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 さて、問題は二つある。正確には山積みなのだが、とりあえず目立って問題なのは二つ。


 まずは先ほどスフィーが突きつけた条件。それを舞哉が飲まなければ地球崩壊。たぶん彼女ならやるだろうし、やれるだろう。宣言通りビームで。どこから出るかは知らないが。


 次に問題なのは、むしろ虎鉄にとってはこちらの方が大問題なのだが、あれだけスフィーが傍若無人かつ自分勝手な振る舞いをしたにも関わらず、同じくらい、いやそれ以上に傍若無人で自分勝手で傲岸不遜な舞哉が、正面切って喧嘩を売られてブチ切れないどころか、さっきから一言も発しない事がもう天変地異の前触れにしか見えない。もしや他人に破壊されるくらいなら、いっその事自分の手で破壊しようとでも考えているのだろうか。だとしたらこちらの方がよっぽど地球の危機だ。


「なあ、師匠……」


 声をかけるのも憚られるような空気に、虎鉄の声が上ずる。いや、そうではない。もしもという想像ではなく、まさかという予感めいたものが、そのあまりにもありえないはずの事がありそうなどと思ってしまう自分が怖くて、声が掠れる。


「断らない……よな、さっきの話」


 沈黙が重い。


 そんな事があるわけないと、高をくくっていた。そうでなくても、くだらない事を訊くなと一喝されるとか、当たり前だろと頭を張られるとかでも良かった。


 だが返ってきたのは、


「スマン、無理だ」


 よりにもよって最悪の言葉だった。


「え………………?」


 あまりの衝撃に平衡感覚を失い、視界がぐにゃりと歪んで立っていられなくなる。


 今何て言ったんだ? っていうか誰だコイツは? この野生のゴリラさえ素手で絞め殺せそうな神父の格好をしたオッサンは、いったい誰だ? ああそうか、この山篭り中の格闘家が何かの間違いでキャソックを着ているようなオッサンは、俺の師匠だ。そしてさっき言った言葉は「スマン、無理だ」よしちゃんと聴こえてるし意味も解かる。でもマジで? 何で無理だ? わけわかんねー。


 ここまでゼロコンマ一秒。


「無理もクソもないだろ! 師匠が受けなかったらあのロボ、地球をぶっ壊すとか言ってたんだぞ」


「ま、この惑星は宇宙連邦どころか惑星同盟にも入れねえような未開の地だからな。別にどこの誰が好き勝手しようが自由だ。たとえ暇潰しにぶっ壊そうがな」


「だったらなおさら――」


「しつこいなテメーも。無理だっつってんだろ。だいたい地球人じゃない俺が、どうしてこの星のために何かしてやらなくちゃならねんだよ? そんな義理ねえっつーの」


 この一言で虎鉄の脳内最終スイッチの安全カバーが上がるが、まだ爆発ではない。その証拠に椅子を倒す勢いで立ち上がり拳を振り上げるが、辛うじて舞哉の顔面にではなく、テーブルに勢い良く叩きつけられた。


「義理とかそんなんじゃねえよ! あれだけ一方的に上から目線で言われて、腹が立たないのかよ? 人質をとるような卑劣なやり口に、怒りは湧いて来ないのか? あんたにはプライドも正義もないのかよ!」


「フン、正義か。ガキがいっちょまえにぬかしやがる」


「昔俺に教えてくれたよな? 魂の燃焼こそがアペイロンの原動力なんだって。だったら正義の怒りで、あんな

奴やっつけてくれよ!」


「正義の怒り、ねえ」


「そうだぜ師匠。正義の怒りが悪を討つってのは、ヒーローの定番みたいなもんだろ」


「虎鉄、お前何か勘違いしてねえか?」


「何がだよ?」


「この世に正義なんてもんは存在しねえ――ってのは言い過ぎだが、これが正しい正義だってはっきり決まった

ものはねえんだよ」


「どういう意味だよ? 正義に正解なんてないって事か?」


「まあそういう事だ。正義なんてもんは、国や文化、宗教が変わればまるっきり変わっちまう。片方が正義だと思っていても、もう片方にすりゃそれが悪だなんてものはザラにある。極端に言えば国の数、いや人の数だけ正義があるって言っても過言じゃねえんだ」


「そんなよくある説教、聞きたくねえよ」


「聞けよ。さっきお前が言ったアレ、『正義の怒り』ってヤツな。これこそお前、勘違いも甚だしいってどころじゃねえぞ。そもそも正義なんて人それぞれって話はさっきしたよな? じゃあそれに怒りがついたところで、そりゃただのテメーの怒り、感情の爆発だ。ガキの癇癪じゃあるまいし、一人よがりのわがままを正当化しちゃあいけねえよ」


