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最初はその堅牢さに苦戦した外壁だったが、終わってしまえば直線距離で二百メートルほどで、最後はさしたる抵抗も無く巡航研究船の内部へと侵入した。
壁を突き破って虎鉄たちが飛び込んだ部屋は、巨大な白い空間だった。天井まで届く大きな棚が、見渡す限り整然と並んでいて、まるで外国の巨大スーパーのようだ。またスフィーが普段から大柄なロボットに篭って活動しているためなのか、通路や棚と棚との間隔がやたら広く、天井もやけに高いのでなおさらそう思わせる。
船内はスフィーが制限をかけた影響で、最低限の生命維持装置しか作動しておらず、外壁に開いた穴は気密シールドで閉じられたものの、船内に重力は発生していなかった。やはりここでも虎鉄は無様に宙を舞う。
「何だここは?」
見慣れぬ場所に出てきょろきょろと落ち着かない虎鉄から離れ、ロボットがALFで船内の見取り図を表示する。
『実験用資材の倉庫じゃな。ここからなら機関部へは目と鼻の先じゃ。どうやら運が向いてきたようじゃぞ』
地球から宇宙に出て宇宙船の内部に侵入するまでにかなり時間を食ってしまったため、残された時間はあと一時間を切っている。それまでにロボットを機関部で暴走させないとジ・エンドだ。だが偶然とは言え、スタート地点がゴールに近いとはついている。スフィーの言うとおり、風向きが良くなってきたのかもしれない。
『よし、ここからは儂が先導する。小僧、着いて来い』
勝手知ったる自分の船。目指すは機関部と我先に走り出したロボットが、自動ドアを開けて倉庫から一度出て、
猛スピードで倉庫内に吹っ飛んで来た。
「なっ!?」
あまりに突然で、いったい何が起こったのか理解できない虎鉄は、弾丸ライナーで棚をいくつも破壊しながら壁に激突するロボットを見送る事しかできなかった。
体重数百キロの巨体が激突し、チタン合金よりも遥かに硬度の高い硬化テクタイトの壁に大きな穴を開ける。スフィーが中に入っていなかったのは幸いだった。もしそうじゃなかったら、いくら高性能な緩衝材を搭載していたとしても、吹っ飛んだ時の強烈なGで内臓破裂、壁に激突した時の衝撃で脊髄損傷くらいはしていたかもしれない。
「やれやれ、頭を切り落とせばおしまいだと思ったんですが、どうやらそこに中身は詰まってなかったみたいですねえ」
緊張感の無い間延びした声とともに現れたのは、見るからに戦闘鎧といった感じの物々しい宇宙服で身を固めた巨漢だった。
男は龍の顔を模した兜を被って、いかにも完全武装である。兜のせいで顔がはっきりと見えないが、この船にいるのは一人しかいないので、虎鉄は容易に相手が最大の敵だと認識できた。そして、今が最悪の事態であることも。
「お前がドラコか?」
「おや、貴方はシド・マイヤー……ではなさそうですね」
「シド・マイヤーは俺の師匠だよ。それよりもテメー、よくもやってくれやがったな」
「何がでしょう?」
「とぼけるなよ。地球ごと二人を抹殺しようなんて、えげつねえ真似しやがって。ピースサインだか何だか
知らねえが、ぶっ飛ばしてやるから覚悟しろこの野郎」
指を突きつけて怒気を発する虎鉄に対し、ドラコの態度に変化は無い。気張りも気負いも無く、息巻く虎鉄の覇気をただ流す。余裕なのか、はたまたそういう風にできているのか。何しろ人造人間なので、気配や感情がまるで読めない。これはこれで厄介な相手だ。
「宇宙連邦治安維持局なんですが、まあ細かい事はいいでしょう。しかし私だって、好きでこのような非道な手段を取ったわけではありません。むしろ仕方なしといった感じなのですよ」
「言い訳すんなよ。機械人形が命令通り動くのに、好きも嫌いもあるわけないだろ」
「おやおや、これは遺憾ですね。博士が船に制限をかけてしまったので選択肢が無くなり、こうして最悪の手段を取らざるを得なくなったのです。あの時大人しく始末されていれば、もう少し穏便な方法も取れたのですが、まあ今さら言っても栓の無い事でしょう」
『貴様の都合で簡単に殺されてたまるか!』
