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たった今の話。

月野原小夜は、一匹のシロフクロウと出会った。

小夜が住む町の中心には公園がある。公園の真ん中に位置するのは数百年という齢を重ねた一本の桜の木だ。冬の寒い夜に一人と一匹は桜の木の下で出会った。




小夜は三十を半ば過ぎた頃、十年以上連れ添った夫に「彼女が妊娠した」という最低最悪な理由で突然離婚を言い渡された。確かに夫婦の間に子供は居なかったけれども、籍を入れてからは険悪に至るまでの喧嘩も無く、いい関係を築いていたと思っていた小夜の受けた衝撃はとんでもなく大きかった。

結構な額の慰謝料を提示されても、「夫の彼女」が勝ち誇った顔で別れてほしいと頭を下げても、小夜は首を縦に振らなかった。

二人が住むマンションに夫はとうに帰ってこなくなり、小夜は生活の全てを放棄していた。掃除や洗濯や、食べる事すらも。

半年ほど経って、今の現状に疲れたと認識した小夜は離婚に応じた。当然の事ながら小夜にとって破格の条件であったが、そんな事で傷ついた心が癒える訳でもない。

夫と二人で住んでいたマンションの部屋も今住んでいるのは小夜一人で、小夜は家具や食器に持って行き場のない感情をぶちまけ、荒れに荒れていた。


その夜は雪がちらちらと降っていた。

積もるような雪ではないのだが、身を刺すような低い気温だ。

部屋で食器を割った時に手の甲を切った小夜は、血を流す傷口をぼんやり眺めていると、唐突に公園に行こうと思った。

破れたカーテンの隙間から窓の外を見ると、雪がちらついている。部屋着にしているスウェットの上にダウンコートを引っ掛けると、スニーカーを履き部屋を後にした。


夜の公園は、街灯が着いているにも関わらず冬という季節独特の暗さを含んでいた。何時もなら犬の散歩や運動する人たちが何人かいるのだが、この低い気温の所為なのか、人っ子一人居なかった。

小夜は桜の木の根元まで来ると体育座りをして桜を見上げた。

はあ、という息遣いと共に白い息が桜の枝と重なる。

顔を上から元に戻すと、顎を膝の上に乗せてもう一度白い息を吐いた。

「このまま死ねたらいいな。」

ぽつりと零した言葉。紛れもない小夜の本音。小夜は静かに目蓋を閉じた。

「は?お前何言ってんだよ。」

何処からともなく声がした。小夜は両目を開くとあたりをキョロキョロと見渡す。しかし、何も見えない。

遂に頭がおかしくなったのだろか。幻聴まで聞こえるなんて。

そう思いながら小夜は再び顎を両膝の上に乗せた。

溜息が混じった長い息をゆっくりと吐く。視線の先に音も立てずに白い何かが空から舞い降りてきた。

「雪だるま?」

にしては小さい。

「てめ、ワザと言ってるだろ。」

白い何かは随分と口が悪い。でも雪だるまでは無いらしい。いったい何者なのか、確かめようと体育座りを解くと両手を前の地面について身を乗り出した。

そこに居たのは―――――


「シロフクロウ。」

「知ってんじゃねえかよ。」


寒いからお前の家に泊めてくれ、とシロフクロウはのたまった。小夜は別段渋る気は無かったのだが、部屋が荒れに荒れている事は言っておいた方が良いかなと思い、告げた。

寒さがしのげたらそれていいとシロフクロウは返事をする。二人は連れ立って公園を後にした。

人間の言葉を喋った時点で、小夜はシロフクロウが「獣人」だとわかった。


「獣人」は大別して体の一部に人と獣の特性が現れる(例えば頭部が獣で他が人といったような)者と、完璧に獣形態で人語を喋る者とに分かれる。

そして一般にはあまり知られていないのだが、イレギュラーな存在として人型と獣形態の両方を取れる者が居る。両方の形を取れる存在はごくごく稀であり、一般人の目に触れる事は殆ど無いと言っていいだろう。仮に目にしたとしても、完璧に変化しているのでどのみち見極める事など不可能なのだが。

