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「拙いのう、これは……」
聖セルヒオ教会の客室に、ALFを激しく操作する音に混じってスフィーの苦々しい声が響いた。喉の奥から搾り出す呻くような声は、機械を通さなくなって幼さが残る分、反って悲痛に聞こえる。
虎鉄が宇宙に出てからずっと、頭に装着させたロボットの頭部を通じて状況をモニターしていたが、ドラコとの一騎打ちが始まって以来、虎鉄が滅多打ちになっている情報しか入ってこない。ロボットの遠隔操作用とは別に出した無数のALFのうち、虎鉄の身体モニター用のALFはただ一箇所頭部を除いて、身体中のいたるところが損傷を示す赤で点滅している。
「クソ機械人形なんぞにいいようにやられまくりやがって、あの馬鹿弟子が! いったい今まで俺から何を学んで来たんだ。クソ、俺が変身さえできていれば……!」
苛立たしげに髪を掻き毟りながら、舞哉は吐き捨てる。本来なら自分がドラコと戦っていたはずなのだが、変身できなくなった身ではどうしようもない。弟子がタコ殴りにされている憤りよりも、弟子のピンチに何もできない自分の不甲斐なさに腹が立つのだろう。
かつての舞哉なら、こんなに感情が昂ぶらなくても自分の意思でアペイロンに変身できた。なのに今はいくら頭に血が上ろうと、弟子の危機に心を痛めようと、一向に内燃氣環が発動する気配がない。一度冷えてしまった魂は、そう易々と再燃してくれないのか。
それにこれまで息をするように自然にこなしていた事ができなくなり、頭で考えるようになってから、なおさら今まで自分がどうやって変身していたかわからなくなっていた。そのもどかしさがまた舞哉を苛立たせる。悪循環だ。
「なんや虎鉄、アホみたいにやられとるやないか。最初の威勢の良さはどこいったんや!」
「そう言うでない。ただでさえ相手が悪いというのに、相手の土俵で戦うとなれば勝てと言う方が無茶というものよ」
「せやかて、変身した虎鉄は無敵なんやろ? それがなんであのドラコっちゅう奴の攻撃が通用するんや?」
「それは……」
何も知らないエリサに一から説明してやりたいのは山々だが、こうしている間にも虎鉄の体力は見る見る減っていく。かといってスフィーもできる事は何も無く、舞哉と同じように己の無力さを噛み締めていると、
『もしもし、聞こえますか?』
ALFから虎鉄以外の声が発せられた。
「ドラコ……貴様か」
この中で唯一ドラコと直接面識のあるスフィーの言葉に、室内に戦慄が走る。
『ああ、やっぱりそうでしたか。私が切り落としたはずの博士の頭を彼が被っているから、何かしら博士と通信できる機能があると思ってましたよ。壊さなくて正解でした』
「嘘をつけ。予めそれを知りながら、わざわざ小僧の頭以外を狙って痛めつけたんだろうが。儂らに聞かせるために」
『それもありますが、頭を潰して簡単に終わらせたらつまらないじゃないですか。どうせならとことん遊んでから捨てた方が、おもちゃにとっても幸せでしょう』
「人に創られた貴様が、人を玩具呼ばわりとは片腹痛いわ。わきまえい!」
スフィーは精一杯の強がりで自分を殺そうとした相手を一喝するが、返って来たのは憐憫を含んだ微笑の吐息のみだった。露骨に小馬鹿にされて歯軋りするも、今のこの状況に違和感を覚えるほどには冷静だったのはさすがと言えるかもしれない。
「……貴様、どうやってこの通信に割り込んだ?」
傍でじっと黙って見守っていた二人が、スフィーの言葉の真意を理解した途端、音を立てて息を飲む。そして返って来たのはまたも吐息。だが今度は嘲笑のものだった。
『知りたいですか? 実はですね、直接指を挿入して通信機能に侵入してるんですよ』
「つまり、貴様は今小僧の頭を鷲掴みしているところか」
『さすが博士、察しが良い事で。いやあ、さっきまで元気に動いてたんですが、今はすっかり大人しくなってしまいましてねえ。あ、そちらでモニターしてるから分かるでしょ? そろそろ死にますよ、彼』
死という直接的な言葉に、エリサが悲鳴を上げそうになる。舞哉もさすがに我慢できずに椅子から立ち上がった。
『残念ですよ。私もどうせなら、宇宙最強と謳われたシド・マイヤーと手合わせしてみたかったのに、やって来たのが弟子で、しかもこの体たらく。しかし彼を痛めつければシド・マイヤーが釣れるかもしれないと期待したのですが、どうやら期待はずれでしたね』
三度目の吐息。今度はあからさまな落胆の溜め息。
『まあ茶番もこれまでです。じきに宇宙船が地球に衝突し、貴方たちもすぐに彼の後を追えるでしょう。彼もきっと、寂しくなくて喜んでいるはず。私も最後の任務が無事に遂行できて嬉しいです』
任務を遂行すれば自分も消滅するというのに、まったく気にかけた様子がなかった。いくら人間のように感情の真似事ができても、やはり中身は機械だという事か。
『では皆さん、良い終末を』