「ガキの癇癪だと……?」


「ああそうさ。テメーの思い通りにならずに癇癪起こしてるだけなのを、正義だの何だのとご大層な理由をつけてそれっぽく体裁を繕いやがって。お前のやってる事はな、戦争する大義名分に正義を掲げる下衆と同じ事なんだよ」


 己の正義の定義が崩れ、虎鉄は狼狽する。思えば例外的に宇宙人の一人と交流はあっても、虎鉄はただの高校生。これまで同じ日本人としか交流してこなかったに等しく、外国の常識も倫理観も価値観もほとんど知らない。なので正義とは万国共通ではなく、国や価値観によって違うと言われても、頭では理解できるが感情では素直に飲み込めない。しかも諭したのが教師や親などの、所謂立派な大人ではなく、どこの馬の骨ともわからない野良宇宙人だからなおさらだ。


 仕方がない。それが色んな意味での若さというものだ。だからつい噛み付いてしまっても、やはりそれは仕方がない事なのだ。


「何だかんだとへ理屈こねてるけど、本当は負けるのが怖いんだろ? だったら俺が代わってやるよ」


「ほう。お前に俺の代わりが勤まるか?」


「やれるさ。そしてあの力で俺は、俺の正義を貫き通す」


「お前の正義――か。フン、面白い」


 舞哉は獰猛な笑みを浮かべながら席を立つと、銀色の小さな玉を虎鉄に投げてよこした。


「うおっとと……」


 そのあまりにの何気なさに、一瞬何を投げたのか判断がつかず、思わず取り落としそうになる。何度かお手玉をしてどうにか無事受け止め、そっと手の中の玉を見る。


 それは一見するとピンポン玉くらいの大きさの、銀メッキされたクリスマスツリーの飾りのようだった。しかし顔が映るほど磨きぬかれた表面は、シャボン玉みたいに虹色の膜が常に流動し、まるで生きているかのように感じる。思ったよりも重くなく、そして冷たくもない。掌に伝わる感触は、金属というにはしっとりとしていて、虎鉄の記憶の中では、理科の実験で水銀を手に取ってみた時の感じが一番近かった。


「これは……?」


「新しいアペイロンのコアユニットだ。俺に勝ったらくれてやるって約束だったが、気が変わった。せっかくお前が俺の代わりにめんどくせえ雑用をやってくれるんだ。ガキの遣いにゃあ駄賃をやらんとな」


 駄賃代わりに宇宙最強の戦闘兵装、アペイロンの核ユニットとは大盤振舞いどころの話ではない。その破壊力を危険視した連邦宇宙軍や宇宙連邦治安維持局が血眼になって舞哉を追い、幾度となく艦隊を差し向けるも、そのたびに無残に返り討ちとなった禁断の発明。単体で惑星規模の破壊をもたらす兵器に付与される『封印指定特一級』を超える、『神話戦器級』の銘を持つ代物が今、地球人の高校生武藤虎鉄の手に渡ったのだ。


「ど、どうすればいいんだ、これ?」


「ぐいっと一気に飲み込め。そうすれば、あっという間にお前の身体と同化し、魂に定着する。ただし飲み込んでから二十四時間以内に初期起動しないと、体内で分解されて二度と変身できなくなるから気をつけろよ」


「よし……」


 意を決し、大口を開けて核ユニットを口内に入れる。緊張と期待で鼓動が激しくなり、味も何もわからないまま、むしろ変な味がしないうちに一気に飲み下す。


 ごくり、と音を立てて塊が喉から胃へと落ちる。重量のある何かが胃に着地した感触を最後に、異物感は急に霧散して重みを感じなくなった。恐らくこれが、舞哉の言う同化なのだろう。この一瞬で自分が何か、新しい別の生き物に変わったような錯覚すら覚える。