二人から遠く離れた場所で、スフィーがロボットを通して抗議する。ずいぶん派手にふっ飛ばされたが、それだけ元気なら大丈夫だろうと、虎鉄は密かに胸を撫で下ろした。これで残る問題は、目の前に立ちはだかるドラコのみである。スフィーは絶対に戦うな、逃げろと言っていたが、これだけ近距離で対峙して、今さらどこに逃げろと言うのか。それにこの作戦の要であるロボットを見捨てては行けない。
つまり、残った選択肢は一つしかない。
「さて、時間もないし、とっととやる事やって帰りたいんだよね、俺。そこでモノは相談だが、黙ってここを通しちゃくれねえかな?」
「通すと思いますか?」
「だろうな。だったら仕方ない。拳で通らせてもらうぜ」
虎鉄が掌に拳を叩きつけ、バキバキと鳴らす。もう戦ってこの場を切り抜けるしかなかった。
「拳で通る?」
龍の顔を模した兜の奥で、たしかにドラコが嗤ったのを感じた。そして次の瞬間、予備動作も無しに一気に虎鉄との距離を詰める。体勢は、右のストレート。
速い。完全に虚を衝かれ、虎鉄は咄嗟に顔面の前で両腕を交差する事しかできなかった。
しかしそれを読んでいたのか、はたまた見てから変えたのか、虎鉄の腹部に強烈なボディブロウが炸裂。
「面白い冗談ですね」
「おぶっ……!」
下から突き上げるドラコの右アッパーに、ネオ・オリハルコンの装甲や強化された内臓ですら悲鳴を上げる。常人なら拳が触れた瞬間に腹部が脊髄ごと爆散する威力をどうにか受け止めるが、拳の勢いは殺せずゆうに十メートルはある天井にマッハで激突。壁と同じ硬化テクタイトの天井が発砲スチロールみたいに割れる。
天井にめり込んだ虎鉄に、とどめとばかりにドラコの跳び蹴りが襲いかかる。壁に突っ込んだ体勢のまま、虎鉄は上のフロアまで蹴り上げられた。
『小僧!』
起き上がろうとしたロボットだが、吹っ飛ばされた際に巻き込んだ棚が手足が絡まり、まったく身動きが取れない。
「遅いっ」
上のフロアに叩き出した虎鉄より、動けないロボットの方がより確実に仕留められると判断したのだろう。ドラコは瞬時に標的を虎鉄からロボットに切り替える。
ロボットに襲い掛かろうと、ドラコがその巨体にそぐわぬ俊敏な跳躍を見せた時、天井に新たな穴が開き、そこから虎鉄が飛び出して来た。
「何っ!?」
「おらあっ!」
奇しくもジャンプの最中だったドラコに、天井を突き破ってきた虎鉄の蹴りが命中する。さしもの人造人間も、よもや硬化テクタイトの天井にわざわざ別の穴を開けてやって来る馬鹿がいるなどとは予想できなかったに違いない。今度はドラコが蹴り飛ばされ、床に埋め込まれる。
「大丈夫か? って中身は入ってないんだったな」
手足に絡んだ棚を無造作に引きちぎってロボットを救助すると、すぐさまドラコへと向き直る。さっきはスフィーがドラコの位置情報をメット内部のモニターで指示してくれたから奇襲が成功したが、まともにやりあっていたらあんな大技などかすりもしないだろう。
「時間が無い。ここは俺に任せて、お前はさっさと機関部へ行け」
『馬鹿を言うな。儂が言った事を忘れたのか? お前のような素人が束になってかかっても相手にならんぞ』
恐れ多くもドラコは宇宙連邦治安維持局の実行部隊で、しかもエース。如何に虎鉄がアペイロンに変身していても、中身はただの高校生。実戦で鳴らした特殊部隊の軍人に、ボーイスカウトが真剣勝負を挑むようなものである。
「やってみなきゃわかんねえだろ、と言いたいところだが、まあまともにやったら歯は立たないだろうな。けどな、俺にだってお前が自爆するまでの時間稼ぎくらいはやれるかもしれないぜ?」
『それがな……悪いニュースがある』
「どうした? どこか故障したのか?」
『うむ。最悪な事に、今の衝撃で遠隔操作ができなくなった。もうこれは儂の操作では動かん』
見ればロボットの腹部は、ドラコの一撃によって内部が露出するほど損壊していた。さっき動けなかったのは、単に壊れた棚が手足に絡まっていたせいだけではなかったようだ。内臓のような太い配線が千切れて放電し、緩衝剤だか伝導体だかよくわからないゲル状のものが流れ出ていて損傷の大きさを物語っている。どうやら風向きが良くなったと思ったのは錯覚だったようで、実はハリケーンなみの逆風だった。
「マジかよ……。って事はコイツはもう……」
『機関部へ移動させる事も、自爆させる事もできん』
