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「いい加減にしろ!」


 タックルの体勢で腰に回した虎鉄の腕を、ドラコは強引に振りほどく。ここまで来れば十分だという気の緩みもあっただろうが、それでもがっちりと両手を組んだ状態を力で捻じ切られたのだ。恐らくパワーは互角かそれ以上だろう。


 さすがにこれだけ巨大な宇宙船を動かすだけあって、機関部は面積としては野球場として使えるほど広い。しかしながらところ狭しと機器が並び、壁や床のいたるところに配管が通り、足の踏み場もないとはこの事か。それでなくとも中央には主動力部メインエンジンとなるダークマター駆動機関が山の如き圧倒的存在感とともにどっしりと腰を据え、その周りを取り囲むように補助動力部サブエンジンの対消滅機関がそびえ立っている。この場に居るだけで発生するエネルギーの波動に中てられそうだ。


「狭い機関部に引き込めば、私の動きを封じられるとでも思ったのですか? それともあわよくば、戦闘のどさくさで機関部を破壊し、船と私を道連れにしようという作戦ですか? いやいやまったく、舐められたものですね」


 さすが人工知能は侮れない。虎鉄の浅知恵など、一秒もかからず見破られた。だがここまで来てしまえばこちらのものである。


 宇宙と名のつく組織に身を置くだけあってか、見事なまでにドラコは無重力空間に精通していた。姿勢を制御するために噴かすスラスターも正確かつ最小限で、宇宙飛行士の教科書に載せたいほどだ。彼にとって宇宙ここは、地上と何ら変わりのない戦場なのだから、当然と言えば当然か。


 それに比べて虎鉄は酷かった。多少慣れたと言ってはいたが、あれはスフィーがロボットでサポートしてくれていたからに過ぎない。では虎鉄だけだとどうなるかと言うと、パニック噴射でグルグル回っている。ドラコと比べるのは可哀想というものだが、上も下も分からない状態ででたらめにスラスターを噴かして、ますます回転を複雑にしている様は物凄くカッコ悪い。カッコ悪いだけならまだしも、隙だらけだ。


「はっ!」


 当然そのでかいにも程がある隙を、ドラコが見逃すはずがない。勢いよく突き出した彼の左腕から、何かが一直線に虎鉄へと飛ぶ。ミサイルか銃弾か。飛び道具かと思って防御の構えをとる虎鉄の左腕に絡みついたのは、意外にもただのワイヤーだった。


「何?」


 状況把握が一瞬遅れた。何故ここでワイヤーなのか。


 虎鉄が知らないだけで、元より宇宙連邦治安維持局や連邦宇宙軍は、アペイロンに通常兵器はあまり効果が無いのを、かつて舞哉が散々暴れまくっていた頃に経験済みで、今さら武器や兵器でどうにかしようという考えはさらさらなかった。それ以前に少し考えれば解かる事だが、機関部で実弾や爆発物を使う馬鹿はいない。少なくとも連邦宇宙軍や宇宙連邦治安維持局には。


 次に、宇宙空間では戦闘のやり方も地上とは勝手が違う。その大きな要因が無重力(微小重力)と高真空である。特に極端な低重力環境では、作用反作用の影響をダイレクトに受ける。そのために武装も無反動の物が多く選ばれるのだが、先述の通りアペイロンには武器弾薬の類がほとんど通用しない。ネオ・オリハルコンの無敵とも言える装甲があるからだ。


 ではどうすればダメージを与え、アペイロンを倒せるのか。その答えがこのワイヤーに収束されている。そしてそれをこれから虎鉄が身をもって体験するのだ。


「そらっ!」


「おわっ?」


 突然ワイヤーが引っ張られ、ドラコの方へと引き寄せられる虎鉄。咄嗟の事にバランスが取れず、側転をするような形で接近する。


「こなくそっ!」


 不安定な状態ながらも強引に反撃しようと蹴りを出すが、ただでさえバランスを崩した状態の攻撃が当たるはずもなく、虎鉄の足は虚しく空を切った。


 対してドラコは悠々と虎鉄の蹴りをかわした後、がら空きの背中に右の拳を叩き込む。


「ぐっ……」


 背中に砲弾を撃ち込まれたような衝撃が虎鉄を襲う。戦車でもひっくり返る一撃だが、ネオ・オリハルコンの装甲はびくともしない。


 ――かのように見えるが、実はネオ・オリハルコンとて完全無欠ではないのだ。


 たしかにアペイロンの装甲は硬いし強い。だが物質世界に存在している限り、物理法則からは逃れようがなく、エネルギー保存の法則がある限り、いくら攻撃を受け止め撥ね返す事ができても、衝撃を完全に殺す事はできないのだ。例えるなら防弾チョッキを着て銃弾を受ければ、弾は身体まで通らなくても衝撃で肋骨が折れるのと同じである。