一方的に通信が切られると同時に、虎鉄の身体情報をモニターしていたALFから嫌な電子音が流れた。
沈黙の中、客室内に耳障りな電子音が響く。音の意味を知るスフィーは何も語らず、ただ俯いている。その光景はあまりにも不吉で、声をかけるのが憚られるほどだ。
「な、なんやこの音? ど、ど、どないしたん? まるで……まるでアレやん。病院の、心電図――」
「おい、まさか……」
動揺で呂律が回らないエリサに代わり、舞哉が水を向ける。スフィーが喰いしばった歯の間から声を発するまで、二人が最悪の予想をするのに十分な時間があった。
「……小僧の生命反応が消えた。しかし――」
スフィーが言い終わる前に、轟音を立ててテーブルが真っ二つに割れた。舞哉が怒りに任せてテーブルをぶん殴ったからだ。一撃で粗大ゴミになってしまったテーブルをよそに、エリサはふらふらと覚束ない足取りでスフィーの目の前に浮かぶALFへと向かう。
「嘘やろ……虎鉄? なあ、嘘やろ? 冗談やめてや。殺しても死なへんようなあんたが、死ぬわけないやん。なあ、なあて……」
途切れる事なく冷たい電子音を響かせるALFには、全身が真っ赤に染まり、首の部分が点滅している人型が表示されている。それ以外に数種の計測モニターが表示されているが、そのどれもが動きを見せず、あらゆる情報が不吉な予想が真実であると裏付ける。
「通信機が破壊がされただけで、小僧が殺されたとは限らん。確定情報が出るまでうろたえるな。ここで儂らが慌てて判断力を失えば、奴の思う壺じゃぞ。信じるんじゃ、小僧を!」
スフィーが論理的に諭すが、エリサの耳には届かない。感情を剥き出しにし、ALFにかじりつくようにして問いかける。
「おいコラ返事せえ! なあ、虎鉄! ふざけとったら、しまいにウチも怒るで!」
エリサは何度も何度もALFに怒鳴りたてる。最初は制止しようとしていたスフィーだったが、彼女の気持ちを斟酌したのか、気が済むまで好きなようにさせている。そしてエリサの涙声はやがて弱くなっていき、今ではすすり泣く声に変わっていた。
「やっと念願のヒーローになったんやろ? それが最初の一回目で終わってどないすんねん。このままじゃあんた、何もやってへんのと同じやで? それでもええんか? なあ、なんとか言うてみい……」
無言のALFを抱え頽れるエリサに、すっと影がさす。見上げると、憤怒の形相で舞哉が仁王立ちしていた。
舞哉はエリサの手からALFを取り上げると、大きく息を吸い込んだ。
「俺はなあ、テメーみたいな情けない弟子を持った覚えはねーぞ。俺の創ったアペイロンは無敵なんだ。だから俺の許可無く勝手に負けるな。死んでも生き返って勝て! わかったらさっさと終わらせて帰って来いこのクソボケが!」
窓ガラスがびりびり震えるほどの大声で叫び終わると、舞哉はALFをエリサに向けてぞんざいに放り投げる。別に落としても映像なので壊れはしないのだが、慌てて受け止めるのを見届けると、またのそりのそりと自分の椅子へと戻り、足を乗せようとしたがテーブルはすでに無く、しかも自分で壊したので誰にも文句が言えず、無言のままテーブルの残骸に両足を乗せた。
その不器用な姿に、絶望に支配されていたエリサの心が少しだけ救われる。自分以外に虎鉄が生きてる事を、そして還って来る事を信じている者の存在が、何よりもありがたかった。
「聞こえたか? みんなあんたの帰りを待ってるねんで。わかったらさっさと起きて、そんな奴やっつけてまえ。ええな」
信じてるで、ヒーロー。そう最後に付け加えると、紙くずを丸めるようにしてALFを閉じる。涙はもう、止まっていた。
「さあ、ウチらはウチらにできる事をやるで。あのアホが無事に地球に帰ってこられる方法を考えるんやろ?」
さっきまであれだけ取り乱してベソをかいていた少女とは思えない頭の切り替えの早さに、スフィーは状況を忘れて思わずにやりと笑う。彼女とは馬が合うかもしれない。
「それなら儂に一つ考えがある」
「何ぞええ方法があるんか?」
「小僧はまだアペイロンの性能を完全に引き出せておらんからな。ぶっつけ本番で大気圏再突入なんて、危なっかしくていかん。だったら何か盾になる物を用意してやるのはどうじゃ?」
「そんなんできるんか?」
エリサの問いに、スフィーは不敵な笑みを浮かべ、平たい胸を精一杯張りながらふんぞり返って応える。
「儂を誰だと思っておる。伊達に魔法使い《メイガン》と呼ばれておらんわ」
びしっと親指を自分に向けて見栄を切るが、どう見ても魔法使いと言うより小学生だ。だがときどき忘れそうになるが、彼女はこの惑星の科学などでは逆立ちしても追いつけない高度な領域の技術と知識を有している。その気になれば一瞬で昼を夜にしたり、世界中の海を干上がらせる事ができるだろう。これを魔法と言わずして何をいわんや。
「とくと見るが良い。これがスフィー=ファウルティーア=ゲレールターの技の冴えよ」
その言葉が呪文だったかのように、どっかりと床に腰を下ろした彼女の周囲に、散乱していたALFが集合した。