当然の事ながら、小夜も一般的に言われる二つの獣人のタイプしか知らない。従って、今自分の上を飛んでいるシロフクロウは、獣形態のタイプだろうとぼんやり考えながら家路を歩いた。


二人は小夜の部屋に入った。

掃除もしていない、ゴミだらけの部屋。シロフクロウには断りを入れたが、それでも何か文句を言われるかと覚悟していた小夜であったが、シロフクロウは何も言わずにさっさと食器棚の上へと飛んでいった。

そこから二人の同居生活が始まった。


シロフクロウの名前を小夜は聞いた。

名前は無いからお前が付けろと言われ、真っ白な体を眺めながらまるで雪の様だと思った小夜は「風花」と口にした。

シロフクロウは、男なのに女みたいな名前だな、と皮肉めいた台詞を零した。そこで初めて風花の性別が男性だと知る。


今迄一人だった部屋に、自分以外の存在がいる。この事実は小夜に少しずつ気力を与える事となる。

ごくごくゆっくりであるが、少しずつゴミを捨て僅かに空いた空間を掃除する。ジャージが汚れたから洗濯機を回した。

体を動かすとお腹が空くので、冷蔵庫にあった物で適当に料理をする。

材料が無くなると、買い物に出なくてはならず、体が匂うままで外出する訳には行かないから風呂に入る。

そうしてマンションがすっかり綺麗になる頃、小夜はこの町の別の場所で仕事を見つけ、職場にほど近いアパートを借り、慰謝料の一部だったマンションを売り払った。




風花との共同生活は、中々に快適な上、小夜に「二人分の食い扶持を稼ぐ」という目標を与えた。

アパートに移って数年後、縁あって近所に住んでいた小さな男の子を養子に迎える事になる。二人だった家族が三人になり、益々小夜は忙しく働いた。

それでも行成(養子の男の子の名前だ)の参観日や運動会といった学校行事には必ず顔を出したし、楽な生活ではなかったのだが身の丈に合った贅沢も出来た。何より心が豊かになった。