 無論衝撃を百パーセント通していたら、虎鉄など最初のボディブロウの一撃でご臨終している。ネオ・オリハルコンが衝撃を瞬時に熱エネルギーに変換し、ナノマシン化したネオ・オリハルコン自身が自殺消滅する事によって熱を放出。その間も内燃氣環から供給されるエネルギーにより新たなネオ・オリハルコンが生産され、消滅した分を新陳代謝の如く補充していくのだが、放出しきれなかったほんの数パーセントのエネルギーが衝撃となって内部に浸透する。


 そのほんのわずか数パーセントのエネルギーだが、ドラコの強化人工筋肉アームドマッスルでの一撃だと無視できない威力となる。現に虎鉄は今の一撃で肋骨を二本折られている。すぐさま骨組織と融合したネオ・オリハルコンが骨折箇所を修復するが、それでも受けた痛みはどうしようもない。


「マジ痛ぇ……」


 激痛で飛びそうになった意識を辛くも繋ぎ止めた虎鉄であったが、ドラコがただ殴って吹っ飛ばして終わりだと思ったら、そうは問屋が卸さなかった。


 すぐさま左腕に絡まったワイヤーがぴんと張る。当然だ。虎鉄が殴り飛ばされるのと同等の力で、ドラコが反対側に飛ばされているのだから。


 覚束ない虎鉄とは裏腹にドラコは慣れたもので、すぐに体勢を整えて再びワイヤーを引っ張る。すると虎鉄はまたもやされるがままで、待ち構えていたドラコに殴られる。二人はこれをもの凄い速さで繰り返す。虎鉄が反撃しようとしてもドラコはワイヤーを巧みに操り、バランスを崩されて何一つさせてくれない。引かれまいと踏ん張ってみると、今度は逆にドラコが近づいて殴られる。その立会いの機微はまさに横綱相撲といった感じで、ドラコは虎鉄を見事に手玉に取っていた。せめてワイヤーが切れないかと試してみたが、ハイパーダイヤモンドを繊維状に加工して編んだワイヤーは見た目よりも遙かに頑丈にできていて、アペイロンのパワーでもびくともしなかった。


「無駄ですよ。そのワイヤーは私でも切れませんから」


 虎鉄は体感する。これが宇宙での戦い方であり、恐らく唯一アペイロンを倒せる方法だと。武器弾薬が効かないのなら、直接打撃によって内部にダメージを与え続ければいい。装甲の強度を超える攻撃が打てねばならないという前提はあるものの、たしかにこの方法でなら確実にアペイロンを倒せる。毒をもって毒を制するように、人型兵器には人型兵器をというわけか。


「いくら無敵の装甲を持っていても、使用する人間がど素人では宝の持ち腐れというものです」


 しかしよりによってこの科学万能の時代、しかも宇宙で人造人間がまさかの近接格闘戦《CQC》とは。これはさしもの虎鉄も予想だにしなかった。きっと派手な光学、熱化学兵器が登場すると踏んでいたのだが、まあ綺麗に期待が裏切られたものだ。だが実際効果は絶大で、こちらは手も足も出ずに着実に体力が削られていく。このまま気力も尽きれば、内燃氣環も止まり、


 止まればどうなるのか。


 死。


「ヒ……ッ!」


 思わず引きつったような声が出る。決して失念していたわけではなかったが、やはり本当の意味では理解していなかった。


 戦闘――戦いの結末にあるものを。


 どれだけ綺麗事を並べようと、戦うという行為の先にあるものは、結局のところ命の奪い合いである。


 命をかけて戦う。


 これまで軽々しく口にしてきたこの言葉。もう易々と口にできまい。


 虎鉄は今ようやく身をもって、恐怖によって本当の意味で理解した。


 戦いとは、相手の命を奪う事であると同時に、


 自分も命を奪われるかもしれないという事を。


 肉薄する死の実感に思わず息を呑む。アペイロンの装甲と核ユニットの恩恵で、宇宙空間でも呼吸の心配も何不自由なく動き回っていたが、それがなくなるという事は、即ち死。変身が解けたら即死である。虎鉄は生まれて初めての実戦の中で、今までにない痛みと恐怖、そして死を実感していた。

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