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「なんでそっちの科学技術を地球人に教えちゃダメなんだよ。ロボのくせにケチ臭ぇな!」
「ロボは関係ないじゃろ……。あのなあ小僧、立って歩けもしない幼子に走り方を教えても仕方なかろう。この星の科学技術は、儂らの域には到底及ばぬ。原始人に核ミサイルを与えるようなものじゃ。それに他人から与えられるのに慣れると、人というものは際限なく堕落していき、自分で努力する事をすぐに忘れよる。苦労なくして実り無しじゃ」
「うへぇ、田舎のばーちゃんみたいな事を……」
「誰がばーちゃんだ。どこから見てもピチピチギャルではないか」
「全身くまなくロボじゃないか。しかも死語は使うわ喋り方は年寄り臭いわ。若い要素なんて微塵もねえし!」
「……儂の喋り方は年寄り臭いのか?」
「加齢臭がするぞ。いったい誰に教わったんだよ、そんな年寄り言葉」
「この地域で使用されている言語の中で、大人の使うものを選んだつもりだったのだが……」
「大人って言うか、老人語だなそりゃ。今どきそんなの時代劇くらいでしか使わないぞ」
「そうか……、またやってしまったか……」
「……まあそう気を落とすなよ。キャラが立っていいじゃないか」
「…………必要か、それ?」
などとすっかり打ち解けながら、虎鉄とスフィーは海沿いの道を歩く。
陽はすでに傾き、通りから見える海を紅く染めている。夕焼けの中、長い影を引き連れながら連れ立って歩く二人、と文字で書くと綺麗に見えるが、絵的にはカーテンを頭からすっぽりと被って巨体を隠しているスフィーはどう見ても不審者というか、黄昏時という時間帯も相まって、マントを被った大男という都市伝説級の怪しさがある。こんなクリーチャーが人目につこうものなら、即通報間違いない。なので目的地――聖セルヒオ教会まであと一歩、という所まで誰とも会わずに来れたのは神の思し召しだったに違いない。
と思ったが神はすでに死んでいたようで、幸運もそう長くは続かなかった。教会が目の前というところで、道の向こうから雪山の遭難救助にでも使えそうな大型犬を散歩させている、定年退職して生きる意味やらやりがいやら、ついでに家での居場所すら失ったサラリーマンと思しき恰幅の良い中年男性が歩いてきた。
「ヤバい、人が来た。隠れろ」
慌てて民家の塀の隙間に身を隠すが、ブロック塀よりもでかいスフィーの頭がはみ出している。尻を隠して頭隠さずといった状態だが、ブロック塀と家との間が狭すぎてスフィーは身動きが取れず、しゃがむ事もできない。
拙いこのままでは見つかる――そう二人が覚悟した時、神は死せどもその御心は生きていた。
突然犬が立ち止まったかと思うと、教会の門の前でもりもりと糞を垂れ始めた。飼い主の注意が犬に向けられ、今がチャンスとスフィーはブロックをガリガリ削って無理やり頭を引っ込める。
虎鉄が塀から顔を出して様子を伺うと、大型犬はそれだけエサを食うのか、尻の穴から小犬を産んだのかと見間違うばかりの糞をひねり出していた。思わず虎鉄も「すげえ」と唸らずにはいられない。
影なるギャラリーに見守られながら出産のような排便が終わると、飼い主は何事もなかったかのようにその場を去り始めた。
「あの野郎……」
「おい小僧、どこに行く?」
飼い犬の糞の後始末をしない飼い主に、瞬間的に頭に血が上った虎鉄は舌打ちと同時に駆け出していた。
「おいコラおっさん、犬のフンはちゃんと持って帰れよ」
虎鉄が行く手に立ち塞がるようにして声をかけると、飼い主は露骨に怪訝な顔をした。身なりはそれなりにきちんとしていて、外見は良識のあるおっさんのようだが、どうやら中身はそうでもないらしい。よく見ると飼い主は手ぶらで、見せかけだけのスコップもビニール袋も持っていないところが逆に潔い。
「何だきみは? 私に何か用かね?」
「だから、犬のフンを持って帰れって言ったんだよ」
虎鉄が放置されたままの大盛りの糞を指差すと、飼い主は自分が何を指摘されているのかさっぱり理解できないという表情をした。
「どうして私がそんなものを持って帰らなければならないのかね。だいたい犬の糞なんて、放っておけばそのうち土に還るだろう」
「そういう問題じゃない。ペットのフンを持ち帰るのは飼い主の義務だ。それができないのなら犬なんて飼うなって話だよ」
「ハァ? どうしてきみが私にそんな事を言えるのかね? きみはこの教会の関係者か?」
「関係者の知り合いだよ」