独立の話が舞い込んだ時、悩む小夜の背中を押したのは、風花だった。

今迄手を付けなかった離婚時の慰謝料を元手に小夜は独立開業した。

月日はあっという間に過ぎ行く。

アパートが手狭になったので、小夜は行成の高校入学と同時に思い切って駅に比較的近いマンションへ引っ越した。

その間に幾つかの恋愛や出会いもあったのだが、小夜はどうしても籍を入れる気にはなれずに終わってしまい、結果一人を通している。

行成が大学を卒業して、県外にある小夜の会社の同業他社へ就職する。小夜の会社も気が付けば地元の十指に入る優良企業となった。



―――――それが過去の話。


----------


小夜は社長から会長職へと退き、同業他社で働いていた行成はそこを退職して小夜の会社へ再就職した。

相変わらず口は悪いが、気遣いはぴか一の風花と二人の生活。

気が付けば風花と過ごした日々は、別れた夫の倍以上となっていた。


その夜は出会った時と同じ、寒い冬の夜だった。

寝ていた小夜は、何者かに頬を撫でられている感触を感じで目蓋を開いた。

半ば寝ぼけている目が徐々に闇に慣れてくると、人間のしかも男性のシルエットが見える。

男性の伸ばした手が小夜の頬を静かに滑る。

小夜は覚めない頭でぼんやりとシルエットを眺めていた。

人間の頭部のカーブと闇に光る琥珀色の両眼で、

「風花?」

誰なのか解った。


風花は、にま、といった風に目を眇めると言った。

「ちょっといってくるから、窓を開けてくれ。」

「はいはい。」

小夜はベッドから降りた。

視界を布団からさっきの場所へ移したが、そこに人間のシルエットはもう無かった。

夢か現か、判断のつかないふわふわとした足取りで窓まで来ると、カーテンを引く。

小夜は窓を開けると、ぶるっと体を震わせた。

窓枠に置いた小夜の手の横へ風花は止まった。じっと小夜を見つめる。

小夜も首を傾げて風花を見つめる。


「年取ったな、お前。」

「風花は全然変わらないね。出会った時のまんまだ。」

「そう見えるだけだろ。俺も同じだけ年喰ったぞ。」


言い終えると風花は一度窓の外を見ると、視線を小夜へ寄越した。

木枯らしの音と冷たい風が窓から部屋へと雪崩れ込む。

「―――――か―――――ぐ俺――――こ―――」

風花の言葉が風の音に掻き消されて、風花が何を言ったのか小夜には理解出来なかった。

しかし、小夜は考えるより先に問いかけに対して返事を口にしていた。

「うん、わかった。」

おそらく本能、で

満足そうに琥珀色の目が笑う。

風花の白い翼は、音も立てずに夜の空へ羽ばたき、あっという間に消えて行った。


夢心地での出来事が、現実だったと思い知るのは十日後だった。

今まで家を空けるとこはあっても、せいぜい2~3日でしかなく、小夜は風花の「いってくる」を「行ってくる」とばかりに思っていた。一週間が過ぎた頃「いってくる」は「逝ってくる」なのだと理解した。けれども認めたくなかった。

十日経ち、小夜は風花が逝ったのを認めた。

感謝してもしきれない気持ちを、最後の時に伝える事が出来なかった。

別れの言葉も言えなかった。

わあわあと泣いて後悔しても、時は既に遅い。

今の自分には泣く事しかできない。その事に思い至る程度には人生を過ごしてきた。

自分の冷静な部分に腹立たしい思いを感じながら、小さな子供の様に声を張り上げて泣いた。



―――――これが一昨年の十二月の話。


----------


小夜は郊外に小さな家を買った。ちょっとした庭付の日本家屋だ。

ずっと住んでいた駅に近いマンションは行成に譲り、会長職を始めとする一切から身を引くと購入した家へと引っ越した。

家の掃除や家具を納めたり荷物を解いたり。時間は沢山あるからと言って行成からの手伝いの申し出を断わった。

家が片付くと次は庭の手入れだ。庭など今迄触った事が無かった小夜は、近所のカルチャースクールに「庭の手入れ講座」なるものを発見し、そこに通い始めた。

庭の手入れが俄然面白くなり、次第に庭だけでは飽き足らずに今度は庭の隅で家庭菜園を始めたりと、それなりに充実したそして忙しい日々を過ごす。


気が付けば季節は一巡していた。




そして春がやってくる。

庭で咲き出した花々を眺めていた小夜は、ふと公園の桜を見に行こうと思い立った。

風花と出会ってから二人で毎年欠かさず見に行っていたのだが、去年は流石に花見という気分ではなかった。

少し肌寒いので、あの時の様にダウンコートを引っ掛けると、スニーカーを履いて玄関から出て行った。


公園の一本桜は満開で、今日が平日の所為なのか休日に比べると少ないにしても、それなりの人が桜を見に来ていた。

随分と前からなのだが、桜を中心に円を描くように杭が打たれて立ち入り禁止のためのロープが張られている。

小夜と風花が出会った頃はこんな風に桜を囲う事は無かった。

しかし桜の枝を折る不埒な輩が後を絶たないばかりか増えてしまったのと、根元の負担を減らすのが理由でこうなった。この桜にはとある言い伝えがあり、それも理由の一つなのだが。


