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「……おい、これはいったいどういう事だ?」
『あ? 何がじゃ?』
柴楽高校へと向かういつもの通学路。ヘルメットのようにロボットの頭部をすっぽりと被り、搭載された通信機能で遠く離れた教会に居るスフィーと会話する虎鉄の背中には、主人が離脱して抜け殻となったロボットがおんぶされている。首無しロボを背負う銀色の虎面甲冑の図は、出来損ないの怪談より酷い。おまけに鉄拳神父が
そばにいるので、タチの悪いエクソシストみたいだ。
「この格好でどうやって宇宙まで行くって言うんだよ。詳しい説明を求めるぞ俺は!」
骨伝導によって感度良好の通信の向こうで、スフィーの舌打ちが聞こえる。
『だから時間が無いと言うておろうに。小僧は黙って内部への侵入方法でも考えておれ』
「お前今舌打ちしたよな? マジめんどくさそーに。さてはお前、ほぼノープランだろ? な? 怒らないから正直に言えよオイ」
『しつこいのー……。まずはこの一本道を利用し、宇宙まで出る。小僧の出番は儂の船が見えてからじゃ』
「こんな普通の道路を滑走路にして、ジェット噴射するのか? だいたい宇宙ロケットの発射って、もっと南の島とかに基地作ったり、発射台とか使うだろ」
『お前が言っておるのは、この星の技術での話じゃろ? あれは効率を考えて赤道付近を選んでおる。それに広大な敷地が必要なのは、発射時の膨大な熱放射で一面火の海になるのを避けるためじゃ。儂らの場合も、あれほど質量が大きくないとは言え、こんな市街地で直上に打ち上げようとすれば、熱放射でこの近辺はタダでは済まんじゃろう。だからまず地表に沿って十分に加速し、高度上空まで跳躍。それから障害物のない安全な空中で点火。そのまま宇宙に出て、スイングバイで針路修正して目的の宇宙船まで一気に向かう、というのが正解じゃな』
「なるほど」
スフィーが何を言ったのかまるで理解できないが、そのまま真上に発射できない事とその事情だけは辛うじて分かった。
舞哉に預けておいた虎鉄の携帯電話が鳴る。
「虎鉄」
「来たか」
一足先に自転車で先行したエリサからの報告だ。往来する車、人、ともに無し。風は強いが追い風で、信号は相変わらず黄色の点滅。つまり針路オールグリーンとくれば、やるなら今しかない。
「準備はいいか?」
「それじゃ、いっちょ行きますか」
『宇宙船を使わずに宇宙に出るんじゃ。身体に直接強烈な抵抗やGがかかるが、覚悟はよいか?』
「師匠は大気圏突入してきたんだろ? だったらイけるさ」
『よく吼えた。吼えたからには気張って見せい』
背負ったロボの背中のバーニアが甲高い音を立て、スタートの合図の代わりをする。莫大な熱量の噴射が始まるまでの、わずかな時間差。それまでに安全圏内まで行けなければ、町は火の海だ。
『走れ!』
「アペイロン、ゴーッ!」
一歩踏み出すと、衝撃でアスファルトが薄氷のように割れる。水溜りの上を駆けるが如く地面をめくりながら、速度はすでに音速を超える。ソニックブームが巻き起こり、通学路は被害甚大。崩れる壁。折れる電柱。吹き飛ぶ民家の屋根瓦。それでもさらに加速。下手糞な書き割りみたいに高速で後ろに流れる景色。三キロメートルの道のりを、わずか三秒で走りきる。
『今じゃ、跳べ!』
「せいやーっ!」
スフィーの合図で思い切り地面を蹴って、走り幅跳びの要領で飛び上がる。蹴り足が道路に巨大な蜘蛛の巣状のヒビを入れ、一瞬遅れて崩れ落ちる。その時にはもう虎鉄は高度二千フィートの空の上。そこで待ってましたとばかりにロボが最大噴射。背中から炎の柱を生やし、飛行機雲を撒き散らしながら第一宇宙速度で一直線に宇宙を目指す。
「ぐおおおおおおおおおおおおおっ!」
空気が凶器となって虎鉄を襲う。空気抵抗、それによって生じる熱、G。どれも生まれて初めての体験。アペイロンの装甲と、ナノマシン化したネオ・オリハルコンによって筋肉、骨格、内臓、血液はおろか細胞レベルにいたるまで強化されていなければ、とっくの昔にぺちゃんこの黒焦げだ。本物の宇宙飛行士でも、生でこんな経験できやしない。当たり前だ。向こうはちゃんとした宇宙船に乗って、ちゃんとした宇宙服を着ているのだ。身体一つで宇宙に向かう馬鹿なんて、世界でただ一人自分だけだろう。オンリーワンの馬鹿。そう思うと自然に笑いが込み上げてきた。
とはいえ笑っている場合ではない。普段何気なく吸っている空気が、速度が上がるだけで恐ろしい怪物と化して牙を剥いてくるなんて思いもしなかった。これまで感じた最大の空気抵抗など、せいぜい台風の日の向かい風くらいだ。それが今、断熱圧縮によって発生する熱で装甲の表面温度が千五百度を超える領域にいる。こんな炎が噴き出るような空気抵抗、普通に生きてる限りまず体験できるもんじゃない。やはり笑うしかない。
成層圏を抜けると、空気抵抗と摩擦熱が無くなった。Gだけは慣性の影響を受けるが、それでもだいぶ楽になり、周りを見る余裕ができた。
「地球だ……」
足元に、宇宙に浮かぶ地球が見えた。初めて肉眼で見る地球の姿は、今まで何度もテレビや写真で見たものとは違い、言葉で言い表せない美しさがある。見ているだけで、自然と目頭が熱くなった。
この青い惑星には、自分を含めて何十億という人間と、数え切れない動植物が生きている。頭では分かっているが、やはり実感は薄い。世界を救うなんて口では言ってはみたが、何というスケールの大きさだろう。
これが、これから自分が救う世界か。
そう思うと身体が震えた。
武者震いだと思いたかった。
『よし、スイングバイをかけて第二宇宙速度まで加速するぞ。軌道修正はこちらでしてやるから、小僧は鼻クソでもほじっとれ』
「ほじれる穴もないけどな。まあよろしく頼むぜ」
虎鉄の背負っているロボットがスラスターを細かく噴射し、地球に向けて針路を修正する。エネルギー節約のために、地球の引力を利用して加速するのだ。しかし間違って近づき過ぎると、地球の引力に捕まってまた大気圏に引き込まれる。なのでスイングバイには緻密な計算と正確な軌道修正が必要である。だがそこは天才科学者スフィーにおまかせ。計算も科学も苦手でおまけに宇宙初体験の虎鉄は、言われるままに鼻クソをほじるくらいしかする事がなかった。