「知り合い? 直接関係ないんだったらお門違いだ。だいたい、子供が大人に偉そうに注意するなんて、もっての他だ。まったく、親の顔が見てみたい」
飼い主は吐き捨てるように言うと、話は終わりだとばかりに再び犬を連れて歩き出した。それでも何か反論しようと虎鉄がその場を立ち塞いでいると、強引に肩をぶつけてきた。
いくら虎鉄が身体を鍛えていても、純粋な体格差はどうしようもない。自分の倍近い重量に衝突され、踏ん張り切れずに無様にも尻餅をつく。その隙に飼い主は何喰わぬ顔で虎鉄の横を通り過ぎた。
「オイ待て!」
大声で呼び止めても飼い主は止まらない。地べたから見上げる大人は、やたら大きくて強そうに見える。それに比べて、自分はなんとちっぽけなのだろう。
非力で、矮小で、
弱い。
悔しかった。論破できない自分の未熟さに。正しい行いをしているはずなのに、それがまかり通らない不条理に。必死に身体を鍛えているのに、自分よりちょっと体格の良い相手には力で叶わないという理不尽に。他人の三倍は食べているはずなのに、ちっとも大きくならない自分の身体に。大人なのに、社会のルールを守らない無責任さに。思い通りにならない世界に腹が立つ。自分以外のすべてを敵とみなし、何もかもぶち壊したい衝動に駆られる。怒りのままに歯を喰いしばり、拳を握り、格闘者として自分を律している制約を今すぐ解除し、クソ飼い主をタコ殴りにしたいと本能が叫ぶが、それを止める理性と衝突し、脳が沸騰しそうになる。
どす黒いコールタールのような暴力衝動が腹の中で渦巻き、じわりと虎鉄の理性が飲み込まれかけた時、
「マイヤーキィーーーーーーック!」
巨大な黒い暴風が、飼い主を一瞬で吹き飛ばした。
何が起こったのか、飼い犬も虎鉄も瞬時には理解できなかった。飼い主にいたっては、いきなりトラックに撥ねられたような衝撃を受け、その瞬間に失神していたので状況を理解するどころではない。
気絶して力が抜けた飼い主の身体は、人形のようにぐにゃぐにゃとアスファルトを十メートルほど転がって行った。むしろ気絶して全身から無駄な力が抜けていたおかげでケガが少なかったのは、不幸中の幸いかもしれない。
黒い暴風――鉄拳神父こと獅堂舞哉は二メートル近い巨体を駆使した、本職のプロレスラーも跣で逃げ出すほどのドロップキックで飼い主を蹴り飛ばした後、すぐさま鬼のような形相で飼い主を追いかけ胸倉を掴み、片腕一本で宙に吊り上げた。飼い主の足が地面から離れ、だらんと垂れ下がる。
「ようやく現場を押さえたぞ。現行犯だこのクソボケ! お前か? いつもウチの前に山盛りの犬のクソを置いて帰るクソ犬のクソ飼い主は? オラ、これまでテメーのクソ犬が垂れ流したクソの詰め合わせだ。テイクアウトしますか? それともこちらでお召し上がりですか? 選べよ、このクソボケが!」
完全に全身が弛緩して身体がゆさゆさ揺れる男の様は、西部劇で悪党が絞首刑にされたシーンを彷彿とさせる。
「あ、テメーなに白目剥いて寝てやがんだコラ。起きろボケ!」
乱暴に揺さぶるが、飼い主は意識を取り戻さない。それどころか口から泡を吐きながら細かく痙攣を始め、遠目に見ていた虎鉄は『あ、なんかこんなシーン映画で見た事ある。これってヤバくね?』と肝を冷やす。だが舞哉は返事のないのが返事だと解釈したのか、もう片方の手に持っていた犬の糞だらけの半透明のゴミ袋を飼い主の衣服の中に押し込めると、動物の本能で相手を絶対強者と悟ったのか飼い主を守る事を放棄し、道の端で尻尾を丸めて縮こまっている大型犬のリードを彼の手首に結ぶ。
「お前に罪はねえ。そのボケ連れてとっとと去ね」
言葉を理解したのかは定かではないが、さっきまで怯えていた大型犬がその一言で解き放たれたように駆け出した。もちろんリードに繋がれた飼い主を軽々と引きずりながら。
土煙を上げる勢いで逃げ去っていく犬と飼い主。舞哉はフンと鼻を鳴らすと、まだ地面に尻餅をついたままの虎鉄を見てにやりと笑う。
「何だ、またベソかいて這いつくばってるのか? いつまで経っても弱っちいなお前は」
「う、うるさい。ちょっと足が滑っただけだ。それよりも客を連れてきたんだよ」
「客? 俺に?」
「おい、もう出てきていいぞ」
虎鉄は立ち上がり、尻の砂を手で払いながら、塀の影に隠れていたスフィーを呼んだ。
「うむ、ちょっと待て。さっき無理に頭を引っ込めたら、余計に壁に挟まってしまって身動きが……。よし、出られた」
ごりごりとブロックを削りながらやや強引に抜け出たスフィーを見て、舞哉は一言。
「なんだこのデカいロボは?」
この弟子にしてこの師ありなのか、それほど驚きはしなかった。