小夜はロープを掴むと桜を見つめ、願いを口にした。

「風花に『ありがとう』と伝えてください。」

そして、祈った。



「ごうっ」という音と共に疾風が桜を取り囲む。

一年かけて人々から預かった様々な想い。届とばかりに桜は空にまき散らす。


それはそれは見事な桜吹雪だった―――――


薄紅色の、桜の花びらの形をした想い。

幾千、幾万の想いと願いは風に乗って空を渡り、届ける相手の元へと駆け抜ける。


桜の花びらが、桜色の雪が、真っ白い体をしたある存在を思い起こさせ、切なさと共に小夜の心を掻き回す。

もう二度と風花の為に泣く事は無いだろう、と思った小夜の眦から透明な雫が一筋、頬を奔った。

ロープから両手を離して、へその前で強く組む。

いつしか人々の歓声も、小夜の耳には届かなくなり。

感謝の言葉が風花に届くようにと、雪の様に舞い散る桜の花びらをひたすら見つめながらそれだけを願った。



―――――これが今年の春の話。


----------


桜の木は一年かけて人々から預かった想いを、年に一度だけ配達して相手に届けてくれる。

それが一本桜の言い伝えだ。

以前は桜の木に触れて想いを預けたのだが、近隣にこの言い伝えが広まってしまい、大勢の人が来る事となってしまった。結果桜の枝を折られたり、木の根元が荒れてしまったりした。その為対応策でロープが張られる事となったのだ。

小夜も毎年(去年は行かなかった)桜を見に行っていたのだが、想いを預けるのも初めてなら、桜がそれを届ける場面を見るのも初めてだった。

時々、小夜は今年の春の綺麗な桜吹雪を寂寥感と共に思い出していたのだが、そこに涙はもう無かった。




梅雨入りも間近なある日。

三連休の一日目のこの日は、夕方から行成が妻と子供を連れて小夜の家へ泊りに来る。

昨日が汗ばむ位の天気だったので、これ幸いとばかりに自分のと客用の布団を干した。

客用布団は二組しかないから足りない分はレンタルして、それも今日の午前中に届いた。

何か食べたいものはあるかと聞いたら煮物とロールキャベツが食べたいとの行成一家のリクエストだったので、昨夜のうちに作って一晩寝かせてある。

早めに来るから、要るものがあったらみんなで買い物にいけばいいと打ち合わせをしてあるので、掃除を済ませた後、昼食を食べた小夜は特にすることが無かった。

ぽかぽかと気持ちのいい陽気なので、縁側で本を読むことを思い立った。

小夜は藤製の椅子とテーブルを縁側に持ち出すと、本とお茶を用意をする。窓を開けて本を読みだした。


時折窓から入ってくる風が心地よい。

割と熱心に読んでいた小夜も、物語に一区切りついた場面まで来ると我に返った。

「お茶でも飲もうか。」

本をテーブルに置いて椅子から立ち上がろうとした瞬間だった。


風が勢いよく飛び込んで来ると、小夜の膝に何かを置いて去って行った。

小夜は少し吃驚して窓の外を見ていたが、自分の膝へ視線を移した。

そこにあったのは、桜の花びらが一つ。

小夜は驚きのあまり、小さく息を飲んだ。

花びらを見つめる小夜の表情は、驚きから微笑みへと徐々に変化する。

暫く後、桜の花びらをそっと自分の左手で覆った。二度と自分から離れて行かない様にと、左手の上に右手を重ねる。

「そう、届けてくれたの。」

つぶやきが小夜の両手の上に更に重なった。

小夜は全身を椅子の背もたれに預け、顎を心持上げると、ふう、と小さく息を吐く。

微笑んだまま、目蓋を閉じた。



縁側から入って来る日差しが茜色を帯びる頃、玄関が騒がしくなる。

「小夜さん、来たよ。」

「おばあちゃん、こんにちわー!」


行成と彼の家族の挨拶に返事をする様に、縁側で籐の椅子に座った小夜の両手がはらりと膝から落ち、指先が床へ向かう。

桜の花びらも小夜の膝からひらりと飛び降りると、無言でその身を床に横たえた。



―――――それがたった今の話。






「待っているから、真っ直ぐ俺のところへ来いよ。」

「うん、わかった。」




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― 新着の感想 ―
[良い点] 本当に声が聴こえてくるかのようなラストの臨場感に、泣きました。こんな書き方もあるんですね……。 [一言] 作者様は「なろう」にいらっしゃらないかもしれませんが、書き込まずにはいられませんで…
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