったが、答えは出ていない。あまり、そういうことは理屈で考えないほうがいいのかもしれない。理屈は損得感情に結びつくような気がしてしまうのだ。とにもかくにも、これで宿題を終わらせる目処は立った。帰る支度を始めよう。
土曜の朝、田中が家にやってきた。4月にもなると、草木が土の中から新芽を出すように、暖かい日が少しずつ顔を覗かせるようになるが、今日はまだ少し肌寒い。田中は長袖のシャツの上に長袖のパーカーを着ていた。僕の部屋に入ると、すぐにテレビのリモコンをいじり始めた。
「おい、課題やるんじゃねえのか」
笑いながら僕が言うと、田中もにやにやしながら
「そんな焦らんでも、課題は逃げないから大丈夫だよ」
と一言。逃げようとしているのは課題ではなく、僕たちである。2人共、欲望に流されやすいタイプだった。それから、10分して、僕たちが握っていたのはジャーペンではなくゲームのコントローラーだった。
「お前彼女作らんの?」
ゲームを初めて30分くらいたって田中が聞いてきた。視線は僕ではなく、テレビの方に向けている。ほんの気まぐれだろう。
「作らん、作れん」
適当に返す。続けて僕はお前は?と返した。俺も同じだよ、と田中がテレビの方を向いたまま答える。
「じゃあ、好きな人とかは?」
田中が言った。どう躱そうか考えているうちに間が少し空いてしまった。田中がこっちを向いてきた。目がいかにも面白そうなものを見つけてたと言わんばかりにきらきらと輝いていた。しょうがなく
「いるよ」
そう答えた。言ってすぐ後悔した。他人に自分の色恋沙汰が露呈してしまうのは、とても、とても、致命的な失態であると思う。恋愛に関するゴシップは、年齢に関係なくニュースになる。誰かに言ってしまえば放課後には、クラス中に知れ渡る。体が少し熱くなる。
「誰?クラスのやつか?」
すぐに言葉が帰ってきた。田中は体までこちらに向けていた。話すかどうか迷ったが、話すことにした。田中を信用することにした。あるいは誰かに話したかったのかもしれない。誰にも言うなよ、と釘を刺しておく。田中は頷く。
「……横山さん」
言ってしまった。再度、誰にも言うなよ、と釘を指す。田中はわかってるよ、とまったく聞いてない様子で答えた。
「横山か。いいんじゃねえか。可愛い顔してるし、性格も悪くねえし」
田中の評価は妥当である。横山さんはクラスでも2、3番目に可愛い女子だ。飾り気のない性格をしていて同性異性問わず好かれている。不思議と彼女の周りにはひとが集まる。
「まあ、その分ライバルも多そうだけどな。誰々が狙ってるみたいな噂はよく聞くしな」
「確かに」
田中の言葉に表面上、冷静に答える。
「で、どうするよ。狙うのか」
「無理だよ。釣り合わないし」
情けない話だけど、しょうがないのだ。僕の容姿は平々凡々だし、性格も明るいわけではない。
「あんまり釣り合う釣り合わないで考えんなよ。それとも横山は、容姿だけで判断するようなやつに見えるのかよ」
「その言い方はずるいだろ」
田中の言い分はもっともだ。だけど、人間容姿が大なり小なり生き方や人付き合いに影響するもんだと思う。
「要するにお前は自信がないんだろ。」
田中はすんなりと言う。腹が立つがその通りであった。結局のところ、僕には横山さんと同じ土俵に立つ自信がなかった。狙う狙わない以前の話だった。田中の方も向けず、うるせぇ、と小さく返すしかなかった。
「なあ、提案があるんだが」
しばらくして、突然、田中が言い出した。
「お前、スクールカーストって知ってるか」
「知ってるけど、それが?」
「俺らってどのくらいの位置にいると思う」
「田中が上の下、僕が中の下か中の中くらいじゃないか」
自分の立場やキャラを把握するってことは大切なことだ。あの小さな教室は、高校生40人が長い時間を共にするには小さすぎる。もちろん、物理的な意味ではなく精神的な問題で。気に入らないこと、気に入らないひと、そんなものが出てくるのは当たり前なことだけれど、それを避けるのに教室は狭すぎる。だから、立場をわきまえ、空気を読まないといけない。厄介なひと、言葉、行動が飛んできたら、避けるために。また、自分がそんなことをしないように。