「これで俺が……宇宙最強……」


 何度も深呼吸するが、高鳴る胸は抑えきれない。自分でも顔が紅潮し、熱をもっているのが自覚できる。無理もない。念願だったものが、ようやく手に入ったのだから。


「じゃあさっそくやってみろ」


「えっと……どうやって?」


「変身でもチェインジでも好きにやってみろ。要はお前の魂の燃焼に反応するんだから、お前が一番しっくりくるやり方でいいんだよ」


「よし、それじゃあ……」


 虎鉄は両足を踏ん張り構えをとる。この日のために、今まで何百回も何千回も、自室でこっそり練習した変身ポーズをゆっくりと、しかし力強くこなす。


「変……身っ!」


 フィニッシュと同時に虎鉄の身体に変化が、


 起きなかった。


「……あれ?」


「どうした。変身しないのか?」


 感情のない舞哉の声に、焦りが募る。


「もう一回だ!」


 今度はさらに時間をかける。呼吸を整え、全身に力と意識を巡らせつつ動作を行う。たった一つの動作に、額に汗が浮かぶほどの労力と神経を割いた。


「変身!」


 やはり何も起こらない。慌てた虎鉄はもうムキになっているとしか思えない、なりふり構わない連続変身を始める。


「変身!」「変身!」「変身!」「変身!」「変身!」「変身!」「変身!」「変身!」「変身!」「変身!」

「変身!」「変身!」「変身!」「変身!」「変身!」「変身!」


 最後の方は叫びというよりも、祈りだった。声の掠れた、悲痛な祈り。何に祈ったのかは本人にも判らない。それでも、何も変化は起きなかった。息を切らして呆然と立ち尽くす。額から流れた汗が顎を伝い、床に雫となって落ちる。辛うじて涙は流さなかった。


「気が済んだか?」


 突き刺さるような舞哉の言葉に、身体が痙攣する。こうなる事が最初から分かっていたような口ぶりだ。まだだ。まだ終わってない。そう言い返したいが、根拠となるものが何一つ無い。あれだけあった自信が今は一欠けらも残っておらず、むしろ何故あの時あんなに自信満々だったのか思い出せない。それでも虎鉄に残ったちっぽけな意地が、あまりの無力感に膝をつきそうになるのをぎりぎりのところで堪えさせる。


「畜生……こんな筈じゃ……」


「こんなもそんなも無い。変身できないのはただ単に、お前の魂が燃えていないからだ」


「そんなわけない! 俺の心にはいつだって、正義の炎が燃えているんだ!」


「いい加減認めろよ、その正義ってのはお前だけのルールなんだよ。お前はただ、自分が気に入らない奴をぶん

殴りたいだけなんだ。そのために力が欲しいのなら、どうしてそう素直に認めない? 体裁を繕って、正義だ何だと言うより、その方がよっぽど潔いぜ」


「違う! 俺はそんな事のために力が欲しいんじゃない! 世界の平和を守ったり、巨大な悪に立ち向かうためだ。そのために闘う力が欲しいだけだ!」


「いいや違うね。じゃあ訊くが、お前が正義の怒りとやらを向けるのは、どうしていつも犬のクソを始末しないクソ飼い主や、道に煙草の吸殻をポイ捨てする阿呆や、駅のホームで横から割り込むクズのような小物ばかりなんだ? そんな奴らをぶっ飛ばしたところで、本当に世界が平和になるのか?」


「それは……」


「ハッキリ言ってやる。お前はただ、憂さ晴らしがしたいだけなんだよ。気に入らない奴をぶん殴り、スッキリしたいだけだ」


「俺の正義が薄っぺらいって言うのかよ!?」


「ああそうさ。そんなガキのマスかきじゃ、魂は燃えねえよ。ましてやアペイロンを起動させるなんて、夢のま

た夢だ」


 舞哉の言葉がくつくつと嗤いに変わる。喉をひくつかせるような嗤いが、やけに神経を逆撫ででする。耐え切れずに虎鉄は叫んだ。


「ウソだあっ!」


「ウソじゃねえよ。じゃあどうしてお前はアペイロンを欲しがった? 犬のクソもポイ捨ても割り込みも、そんな大層な力がないとお前は文句の一つも言えねえのか? こんなカスみたいな悪に、素手で戦艦ぶっ壊すほどの力が必要だってのか? 男だったらそれくらい、テメーの力で何とかしやがれってんだバーカ!」


 心のどこかで分かっていても認めたくない事をはっきりと言われ、とうとう虎鉄の膝が折れる。地面に膝と両手をつき、その姿はまるで師に許しを請う弟子のようだった。


「お前が本当にやりたかった事ってのは、カスを殴って憂さ晴らしか? 違うだろ? お前の信じる正義とやらを貫き通す。そのために力が欲しかったんだろ? でもな虎鉄、そんな事は力なんてなくてもできるんだよ。だから力なんかに頼るな。ましてや己の我を通すためだけに力を求めるような、小さな男になるな」


 この男のものとはとても思えない優しい声で、舞哉はがっくりと項垂れた虎鉄の肩を軽く叩いた。そしてそれ以上は何も言わず、静かに部屋から出て行く。


 独り残された虎鉄は、舞哉が去ってもまだ顔を上げられなかった。屈辱でも韜晦でもない。ただ情けなかったから。


「畜生……畜生…………」


 この日、虎鉄は三年ぶりに声を上げて泣いた。


 舞哉と出会ったあの日以来の涙だった。

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