虎鉄が口笛を吹く。最悪の展開にできる、精一杯の強がりだった。
「そうか……」
『すまん』
これですべてが終わったのだと言わんばかりの、万感の思いを込めた一言だった。
だがこれで本当に万策尽きたのだろうか。何より、虎鉄はまだ諦めてはいなかった。ここで終わりを認め
たら、本当にすべてが終わってしまう。それでは駄目なのだ。地球で自分を信じて待っている人たちのためにも、足掻いて何かをしなければならない。その思いが彼を掻き立てる。
「船にかけた制限を解除する事はできないのか?」
『それができたら最初から苦労はせん。あれは船を棄ててでも研究内容を守らなければならん時の、最終最悪の状況で使用する究極制限じゃ。なればこそ持ち主の儂でも解く事ができん。例え儂が捕まって強制されたとしてもな』
「どんだけヤバいもん作ってたんだよ……。じゃあ自爆装置は?」
『あの娘もそうじゃが、お前も妙な事を訊くのう。どこの世界に自ら爆発する機能を組み込む阿呆がおる。
この惑星の人間は爆弾狂ばかりか?』
「いや……そうか、うん、悪かった」
自爆は科学者のロマンだというのは、どうやらごく一部のマッドサイエンティストの中だけだったようだ。
となると問題はごく単純にして面倒。火薬はあるが火種が無い、という事だ。しかもここは宇宙で、近所にコンビニやスーパーは無く、また百円ライター程度で火が着くほどちんけな火薬じゃないという、何とも厄介な状況である。
そうこうしている間にドラコがダメージから回復し、床から這い上がってきた。いっそこのままずっと寝ていてくれれば良いのだが、人造人間は仕事熱心なようで、この悲惨な状況に免じて見逃してくれるという嬉しい展開は期待できそうにない。
そこで虎鉄ははたと思う。ドラコはスフィーが作ったものだが、後に宇宙連邦治安維持局によって手が加えられている。だとしたら――もしかしたら、あれがあるのかもしれないと。
もしあれがあるのなら、機関部を爆破できる。虎鉄の前にわずかな可能性の光が見えた。
だがそれは、あまりにも分が悪い賭け。確率的にもそうだが、何よりその賭けが成立する条件に達するかどうかが、自分の力にかかっているのだ。それができなければ、賭けにすらならないし、今の虎鉄では到底できそうになかった。
だとしても、もはや迷っている時間は無い。元より虎鉄がやらねばすべてが終わるのだ。だったら、ほんのわずかでも可能性がある限り、諦めないのが男、いや、ヒーローというものではなかろうか。
虎鉄は腹をくくる。気分は特攻隊だった。アペイロンの姿じゃなかったら、小便を漏らしていただろう。それでもできうる限り平静を装って、震える声を絞り出す。
「機関部ってのはどっちだ?」
『それを訊いてどうする?』
「いいから教えろよ」
『……小僧から見て二時方向。距離は約二百メートルじゃ。さあ答えたぞ。お前も儂の問いに答えい』
「さっきいい事思いついたんだ。もしかしたら、万事上手くいくかもしれないぜ」
『何、それは本当か? しかしどうやって――』
「それはな――」
地面に両手をつき、クラウチングスタートの構え。
「こうやってだよ!」
言うと同時に駆ける。地上で見せた音速を超える猛ダッシュに、床がめりめり割れる。
『小僧っ!?』
今度はドラコが反応できない。さっきのお返しとばかりに、立ち上がりざまの腰に低いタックルが決まる。
「貴様っ!?」
「場所を変えようぜ。ここじゃちょっと広過ぎる」
これも常人なら腰を境に身体が二分してもおかしくない威力。だがドラコは身体がくの字に曲がっただけ
で、あろうことか瞬時に反応して重心を低くし、両足でブレーキをかけてきた。
しかしお構いなしに虎鉄は走る。目指すは二時方向。目的地の機関部へ、ドラコを抱えたまま猛ダッシュで駆け抜ける。
「離せ。邪魔をするな!」
「まあそう言わず、ちょっと俺につきあえよ」
ドラコが肘鉄を落とすより早く虎鉄の背中が開き、再びブースターが顔を出す。一拍の間もおかず、ノズルから大量のエネルギーが噴出。ターボファンエンジンなみの推進力を得て、ドラコを担いだ虎鉄はミサイルのように飛んだ。
ドラコの背中で壁を何枚も突き破り、再び広い空間に飛び出した。ここが当初の目的地、機関部だ。