「まあ、それくらいが妥当だな」
「それがどうしたんだよ」
さっきよりも間を置いて田中が言った。
「俺たちがさ、上の上、つまり、そのスクールカーストのトップに立てねぇかな」
「無理だろ」
即座に答えると、田中はムッとした顔で反論する。
「そんなことはやってみないとわからねえだろ」
「まあ、そりゃあそうだけど。でも、そもそも何のためにそんなことするんだよ」
「例えばさ、お前がうちのクラスの堂林とかの立ち位置になれたら、もっと、素直に横山狙えたんじゃねぇのか」
堂林くんとはうちのクラスの中心人物だ。部活はサッカーをやっていて一年からレギュラーを取っている。顔も整っていて、つり目がちの二重の目がとても印象に残る。話すことも面白い。空気を読むというよりも、空気を作る側の人間だ。容姿はともかく、僕にもあれだけ男女問わず人気があればこんなことで悩むことはなかったのかもしえない。
「それは。確かに、そうかもしれない」
「だろ?堂林みたいに、お前がクラスで1番の人気者になってれば、自分なんかが横山なんかと、みたいなことは考えなかったと思うぜ」
クラスで1番の人気者がクラスでトップクラスの可愛さを誇る女子と付き合う。普通に隣のクラスでもありそうな話だ。それなら、なんとか横山さんの隣に立てるかもしれない。人気持ってのは一種の肩書きだ。その肩書きを手に入れるメリットはあるように思えてきた。
「けど、田中。お前は何のためなんだ?」
「俺も分の悪い恋してるからな」
頬をポリポリ掻きながら恥ずかしそうに言った。恋なんていうあたりどこか純粋なところが見える。純粋というかうぶ、というか。まあ僕が見てもいらっとするだけだけど。誰、と聞いてみると驚くべき答えが返ってきた。
「神野だ。分が悪いって言った理由がわかるだろ」
神野さんって。この男、田中が言う神野さんとはこのクラスで一番の美少女だ。部が悪いどころの話じゃない。とんでもなく愛らしいマスクをしていて、くりっとしたどこか小動物を思わせる瞳、すっと通った鼻筋、クラスの誰よりも小さな顔。男子の中で最近流行っているアイドルや女優の話になるとだいたい神野さんとどっちが可愛いか、という論争が起きるくらいだ。とんでもないことことを言いやがった。ただ1つ疑問に思うことがあった。神野さんって。
「彼氏いるんじゃなかった?」
そうなのだ。神野さんには1つ上の先輩で、大規さんという彼氏がいる。よく彼氏と一緒に帰る姿が目撃されている。初めてその話を聞いたときには、なんでかわからないが少しへこんだ覚えがある。僕でも耳にするくらい有名な話だ。田中が知らないはずがないけど。
「知ってるよ」
田中は平然と、なんでもないように言った。
「別に高校卒業するまで付き合ってるわけじゃないだろ」
確かにそうかもしれないけど。こいつは、現状にまったく悲観しない人間だった。こいつの性格の1番の長所はここなんじゃないかと思う。とにかく、田中がこんな提案をしたのか合点がいった。要は、僕と同じなのだ。
「なんだ、結局、お前も自信がないだけじゃないか」
得意げに僕は言うが、田中はまったく動じないで言った。
「まあな。勝算で言えばお前よりはるかに低いよ」
そういったが、田中はどこか自信がありそうだった。根拠のない自信があるのも、こいつのいいところ…だと思う。
「で、どうする。この話、伸るか反るか。」
田中は鉄火場のツボ振りのように、両手を体の前に置き、太い声で言った。
どこかで、このままではいけないとは思っていた。それは、彼女を作る云々ではなく、男として。きっと、ここで動かなければ横山さんとは何もなく終わるだろう。これはチャンスだ。
「伸った」
こうして僕と田中はスクールカーストの頂点を目指すことになった。
この話は後日、田中と僕の間で『越中同盟』と名づけられ、数年経って、居酒屋で田中と酒を飲むとき、この話は酒の肴として大いに盛り上がることになるのはまた別の話である。
そして、僕の名前は、越前、という。よろしくね。